今の彼はまるで人形だ。汚れ一つない綺麗な洋服を着せられて、限られた箱の中で好きなように遊ばれる。そしてそれに何も文句を言うことなく、ただ、それを受け入れるだけ。 あれだけ力の宿っていた瞳も今ではくすんでしまっているようにも見える。以前のカノンならそんな彼の姿に失望をしただろうが、今の状況を考えると無理も無いだろう。 ルルーシュがシュナイゼルの手の中に閉じ込められてからもう三ヶ月は経った。未だにシュナイゼルはルルーシュを離す気はないようだ。ルルーシュが動けないように閉じ込めているだけなのか、それともシュナイゼルの趣味なのか。 もし趣味だったのなら、わざわざキャメロットへ預けたアヴァロンを引き戻し、多額の資金をかけてアヴァロンの一部を彼の籠に改造したことはシュナイゼルらしいと言える。 アヴァロンをキャメロットを使わせたまま、という所も非常にシュナイゼルらしい。キャメロットの彼ら、特に、枢木スザクがそれをどのように感じるか分かりきっているくせに何も分からないふりをしてルルーシュをアヴァロンの籠へ放りこんだ。キャメロットの者達がルルーシュに会うことはできないが、姿を全く見れないというわけでもない。 現に今だって、分厚い透明なガラスの向こうで物珍しそうにこちらを見ているキャメロットの研究員がいる。ルルーシュが散歩がしたいというから共有している休憩所を一時的に貸し切りにしてもらいここまで来たのだけれども。

(まるで見世物)

何も知らないキャメロットの研究員達にルルーシュがどのような人物か、いったいどんな情報が流れているかは知らない。けれども、こうも興味を隠すことなく見られるといつもは気にならない視線が非常に不愉快に思う。我慢していたけれど見物人が増えてきたことに何だか腹が立って、カノンは廊下に面していた大きなガラスに近づいた。近づいて来たカノンに驚く研究員達をカノンは冷たい目で一瞥してから、備え付けてあったロールカーテンを強く引く。遮断された視線にカノンがやっとホッとすると、背中に視線を感じた。振り返れば、ずっと窓の外を見ていたルルーシュがカノンを見ていた。その冷めた視線がまるで、閉めなくてもよかったのにと言っているようでカノンはニコリと笑った。

「私、見られるの嫌いなの」

ルルーシュは、カノンの言葉に何も反応を示すことなく再び窓の外へ視線を向けてしまった。カノンはルルーシュの近くの席に座り、ルルーシュの様子を見る。閉めなくてもよかったのにとルルーシュは思っていたのだろうだけれど、カノンはこんなルルーシュの姿をあんなやつらの興味の対象にしたくなかった。明らかに一般人とは扱いの違う洋服だったり、その首にある首輪だったり。部屋を出る時には必ずつけなければいけないことになっている鉄の手錠も見ていてとても痛々しい。ルルーシュが言葉を発すれば直ちにその首が絞まるようになっている機械の首輪は特殊な機械だからか首輪にしては大きく、ルルーシュの首をすっぽりと覆ってしまっている。絞まってはいないものの息苦しく感じるであろうそれに、ルルーシュは特に不快感を表すこともなく淡々と受け入れているようにも見えた。部屋さえ出なければその首輪も手錠もいらないというのに何故ルルーシュがそうまでして部屋を出たがっていたのか。それはきっと、あの部屋には窓が無いからだろう。アヴァロンの右側方部に存在するルルーシュの部屋には窓が無い。アヴァロンへ移動してくる前にルルーシュが閉じ込められていた部屋にも窓はなかった。それは彼を逃がさないためには仕方ないことなのだ。アヴァロンは浮遊航空艦であるため窓はあるが見える景色は空か海ばかりだ。それでもルルーシュはきっと外が見たかったのであろう。日の光も入らない、人工的な照明の下でくすぶっているよりも己の目で外を見たかったに違いない。ただあの部屋を出ると、途端に様々な制限が付きまとってくる。それを分かっているうえで、ルルーシュはここにいるのだ。膝の上で軽く握られたルルーシュの両手は見るからにか細く、男としては頼りのない手だ。食事には手をつけるものの量は少なく、目に見えて以前よりもルルーシュは痩せた。休む時間なら嫌というほどあるのに、何故か疲れきっているルルーシュの顔は喋ることができないストレスからなのだろうか。

「ああ、そういえば明日下に降りるけど何か必要なものとかはあるかしら?」

カノンが思い出したかのように言う。アヴァロンは基本的にキャメロットが使っているため世界のあちこちを常に移動している。それはキャメロットに備えてある戦力、KMFをいかなる時でもすぐに出動できるようにしているからだ。なのでアヴァロンは大掛かりな機械や燃料の補給以外では地上に長く降りていることはない。明日は久しぶりに一日中下に降りる日だということをカノンは今思い出したのだ。

「もう読む本も無いかしら。今ブリタニアではどんな本が流行っているのかしらね?それとも、もっと違うものが欲しいかしら」

ふふふと楽しそうに話すカノンにルルーシュは微笑みで返事をする。そして考える仕草をしたあと、ルルーシュはカノンに手招きをした。カノンがそれを見てルルーシュの隣に座り右手を差し出すと、手錠で繋がれたままのルルーシュの両手が膝の上から離れる。カノンはルルーシュが指先で綴る文字を読み取りながら、すっかり慣れてしまったこの行為にカノンは奇妙な安心感を抱いた。少しだけ俯いた状態で指で文字を書いているルルーシュが本当は何を考えているのかカノンには分からない。コトバ、というものは生活でも勿論大切なものだが意思の疎通をするのにも大事なものだ。文字に置き換えられた言葉には感情が無い。例えば本当は悲しんでいたとしても文字で私は今嬉しいと書くことはいくらでもできる。文字は嘘をつきやすい。だからこそ、カノンはこの行為を大切にしている。身体は簡単に嘘をつくことはできない。文字を綴る指先の力だとか震えだとか、言葉が描かれる瞬間の動きはその時の感情を感じやすくさせる。当初カノンはシュナイゼルが筆談を認めないことに疑問を抱いていた。けれども、もしかしたらシュナイゼルはそれを分かっていたからこそ筆談を認めず更にカノンにこの"役"を任せたのかもしれない。カノンはシュナイゼルの側近でありながら、ここ最近はすっかりルルーシュの世話役としてルルーシュにつきっきりになってしまった。アヴァロンへ移動する前はシュナイゼルの側近としての仕事もきちんとこなしていたのだが、こちらに来てからシュナイゼルからルルーシュの世話を正式に任されてしまったのだ。カノンとしてはシュナイゼルがそう命令するのであれば別に不服とも思わなかったし、それにルルーシュの世話をするのは嫌ではなかった。ただ、窮屈な籠の中で息をするルルーシュを見ているとカノンはこれから先ずっとルルーシュは籠の中で生きるのだろうかと悲しくなる。ルルーシュがこれまでに犯してきた罪を考えるならば、ここで生かされているのが不思議なくらいなはずだ。死をもって償うべきか、生をもって償うべきか。恐らくシュナイゼルはそこまで考えてはいなかったのだろう。ただ殺すのは勿体ないと、そう感じたのだと思う。だから例えルルーシュがどれほどの人に憎まれることをしてもシュナイゼルがルルーシュを"本当に"咎めることはなかった。殺さずに、けれども理由も無く生かされているルルーシュに未来など見えるわけがない。ぼんやりと、そんなことを考えているとカノンは不意に肩を叩かれた。ハッと顔を上げるとルルーシュが怪訝な顔でカノンを見上げており、首を傾げて大丈夫かと声に出さずに訊ねた。

「ごめんなさい、ちょっとボーっとしちゃって……あら?」

窓の向こう側、海の上に浮かぶ雲の隙間で一瞬何かが光ったように見えてカノンは目を凝らした。それにつられてルルーシュもそちらを見ると、雲の中から何かが飛び出してきた。真っすぐこちらに向かってくるそれはだんだんと大きくなり、形が把握できるくらい近づいてきたところでそれがランスロットだということが分かった。どうやらランスロットが任務から帰って来たようだ。ランスロットはアヴァロンの手前で速度が落としきれなかったのか、戦艦の下を通り抜けてから上昇しアヴァロンの周りを旋回している。まるでそこだけ重力が無いのではないかと思うくらい自由に飛び回るランスロットを見上げて、相変わらずの腕前にカノンは感心してしまう。

「若い子ほど才能があるのかしらね。ナイトオブラウンズに歳は関係ないとは言うけれど…」

ねえ?とカノンがルルーシュを見ると、ルルーシュは苦い顔をして窓から目を逸らしていた。どうしたのだろうかと思い微かに震えるルルーシュの手を見て、ああそうだったとカノンは思い出した。ルルーシュが捕らわれた原因が、枢木スザクだったことをすっかりカノンは忘れていた。枢木スザクとルルーシュは昔からの友人だとカノンは聞いている。けれど二人の間にはそれだけでは済まされない様々なことがあった。ゼロとナイトオブラウンズだとか、ユーフェミア皇女殿下の事件だとか。ルルーシュを、ゼロを捕まえる作戦は枢木スザクの動きを見張っていたからこそできたことだ。枢木スザクがいったいどのようなことを考えてルルーシュと会おうとしたのか、今となっては分からないことなのだが。ランスロットが窓の目の前を通り過ぎる。感じるはずのない枢木スザクの視線を感じたような気がして、カノンは静かにルルーシュの肩に触れた。

「…もう、戻りましょう?」

頷いたルルーシュの肩を抱き、カノンは歩きだした。休憩室を出て、人目につかないように"籠"へ戻る。空に浮いているというのに振動を全く感じさせない床をゆっくりと歩いていると、明らかに他とは空気の違う扉の前に着いた。以前と同じように、籠に入るには厳重なロックを解かなければいけない。その厳重なロックのまず第一段階がこの扉だ。カノンは溜め息をついていつものようにロックを解除する。その様子を特に見ることなく、ルルーシュは扉の横の壁に背を預けて俯いていた。何かを考えるような遠い目をしているルルーシュを見てから、カノンは角膜認証のレンズに瞳を近づけた。

「あなたは今まで、何を考えて生きてきたの?」

突然のカノンの言葉にルルーシュは顔を上げ軽く睨むようにでカノンを見た。カノンの言葉がまるで今まで何も考えないで生きていたのではないかと言っているように聞こえたのだ。カノンはルルーシュのそんな睨みを気にすることなくロックを解くと扉の向こうに入った。ルルーシュもそれについていくとすぐに第一の扉が閉まった。すぐさま目の前に第二の扉が現れ、カノンは手袋を脱いでして指紋認証を行う。

「私はあなたじゃないから分からないわ。記録上でしかあなたの過去は知らないもの。私が知っているのは、籠の中のあなただけ。だから私は不思議に思うのよ。あなたみたいに"優しい人"が、どうしてゼロなんかになったのかって。マリアンヌ后妃のため?ナナリー皇女殿下のため?それとも、枢木スザクのため?まさかニホンのためなんて言わないわよね」

甲高い電子音が鳴る。第二の扉が静かに開き、カノンは足を進めた。ルルーシュの痛いほどの視線を背中に受けながらもカノンは振り返らなかった。振り返ることは、できなかった。この問いがルルーシュの心を少なからず傷つけていると分かっているから振り返りその顔を見ることが怖かった。最後の扉を目の前に、カノンはパネルを操作してパスワードを打ち込んでいく。

「あなたは今までどんなことを感じながら生きて…その、力を得てしまったのかしら。そんな力が無ければ、あなたはただ大勢の中の一人として生きることができたのに。こんなことになることもなかったのに。分からないわ、私には。あなたがどうしてそこまで…」

カノンがそこまで言いかけた時、ドンと背中に何かがぶつかった。しがみ付いてきたそれがルルーシュだとすぐに分かり、カノンは思わずパスワードを打ち込んでいた手を止めた。すぐ近くで聞こえるルルーシュの息遣いにカノンは目を開いたまま固まってしまった。手錠をつけられたままのルルーシュの両手がカノンの服を掴む。

「…ルルーシュ?」

首を横に振り、息を詰まらせているルルーシュにカノンは深く息を吐く。無意識のうちに声を乱していたことに気が付き、カノンはゆるく唇を噛んだ。カノンはルルーシュを責めたいわけではない。ただ今のルルーシュの姿を見ていると、胸の奥が痛むのだ。途端に沈黙が落ちてきて、カノンは後悔する。例えルルーシュに何を問うても、今のルルーシュには何もできるわけが無いのだから。全く意味のない、ただルルーシュを傷つけるためだけの言葉だった。今のことは忘れてほしいと、カノンがそう言おうとした口を開いた時だった。カノンは背中にくすぐったいような感覚を覚え、首だけを後ろに向けた。見れば、ルルーシュがカノンの背中に何かを描こうとしているところだった。カノンは自分の右手を差し出そうとして止めた。そのまま視線を正面に戻し目を瞑り、ルルーシュの指先に集中する。ルルーシュの指は弱々しい力でカノンの背中にゆっくりと文字を書いている。微かに震える指の動きに胸が苦しくなりながらカノンはルルーシュの言葉を読み取った。すまない、と。謝罪の言葉を。

「…どうしてあなたが謝るの?」

カノンは訊ねる。けれど、ルルーシュはそれに答えずにそのままスッとカノンから離れた。カノンが振り返るとルルーシュは目元をキツク閉じて、ただただ俯いていた。あれだけ大人びて見えていたルルーシュが急に小さく見えて、カノンは気づけば腕を伸ばしていた。優しい力でルルーシュを引き寄せ、あやすように後頭部を撫でる。ルルーシュはそれい抵抗することなく、カノンの肩口に目元を押しつけた。

(ばかね、本当に)

カノンは深い悲しみを感じた。ルルーシュが、あまりにも"可哀想"だったからだ。ルルーシュがこれまでに、もしかしたら何度も絶望を味わって生きてきたのかもしれない。ちっぽけな自分の力に虚しさを覚えて、暗くもなく、けれど明るくなることは絶対に無い未来に、どんなことを感じながら生きていたのだろうか。呪われた瞳を手にし絶対的な力を手に入れて、もしかして自分の未来にある一つの希望を抱いていたのかもしれない。カノンには、分からない。分かりたくはなかった。何故ならルルーシュは今、ここにいるのだから。絶対的な力以上の力に押さえつけられて、拘束されてしまったルルーシュにもう未来は無い。だから胸が酷く痛んで、そしてあまりにも可哀想だ。ルルーシュが犯してきた罪など、カノンにとってはどうでもいいことだ。カノンはブリタニアに仕えているのではなく、シュナイゼルに仕えている。シュナイゼルがルルーシュの罪を咎めないのならカノンもルルーシュのそれを咎める気はない。カノンの行動は全て、シュナイゼルのための行動だ。だからカノンは何もできない自分はあまりにも虚しい存在だと思った。

「ここは冷えるわ。戻りましょ」

カノンはそう言って、ルルーシュを抱いたまま再びパスワードを打ち込み始めた。



「ルルーシュの様子はどうだい?」
「特に変わりはありません。声の方も今の様子では…」

そうか、と残念そうにシュナイゼルが溜め息をつく。モニター越しのシュナイゼルの姿は相変わらずで、カノンは背をピンと伸ばしたまま目を伏せた。シュナイゼルはルルーシュの様子をよく知りたがる。それはルルーシュが逃げないか、変化が無いかを知るためではない。シュナイゼルはきっとルルーシュという人間自体に興味があるのだろう。何にも固執をしないシュナイゼルが唯一、興味を示している人間。ギアスという力を持っているという理由だけでは片付かないルルーシュの中の目に見えない力がシュナイゼルは気になるのだろう。

「アレはつけているのかい?」
「首輪…ですか?」
「ああ。そろそろ時間が経つからね、もしかしたらルルーシュの気持ちにも変化が出るかもしれない」
「…それは、部屋の中でもアレをつけた方がいいと?」
「無理強いはしないよ。ただ、一応…ね」

優しく微笑むシュナイゼルはその笑みとは正反対の冷たい言葉を簡単に言ってのける。カノンはそれに特に反論することなく、分かりましたと返事をした。艦体は現在神根島に向けて発進している。あと数時間もすれば、シュナイゼルがいる神根島に着くだろう。一時的にルルーシュはそこでシュナイゼルの元へ引き渡される。どうやら、神根島でルルーシュを使った何かを行うらしいがカノンに詳しい情報は渡されてはいなかった。カノンはただルルーシュを神根島に連れてくるようにと言われただけだった。神根島にシュナイゼルが何度か足を運んでいたことをカノンは知っている。そして現在行方不明となっているブリタニア皇帝も神根島にある奇妙な遺跡に興味を示していたそうだ。恐らく、ギアスに関係するものなのだろう。

「殿下、神根島でいったい何を?」
「来れば分かるさ。ただルルーシュが素直に来てくれるかが問題だね」
「…あまり力で押さえつけては、彼は協力しないのでは?」

カノンの言葉に、シュナイゼルが驚いた表情をする。まさかカノンからそのような言葉が出てくるとは思っていなかったようだ。カノンも言ってからしまったと思い、なんでもないと言い直そうとした。けれどその前にシュナイゼルが楽しそうに笑った。

「ははは、さすがにまだ君はルルーシュのことを分かっていないようだね」
「…と、いいますと?」
「君が思っているほど、ルルーシュは弱くないということさ」

シュナイゼルは意味深な笑みを浮かべる。シュナイゼルの言っている言葉の意味が分からずカノンが聞き返そうとしたその時だ。突然、床が激しく揺れ遠くから爆音のようなものが聞こえた。警報が辺りに鳴り響き、カノンは何事かと立ち上がる。モニターにノイズが混じり始め、シュナイゼルが顔を顰めた。

「…少々、遅かったようだね」
「殿下…!?」

シュナイゼルの呟きを最後に、ブツンと通信が途切れる。真っ暗になってしまったモニターを凝視して、カノンは揺れに耐えるために壁に手をつく。耳を塞ぎたくなるような五月蠅い警報と揺れに何かが起こっていることをカノンは察知した。カノンは事態を把握するためモニタールームを飛び出し、操縦室へ向かおうとしたがすぐに足を止めた。先ほど、通信が途切れる前に呟いたシュナイゼルの呟きに嫌な予感がしたのだ。カノンは操縦室とは正反対の方向にある籠、ルルーシュが閉じ込められている部屋へ向けて駆けだした。現在アヴァロンに戦力はない。何故ならつい先刻、エリア11で大規模なテロが起こったと知らせが入りエリア11方向へ向かっていたアヴァロンに応援が要請されたのだ。アヴァロンは神根島へ航路を向けていたためエリア11に向かうことはできなかったが、キャメロットがランスロットやKMFなどの戦力を殆どエリア11に向けて送り込んでしまった。つまり今この空艦の戦力は著しく低いのだ。ルルーシュの部屋へ続く扉の前に着くと、二人のブリタニア兵士が困ったように立ち尽くしていた。どうやらカノンの嫌な予感は当たってしまったようだ。何があったのかブリタニア兵士に訊ねると、空艦の右側方に所属不明のKMFから攻撃を受けたらしく中に侵入された恐れがあるらしい。攻撃を受けた場所はこの扉の向こうで、そこで中に入ろうとしたのだが扉が開かず、壊そうにも頑丈で壊れなくて困っているところだったそうだ。カノンは血の気が引き、すぐに扉の解錠を行った。部屋にはルルーシュが居るのだ。

「っく、これは…!?」

手間のかかる三枚の扉の鍵を解き最後の扉を開けた途端、何かが焼けたような臭いが鼻につきまっ白い煙に視界が遮られた。カノンが怯んでいると、先にブリタニア兵士達が銃を構えながら部屋に突入していった。カノンは扉の前で立ち尽くしながらまっ白い煙の中を必死に目を凝らしてその姿を探す。

「ルルーシュ!」

名を叫んでみるが返事はない。薄くなってきた煙を見て、足を踏み入れようとしたがその前に煙の向こう側からブリタニア兵士が戻って来た。どうかしたのかと問おうとしたが、どうも様子がおかしい。二人とも先ほどまでかまえていた銃を持っておらず、まるで何も異常がなかったかのようにそのまま来た道を戻っていってしまったのだ。呼び止める間もなく去っていってしまった兵士達にカノンが呆然としていると、すぐ傍に人の気配を感じた。カノンが振り返ると同時に突風が吹き、煙を一瞬して消し飛ばす。咄嗟に片腕で顔を覆ったカノンだったが恐る恐る目を開くと、空が見えた。破壊された部屋は壁と天井が崩れており、崩れかけた床に黒いKMFがしがみついていた。ピクリとも動かないKMFに恐怖を感じながらもカノンはルルーシュの姿を探した。けれども壊された部屋の中に人の姿は見えない。そうすると、黒いKMFが突然ゆっくりと腕を上げた。思わず後ずさりしたカノンだったが、KMFは腕を上げたまま停止し、そして腕があった場所にルルーシュがいた。激しい風に煽られながらKMFに掴まっているルルーシュが身を乗り出し口を大きく開く。

「カノン!」
「…っルルーシュ!?」

カノンは耳を疑った。まさか、そんなはずはない。彼は喋ることができないのだから。けれどカノンの戸惑いを吹き飛ばすようにルルーシュがもう一度カノンの名を呼ぶ。カノンはルルーシュへ駆け寄ろうとしたが、ナイトメアが振り上げていた腕をカノンとルルーシュの間に鋭く落とす。咄嗟に後ろへ飛び避けたカノンだが、どうやらルルーシュに近づくことはできないようだ。ルルーシュは悲しげな顔をしながら、カノンを見つめる。

「ルルーシュ、あなた声が…」
「…カノン、俺は声を失ってなんかいない」
「…っ!?」

ルルーシュは最初から、声を失ってなどいなかった。そう、初めから全て嘘だったのだ。全てはシュナイゼルを欺くための演技、それこそ命をかけた嘘だった。シュナイゼルの手の中に堕ちたふりをして、再び立ち上がる時をルルーシュは待っていたのだ。カノンは唖然としながらルルーシュを見つめた。赤く光る瞳と目が合い、ルルーシュが片手で瞳を隠す。

「何度も、ギアスをかけようか迷った。シュナイゼルの側近であるカノンを掌握できたら…そう、何度も思った」
「…けれど、あなたは私にギアスをかけなかった。そうでしょう?」

ルルーシュが視線を逸らし、苦しげに胸を掴む。鳴り響く警報は弱まることはない。カノンは、自分が酷い勘違いをしていたことにようやく気がついた。ルルーシュはカノンが思う以上に優しく、また、強い人間だった。シュナイゼルが言っていたように、カノンが感じていたよりもルルーシュは弱くなどなかった。所詮、カノンが見ていたのは籠の中のルルーシュだったのだ。ルルーシュが腕を伸ばし、カノンに問う。

「カノン、俺と来ないか?」

思わずカノンは息を止めた。ルルーシュはそれ以上何も言わず、ただカノンを見つめている。カノンは伸ばされた手を見て、フと笑った。最後まで優しいルルーシュがとても愛おしく感じたのだ。

「答えなんて分かってるくせに」
「…そうだな」

ルルーシュは同じように笑い、腕を下ろした。KMFの腕に掴まり、肩の部分に乗ったルルーシュはもう籠の中にいたルルーシュとは違う。たとえここを脱出したとしても、ルルーシュには過酷な明日しか待ち構えていない。そのことを分かっているのにそれでも行こうとするルルーシュをカノンは止めることができなかった。飛び立とうとするKMFの上で座るルルーシュに、カノンは叫んだ。

「ルルーシュ、最後に一つだけお願いがあるの」
「…?」
「私の名前。最後にもう一度呼んでくれないかしら」

ルルーシュが一瞬だけ目を見開き、そして悲しそうに目を細めた。ルルーシュが口を開くと同時にKMFが飛び上がる。機械音にかき消されそうになったルルーシュの声は風に乗りカノンの耳へ届いた。カノンが息を吐けた頃には、既にルルーシュを乗せた悪夢の姿は見えなくなっていた。



「行ったのかい、あの子は」
「はい。申し訳ありません」
「いや、いいんだ。私が気付けなかったのが悪いのだからね」

神根島の砂浜に立つシュナイゼルが言った言葉に、カノンは頭を下げたまま気づいていたくせにと内心毒づいた。先ほどの騒ぎがあったことなど忘れてしまいそうになる神根島の穏やかな波の音にカノンは耳を傾ける。カノンがあの時、伸ばされた腕を取れなかったのはカノンはやはりシュナイゼルの側近であるからだ。カノンはシュナイゼルの物に手を出してはいけないと分かっていたから、ルルーシュの手を取ることはできなかった。もし、あの手を掴んでいたらどうなっていただろうかと考える。けれど、ルルーシュだってカノンがあの手を掴まないことくらい分かっていたはずだ。だというのに手を差し伸べてきたのは、それは、シュナイゼルに生かされているカノンの本質を見破っていたからなのかもしれない。ルルーシュはシュナイゼルの手に落ちたあの時でも檻の中などにはいなかった。最初からシュナイゼルという檻に囚われていたのはカノンのほうだったのだ。





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大人ぶった子供の駆け引き。