焦げ付いた臭いが辺りに充満している。口元を覆うガスマスクがなければ息もしていられないだろう。 スザクが辺りを見回せば、崩れ落ちた灰色の建物が街の景観の一つとして溶け込んでいた。 ついさっきまで十字架をそのてっぺんに立てていた教会が、自分達の軍の爆弾で一瞬で倒壊したのをスザクは目撃していたから、その教会の瓦礫に埋まって死んでいる子供を見つけた時に胸に十字を切った。 粉となったコンクリートが歩くたびに足もとに舞い上がり軍服を汚す。スザクは左肩にかけていた機関銃を右肩にかけ直し、ヘルメットの下から流れ落ちた汗を拭った。 荒廃したこの街に活気という文字はない。建物の物陰から人の視線は感じるものの、スザクはいつもそちらを向くことはできなかった。 何百キロと離れた場所にある中央都市から脱落した人々が息つくのがこの街なのだろう。 街の中心地の外れにまだ生活のできる人々が市場を開き、集落のように集まって住んでいる地域がある。 そのような場所は普通に歩けるレベルだが、中心地から離れていくごとにその安全性は失われていく。 いつ浮浪者に襲われるか、いつ"自分達の国の軍隊が爆弾を落としていくか"、分からないのだ。 中央都市での爆発的な人口増加に、過疎地域の人口を強制的に減らすなど可笑しいと思う。 しかしこの国ではそれが当たり前でスザクの嫌う上官のように言うと、上からの命令、だ。 中央都市で処理しきれなかったゴミが町はずれに溜められていくのを見て、この街の人々は何も思わないのだろうかとスザクは思った。 スザクは中央都市の生まれだ。普通の家庭で育ち、運動神経の良さから両親に軍隊へと薦められた。 最初スザクは、こんな平和な国に軍隊など必要ないのではないかと思っていた。 しかしいつかこの平和を妬んだ他国が攻撃してくるかもしれないと、国を守る意志で軍へ入った。 だが、現実とはスザクの頭脳には理解できないほど残酷なものだ。 中央都市から出たことのなかったスザクは、この街に来てとても驚いた。 何故、道路が整備されていないのか。何故、人々はこんなにも不衛生な場所に住んでいるのか。何故、死体が普通に放置されているのか。 見て見ぬふりをすればよかったものの、正義感の強いスザクはつい、こんなのはおかいしと言ってしまったのだ。 スザクが上層部へこの街の現状を見てほしいと言ったのが二年前。 スザクはそれから一度も中央都市へ戻っていない。正確には、戻らせてもらえなくなったのだ。 スザクはこの街での人口減少活動に参加させられることになった。 表向きは、人々に訴えかけるだのテロリストなどの犯罪者の撲滅など綺麗事を並べているが真実はそんなものじゃない。 人を、たくさん殺した。子供から年寄りまで、男女関係なく。 最初は殺すたびに魘され、精神安定剤が手放せなくなった。けれどそれも二年も経ってしまえば、慣れざるをえなかった。 今日は暇だからとダーツで地域を決めて人口減少運動と銘打った人殺しをする同期の軍人を見ても、スザクが軍人でも優しくしてくれた、いつも電柱の下で花を並べている少女が自分の配置した爆弾で全身黒ごげになっていても ただ、怒りと深い悲しみが沸く"だけ"だった。


スザクはその日、上官達が妙にざわついているのを感じ取っていた。 何かあったのかと聞けばはぐらかされてしまい、もう今日は終わりにしていいと言われた。 多少気になったが、また上から新しい武器の実験でも頼まれたのだろうかと気にしないことにした。 仲間というには気が引ける同期の軍人達と中心地のバーでひとしきり飲んだあと、スザクは先日人口減少活動を行った地域の傍を歩いていた。 軍の宿舎に行く道は別にあるのだが、この道を通ったほうが10分ほど速いのだ。 まだまだ飲むという同期に、頭が痛いからと適当な嘘をついてバーを出たスザクは、若干赤くなった頬を手の甲で擦りながら夜の寒さに白い息を吐いた。 軍服を着ていないスザクはあえてこの地域に紛れるような、少し汚れた洋服を身にまとっていた。 軍人はこのあたりの人々には毛嫌いされるため、軍務の時以外ではとてもではないが軍服は着れないのだ。 糸がほつれ大きく開いてしまったポケットに手を突っ込むとくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出す。 残り本数が少なくなってきたそれを一本取り口に咥えながら、新しいのを貰ってこなければなと火をつけた。 ぼんやりと温かな日のぬくもりを近くに感じ、煙草を咥えたまま口の端から煙を吐いた。 自分はこの街でずっとこんなことをしながら過ごしていくのだろうかと思いながら、天井の崩れ落ちたビルのような建物の横を通り過ぎたその時だ。

「・・・っ?」

ガコン、と大きな石が動いたような音が建物の中から聞こえたのだ。 足を止め、建物を見てみるがガラスの割れた窓の中は暗くて見えない。 誰かいるのだろうかと思ったが、この地域はこの前爆撃にあったばかりで誰もいないはずだ。 こんな短い時期に他の地域から誰かが移動してきたとは思えず、スザクは少し考えてからその建物に足を踏み入れた。 それはバーで飲んだ酒の酔いの勢いと、心の中にあった街の人々への罪悪感からかもしれない。 一歩踏み入れただけで建物の中は暗闇だった。スザクは懐からさっき使ったライターを取り出すと、火を灯し辺りを照らす。 木の床がところどころ腐って崩れている。もともとは学校だったのだろうか、小さな机と椅子が乱雑に置かれていた。 玄関だったと思われる所を通り過ぎると、急に視界が明るくなった。天井がない部分に出たのだ。 青白い月光が視界を良くし、スザクはライターをしまう。 右側に階段と思われるものがあったがそれは二段目あたりからそのうえがなくなってしまっていた。 焦げたそのコンクリートと木の残骸を見て、ここにも爆弾が落とされたのだろうとスザクと思っているとすぐそばでまた何か物音がした。

「・・・誰か、いるの?」

そしてスザクは崩れかけの階段の下に人がいるのに気がついた。 階段に接する壁に俯きながら寄りかかり足を投げ出している。 ボロボロになった黒い靴のつま先が見えたからスザクはその人物に気がつけたのだが、何かおかしい。

(呼吸の音がしない・・・)

息をひそめるにしてもこの距離で呼吸の音が聞こえないわけがない。 スザクはゆっくりと階段の裏へ回り、その人物の正面へと立った。 柱の影で丁度顔が隠れているが、少し長めのショートカットの黒髪は捉える事ができた。 身体つきからして男性と思われるその人物はさっきからピクリとも動かない。

(呼吸の音がしない時点で、もしかしてとは思ったけど・・・)

スザクは片膝をついて、投げ出されたその人物の左腕を掴んだ。 細いその腕は肌の色は白かったが土やコンクリートの粉で汚れていて、そして、恐ろしく冷たかった。 指先まで隠していた袖を捲り、手首へ指をあてて脈を取ろうとするが血液の流れるような感覚はスザクの指には伝わらなかった。死んでいる。

「・・・あーあ」

きっとまた自分達の爆撃のせいで死んだ人なのだろうと、スザクは深いため息を吐いた。このような人達はいくつも見てきた。 スザクは掴んでいた腕を優しく置き、せめてもの弔いにとその人物の上に積もっているコンクリートの粉を振り払う。 スザクはズボンについた汚れを払いながらも、あれ?と首をかしげた。 確かにこの人物の衣服は汚れているが、元の服はとても良い素材でできているものなのだ。 ここらへんでは到底売られてはいないような素材の服。この材質の服は中央都市で作られた服に特徴が似ていた。 中央都市から来た人だったのだろうかとスザクは顔を上げてその人物の顔を見る。 しかし薄暗さとその長い前髪のせいで顔がきちんとは見えなかった。 スザクはその人物の顔を照らすためにライターを取り出そうとしたがそれは無用だった。 辛うじて支えられていた柱が突然崩れ、大きな音を立ててスザクのすぐ傍に落ちたのだ。 柱が崩れたことで連鎖的にそれを支えにしていた天井の一部の残骸が落ち始める。 静寂だった辺りに大きな崩壊音が地響きのように地を微かに揺らす。 咄嗟に目を瞑ったスザクは石の転がる小さな音がやむまで目をぎゅうと瞑り、そして目を開いた。 傍らにある木の柱を見て間一髪だったと冷や汗を流す。更に散らかった周囲にここを出るときは注意しなければいけないなと思った。 そして一瞬だけ忘れかけていた正面の人物に目をやると、スザクはぎょっと目を見開いた。

「な・・・っ」

紫の瞳が黒髪の間からこっちを見ていたのだ。死んでいる者ではない瞳に、スザクが驚いて腰を抜かす。 脈を確認した時に脈は感じられなかった。死んでいるはずなのに、どうしてこちらを見ているのだ。 まさかゾンビか幽霊かその類かと、スザクが加えていた煙草を思わずポロリと落とす。 スザクの服の側面を転がっていった煙草はコロコロと床を転がり、目を開く人物の靴の踵にぶつかる。 乾燥した木の床に煙草の火がじんわりと移りそうになり、スザクが火を消す前に目の前の人物の靴がゆっくり上がって踵の部分で煙草の火を消した。 明らかに意志のある行動にスザクは言葉を失い呆然とその人物を見つめていると さっきまでピクリとも動かなかった身体がゆっくりと起き上り始めた。 上半身を完全に起こしたその人物は前髪を振り、スザクを見つめる。 透き通るような紫にスザクは停止した思考の片隅で綺麗だなと感じた。

「だれだ」

それがルルーシュとスザクの出会いだった。




「別に俺はどうしたいとか、もう思わない。ただ、そうだな。願いが叶うなら、妹に会いたいな」

スザクの火をつけたばかりの煙草をひょいと奪ったルルーシュは悠々とそれを口に咥えてそう言った。 最後の一本だったのにとスザクは空になってしまった煙草の箱を握りつぶすが、それよりもルルーシュの言葉のほうが気になってしまう。 会えればいいね、と言えたらよかったのだがルルーシュの妹は既に死んでしまったということを以前に本人から聞いていたスザクは何も言えなかった。 ルルーシュの色の薄い唇から吐き出された煙がもくもくと頭上を漂い、穴の空いた天井の外へと消えていく。 ここ最近はずっと曇りだったせいか今日の空は綺麗に晴れて、その綺麗さが地上の汚さをより強く見せるようだ。 初めて会ったこの場所がいつも二人の待ち合わせ場所となっていた。特に約束をしているわけではない。 ただ、なんとなく来てしまう。軍人のスザクにはきちんとした寝床があるがルルーシュにはない。 ここで寝泊りをしているわけではないルルーシュが、どこで寝ているかなどはスザクは知らない。 お互いにここ以外で会うことがないのだ。スザクがいくら街中を探しても、ルルーシュの影は見つけることができない。 けれどスザクが不意に、ああ今はあそこに居るな思いここに来てみると、居たりする。 ルルーシュもスザクが来るのを待っていたかのように、片手を上げるものだからいつしかここは二人の場所となっていた。

「そうだルルーシュ、これ使えないかな?軍の施設で見つけたんだけど」
「ん?・・・へえ、これはすごいじゃないか。上級品だぞ。いいのかこんなもの勝手に持ってきて」
「いいんだよ、どうせ他にもたくさんあるんだから。ルルーシュみたいな人に使ってもらった方が部品も喜ぶよ」

そう言ったスザクの手の中にはナノチューブ製のボルトのような小さな部品が握られていた。 スザクがそれをルルーシュの右手に持たせると、ルルーシュは目の前にかざしナノチューブを見つめる。 機械と機械の間に接続することによって伝導率を上げるものだ。小さく刻まれているシリアルコードは、これが軍のものだと分かる。 ナノチューブを難しそうに眺めていたルルーシュは、徐に左腕のシャツを肩まで捲った。 薄汚れた袖の下から出てきたのは人間の腕、ではなく、まるでパイプのような4本の鉄。 肩から肘にかけて濁った銀色をした円柱状のものが生えているのだが、肘から手にかけては細いその鉄が柱のように伸びていて 掌は板のようにただ平べったく、辛うじて付いているだろうと思われる指はどれも異様な方向へと曲がっていた。 ルルーシュが肘の関節部分にあるボールの小さな蓋を開くと、中には細かい機械がギッシリと詰められていた。 ルルーシュはナノチューブを指先に持ち替え、狭い入口にそれを入れていった。 途端、パチパチと電気の弾けるような音が微かに聞こえはじめる。 慎重に指を進めていくルルーシュの表情は痛みに耐える様に苦しげで、スザクはただそれを見つめていた。 ルルーシュの長い指は関節のボールの中にすっぽりと隠れてしまっている。 ルルーシュは指先の感覚だけで中を探り、ある部分を見つけるとその部分に埋まっていた部品を爪で引っ掛け横へずらすと抓んでいたナノチューブをそこへと接続した。 一呼吸おいたあとルルーシュが指を引き抜きボールの蓋を閉じる。 ルルーシュは軽く肘を何度か曲げると、うんと頷いた。

「ありがとうスザク。やっぱり部品は交換するものなんだな」
「そうだよ。ねえルルーシュ、やっぱりちゃんとしたところでメンテナンスしてもらったほうがいいんじゃないの?そのままじゃ、手だけじゃなくて左腕全部動かなくなっちゃうよ」
「じゃあ金を貸してくれるのか?」
「う・・・それは・・・」
「無理だろう。いいんだ、どうせ動かなくなったって困りはしないさ。いつか寿命が来るだろうからな」

ルルーシュは人間であるが、その身体の半分は機械であると言えるだろう。 サイボーグ。身体の一部を機械化することによって身体能力や寿命を延ばす。それは一時期、中央都市で流行った技術であった。 義手とは違い、神経を機械へ繋げることによってその機械の部分を自分の思い通りに動かせる。 最初からあった手足のように自由自在に動き、傷つけば痛みも感じることができる。 画期的な技術と思われたそれだったが、コストが高すぎることと確実な安全性が保障されないため直ぐに人間のサイボーグ化は中止された。 スザクはルルーシュ以外のサイボーグを見たことがあるが、その人物は片足だけのサイボーグだったしそれに二、三ヶ月後に死んでしまったという噂を聞いた。 だからルルーシュの身体を見た時にスザクはとても驚いた。その四肢の殆どがサイボーグ化されていたからだ。 四肢だけではなく肺や心臓など体内にも機械が入っているらしく、特に脳には特別な機械が埋め込まれているらしい。 きっと普通の人間がルルーシュ並みにサイボーグ化すると、人生を三度ほどかけて払わなくてはいけない金額になってしまうだろう。 サイボーグ化は表には禁止とされたが、社会の闇ではまだまだ商売は続けられている。 臓器を売る代わりにその部分をサイボーグ化して余った金を貰うという方法が密かに人々の間で囁かれているからだろう。 貧困に喘ぐ人々は自分の臓器を売り、安い機械を買って体内に取り込む。ただし、安い機械ほど長くは持たないのだ。 ある日急にぴたりと止まってしまう粗悪な機械はそこらじゅうにゴロゴロと転がっている。 そんなものを掴んでしまった日には、もう明日のことは考えないほうがいいと言われていた。

「あとね、包帯持ってきた」
「・・・包帯なんて何処に使うんだ?」

首を傾げるルルーシュの目を見ないようにしながらスザクはルルーシュの左腕を掴んだ。 持ち上げると、手首から先がぶらりと垂れさがる。手首の部分が壊れてしまいルルーシュの左手は使えないのだ。 ルルーシュの左腕は"何かに"巻き込まれてしまった時に人工皮膚が剥がれてしまったらしい。 剥き出しの機械に清潔感はなく、スザクは冷たいルルーシュの左手に包帯を巻いていった。 銀色の手が真っ白な包帯で隠されていく様子を見ながらルルーシュが笑う。

「包帯なんかしたって左手はもう直らないぞ」
「分かってるよ。でも、見た目の問題だよ」
「見た目か。それなら俺は全身包帯を巻いたほうがいいんじゃないのか」
「今の君は左手だけで十分だよ」

スザクが包帯を巻き終ると、ルルーシュはありがとうと呟き捲っていた袖を下ろした。 根本ぎりぎりまで吸った煙草を壁に押し付けて消すとルルーシュがふうと息を吐く。 何処か疲れているようなルルーシュを心配に思いながら、スザクはルルーシュのほうへ身体を少しずらす。 近づいてきたスザクにルルーシュが不敵に口元を笑わせると伸ばしていた両足を曲げた。 ルルーシュの肩へスザクが頭を乗せ、大きな欠伸をする。

「なんだ寝不足か」
「ううん、なんだかこう天気がいいと眠くなっちゃって」
「寝てもいいが、もう少ししたら訓練の時間なんだろう」
「うーん。行きたくないなぁ。どうせいつも同じことしかしないんだから」

スザクとルルーシュの仲は、まるで昔からの友人のように仲が良くなった。 まだ出会ってから三ヶ月しか経っていないというのに、こうして無防備な姿を見せ合えるほどに。 この街で知り合いはたくさん増えたけれど、友達と呼べる存在を見つけられなかったスザクにとってルルーシュはとても大切で、とても不思議な存在だった。 人間だけれども、人間じゃないルルーシュ。ルルーシュの剥き出しの機械を見るとスザクはたまに複雑な気持ちになる。 もしルルーシュがサイボーグ化されていないただの人間だったら、こんなところで出会わなければ、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。 ルルーシュがこんなところに居るということはきっとルルーシュも何処からかここにたどり着いた者の一人なのだろう。 スザクはルルーシュの詳しいことは何も知らなかった。ただ、妹が一人いたということだけは会話でぽろっと出てきたので知っていた。 だから、ルルーシュが何故その身体をサイボーグ化したかや、そんなに高級な機械を身に付けているのにここにいるのかとかは分からないのだ。 知りたいと思うことはあるが、ルルーシュからは無理に聞きたくない。というのが今のスザクの気持ちだ。けれど。

(また痩せてる・・・)

ルルーシュの人間である部分を見て、日に日に痩せていっているのは感じ取れた。 食事がどうの、という問題ではないのだろう。きっとそれは機械のせいなのだから。 いくらルルーシュが性能の良い機械を付けていても、メンテナンスをしなければ意味がない。 けれどルルーシュがメンテナンスをしている様子は一切無かった。 専門機関や専門士でしかメンテナンスは行えないし、メンテナンスの機械はこんなところにはない。 ルルーシュの中に埋め込まれている機械がいつか止まったら、それがルルーシュの寿命である。
「ルルーシュ、もし僕が中央都市に戻ったらその時は・・・」
「・・・」
「・・・ルルーシュ?」

返事がないルルーシュをスザクが見ると、ルルーシュは目閉じて寝てしまっていた。 寝てもいいぞと言っていた本人が寝てしまっては意味がないじゃないかと、スザクがくすりと笑う。 スザクはルルーシュを起こさないようゆっくり慎重に身体を離すと、自分の着ていた上着を脱ぎルルーシュにかけた。 いつか必ずその時は来ると分かっているのに、それまでどうしたらいいのか分からない。 ルルーシュが死ぬのをただ待っているようでスザクは嫌だった。けれど解決策を見つけることもできず。

「じゃあねルルーシュ」

また今度考えればいいかと、先送りにしてしまうのだ。 あとになって、それがどんなに馬鹿なことだったかと思ってしまうのに。



スザクがいつもの場所へ訪れると、建物の入口に入ってからすぐのところでルルーシュが倒れていた。 うつ伏せに倒れているルルーシュを見つけたスザクはさあっと血の気が引いたのが分かった。

「ッルルーシュ!大丈夫!?」
「ス、スザクか・・・?」

スザクがルルーシュの肩を掴み仰向けにして身体を起きあがらせると、ルルーシュが虚ろな目で宙を見ている。 きょろきょろと左目が動きスザクを捉えたのだが、左目は前を向いたまま瞬きひとつしない。 ルルーシュは右手で己の顔を触りながら呆然と呟く。

「目が・・・見えないんだ、左目が・・・突然・・・真っ暗になって・・・」
「・・・!ルルーシュ・・・足が・・・」
「そうなんだ、右足も動かなくて。なあスザク、俺の右足は今どうなってる?」

右目だけでスザクを見上げたルルーシュの表情は不安というよりは、今自分に何が起こっているのか分からないという表情だ。 倒れているのを見つけた時から分かったが、ルルーシュの右足は普通ならばあり得ない方向に曲がっていた。 スザクが恐る恐る右足の裾を捲り上げてみると、出てきたその光景にぐっと眉を寄せ、目を伏せた。 茶色に焼け焦げた人工皮膚が所々溶け出している。人工皮膚の下に眠っていた機械がパチパチと火花を散らし、煙を上げていた。 スザクはこれ以上は見られないと裾を下ろすと、スザクの表情を読み取ったのかルルーシュがそうかと小さく言った。

「すまないスザク、立つのを手伝ってくれないか」
「うん・・・」

スザクの肩を借りてルルーシュが左足だけで立つ。感覚のない右足が歩くたびにズルリと床に擦れる光景は奇妙だった。 ゆっくり一歩ずつ歩いて、なんとかいつもの階段の裏まで行くとスザクはルルーシュを壁に寄りかからせるように下ろした。 心なしかルルーシュの呼吸が荒いような気がして、スザクはルルーシュの右目にかかった前髪を払う。 ポケットに入れていたペンライトを取り出すとそれをルルーシュの左目へ向けた。

「ごめんルルーシュ、ちょっと見せて」

親指でルルーシュの左目に触れる。ルルーシュの両目は機械ではないが、神経は機械と脳の機械と直結しているらしい。 眩しい光にルルーシュが目を細める。しかしスザクは左の瞼を無理やり親指で押し上げて眼球を照らした。 開きっぱなしの瞳孔はペンライトの光をあてても小さくならない。 ルルーシュの右目に光を向けると紫色の中にうっすらと分かる瞳孔がきゅっと小さくなるのが見えた。 スザクはペンライトを消すと黙ってそれを仕舞った。何も言わないスザクに、ルルーシュが諦めたように笑う。

「やっぱり駄目だったんだな。最近、見えにくいとは思ってたんだが」
「・・・ルルーシュ」
「そんなに暗くなるなよ。右目は見えにくくもなってないんだ。片目くらい大丈夫だ」
「でも、足だって・・・。感覚は?」
「膝から下は全く。なんだか不思議な気分だ」

そう言って笑うルルーシュがスザクには信じられなかった。どうしてそんな平然としていられるのかと。 もし自分の目がいきなり見えなくなったり足が動かなくなったりしたら、少しでも取り乱すものではないだろうか。 スザクはもし自分自身がそうなってしまったら、落ち着いていられるわけがないと思う。 けれど目の前のルルーシュまるでこんな時が来るのを知っていたかのように落ち着いていた。

(いや、まるでじゃない。知ってたんだ・・・)

いつか自分の身体がおかしくなることを。スザクは愕然とし、拳を握りしめた。 ルルーシュの身体のことはスザクだって分かっていたはずだ。 けれどいつかの話だからと、恐ろしい未来のことを考えたくなくて逃げていた。 逃げて、その挙句こうなった時にルルーシュに何もすることができなくて。 一番不安なのはルルーシュのはずなのに、ルルーシュはスザクの顔色ばかりを窺い笑みを浮かべている。 覚悟、なんて大層なものではないが、気持の整理もできていなかった自分がスザクは悔しくてしょうがなかった。 そう思うと自分がとても無力に見えてしまい、スザクは以前に持ってきていた救急箱を取り出した。 あまり内容の豊富ではないそれを開き真白な包帯を取り出す。柔らかなそれをスザクは震えそうな手で伸ばして、ルルーシュの左目へとあてた。

「スザク・・・」

ルルーシュがスザクを見上げるが、スザクは何も言わずルルーシュの目に包帯を巻いていった。ぐるりと頭を何週かさせて銀色のピンで留める。 隠された左目に触れルルーシュは嬉しそうに目を細めた。ルルーシュの左手にはスザクが前に巻いた包帯がそのまま巻かれている。

「ありがとうスザク」

そのありがとうの意味がどういう意味なのか、スザクには理解することができなかった。 けれど本当に嬉しそうな顔をルルーシュがするから、スザクは何とも言えない気持ちになる。 ただ壊れたその部分を見ていたくなくて巻いた包帯なのに、純粋に喜ぶルルーシュに胸が痛むのだ。



それから、ルルーシュの身体の包帯の数が増えるのにそう時間はかからなかった。 膝までは感覚のあるというルルーシュの右足が完全に動かなくなった。ただ、神経だけは通っているらしく痛みは感じるそうだ。 痛みは感じるけれど自分で動かすことはできない。ルルーシュは右足の膝から下を切断した。 痛みも感じない部分は切断しても大丈夫だし、感覚のないものがぶら下がっているのは気持ちが悪いらしい。 ルルーシュの右足はスザクが切断した。軍から持ってきた大きな斧のような刃で一振りだった。 片足では移動することも儘ならず、ルルーシュは歩けなくなった。階段の裏のスペースに座り足もとに薄い布切れのような毛布をかけて、ただその場所に居る。 ルルーシュの周りは寒さ対策のためかたくさんの毛布が置いてあり、まるで羊がそこにいるかのようにルルーシュの周りは毛布で埋め尽くされていた。 無事だったルルーシュの右手の皮膚も気候や機械の熱で溶け、ぽつぽつと染みのように皮膚がなくなっていく。 人口が皮膚が解けてなくなってしまった部分にだけスザクは包帯を巻いた。 しかし、ルルーシュが前に言ったようにいくら包帯を巻いたとしてもそこは直らないのだ。 はっきり言ってスザクのやっていることは無駄の二文字に尽きる。 けれどルルーシュは何も言わなかったし、スザクも無駄だと分かってやっている。 ルルーシュの左目に巻いていた包帯を交換していると、ルルーシュが小さく声を漏らした。

「見ろスザク、ほら、あそこ」

ルルーシュの包帯だらけの右手が反対側の壁際を指す。スザクが指の先を目で追うと、剥がれた木の床の下から何本か花が咲いていた。 何処からか種が運ばれてきたのだろうか、真っ白な花だった。 見たことのあるような花だったがスザクには名前が分からず、大きく開いた花は根本から折れてしまいそうなほど不安定に風に揺られている。 周りの汚い壁とは対照的に真っ白なそれはとても綺麗で思わずスザクも綺麗だと漏らした。

「あれって何の花かな、見たことはあるような気がするんだけど」
「あれは百合だ。ここの地域にも咲くんだな」
「ここの地域にもって?」
「俺が昔住んでいた場所は百合が多く咲いていたんだ。ナナリーも、百合が好きで・・・」

ナナリー?とスザクが初めて聞く名前に首を傾げると、俺の妹の名前だとルルーシュが言った。 スザクはナナリーと反復して呟いた。今まで知らなかったルルーシュの過去のことを知れたのだと、そう思ったのだ。 妹の名はナナリー、昔住んでいた場所は百合が多く咲いていた。たったそれだけの情報なのだが、スザクにとっては小さなことではなかった。 ナナリーという名と百合が咲いていたということだけを聞いて、すぐに脳裏に思い描けるのだ。 澄んだ空の下でたくさんの百合に囲まれてルルーシュとその妹のナナリーが立っている。 きっと平和なところだったのだろう、とスザクは勝手に頭の中でルルーシュの故郷を想像した。

「取ってこようか?」

歩けないルルーシュの代わりにあの百合を摘んでこようかとスザクは立ち上がるが、ルルーシュはふるふると首を横に振った。

「いい。あんなに綺麗に咲いているんだ、摘んでしまったら可哀想だろう」
「そう?なら、いいんだけど」

ルルーシュがそう言うならとスザクはルルーシュの隣に座り、上を見上げた。 この階段の部分は辛うじて屋根が残っているため雨が入ってこない。けれど、足を伸ばした少し先からはもう屋根がない。 どんよりと灰色の空が広がっているのを見て、雨が降りそうだなとルルーシュが言った。 今の季節は雨が降るのは珍しくないが、寒くなってきたこの時期に水は厳しい。 軍の宿舎ですら寒いのにルルーシュはこのような所で一人で夜を明かしているのだと思うとスザクは苦しかった。 できるならば自分もここにずっと居てあげたい。けれどそれは無理だ。スザクは軍人なのだから。 食糧などは持ってきてくれる人がいるらしいのだが、その人物にはスザクは一度しか会ったことがない。 会った、というよりかは見かけたと言うほうが近いと思う。この建物から出てくる金髪のルルーシュと同い年くらいの女性を見たのだ。 名をミレイと言うらしいが、街によく行くスザクでもミレイという名の女性は知らなかった。 とにかく、今のスザクがルルーシュにしてあげられていることと言ったら包帯を巻いてやることしかない。 ひゅうと大きな風が吹き、首元を通り過ぎた冷たい風にスザクが首をすくめた。

「うー、寒いね」
「そんな薄着をしているからだろう。ほら、こっちに来い」
「わ、ありがとう。あったかいなあ」

ルルーシュが自分の身にかけていた大きな毛布を開きスザクに半分分け与える。 端を持ってスザクが毛布を肩にかけると、自然とお互いの距離が縮まった。 寒さに指先を擦りながら、一斗缶のようなものでも持ってきて火を焚こうかとスザクは思いつく。 火は危険だが小さな炎なら大丈夫だろうとスザクはいい考えだとルルーシュの方を向いた。

「ねえルルーシュ、あのさ缶を持ってきてさ、そこに火を」
「ん?なんだ?」

くるりとルルーシュがスザクの方を向き、そしてお互いに言葉を止めた。 思ったよりも距離が近く、互いの顔が目のと鼻の先にあったのだ。 初めてみる間近な距離での顔につい言葉を止めてしまった二人の間に妙な沈黙が流れる。 口を薄く開いたままルルーシュの目を見つめるスザクは、脳が停止したかのように頭が真っ白になったのが分かった。 目の前のルルーシュだけがスザクの目に映り、それが直接脳に送られているように、ただそれだけを感じる。 気まずさにも似た沈黙が暫く流れていたが、スザクは気付けばルルーシュの顔に己の顔を近づけていた。 スザクがゆっくりと顎を少しだけ上げる様にして顔をルルーシュに近づけると、ルルーシュは目を伏せる様に半分だけ閉じた。 亀の歩みよりも遅いそのスピードとは反対に、スザクの鼓動はドクドクと早くなっていく。 唇の距離があと一センチとなったところでルルーシュが熱っぽい息を漏らす。 その吐息をスザクが唇に感じた時には、二人の唇は重なっていた。 軽く触れ合わせるだけの幼稚な口づけだったが、二人を繋げるには十分すぎるものだった。 唇はすぐに離れ、距離を離した二人が互いに顔を見合わせる。ただ何も考えず唇を触れ合わせてしまった。

「・・・なんか」
「・・・・・・なんだ」
「・・・すごく、きもちよかった」

無意識にうちにスザクの口から零れおちた言葉にルルーシュが微かに眼を見開く。 スザクはまだ意識が霧がかったようにぼんやりとしていたが、言った言葉には後悔していなかった。 ルルーシュは驚いたように片目を泳がせたあと、小さく言う。

「・・・俺も、だ」

お互いに口づけに僅かな快楽を見つけた。けれど、それが恋愛感情かどうかと聞かれれば分からなかった。 スザクもルルーシュも何故口づけたのかと考えれば答えは「目の前にあったから」で、そこに特別な感情を見出すことはできなかった。 好きであることには変わりないのだが、恋愛感情とはまた違うような気がする。 しかし逆に考えてみれば、恋愛感情があるから口づけはするものなのだろうか。なくたって、してもいいじゃないか。 そう結論を出してみるが、スザクもルルーシュもなんだか心の中にもやが残ったままだった。 そんなことをしていたらいつの間にか日が暮れ始めていて、スザクは言葉も少なく去っていった。

「・・・じゃあね、ルルーシュ」
「ああ。おやすみ、スザク」

一度だけ振り向いたスザクの顔は、何か言いたいことを我慢しているような顔だった。 スザクが最後に見たルルーシュの顔は、捨てられた子供のような悲しい笑みだった。 もし、もう少し時間があれば。なんてifを思いたくはないけれど、そう思ってしまう。 そしてこれが二人が会った最後の時だった。



スザクは柔らかいとは言えない軍の宿舎のベッドで目を覚ます。 遅いぞ、などと同僚のからかいを背中に受けながら共用の水道場へと向かった。 昨夜は慣れない書類仕事を任されてしまい、久し振りに頭を使った。 おまけに疲れ果てて軍服のままで寝てしまい、背中や腕の部分が皺になってしまっている。 共用の水道場へは一度宿舎から出なければいけない。スザクは欠伸を抑えながら外履きに履き替えると外へ出た。 濃い灰色をした空は気味が悪いほどで、ヘリがいくつか飛んでいるのが見えた。 スザクは特に気にせず水道場へ向かうと蛇口を捻り水を出す。 今日はまずは昨日やりっぱなしだった書類を片付けないとなと思いながら両手に水を溜めていたその時、遠くの方で大きな爆発音が聞こえた。 続いて、ずーんという建物が崩れるような音。連続した爆発音と破裂音に、スザクは何処かで人口減少運動がされているのだろう。 両手に溜めていた水を戻しスザクは爆発のした方角を向いた。いつもならば昼過ぎにやるものを何故こんな朝にしているのだろうか。 また誰かが死んでいるのだろうとスザクは思い、そこでやっとあの爆発が起こっている方角はあの場所がある方角だと気づいた。 まさか、とサッと血の気が引く。そんなはずはない、あそこは以前にも攻撃を行っている。 そう自分に言い聞かせるが、スザクは堪らず走り出していた。もしかしたら、いや、そんなことあってはいけない。 遠くで上がる黒煙を見ながら軍施設の門まで走ってきたスザクは、急に目の前に出てきた上官にぶつかりよろけて足を止めた。

「枢木一等兵か、何をそんなに慌てているんだ」
「失礼しました!あの、今の爆発は!?」
「ああ。またいつものやつだろう」
「そ、それは何処の地区で・・・?!」
「地区?ええと確か、×××だったかな」

地区名を聞いた瞬間、スザクは身体の器官が全て止まってしまったかのように何も考えられなかった。 上官がその口から言った地区名はまさに、ルルーシュがいるあの建物の地域だったからだ。 気づけばスザクは上官の制止を振り切って軍の施設を飛び出していた。向かう先はただ一つ、彼の場所へ。 中心地の街を通り抜けると、爆発のあった方から人々が走って逃げてきていた。 皆手に荷物を抱えスザクの横を通り抜けていく。人の波に逆らうように走るスザクを、街の人間が怒りの目で睨んでいる。 スザクは今、軍服なのだ。爆撃の被害者達の中をスザクは走っているようなもので、いつものスザクだったら視線に耐えきれず逃げていただろう。 けれど今のスザクにはそんなことを気にしている余裕など欠片もなかった。 ただ、あの場所に座る包帯だらけの彼のことしか考えられなかった。

「ルルーシュ!ルルーシュッ!!!」

あの地区に近づくにつれ爆音が近く鳴り響く。地面が揺れるような振動にも怯まずスザクは声を張り上げる。 頭上を飛んで行ったヘリが爆弾を落としていき、爆風がスザクを襲う。 土煙が舞い上がりスザクはヘリが地区の方向へと銃を連射しながら飛んでいくのを見て叫ぶ。

「撃つな、撃たないでくれ!!!そこにはルルーシュが、ルルーシュは歩けないんだ!!!だから!!!お願いだから、もう、やめてくれ!!!」

しかしスザクがそう叫んだところで声が届くわけもなく、爆発音は止まない。 何かが壊れる音がするたびに、ルルーシュの命が消えていくような気がしてスザクは涙を流していた。 歯を食いしばりながらボロボロと泣き、手伸ばしやめてくれと叫ぶ。

(ルルーシュが!!!ルルーシュが!!!)

彼がこんなことで死んでいいはずがない。歩けない彼は、こんな命を弄ぶようなことで死んではいけないのだ。 スザクは喉が壊れてしまうかと思うくらい何度も叫んだ。

「やめろ!!!やめてくれぇえーーーッ!!!」

泣き叫ぶスザクを笑うかのようにヘリが旋回してくる。勢いよくスザクの上を通り過ぎて行ったヘリは周りの建物に爆弾を落としていった。 目の前の建物にちょうど爆弾が落とされるのを見て、スザクは両腕で顔を庇うように隠した。 一秒置いてから、爆弾が破裂する。家の窓ガラスが割れ、爆風と共にスザクに向かってきた。

「っぐっ!!!」

目に砂埃が入り、足を止め顔面を擦る。スザクが次に目を開けた時、地面に自分の影と重なるような大きな影があった。 上を向くと、倒れた建物の破片がまさに落ちてこようとしているではないか。 スザクは咄嗟に横にあった瓦礫の山に飛び込むが、落ちてきたコンクリートの塊が地面にぶつかり砕けスザクの額に直撃した。 脳に強い衝撃を受けスザクはそのまま瓦礫の山を転がり落ちて地面に倒れた。額が燃える様に熱い。 地面を見ると赤い液体がぽつぽつと落ちていた。目の前が霞んでいくのが分かり、こんなところでとスザクは唇を噛む。

「ルルーシュ・・・ルルーシュ・・・!!!」

もうすぐ、あともう少しであの場所へ行けるのに。彼は、違う、彼ともっと、生きていたい。 いくら身体を叱咤しても起き上がることができずスザクは悔しさに涙を零した。 やめてくれと叫んだスザクの言葉は、今までスザクにも向けらてきた言葉だった。 向けられてきた言葉の重さをやっと理解し、スザクは今まで無意味な同情と怒りだけを沸かしてきた自分が愚か者だったのだと思う。 ヘリが再びあの場所の方へと向かうのを見て、スザクは気を失った。



「ぐ、ぅ、あ、あああ・・・ぐ・・・!!!」

ルルーシュは吹き飛んだ己の右腕を押さえて獣のように唸り痛みに耐えていた。 焼き千切れたように右腕からは何本ものコードが出ており火花を散らしている。 さっき降ってきたコンクリートの塊がこめかみにぶつかり、生身だったその部分から血が流れている。 スザクに巻いてもらった包帯は何度もの爆撃で真っ黒になってしまった。 この建物を集中的に狙っているとしか思えない爆弾に、ルルーシュはやはりそうかと心の中で思った。 ルルーシュの脳に保存してあるデータの抹消が目的なのだろう。 ルルーシュの脳の機械には、中央都市の上層部からルルーシュが持ち出したとある機密データが入っている。 もともとは国の皇族として生まれたルルーシュだったが、位の低いためか特別に扱われることはなかった。 ルルーシュだけではない。第一皇子以外は皆同じような扱いだった。それもそうだろう、何故ならこの国を支配しているのは王ではないからだ。 表では王が国を取り締まっているように見せかけているがそれは全くのまやかし。 この国は王に仕えるはずの重要幹部らの思惑で動かされているのだ。 王は飾りと象徴として国民の前に出され、幹部達は安全な場所から国を操る。 それに気づいたルルーシュは何か手はないかと他の腹違いの兄妹達と色々なことをした。 けれど幹部達の力は強く、ルルーシュ以外の者達は皆飼いならされることを選んだのだ。 最後まで抵抗していたルルーシュだったが、ある時、罠に嵌められた。 ルルーシュが中央都市の闇を暴こうとしていることを察知した幹部らがルルーシュを殺そうと殺し屋を送り込んできたのだ。 家に入るところを狙われたルルーシュだったが狙撃手に気づいたナナリーがルルーシュを庇い、ナナリーは死んだ。 ナナリーに庇われたルルーシュだったが、ルルーシュを打つのに失敗したと分かった狙撃手は狙いをすぐにルルーシュ変え発砲してきた。 ルルーシュは息絶えたナナリーを抱き上げながら走って逃げたのだが、その際に体中の彼方此方を撃たれてしまう。 意識を失ったルルーシュが次に目を覚ましたのは、サイボーグ化施設でだった。 撃たれて重傷だったルルーシュを腹違いの兄が発見し、治療は難しいと判断しサイボーグ化施設へと運びこんだのだ。 だからルルーシュが目を覚ました時には、既に自分の四肢はなくなっていた。 ナナリーを殺され、サイボーグ化された己の身体を見てルルーシュは生きる意味が分からなくなった。 ここに居る意味などないとルルーシュは誰にも言わず密かに中央都市を出るのだが、ルルーシュは最後にあることをしていった。 機械化されたことを逆手に取り、幹部らのデータベースに侵入したのだ。 機密事項と思われるデータを盗み出し、ルルーシュは姿を眩ませた。 このデータをどうこうしようという意志はルルーシュはなかったが、今までの復讐代わりだと思って盗んだ。 そしてこの地に辿り着いたルルーシュは暫くは平和な暮らしをしていた。

(よほどあのデータがまずいのか、こんなところにまで手を回して追いかけてくるとはな)

最初の爆撃でルルーシュの周りにあった毛布などは全て吹き飛んでしまった。 ルルーシュはあの最初の一発で自分の身体がバラバラにならなかったことは奇跡だと思う。 けれど、爆発のせいでルルーシュがいつも寄りかかっていた壁が崩れルルーシュはそれの下敷きになってしまった。 両足が完全に瓦礫の下に挟まっていて、もう左足の感覚はルルーシュにはない。 左手でほふく前進のように身体を前へ引っ張れば、左足の付け根からコードがずるりと出てきた。 ガキンッ、と何かが外れる音がして、ルルーシュの左足のあった場所から茶色の液が噴き出す。 服を濡らすそれは機械の動きを良くするために入っていたオイルなのだと分かった。

「ああ・・・ううあ・・・ぐ・・・」

正常だったはずの右目にノイズが混じりはじめる。とうとう死ぬのだなとルルーシュは他人ごとのように感じた。 死ぬならば痛みは少なく死にたかったとルルーシュは諦め目を閉じかけた。 しかし、目を閉じる直前ふと目に入った白い植物。 ルルーシュは閉じかけていためをゆるゆると開け、少し離れたそこに咲く百合を見た。 あれほどの爆撃にあったというのに、百合はまだその場所に咲いていた。 花弁は汚れているけれど、そこに根を下ろしてしっかりと咲いている。 それ見た刹那、ルルーシュの脳裏にさまざまな記憶が思い出される。 温かな手、優しい母、愛した妹の笑う姿と、よく兄弟達と訪れた百合の咲き誇る丘。 幸せだった記憶が一気に流れ出し、白い記憶の最後に現れたのは彼だった。

「ス・・・ざく・・・」

この地へ来て出会った、初めての友達。軍は幹部らの支配下のもとにあったため、最初は軍人と聞いて警戒した。 けれどスザクはそんなこととは無縁のように明るく、すぐにルルーシュは惹かれていった。 優柔不断で迷っているところはあるものの、それもスザクらしさだとルルーシュは思っている。 何よりスザクが包帯を巻いてくれた時、ルルーシュはこの身体になって初めて人間扱いされたような気がしたのだ。 サイボーグ化した部分を見ると皆、ルルーシュを人間として見てくれなくなる。 身体の一部が機械なだけなのに、どうして人間扱いしてもらえないのだろうとルルーシュは悲しかったのだ。 スザクはルルーシュを同じ人間として扱ってくれた。傷には包帯を巻き、心を癒してくれた。 心まで冷たい機械になってしまったと思っていたルルーシュだったが、スザクのその優しさに人間の心を取り戻したような気がしたのだ。 スザクはあの包帯は無意味なことと思っているかもしれない。けれどあの包帯はルルーシュの心の傷をきちんと癒していた。 優しい彼が今の自分の姿を見たら悲しむだろうなとルルーシュは思い、百合へと手を伸ばした。 もちろんこの場所からは届くわけがない。けれど、ルルーシュは百合に向って必死に手を伸ばした。 左手で地面を押し、這いつくばる様にして身体を揺らす。しかし、ルルーシュが動くたびに挟まれた両足が悲鳴を上げた。 感覚のなくなった左足は良いのだが、右足にはまだ感覚がある。 機械としては故障しているはずなのに、神経機能だけは壊れていないらしい。 めきめきと、右足を引きちぎられるかのような痛みにルルーシュは額に汗を溜めるが、手を伸ばすのをやめようとはしなかった。

「う゛ヴぅ゛あああァァァ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーー!!!!!!」

ルルーシュの身体が大きく前進する、と同時にルルーシュの右足は引き千切れた。 身体を押さえていたものがなくなり身体が少し軽くなる。 ルルーシュは足下を振り返らず、ただ目の前だけを目指した。 身体を芋虫のようにねじらせ汚らしい床に這いながらも、どうしてもあの百合に触れたかった。 ずり、とルルーシュが動くたびにオイルが床を濡らしコードからは火花が散る。 ぼやけてきた視界にルルーシュは呼吸を荒くして、痛みに苦しみながら進む。

「あ゛・・・う゛ぅぐ・・・あああ、あああッッ!!!」

誰もいないならば惨めに声を上げてもよいだろう。 ルルーシュはやっとの思いで百合に近づくと、手を伸ばした。 妹の笑顔とダブってスザクの笑顔が浮かんでくる。ナナリーとスザクはふたりでルルーシュを待っているようにこちらに手を伸ばしていた。 その時、爆撃の音もすべてルルーシュから遠ざかりルルーシュはただ目の前の百合を目に入れていた。 最後にスザクと口づけたあの意味が今なら分かる。恋愛感情なんて安く言えるものではない、スザクは大切な存在だったのだ。 守りたい、大事にしたいという気持ちが口づけになってしまったのだとルルーシュは分かった。

「・・・っ・・・あ・・・あ゛・・・」

ルルーシュの指先が百合に触れそうになる。その瞬間、ルルーシュの脳に銃弾が撃ち込まれた。 頭上のヘリがルルーシュを見つけ発砲を開始する。横からこめかみを撃たれたルルーシュはそのまま脳に銃弾を三発連続して受け、ルルーシュの首がガクリと折れた。 銃の照準はルルーシュの身体へと移動し、何十発もの銃弾を受けたルルーシュの身体はビクビクと震えながら大きく吹き飛んだ。 僅かに身体が浮くほどルルーシュの身体が飛び、ボロボロの床の上に叩きつけられると床は衝撃に耐えることができず崩れ落ちる。 床の下へと落ちたルルーシュは血とオイルを体中から流し、そして柔らかなそこへと身体を沈めた。 床の下は1メートルほどの空洞になっていて、そこに、たくさんの百合が咲いていた。 壁際に咲いていた百合は床の下から伸びてきた百合だったのである。 百合の中に埋もれる様にして仰向けに倒れるルルーシュの姿はまるで棺に眠る人間のようだった。 ルルーシュは停止していく身体を感じながら空を見上げる。曇り空が目の前に広がる。

(スザク・・・神は、いないのか・・・?)

神が居たのなら、こんな世界を作らなかったのではないか。こんな苦しくて冷たい世界を。 ルルーシュは、自分の真上に爆弾が落とされるのを見ながらそう思った。



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救えないお話。某曲のイメージから。