雲が高い位置にある。ぼーっと見ていたらさっきまで左にあった大きな雲が視界の右側に移動していて、ルルーシュは寝転がっていた体勢から起き上がった。くぁ、と間抜けな欠伸が漏れてしまい目を両手でごしごしと擦る。耳を澄ませば生徒達のざわめきが聞こえる屋上でルルーシュは何をするわけでもなく、ただ空を見上げていた。時計を確認するとまだあのイベントが始まってから30分しか経っておらず、こんな面倒なものが放課後まで続くのかと思うと溜め息が出そうだ。

(あと3時間か?それとも4時間か?ああ、眠い)

いったい誰がエイプリールフールなどという日を考えついたのか、そして何故ミレイはそういう変な日にばかり注目するのか。エイプリールフールもとい嘘つきの日。たった今アッシュフォード学園で行われている生徒イベントだ。正午12時より始まり放課後のチャイムと同時に終了するこのイベントは名の通り"嘘をつく"というイベントである。イベント中は必ず一つだけでもいいから嘘をつくこと、それだけが条件。最低一つだけでもいい、ということは逆に考えるといくつでも嘘をついていいということになる。単純に考えれば楽なイベントかもしれないが、実はこのイベントは思考の読み合いでもある。相手が話していることが嘘かもしれないということを前提に会話をしなければいけないので、話している内容がすべて嘘なのかそれとも一部だけ嘘なのかを見破る力がいる。しかも必ず嘘をついているというわけでもないので、例えば誰かがずっと嫌いだった相手に「ずっと前から嫌いだった」と言えば相手はそれは嘘なのか本当なのか考えるだろう。そして、その質問は本当か?と聞いても「そうだ」と言ってもそれが嘘かもしれないし、「嘘だ」と言えば嘘だというのが嘘かもしれない。考え始めるとややこしいイベントなのだ。日頃から呼吸をするより自然に嘘をつくのが上手なルルーシュにとっては、逆に面倒なイベントであった。なので開始してから早々に屋上へ逃げてきたわけなのだが、やることがない。今頃はミレイが開いたイベント企画の嘘当てショーが講堂で行われているだろうけれど、ルルーシュは手伝わなくても大丈夫と言われていた。今から様子を見に行っても以前に開いた女装イベントのようにミレイに捕まって突発的に舞台に上げられそうな気がする。

(・・・そういえば、なんだったかな)

ルルーシュはふと、昔読んだ童話の話を思い出した。嘘つき少年という名前だっただろうか、羊飼いの少年の話だ。退屈しのぎに狼が出たと嘘をついて村人を何度も驚かせているうちに本当の狼がやってきてしまい、少年が狼が来たと言っても村人は信じてくれず羊は皆食べられてしまったという物語だった。アイソーポスの童話は子供のころよく読んでいたので内容までしっかりと覚えていた。嘘つきは最後には痛い目をみるぞという警告の含まれた物語が幼いルルーシュにとって新鮮だったものだったから嘘はいけないなと思っていたのだが、成長して随分と思考が歪んでしまったらしい。幼少の頃についてはいけないと思っていた嘘の中で生きているのだから滑稽だ。

(嘘つきは救われない、か)

身を守るための嘘で自滅してしまうような嘘が一番くだらないと思うけれど、それに似た人生を歩んできてしまったとは思う。何のための嘘か、誰のための嘘なのか。偽ることで何かが変わるのだとして、それが本当に正しい道だったのか?今考えても全ては過ぎてしまったことだから無駄なのだが。母が死んで、父に棄てられ、日本に送られてきたあの幼い日。

(あの時、俺は生きていたんだろうか)

漠然とした疑問が胸の中で渦巻く。死んでいる、そう言われたのはただの戯言だと思うけれど否定もできない。土蔵でスザクと出会って、息をしていたのだと思うけれどたぶんそれもあの夏の日で死んでしまったのだろう。あの日も今日のように晴れて、大きな雲が空に浮かんでいた。2010年8月10日、もしかしたらあの日から自分は生きていなかったのかもしれない。 「・・・馬鹿か、俺は」 何をくだらないことを考えているのだろうか。生きているとか死んでいるとか、そんな精神論ばかりを追っている場合ではないだろう。ルルーシュは立ち上がり大きく背伸びをしてから首を鳴らした。たまにはイベントに参加するのも悪くないだろうが、なかなか身体が言うことを聞いてくれない。さて、どうしようか。

(保健室に行くか、それとも、図書室へ行くか・・・?)

いや、しかし校内に行くと面倒事に巻き込まれそうな気がする。ルルーシュは迷った末にまた腰を下ろすことにした。入口の反対側にある柱の傍に座り壁に背を預けて目を瞑る。こうなれば、たまには寝て過ごすのも悪くないだろう。そう考えているうちに温かな陽気に誘われ、意識はほの暗い底へと落ちて行った。

「ルルーシュ?」

強く肩を叩かれたルルーシュは腕を組んでいた体勢からビクリと肩を震わせて目を開いた。驚いて見上げれば太陽の光を背にしたスザクがこちらを見下ろしている。夢すら見なかった深い眠りから突然引き上げられたせいで寝起き特有の心地よいまどろみは一気に吹き飛んだ。ぱちぱちと何度か瞬きしてから、驚かすなよとルルーシュは眉を寄せた。スザクが手を差し伸べルルーシュがそれを掴んで立ち上がるとスザクが困ったように笑う。

「驚かすつもりはなかったんだけどな」
「まあ、こんな所で寝ていた俺も悪いんだがな。・・・それで、何の用だ?」
「えっ?」
「俺になんの用件があるんだと聞いているんだ。まさか用もないのに起こしたなんて言わないよな?」

屋上の塀に背中をあててルルーシュがスザクに聞くと、スザクはサッと視線を逸らした。見えない何かを追うように視線をゆらゆらと彷徨わせている。何を言い淀んでいるのだろうかとルルーシュはちらりと背後に広がる学園の庭風景を見た。ぽつぽつと生徒が歩いているだけであまり出歩いている生徒は少ない。少しだけ身を乗り出して下を覗いても、それに下を歩く生徒は気づいていないようだ。ルルーシュが再びスザクを見ると、スザクが指をもじもじと弄びながら口を開いた。

「ええっと、あの、ルルーシュを呼んできてって・・・シャーリーに言われたから・・・」
「シャーリーに?どうしてだ?」
「えーっと・・・確か、うんと、講堂でやってるイベントの手伝いをしてほしいって・・・言ってたような?」

しどろもどろに言うものだから、ルルーシュは思わず口元を緩ませた。ここまでわざとらしいと逆にわざとやっているのではないかとも思ってしまう。彼がそれが苦手、というか馬鹿みたいに真面目で自分に正直な奴だから上手く言えないのは分かるが。

「それで、本当はなんなんだ?」
「・・・やっぱり、分かる?」
「当り前だろう。お前は嘘をつくのが下手だからな」

それにイベントの手伝いはしなくていいと言われていたから。スザクは肩を落としてルルーシュの隣まで来ると、どうしてバレちゃうのかなぁと漏らした。顔に出やすい、ということもあるが嘘をつく内容が曖昧すぎて逆に怪しいのだ。どうせイベントには参加しなさいと会長にでも言われて、それで嘘をついたのだろうとルルーシュは思った。嘘は自然に吐くのが一番なのだが、それがスザクには苦手らしい。

「お前は顔に出やすいんだよ、ババ抜きだって苦手だっただろう」

トランプでババ抜きをしたらいつもスザクが負けていた。それにスザクは嘘をつくときに必ず相手の目を見ない。騙しているという罪悪感からか立っていても落ち着きなくそわそわする。さっきも、手伝いを頼まれたという嘘でなくともスザクの態度を見ていれば話しているそれが嘘なのだと分かったのだ。嘘をつくにはまず演技からだなとルルーシュ言うとスザクはムッと頬を膨らませた。

「どうせルルーシュは嘘つくの上手いからいいよ。さっきだってアーニャにも嘘ついただろう?」
「あぁ。だって、お前あれは・・・ずっと写真を撮られ続けるのは苦手なんだよ」
「気持ちは分かるけど、だからって僕が写真を撮られたがってたって嘘はやめてよね!」
「そうとは言っていない。最近スザクの写真を撮ってないんじゃないですか?と言っただけだよ」

背後霊のようにずっとくっついてくるアーニャを一時的に撒くにはルルーシュはああ言うしかなかったと思っている。しかしスザクはそれに少し怒っていたようだ。あくまでアドバイスをしただけだよ、と言うと同時にだから自分を探しにきたのかとルルーシュは思った。でもと声を荒げかけたスザクは少し止まって、はぁと諦めたように息を吐く。ルルーシュに口で勝てるわけがないと分かったのだろう。ついルルーシュが笑うとスザクはまったくと言ったように塀から身を乗り出して下を見下ろした。

(俺は嘘が上手いから・・・確かにそうだろうな)

秘密を守るには嘘をつくしかない。ルルーシュには秘密が多すぎる。生まれも育ちも、そして今生きていることさえも嘘に等しい。嘘なんてつかずに生きていければと思うけれど、それは無理なのだ。昔、子供のころはスザクが羨ましかった。自分に素直に生きている姿は、ルルーシュが心の中で願っていた姿に似ていたのだ。善と悪の境界線が曖昧な年齢だったけれど、でも区別はできていたのではないだろうか。子供のころに戻れたら、と思うときがある。ただ何も考えず、スザクと一緒に居れたならそれがどれだけ幸せなことだったか。ルルーシュはスザクを盗み見る。スザクは何も考えていないというような表情で下を見下ろしている。昔だったら下を見下ろすのではなく空を見上げていたのに。ルルーシュはふと思いついて両腕に力を入れて塀の上に上ると不安定なそこに座った。両足を外側へ出すとスザクがぎょっと目を見開いて慌てだす。このままバランスを崩せば下に落ちてしまうだろうその態勢でルルーシュは両手を大きく開いた。

「なあスザク。実は俺は鳥だったんだ」
「・・・鳥?」
「そうだ、鳥だ」

くすくす笑いながらルルーシュが両手を翼のように揺らす。いつものルルーシュらしからぬ行動にスザクは疑問を抱きながらも見え透いた嘘の意味が分からず、今にも落ちそうなルルーシュの服を掴む。危ないから降りた方がいいとスザクがルルーシュを降ろそうとした。けれどルルーシュは逆にスザクの手を取ると、振り返り笑いかけた。

「信じてくれるか?」
「ルルーシュ危ないって!」
「なあ・・・信じてくれよ・・・」
「・・・ルルーシュ?」

ルルーシュの声がしゅんと暗くなり、思わずスザクは引っ張る手を止めた。見ればルルーシュの笑顔は目が悲しんでいるようなものだ。いきなりどうしたのだろうかと思うけれど何も言えずスザクが口を閉じたままルルーシュを見つめていると遠くから風が吹き抜けてルルーシュの髪を乱した。風によってバラバラとなびくルルーシュの黒髪がカラスの羽のように舞う。

「このまま俺が飛んで行ったら、お前はどうする?」

このまま何処かへ行ったら、このまま消えたら。ルルーシュは自分でそう言いながらも頭の中では何を馬鹿なことを言っているのだろうと思った。誰も知らない場所へ行って、何も考えずに生きて、土に還るようにひっそりと死ねたら。胸の中のわだかまりが消えて、鳥のように自由に飛んでいけたら苦しさだって消えるかもしれない。そうしたらきっとこれまでついてきた嘘も、今ついてしまっている嘘だって、全てどこかへ流れて行ってくれるだろう。

「ルルーシュ・・・」

風が止んで沈黙が流れる。スザクは、ルルーシュがどんな答えを望んでいるのか少しだけ分かっていた。でもそれを口にするのは難しく、お互いにそれを感じ取っている。想いを伝えあえればいいけれど、それで何かが壊れるのは確かだ。今までの気持ちだとか、これからの未来だとか。ただスザクはこのまま何も言わなければルルーシュが本当に何処かに、鳥のように飛んで行ってしまうのではないかと思った。

「・・・ルルーシュが鳥なら、僕は逃げないように捕まえるよ」
「鳥かごにか?」
「ううん。もっと広い部屋で、放し飼いにするんだ」

それで、とスザクは言葉を区切ってからルルーシュの服を思い切り自分の方へ引き寄せた。急に引っ張られたことでバランスを崩したルルーシュは背中から屋上の床に落ちそうになるが、ギリギリの所でスザクがそれを受け止めた。地に足がついた安定感を感じたルルーシュは振り返し自分の下敷きになってるスザクを見下ろした。突然引っ張りなんてそっちの方が危ないだろうと怒ろうとしたが、その前にスザクが笑ってルルーシュの両腕をしっかりと掴んだ。

「こうして僕の傍から離れないようにするんだ」

そしたらずっと一緒に居られるんだとスザクはルルーシュへ笑いかけた。その言葉を聞いた途端ルルーシュがくしゃりと顔を歪めて顔を伏せた。前髪でルルーシュの目が隠れてしまいスザクはその顔を覗き込もうとしたが、ルルーシュの口が笑うように口を開く。

「部屋で放し飼いなんてしたら、俺は窓から逃げるぞ?」
「うーん、それじゃあ窓には鍵をかけるよ」
「扉の隙間から逃げるかもしれない」
「じゃあ扉を塞いじゃおうかな」
「馬鹿だな、そうしたらお前が部屋から出れないだろ」
「あ、そっか。じゃあ・・・」
「無理だよ、俺はすぐに逃げるよ」

どんなに気をつけていたっていつの間にか飛んで行ってしまってるよとルルーシュは笑っている。口元しか見えないけれどスザクはルルーシュの両手を掴んでいた手を離して背中をぽんぽんと撫でてやった。子供っぽい、ルルーシュの考えることはよく分からない。どうやっても逃げてしまうとルルーシュは言いたいようなのだが、だとしたらどうしようもないということになる。どうしようもなくなんてないとスザクは言いたいのだが、やはり、ルルーシュに口では勝てない。どうしようかと悩んでいると、ルルーシュが突然うずくまるようにスザクの胸に額をあてた。スザクが驚いて身を固まらせると、ルルーシュは絞り出すような苦しげな声で呟いた。

「だから嘘でいいから、今だけでも俺を捕まえていてくれ・・・!」

ハッとさせるような言葉にスザクは眉を寄せる。恐る恐るルルーシュの両肩を抱くと、微かに震えているのが分かった。今だけでも、なんて言ってくれれば何度だっていつまでだって捕まえていてあげるのに。お互いに伝えるのが怖いのだと分かっているのに口にできないもどかしさが胸をざわつかせた。鳥を捕まえていても、いつかはきっと逃げてしまう。逃がしてしまう。犬のように首輪をして繋げておくことができないと分かっていて、それがどうしようもなく悔しい。シンプルになれたらいいのにと考えながらスザクがルルーシュに言えたのは。

「・・・泣いてるの?」

そんなちっぽけな問いだけだった。ルルーシュは起き上がりスザクの上から退くと頭を横に振った。しかしスザクの目を見ないまま立ち上がり、いつもの声で笑う。

「泣いているわけないだろう。全部、嘘だよ」

鳥だということも、捕まえていてくれと言ったことも全部。スザクは身を起して何も言わずにルルーシュを見上げると、ルルーシュは風が強くなってきたから戻ろうと言って出口の方へ歩いて行ってしまった。呼び止める暇もなく早足で扉をくぐっていってしまったルルーシュの背中を見送る。雨など降っていないのにさっきルルーシュが立った場所に残っている染みを消すように手で擦ってスザクは、ルルーシュは嘘が上手いと言ったのが僕の嘘だったのには気づいたかなと空を見上げた。



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友達以上恋人未満。