「朝、か・・・」


ベッドから上半身だけを起こしたルル―シュは、ぽつりと呟いた。カーテン越しに夜明けの光がぼんやりと光っている。きっと今日は晴れであろうと、なんの根拠もない考えを思い浮かべながら寝起きのまどろみを味わっていた。夜明けと言ってもまだ薄暗い部屋にルルーシュのものではない寝息が一つだけ残っている。今日はついにここから脱出する作戦の日だった。事前の準備は万全、10のルートと5つの予備ルートも確保しあとは機を待つのみである。何としても作戦を成功させるために、気を抜いてはならない。ルルーシュは左目を塞ぐガーゼが剥がれていないか触れてみた。医療用の紙テープでしっかりと留められたガーゼはきちんと左目を隠してくれている。眼帯ではズレてしまう恐れがあるためガーゼを貼ることにしたが、テープが鼻の山の横に貼られていると少し気になってしまう。壁にかかっている時計を見上げる、あと一時間もすればスザクは起きるだろう。スザクは今日の午前中には中華連邦の方へラウンズの仕事で行くはずだ。データベースに侵入して予定を確認したのだから間違いはない。中華連邦の情勢は不安定で外交を早く進めたいとする中華連邦の上層部らの気持ちは分かるが、ルルーシュからしてみれば大国であるにも関わらず人民の意志がまとまっていない国ではたとえ仮の和平を結んだとしてもブリタニアに飲み込まれるだけであろう。第一皇子のオデュッセウスの護衛としてスザクは中華連邦へ行くはずだ。ジノやアーニャは午後からEUでの内戦鎮圧に向かい、夜にはルルーシュをよく知るラウンズはいなくなる。スザクが一度中華連邦へ行ってしまえば帰ってくるのは最低でも2日かかるはずだ。決行は夜、誰もいなくなってから。既に警備システムや監視には手を加えてある、が、やはり不安な要素はまだ残っている。スザクが中華連邦へ向かった後に少しずつ調整をする予定だが果たして間に合うだろうか。C.C.とは合流ポイントのみを指定されただけで、彼女がどのような方法でこちらに向かうのなどは全く知らない。あのC.C.が自分から、そのことについては全てまかせろ、と言ってきたので不安に思いながらも任せてしまったルルーシュだったが、やはり詳細だけでも聞いておくのだったと後悔した。

「ん・・・」
「っ!」

考えに耽っていたルルーシュは急に後ろから伸びてきた腕に気付かず、その身をぐいと後ろに引っ張られた。ぼすん、とシーツの上にルルーシュの身体が沈む。スザクが起きたのかと焦って後ろを見れば相変わらず子供のような寝顔でスザクは寝ている。寝ぼけているのだろうか、ルルーシュは後ろから腹を抱える様にしてスザクに抱きしめられていた。ぴたりと密着した身体になんとか距離をおけないかと腕を外してみようとするが、スザクがううんと唸り余計にぎゅうと抱きしめられてしまった。

(俺は抱き枕じゃないんだが・・・)

身長はルルーシュのほうが幾らか高いはずなのにスザクの腕の中にルルーシュはすっぽりと入ってしまった。肩幅や骨格の違いなのだろうかと考えてみるが、同じ男として女のように扱われるのはやはり腹が立つ。とは言え今は特殊な状況のため抵抗するわけにもいかず、ルルーシュはため息をついてから身体の力を抜いた。どうせ今日で終わりなのだ、このくらいどうってことはない。スザクの好きにさせてしまおうと諦める。背中に感じるスザクの呼吸に言葉にできないようなむず痒さを覚え、聞きたくないというように枕に耳を片方だけ押し当てる。スザクは姿勢が気に入らないのか何度か身をごそごそとさせていたが、ルルーシュの首筋に目元をあて肩に顎を乗せる体勢が丁度よかったのかそのまま動かなくなってしまった。スザクの癖っ毛がうなじを掠りルルーシュはくすぐったさに肩を上げる。ルルーシュがちらりと目線を下げればすぐ近くにスザクの顔が見えた。こうしていれば"普通"なのになと、閉じられた瞳に苦笑する。そしてふと、じっとスザクの顔を見つめた。こうしてちゃんとスザクの顔を見るのは久しぶりなような気がする。スザクは日本人ではあるが、あまりアジア系の顔立ちには見えない。スッと通った鼻筋に、まさか他の血が入っているのではないだろうなと思うがそれはないだろう。日本の最南端にオキナワという島があるらしいが、そのオキナワに住む人々は日本人でありながら日本人とは少し違う顔だちをしている人々がいるという。まるでそのオキナワの人のようだなと、先日スザクが持ってきた日本についての本の内容を思い出す。呼吸と共に上下するスザクの胸板に押されるようにしてルルーシュの身体も微かに動く。

「・・・う・・・」

スザクが眉を寄せうなっている。まさか憎む相手を抱き枕にしているとは想像もついていないだろうと、ルルーシュは薄らと嘲笑う。だが、それを思うと何故か胸は痛かった。

(俺は、迷っているのか?)

そんなはずはない。自分を皇帝に売り払った相手に未練などあるはずがない。いや、あってはならないのだ。ナナリーのためにも、母のためにも、今まで奪ってきた命のためにも、ここでこのまま生ぬるい生活をしているわけにはいかない。スザクを、裏切らなければいけないのだ。

「・・・間抜けな顔だな」

ルルーシュはツン、と指先でスザクの鼻の頭を押す。記憶が戻っているかもしれないと疑っている相手の前で、こんなに無防備に眠るとは。もし今ナイフでも銃でも、人を殺せる道具を持っていたとしたら自分はスザクを殺しているだろうか?それは、たぶん。

「・・・はぁ」

何を考えているのだろうか自分は。今さらそんなことを考えたって、もう後戻りはできないのだ。過去はやり直せない、過去に行ってきたものは全て未来へと繋がる。ルルーシュは目を閉じ、もう一度眠ることにした。こんな状態では何を考えたって無駄だと思うからだ。スザクの寝息と、背中に伝わる鼓動がやけに大きく聞こえる。そういえば子供のころに同じような状況になったことがある気がする。スザクとナナリーと三人で、子供だから二つの布団で十分で、三人で身を寄せ合いながら寝た記憶。スザクの寝相でナナリーが潰されないように二人の間で寝たルルーシュだったが、スザクが一晩中ルルーシュを抱きしめて離してくれなかった。朝起きてそのことに驚いていたのはスザク本人だった。ルルーシュのほうが離してくれなかったのだとスザクは決して認めようとしなかったことを覚えている。もし、このあとスザクが起きてこの状況に気づいたらまた昔のように言うのだろうか?

(昔のスザクは意地っぱりで、我儘だったな)

ぼんやりと昔のことを思い出していたら、眠気がじんわりと襲ってきた。無意識のうちにスザクの頭に頬をあてる様にしたまま、ルルーシュは目を閉じた。






「・・・ルルーシュ?」

スザクが小さな声で呼びかけるが、ルルーシュはもう眠りの中らしい。ゆっくりとスザクが顔を上げると、スザクの頭に凭れかかっていたルルーシュの顔がこてんと枕に落ちた。さっきまで腕の中から逃げようとしていたルルーシュなのに、寝てしまえばまるで縋るようにスザクの手に触れていた。それがなんだがおかしくてまた嬉しくてスザクは微笑む。ルルーシュを起こさないようにしながら腹に回していた両手のうち片手だけを離す。その手でルルーシュの瞼の上にかかった髪の毛を払うと、払った髪の毛が左目のガーゼにかかった。

(よく寝てる・・・疲れてたのかな)

本当はルルーシュが起きてからすぐスザクも起きていたのだがルルーシュの様子が知りたくて寝たふりをしていたのだ。もちろん、ルルーシュは寝たふりだと気づいていなかったようだったが。ベッドから起き上がりぼうっとしていたルルーシュは、辛そうな、苦しそうな、遠い目をしていた。昔、ルルーシュがある童話の話をしていた。少年が天使を探しに行くという、よくある童話だ。少年はさまざまな場所を冒険し、やっと天使を見つけることができる。少年は死んだ友達に会わせてもらいたくて天使にお願いをするのだが、一度死んだ人にはもう会えないのだと天使が教えてくれたという内容だった。童話の最後は、少年は天使と友達になったが天使は夜明けが近づくと共に消えてしまったというものだった。少年が消えた天使にわあわあと泣いた所で終わるおかしな童話だ。ルルーシュがナナリーに聞かせていた童話の内容を今でもまだハッキリと覚えているのは、童話を語るルルーシュの顔がとても寂しそうだったからだろう。だから、というのはおかしいだろうか、あの童話の天使のようにルルーシュが消えてしまうのではないだろうかとスザクは怖くなったのだ。夜明けが近づくにつれ消えていく天使、それをルルーシュと重ねるのはハッキリ言って馬鹿馬鹿しいと思う。しかし不安だった。また置いて行かれるのではないのかと、また離れ離れになってしまうのではないのかと。

(・・・君にとっての僕って、なんなのかな)

敵なのか、友達なのか。きっと前者なのだろうとは思う。今この状態で後者を求めるのは、あまりにも愚か過ぎる。スザクは悟っていた、ルルーシュの記憶のことを。いくらルルーシュが演技をしようが、都合のいい言い訳があろうが、スザクには分かるのだ。ルルーシュは、記憶が戻っている。最初は認めたくはなかった。もしかして自分の勘違いなのではないかと。しかし記憶が戻っているという可能性はスザクの中でどんどん高まっていき、最終的に記憶が戻っているのだと認めるのに少し時間かかってしまった。スザクが、ルルーシュの記憶が戻っている分かっていながら行動しないことにはさまざまな理由がある。その理由の中でも一番はルルーシュを"待って"いるのだ。記憶が戻っている以上ルルーシュは必ず何かを起こす。もしかしたら皇帝を殺しに行くかもしれないし、ここを脱出するかもしれない。

(僕を、殺すかもしれない)

もちろん今のスザクにはルルーシュの生きろというギアスがかかっているためスザクが死ぬことはないだろう。しかし、スザクはルルーシュが行動を起こすそれを待っているのだ。眠るルルーシュの頭を撫でながら、眠っている彼の顔を見つめる。さっき、ルルーシュも同じようにスザクの顔を見ていた。顔を見て何を考えていたのだろうか。

(やっぱ、今日・・・だろうな)

スザクは静かに上半身だけ起こすとルルーシュの身体を仰向けに転がした。規則正しく上下する胸を見ながらそっと額へ唇を寄せる。ちゅ、と音を立てて唇を離してから左目のガーゼにも口付ける。悪魔の瞳がこの下には、眠っているのだろう。穏やかなルルーシュの寝顔は、年相応よりも大人びて見えた。この見た目にどれだけの人が騙されたのだろうか、彼が大人だと。ルルーシュはまだ子供だ、それはスザク自身もそうなのだが、自分達はまだ成人もしていない子供なのだ。大きな力を持った子供。本当に、恐ろしい世界だ。

「う、うう・・・」
「・・・ルルーシュ?」

ルルーシュの眉が苦しげに寄せられる。何処か痛いのだろうかとスザクがルルーシュの顔を覗き込むと、ルルーシュの苦渋に満ちた顔がフッと消えた。代わりにルルーシュの右目から伝った涙。思わず息が止まり、スザクはルルーシュの顔をじっと見た。夢で、魘されているのだろうか。涙するほどの夢とはどんな夢なのだ。ルルーシュの涙をこういう形で見るとは思ってもいなかったスザクは複雑な思いを抱きながら再びベッドへ横になった。ルルーシュを自分の方へと向かせ、安心させるように抱きしめる。できることならば、ルルーシュの中の不安を取り除いてあげたいと思う。しかし心の中でもう一人の自分が囁く。こいつはゼロだ、殺さなくてはいけない人物だ、と。ルルーシュのことは憎い。ルルーシュのことは愛している。全ては、自分が正しいと思うことをするべきである。スザクはルルーシュを抱く腕の力を強くした。

(僕も、決めたよ)

腕の中の天使が消えてしまう前に、あの童話の少年みたいに悲しまないように。

「長い一日になりそうだな」

スザクは一人呟いた。





「なんだって?」

シャワールームから出たルルーシュはスザクの言った言葉に愕然とした。ルルーシュがシャワーを入っているうちにナタリーが来たのか、テーブルの上には二人分の朝食が並べられている。スザクはカップへ紅茶を注ぎながら答えた。

「第一皇子の護衛で中華連邦に行くはずだったんだけどね、僕の代わりにナイトオブフォーが行くことになったんだ」
「そう、なのか・・・」
「うん。だから今日は何もないんだよ」

完全に予定が狂ってしまったと、ルルーシュは密かに苦い顔をした。何故急に護衛が変わったのかは分からないが、スザクがいなくならないということは大きな障害になる。昨日、確かに確認した時にはスザクに任務は入っていた。なのに今日になって急にどうして。まさかスザクにバレたのではないかとルルーシュはスザクを見た。しかしスザクは突然の休日ができて嬉しいというように、気分よく朝食の準備をしている。スザクは立ち尽くすルルーシュに首を傾げ、椅子を引いてこちらにおいでと手招きをした。ルルーシュがしぶしぶ椅子につくとスザクも反対側の椅子に座り、両手を合わせた。

「いただきます」
「・・・いただきます」

ふわふわのオムレツをとても美味しそうに食べるスザクに、ただの偶然なのだろうかとルルーシュは考える。ラウンズの任務の変更は滅多にないということではない。本当に、たまたま偶然任務がなくなっただけかもしれない。ルルーシュは、きっと自分がシャワーに入っている間に連絡を受けたのだろうと心の中で舌打ちをした。ルルーシュが目の前に置かれたフレンチトーストをナイフで切る。甘いそれをフォークで刺し、口の中へ入れるとスザクがやけにじっと見ていることに気づく。ルルーシュは何か言うのも面倒で、視線に気づかないふりをしてもう一口食べるがスザクの視線はずっとルルーシュの手元に注がれていた。あまりに見てくるものだから食べづらく、ルルーシュは手を止めた。

「なんだ?」
「えっ?」
「見てただろう?」
「うん、まあ・・・」

歯切れの悪い返事にルルーシュが訝しげにスザクを見る。スザクの分のフレンチトーストはあるので、欲しいというわけではないだろう。どちらかというと、ルルーシュの食べ方に注目しているような視線だった。スザクは自分のフレンチトーストを目の前に移動させてくると、ナイフとフォークを手に取った。

「ルルーシュって、フレンチトーストに何もつけて食べないんだなぁって」
「はぁ?」

スザクが何を言っているのか一瞬分からなかったが、テーブルの端にいくつか置かれたシロップのボトルを見てそういうことかと納得する。ハニー、メープルシロップ、コンデンスミルク。スザクはその中でメープルシロップを手に取ると自分の皿へと少しだけかける。

「何もつけなくても十分甘いだろう」
「うーん、そうなんだけどさ。昔からこうやって食べてたから、無いとなんか物足りないんだよね」
「・・・」

そうだったろうか、とルルーシュはスザクの皿を見つめた。以前スザクがアッシュフォード学園に来たばかりのころ、クラブハウスでナナリーにフレンチトーストを作ってあげた時にスザクが来たことがある。ちょうど余ったからとルルーシュはスザクにフレンチトーストを食べさせたのだが、その時スザクはメープルシロップではなくハニーをかけていたようが気がする。ナナリーと同じだな、なんて会話をしたので覚えていたのだが。好みが変わったのかとルルーシュがハニーのボトルを見ていると、スザクが食べる手を止めた。

「どうしたの、蜂蜜が気になる?」
「蜂蜜・・・ああ、日本語ではそう言うのか。いや、ちょっと昔のことを思い出して」
「・・・昔のことって?」

何気なく言った言葉のつもりだったのだが、スザクのひんやりとした声に思わずルルーシュも食べる手を止めてしまった。何故そこに食いついてくるのだとルルーシュは己の失敗をスザクのせいにしながら、適当に言葉を選ぶ。

「スザクには分からないことさ」
「・・・そっか」
「ほら、早く食べないと冷めるぞ」
「・・・うん」

そこで会話は途切れ、ルルーシュもスザクも無言のまま朝食を食べ進めた。何か会話をするべきなのだろうかとルルーシュは迷うが、自分から会話を振る内容などない。しかしあまり態度を変えてしまうとスザクに疑われてしまうなと、紅茶を一口飲んだ。ルルーシュはすっかり日の昇った窓の外を見る。作戦の実行は夜だが、今日は中止にするべきなのだろうか。C.C.と連絡が取れればいいが、スザクの目を盗むのは難しいだろう。C.C.との連絡だけではない、管理システムだって元に戻しておかなければならない。こんなことだったら、自動的に戻るように改竄をしておくのだった。どうするかとルルーシュが太陽を見ていると、スザクが口を開いた。

「ルルーシュ、散歩に行こうか」






ジノはスザクの隣に立つ人物を見て、思わず持っていた書類をバサバサと下に落とした。その音に気づいたルルーシュとスザクが振り向くと、口を大きく開けたジノが呆然と立っているではないか。ジノの後ろにはアーニャも居て、彼女は書類は落してないものの少し驚いたような顔をして携帯のカメラをこちらに向けていた。

「る、るるーしゅ?」
「・・・そう、だが」
「本当に、本当にルルーシュか!?」
「だから何度言わせるんだ」

よろよろと、まるで老人の足取りのようにルルーシュに近づいたジノはルルーシュの頭から足先までを観察するようにじっくりと見た。片手を口元に当て、感動したような顔でルルーシュを見るジノの視線にスザクがムッとして、ラウンズのマントでルルーシュを遮るように隠す。しかしジノはスザクごとマントを横へ追いやるとルルーシュの顔をぺたぺたと触った。

「まだ目の怪我は治ってないのか?」
「あ、ああ。まだ傷が残っていて」
「そうなのか・・・ああ、ルルーシュ!」
「っだから何・・・うわっ!?」

がばりと抱きつかれ、ルルーシュが慌てふためく。ルルーシュの額に頬ずりをするジノにスザクが何をしてるんだと怒るがジノは全く聞いていないようだ。圧迫される身体にルルーシュが怒りを隠さずにジノを怒ると、アーニャが不意にルルーシュの服を引っ張る。

「三日ぶり」
「っは・・・?」
「ルルーシュと、三日ぶり」
「・・・ああ、そういうことか」

そういえば、ここ最近ジノとアーニャに会った覚えがない。ずっとスザクの部屋にいたから当たり前だろう。消毒という名目で部屋を出ることはあったが、その時にもジノとアーニャには会わなかった。確か、二人は昨日まで何か任務に就いていたような気がする。ならば会わないのも当然かとルルーシュが思っていると、スザクがルルーシュからジノを引き剥がした。自分の後ろに隠し、スザクが黒い笑顔をジノに向けた。

「たった三日じゃないか、ジノ」
「三日も、だ!」
「ルルーシュ、恰好・・・」
「え?あ、ああ。外に出るのに、ちょっとな」
「ルルーシュ、もっと肌を隠したほうがいいんじゃないのか?そんな格好だとまた」
「うるさいなぁジノは」

スザクがジノをギロリと睨む。そんな格好とは、どんな格好だ。ルルーシュは近くの柱に反射自分の姿を見た。黒のタイトパンツに白のシャツはいつも通りとして、そのうえに黒の薄い肩掛けを羽織っている。外は暑いから上着はいらないよねというスザクに渡されたものだ。ストールのような長いそれは両端がルルーシュの足首あたりまで垂れている。何処から持ってきたのか、肩掛けは四方にキラリと光る小さな紫色のガラスが入っていた。ルルーシュは肩掛けを手繰り寄せると、首元をそっと隠す。アーニャが携帯で写真を撮っていた。

「ちょっと、アーニャ。それにジノも、仕事の途中なんじゃないの?」
「書類を運ぶのを手伝ってただけさ。ルルーシュ、何処か行くのか?」
「あ、ああ。ちょっと庭に・・・」
「ちょ、ルルーシュ!」

スザクが慌ててルルーシュの口を塞ぐが、ルルーシュの言葉はしっかりと二人の耳に入ってしまった。にんまりと、意地の悪い顔でジノが笑う。ジノは足下に散らばった書類を掻き集めると、ポンとスザクの肩を叩いた。

「よし、じゃあ庭園でみんなで昼食を食べよう」
「はぁ!?ちょっ、何勝手に・・・」
「アーニャ、そうと決まれば早く行こう!」

スザクの制止も聞かず、ジノとアーニャは駆け足で去って行ってしまった。突然のことに何が起こったのかという表情でルルーシュがジノとアーニャの後ろ姿を見ていると、スザクが大きくため息をついた。しょうがないなと漏らすスザクの表情は穏やかで、ルルーシュはきゅっと唇を噛んだ。ラウンズとは皇帝の狗で、冷徹な者ばかりだと思っていたがジノやアーニャを見ていると彼らも同じ人間なのだなと思う。同じ人間。何故、同じなのにこうも立場は違うのだろうか。権力の差、地位の差、身分の差。そんな煩わしいもののため、世界はいつまでたってもやさしくなどなれない。そしてルルーシュは、自分はあまりにもここには場違いなのだなと改めて思った。ブリタニア宮殿、かつて幼少の頃はよく皇帝に会いに母に連れられて来たものだ。あの頃は何も知らなかった。世界の汚さや愚かさ、手の届く範囲でしか人と繋がれない苦しさ。嫉妬、私怨、策略、罠。あらゆるものが渦巻いていた皇室で、ルルーシュは世界の闇を垣間見たのだ。望まない権力を奪われ、残された道は死。生きるという意味の深さや辛さは、幼いルルーシュに嘘というものを覚えさせた。身を守るための嘘と愛する妹を守る嘘。さまざまな嘘をついてルルーシュは今まで生きてきた。何もかもが嘘、ここに居ること自体も嘘。そう、今もジノやアーニャを騙しているのだ。そんなの最初から分かってたことだというのに、ルルーシュは胸の痛みが抑えられなかった。俯き、目を伏せるルルーシュの肩にスザクが触れる。

「・・・大丈夫?」

スザクの顔は心配を浮かべていたが表情は硬かった。ルルーシュは何も言わず頷くと顔を上げる。スザクはルルーシュの表情に何か言いたそうだったが結局何も言わず、背中を軽く押す。

「行こうか」





「ルルーシュは、スザクのこと嫌い?」

アーニャがいきなりそんなことを言うものだから、ルルーシュは驚いて自分より背の低い彼女を見下ろした。庭園の隅にある小さな白い噴水の縁に腰かけたアーニャの目線は、少し離れたテーブルテラスでチェスをしているスザクとジノに向けられている。肉体派の二人はうんうんと唸りながら、ゆっくりとチェスの駒を動かしていた。ルルーシュとアーニャの居る場所からではスザク達が何を話しているのか分からない。苦手ならばやらなければいいのに、と先ほどまでアーニャとチェスをしていたルルーシュは思う。珍しくアーニャが携帯を弄らないからどうしたのかと思えば突然そんなことを聞かれ、ルルーシュは戸惑う。

「そんなわけないじゃないか。どうして、いきなり・・・?」
「別に、そう見えたから」

そう見えた、あっさりと答えられルルーシュはショックを受ける。自分の演技に関しては自分でもかなり評価できるものと思っていたから、こんな年下の女性に見破られたことにショックを受けてしまったのだ。しかし動揺してはいけない。空を見上げ、心を落ち着かせようとするルルーシュにアーニャはさらに言葉を続ける。

「私はスザクのこと、好き」
「!?」
「友達として」
「・・・なんだ」

どっと息を吐くルルーシュに、アーニャが首を傾げた。アーニャは手の中で携帯をくるくる回しながら、足もとを見つめる。

「スザクは真面目、だけど、優しい」
「そうだな、あいつは真面目だよ。優しいのは・・・どうかな?俺には分からないな」
「スザクはルルーシュには、優しくない?」
「・・・そう、かもな」

優しい、というのはどういうことを指すのだろうか。ルルーシュは考える。スザクのことを優しいというアーニャ。何かの物事があってそう言っているのか、アーニャがただ感じたことなのか。僅かな優しさだけではルルーシュはスザクのことを優しいとは思えない。けれどかつての、幼いころのスザクは、優しかったと言えるかもしれない。ぶっきらぼうで暴力的ではあったけれど、本当は優しさがあった。成長して再会し、スザクは何かが変わっていた。口調なのか物腰なのか、本質なのか。スザクの中に優しさはあるが、それを向ける方向が定まっていないように感じるのだ。すべてに優しくしようとするスザク。感じ取ってはいるものの、優しさに空回りするスザクは見ていて最初は辛かった。友達だから、友達だからこそ、その優しさを無駄にしてあげたくなかった。

「でも、スザクの嫌いなところがある」
「嫌いな・・・ところ?」
「頑固」

つい吹き出してしまいそうになり、ルル―シュは口元を押さえた。ルルーシュはアーニャのことを少しだけ頑固と思っていたから、頑固が頑固とはよく言ったものだと思ってしまったのだ。頑固か、と心の中で反復してみると確かにスザクは頑固だ。周りの主張に合わせるかと思いきや、自分のやり方でやんわりと捻じ曲げてしまう。不可能を可能に、とでも言うべきか。

「はは・・・確かに頑固だよアイツは」
「ルルーシュも、そう思う?」
「ああ。思うよ。いつだってあいつは、自分で決めたことを馬鹿正直に守ってる。もうちょっと頭が柔らかければな・・・」

ルルーシュは、頭を抱えながらポーンを握っているスザクを見つめる。スザクはいつも自分で決めた道を進んで生きている。周りがなんと言おうと、生き方を変えていない。あの時、ルルーシュがゼロとしてスザクを黒の騎士団へ誘った時だって。父親を殺してしまった罪の重さから死にたがっていたスザク。死を死で償おうとするスザクが嫌だった。生きろと、死にたがるなと、ルルーシュはスザクに言いたかったのだ。けれどルルーシュがなんと言おうが、他人が何を言ってもスザクには無駄だった。だから使った、ギアスを。意志を捻じ曲げる力を。細くなった紫の瞳がスザクを見つめていることにアーニャは無表情に近い顔でルルーシュを見上げた。

「・・・ルルーシュは」
「ん?」
「少し、スザクに似ている」
「俺が?」

アーニャがこくりと頷いた。兄弟か、とは冗談で言われたことはあるが似ているとは言われるのはルルーシュにとって初めてだ。似ているところなどあっただろうかと自分で考えてみるも分かるはずもなく、ルルーシュはアーニャに尋ねた。

「どこが似ているんだ?」
「頑固なところ、少しだけ」

ルルーシュはそうだろうかと思ったが、改めて思ってみるとそうかもしれない。頑固な者同士なら分かりあえないのも納得ができる。ルルーシュは、自分も決めた所はなかなか曲げないという所に自覚があった。しかしそれはプライドの問題であって、障害があれば柔軟に対応はしているつもりである。C.C.にお前はイレギュラーに弱すぎると言われた記憶がルルーシュにはあったが、よく考えてみるとそれは少々頑固さがあったからかもしれない。けれどルルーシュのイレギュラーはいつだってスザクであって、それを思うとなんだか言葉にできない感情がルルーシュの心の奥から沸いた。自分をこんな目に遭わせたスザクを恨んでいるはずなのに、喉に何かが詰まっているような不快感。言葉で表せない感情が気持悪く、ルルーシュは誤魔化す様に口を開いた。

「そうか。俺も、似てるとは思ってなかったけど・・・似ているのかもしれないな」

ルルーシュがそう言ってアーニャに微笑むと、アーニャは眉を下げた。悲しそうな顔をするアーニャに何かおかしいことを言ってしまったのかとルルーシュはドキリとしたが、アーニャの小さな手がルルーシュの頬に触れる。

「アーニャ?」
「寂しそうな顔してる」

ルルーシュは思わず自分で自分の顔に触れた。寂しそうな顔とは、どういう意味だろう。自分では自分がどのような顔をしているのか確認することはできない。勘違いだとルルーシュは笑顔を作ってみせるが、アーニャの眉が上がることはなかった。どう作り笑いをしてもアーニャには見破られてしまうようだ。まいったなと、ルルーシュは笑顔を作るのを止めた。情けない顔を見られたくなくてルルーシュは目線を下に下げた。少しだけ沈黙が流れ、破ったのはアーニャの方からだった。

「スザクのこと考えてたの?」

アーニャの問いかけはまるで母親のように優しい声だ。アーニャもやはり女性なのだなと的外れなことを思いながら、ルルーシュの口はいつの間にか勝手に開いていた。

「思うんだ。あいつにとって、俺の存在は迷惑でしかないんじゃないかって」
「・・・負い目を感じているの?」
「分からない。・・・けど、傷つけてしまったと思ってる」

アーニャに何を言っているのだろうと、ルルーシュは心の隅で冷静に思う。しかし一度口から零れ始めた言葉はなかなか止めることができなかった。アーニャがルルーシュの背中をゆっくり叩く。昔、アリエスの離宮で母に同じようにしてもらった記憶が蘇りルルーシュは切なくなった。

「すまないとも思ってる・・・だが俺は止まるわけにはいかないんだ」
「どうして?ルルーシュは、たくさん頑張ったでしょう?」
「それは俺のエゴでしかなかったんだよ。全ての責任を俺は取らなければいけないんだ。・・・ただ、それでスザクをもっと苦しめることになると、分かってるんだ。・・・本当に、どうしようもないな俺は」

言っていることが矛盾しすぎている。ルルーシュが諦めに似た笑みを浮かべると、アーニャがそっと手を握ってきた。アーニャの顔を見るとやけに真剣な表情をしていて、いつもの彼女ではないように見える。スザク達の話し声が自然と耳から離れていき、アーニャの息遣いがはっきりと聞こえるようだ。

「ねえルルーシュ、あなた本当はスザクのこと好きなんでしょう?」
「何を・・・」
「嫌いな相手のことを、そういうふうに考える人居る?私は知らないわ」

嫌いな相手ならば、憎む相手ならば、相手に負い目など感じないでしょう?とアーニャがルルーシュに語りかける。ルルーシュは今まで自分でも気付いていなかったそれを指摘され、まさかと自分の手を握りしめる。爪が食い込むほど握りしめるルルーシュの手をアーニャが労わるようにさすると、ルルーシュの瞳を見つめる。答えを待っているのだろう。

「俺は・・・」
「難しく考えることはないのよ。それが友情であれ愛情であれ、自分の気持ちには素直になるべきだわ」

ルルーシュはぼんやり考えてみる。本当は、答えはずっと自分の中にあったのかもしれない。ただそれを自覚してしまうが怖くて、一度表に出してしまったら逃げることができないから自分の心に嘘をついていた。嘘を何重にもかぶせて、嘘を本当にしようとして、また傷つけて。悪循環でしかなかった。でも、まだ自分は認めることはしたくない。できない。ルルーシュの苦しそうな顔を見て、アーニャは口を開く。

「道は一つじゃない。私たちが別の道を行くように、ルルーシュも、ルルーシュが思う道を行くべきよ。悪の道であろうと、皆、願いは同じなのだから」
「・・・アーニャ?」

なんだか口調が、とルルーシュがアーニャを見ようとしたら、アーニャの小さな胸に抱きこまれてしまった。上半身だけを不自然に屈める体制になってしまいルルーシュは苦しいと訴えるがアーニャはそれごと抱きしめる様に細い腕の力を強くした。

「もう少し待ってちょうだい。いつか私たちの世界が作られた時は、必ず・・・」

アーニャではない誰かの声が被って聞こえる。懐かしい声、ルルーシュは一瞬だけ香った暖かい匂いにポツリと呟いた。

「・・・母、さん・・・?」
「おーい!アーニャ!何してるんだー?」

ジノの大きな声が響く。ハッとルルーシュが我に返るとアーニャの腕が解かれた。ジノが駆け寄ってきてアーニャの首に腕を回して笑いかける。

「アーニャ、抜け駆けはダメだって言っただろ?」
「・・・抜け駆けじゃない」
「ええ、でも今」
「覚えてない」

ふい、とよそを見てしまったアーニャにジノが仕方ないなぁアーニャはと笑った。さっきのあれはなんだったのだとルルーシュがアーニャを見ると、アーニャはいつも通りの顔に戻っていた。気のせいにしてはやけにはっきりした幻聴だった。ジノは呆然としてるルルーシュを見て、その背中をバシンと叩いた。ぐらつくほどの強い力で叩かれルルーシュがジノを睨むと、ジノのアーニャを掴んでいる腕とは反対の腕に巻き込まれてしまう。

「なに幽霊でも見た顔してるんだルルーシュ?」
「そんな顔してない」
「そうか?・・・って、まずい!そろそろ行かなくちゃ」

ジノが携帯電話に表示された時間を見て慌てたように言う。そういえば二人は午後から任務だったなとルルーシュは思いながら、二人に仕事か?とわざと尋ねる。ジノは頷いてルルーシュに回していた腕を外した。

「ルルーシュともチェスやりたかったなぁ」
「それは残念だったな」
「本当だよ。だからルルーシュとのチェスは帰ってきてからな!」

"帰ってきてから"その一言にルルーシュは肩を震わせた。ジノとアーニャが帰ってくるころ、自分はここには居ない。再び、ブリタニアの敵となるのだ。ルルーシュがジノを見上げると、眩しいほどの笑顔がそこにあった。曖昧な返事を返せばいいのに、何故かそれを口にすることができずルルーシュは口を噤む。そして迷ってから、小さな声で言った。






空が遠い。雲が空高く積り、青空の中に大きな入道雲があるのを見て、ルルーシュの隣を歩いていたスザクが綺麗だねと言った。グラデーションがかった青に、昔の夏の日を思い出しルルーシュはそうだなと返した。ゆっくりとした速さで庭園を歩いた二人は薔薇の花が多く咲き誇る木の近くで足を止めた。ルルーシュが手を伸ばし真っ赤な薔薇に触れる。さすがブリタニア宮殿とあって、こんな庭園の隅の花もキチンと手入れがされている。薔薇の木は迷路のようにあちこちに生えていて、身長よりも高い木々のせいで向こう側が見えなかった。 スザクがルルーシュの手を引いて薔薇の木の間を縫うようにして歩きはじめる。手を振りほどけばいいのだが、手を握るスザクの手が冷たくてルルーシュは振りほどくのを躊躇った。風がだんだんと吹き始めてきた。木々が風に吹かれてざわめくと、耐えきれなかった花弁が何枚か地面に落ちていく。ルル―シュがそんな花弁を見つめていると、パッと手を放された。見れば、目の前に大きなクスノキがそびえ立っている。立派なそれは太い根を地面に張り巡らせ、枝は雲が広がるように四方に伸びている。月日を重ねればもっと大きくなるであろうクスノキにルルーシュは感嘆の声を上げる。

「これは・・・すごいな」
「そうだね。すごく大きいね、太陽が隠れてるよ」

ほら、とスザクが地面を指差す。厚い葉がいくつも重なっているおかげでクスノキの根本は日陰になっていた。それでも風が吹くとたまにチラチラと太陽の日が射す。威厳のあるクスノキの姿にルルーシュはその太い幹に触れた。体重をかけるように押してみるが勿論ビクともせず、ルルーシュは歩き疲れた足を休ませるようにその木に寄り掛かった。

「疲れた?」
「ああ、少しだけ・・・」

隣り合わせになった二人は自然と口を閉じた。だんだんと強くなり始めた風に耳をかたむけ、ルルーシュはアーニャの言葉を思い出していた。

『難しく考えることはないのよ。それが友情であれ愛情であれ、自分の気持ちには素直になるべきだわ』

正直、アーニャの言葉にルルーシュの心は揺り動かされていた。自分でも気づいていなかったスザクへの思い。何を馬鹿なことを、と簡単に思えない自分にルルーシュは息苦しさを感じてしまう。幼いころ、周りは敵ばかりだった。異国の地で初めてできた友達。第一印象は最悪だった。けれど、スザクの"優しさ"に気づいたのはすぐだった。ルルーシュが他の日本人の子供に虐められているのを助けてくれたり、目の見えないナナリーを差別しなかったり。ただの、憐れみだとか同情かもしれない。けれど、スザクのそんな言葉や行動がルルーシュは嬉しかったのだ。スザクは日本の敵であるブリタニアの、じかも皇子であったルルーシュを一人のルルーシュとして認めてくれた。ルルーシュにとっての、初めての"友達"。ルそれは、ルルーシュにとってかけがえのない親友であった。だがしかし世界は無情にも二人を分かち、偶然だったのか必然だったのか二人は敵同士となってしまった。お互いに互いが敵同士だと知らずに何度知らぬ間に命を奪おうとしただろう。自分達が戦場で殺し合いをしているのだと最初に気づいたのはルルーシュだった。だから日常の中で、狙えばいくらだってスザクを殺すことができた。でもしなかった、できなかった。それどころか、生きろというギアスをかけてしまった。友達だから。友達だということは・・・。ルルーシュはとなりのスザクをこっそりと盗み見る。

(今更、気づくなんて俺は馬鹿だったな)

スザクが大切だということ、守りたいということ。幼いころの自分を救ってくれたスザクを、今度は自分が救ってあげたい。自分で分かろうとしなかったこの気持ちを理解してしまえば、ルルーシュの胸の中にあったわだかまりがすっと消えた。ずっと嘘をついていたせいで、自分の心も分からなくなっていたのかとルルーシュは小さく息を吐く。すると不意にスザクが口を開いた。

「ねえ、ルルーシュは・・・大切にしてたものがなくなっちゃった経験ある?」

突然のスザクの言葉に、ルルーシュは吐いていた息を止めた。ルルーシュがスザクのほうを見ると、スザクは眉を寄せ苦しげな表情でルルーシュを見ていた。質問の意図が分からず、ルルーシュは口だけでスザクに笑いかけてみる。

「どうしたんだ、急に?」
「知りたいんだ、ルルーシュはある?」

逃げ道を作らせないというようなスザクの問いかけにルルーシュはきゅっと唇を噛む。一体、なんだというのだ。通り抜けた風に寒さを覚え肩掛けをルルーシュは羽織りなおした。

「・・・あるよ。本当に、大切だった」

そう言ったルルーシュの脳裏に浮かぶのはさまざまな過去。肉親や故郷、初恋の人や友達、温かかった場所。大切にしていたつもりだったのに、あっという間に消えてしまった。

「そっか。・・・僕もあったんだ。大切なもの」
「スザクにも?」
「うん。すごく、すごく大切にしてたんだけど・・・」

スザクはルルーシュから目線を逸らし、頭上に揺れる枝を見上げる。スザクのいう大切なものはもうその手の中にないのだということを察し、ルルーシュはスザクの大切なものとはなんだったのだろうと考える。色々なことを考えて一つ心当たりがあったが、それが当たりかどうかは分からない。しかし、このような質問をしてくるのはどういうつもりなのだろう。この状態で何を聞かれても、今のルルーシュには嘘のルルーシュでの答えしか出せないというのに。

「僕はとても悲しかった。でも、なくなってしまった時、僕は悲しみよりも怒りのほうが先に沸いてしまったんだ。なんでだか分かる?」

ルルーシュは黙って首を横に振った。本当は、少しだけ理解できたけど分かりたくなかった。だってそれは恐らく。

「僕はね、なんでなくならなくちゃいけなかったんだって、怒ったんだ。僕は大切にしていたのに、僕がいくら想ってても消えるときは簡単に消えてしまう」
「・・・それは、世界の摂理だ」
「そうかもね。でも、僕はそれが摂理だとしたらなんて残酷なんだって思うよ」

いくら、ずっと大切にしていたくとも、それは他によって掻き消されてしまうこともある。失くすというのは悲しみも怒りも時に付き纏ってしまうものだ。温めていた卵が孵らなかったように、期待も裏切られることがある。それは。

(ユフィの、ことだろうな)

ルルーシュは、夢から急に現実に引き戻されたように意識が冷えていくのを感じた。スザクの大切だったものはきっとユーフェミアのことだろう。スザクが、ユフィが理想としていた行政特区日本。多くの日本人が救われるはずだったそれを壊したのは他の誰でもないルルーシュだ。かりそめの人権に意味などないとルルーシュは思っていたが、それが"きっかけ"になればいいとユーフェミアは言ったのだ。すぐに変えようとしないで、少しずつ変えていけばいい。すべてをすぐに変えようとするには圧倒的な力が必要になる。けれど圧倒的な力は人々の心を押し潰してしまう。大きな壁を乗り越えるには大きな力が要る。大きな力とは、一つの力ではなく小さな力が集まって大きな力になるべきなのだ。ユーフェミアの覚悟にルルーシュはその手を取ろうとした。けれど、ルルーシュが今まで消してきた命の呪いなのだろうか?アレは起きてしまった。

「でも僕が悲しんでも怒っても、時間が戻るわけじゃない。過ぎてしまったことはもう変えられないんだよね」
「・・・スザクは時間を戻せるとしたら・・・戻したいか?」
「うーん、どうだろう。できるなら戻したいな。でも」
「戻せない」
「うん、そう。戻ることはできないんだ」

スザクはユフィがいなくなってしまったことを悔やんでいるのだろう、とルルーシュは胸を押さえた。スザクのことが好きだと自覚した、けれど、自覚したからといってスザクに何かをすることは許されない。スザクからたくさんの物を奪ってしまい、ユフィを殺した。そんな自分をスザクは恨んでいるはずなのだ。これまでの言動に引っかかりを覚えたとしても、スザクがルルーシュをまだ友達と思ってくれている可能性は限りなく低いのだ。

「でも、だからこそこれから頑張らなくちゃいけないんだ。大切にしてたものにまた近づけるように・・・だから、ルルーシュ、僕は君を」
「なあスザク、天動説って知ってるか?」

スザクの言葉の続きを言わせないというように、ルルーシュが少し声を張り上げてスザクに問いかけた。スザクは言葉を止め、ルルーシュを見る。ルルーシュは寄りかかっていた木から背を離し幹を叩く。スザクは訝しげな顔をしながらも、知らないと首を横に振った。

「天動説というのは、全ての天体は地球を中心に回っているという学説だよ」

これが地球、とルルーシュはクスノキを指差す。スザクを指差し、お前と俺は天体だとルルーシュは言った。首を傾げるスザクの前でルルーシュは幹の周りをゆっくり歩き始めた。

「勿論、天動説は間違ってる。けれど昔の人々は地球が宇宙の中心だと信じて疑わなかった。太陽が地球の周りを一日かけて公転する、だから朝があって夜がある」
「でも、それは間違ってるんでしょ?」
「ああ、そうだ。地球は中心ではない。地球も他の惑星と同じように、太陽の周りを公転する星だ」

ぐるりと一周回りきったルルーシュが、スザクの立つ場所で止まる。しかしルルーシュはスザクの顔を見ようとはせず、視線をクスノキのてっぺんへと向けた。手を伸ばせば届きそうな距離だったが、近づくことができずスザクはただルルーシュを見つめる。

「面白いと思わないか?昔の人間は、地球が中心だと思っていた。それは、地球は自分達人間が住む特別な星だからだ。自分が何かの周りで動いているのではなく、自分を中心に何かが動いている。それは人間の自我と似ていると、俺は思う」
「人間は自己中心的だって、言いたいのかい?」
「そうじゃない、そうじゃないが少し当たってる。人間は何かをするのに、まず自分の位置を決めるんだ。例えば、そう、本を読むとき。本を読むときにまずは最初に何を決める?読む本を決めるだろう?読みたかった本があればそれを読んで、今日は恋愛小説が読みたいなと思えばそれを探す。本を読みたいという自分の位置を決めてから、その自分にあった本を選ぶ。全部、まずは自分というものから始まるんだ」

スザクは、天動説からどうしてそういう話に行くのだろうかと思いながらもルルーシュのどこか無表情に近い悲しい顔から目が離せなかった。ひときわ大きな風が吹き、スザクの後ろからルルーシュへ向かって吹き上げる。遠くから運ばれてきた薔薇の花弁と地面に落ちていた枯れ葉がルルーシュの顔のすぐ傍で踊った。

「俺の欲しいものは、いつも手に入らない。手の届かない遠い場所にあるんだ。なあ、スザク、お前の大切にしていたものはきっといつもお前の傍にあったものだったんだろうな」

ルルーシュの声は風に掻き消されてしまいそうなほど小さかったが、スザクの耳には確かに届いた。ルルーシュの肩掛けが風を孕み、背中で大きく舞う。肩掛けが飛ばされないようにとルルーシュが肩掛けを掴むと肩掛けは一瞬、羽衣のようにルルーシュの背を包み込んだ。それがまるで羽根のようで、スザクは脳裏にあの童話を思い出す。消えてしまう、咄嗟にスザクがルルーシュの腕を掴んだ。ルルーシュは驚きスザクを見る。風は完全に通り抜け、ルルーシュの肩掛けは腰の位置にまで垂れ下がっていた。何故掴んでしまったのかスザクにも分からず、ルルーシュの腕を掴んだまま視線を泳がす。ルルーシュが少し呆けた顔でスザクを見て、スザクは。

「・・・帰ろうか」

それしか言えなかった。






ナタリーが食事を並べている。手伝うとルルーシュが申し出ても、大丈夫ですとナタリーに断られてしまった。仕方なく、ルルーシュは大きな窓のへりに座り日の暮れた外を見ていた。昼間に沢山浮かんでいた雲は所々大きな形を残すだけになっている。月が横長い雲に隠れ、薄らと雲の切れ間から満月が見えた。綺麗にライトアップされた庭園には警備員が数名歩いているが、あまり人気はない。スザクはナタリーが入ってくると同時に部屋を出て行ってしまった。直前にスザクの携帯が鳴り、会話の内容から推測すると機体のことで何かがあったのだろう。離れてでも聞こてきた携帯の向こう側の声の主はやけに騒いでいた。ルルーシュは既に計画が始まっているのだということを実感する。ナイトメアの技術部のデータベースに侵入し、時限的に戦闘データを混乱させるようにしておいたのだ。と言ってもそのウイルスデータはC.C.が送ってきたもので、今回の作戦に軍のナイトメアはあまり関係ないのでルルーシュはあまり重要視しておらず保険として仕掛けておいたものだったのだが。作戦はスザクが居ないということを前提にしていたので今の状況にとってスザクがルルーシュから少しの時間だけでも離れるという、結果的には有効なものとなった。食器を丁寧に並べるナタリーを横目に、ルルーシュはポケットからそっと一枚の正方形の紙を取り出す。小さく畳まれたその中には粒子の薬が入っていた。眠り薬だ。

(これを、スザクに・・・)

目の消毒と嘘をついて医務室へ行った時、当然のようについてきたスザクの目を盗んで睡眠薬を何種類か盗んだ。短時間作用性の薬しか取れず、仕方なく錠剤のそれをトイレでこっそり砕いてポケットに忍ばせた。効くかどうかは、はっきり言って分からない。ただ、量は普通に服用するものより多いので眠りを誘うより別の症状を誘ってしまったらというのが不安だった。

(医師にかけたギアスは、今日この日まで俺の命令を聞け・・・今日を逃したら、チャンスは消える)

もう作戦を止めることはできない。ルルーシュは少し膨らんでいた後悔を潰す様に、手の中の睡眠薬を握りしめた。スザクが好きなのだと分かった。分かったからこそ、ここにいてはいけない。何もかもが遅すぎたのだ。今更気づいたって、どうすればいい?スザクに言うのか?できるわけがない。慰み者などという惨めな存在にさせられてスザクを信じろというのだろうか。一方的な好意など足枷にしかならないのだ。自分のために、スザクのために、ルルーシュは再び自分に嘘をつくことにした。

「それにしても、ルルーシュさんはいいですよね」

ナタリーがいきなり口を開き、ルルーシュに笑いかける。ナタリーの独り言かと勘違いしそうになりルルーシュは視線を窓の外からナタリーに向けた。栗色の髪の毛を上げ後頭部で一つに縛るナタリーの、ふわふわとした尻尾のような髪が揺れる。ナタリーは大きな皿を一枚、テーブルの中心に置いた。

「枢木卿にこんなに大事にされて、幸せじゃないですか」
「幸せ・・・?」
「ルルーシュさんみたいな仕事の人をこんなに大切にする人、滅多にいませんよ?」
「はは・・・それは、あいつがただのお人よしだからだよ」

思えばこの豪華な部屋も、ルルーシュを閉じ込めるための籠だったのだろう。不自由をさせないことで飼いならす、誰かさんの考えそうなことだ。

「でも、枢木卿はルルーシュさんのこと愛してると思いますよ」
「愛?よしてくれ、これはただの仕事なんだから」
「仕事?ルルーシュさん、本当にそう思ってるんですか?」

大袈裟に驚くナタリーにルルーシュも驚いてしまう。何故そこで驚くのだろうと思っていると、ナタリーが涙を拭くようなジェスチャーをした。

「ルルーシュさんがこんな鈍感じゃ、枢木卿も救われませんね」
「何がだ?」
「はぁ・・・もういいです。さ、準備ができましたよ」

ナタリーがサラダを置くと、テーブルの上にはすっかり夕食の用意ができていた。食事を乗せていた大きなカートには小さめの寸胴鍋が置かれている。ナタリーがその蓋を開き、中身を混ぜながら困ったような顔をする。

「枢木卿戻ってきませんね。どうしましょう・・・」
「ああ、よかったらそのまま置いといてくれて構わない。スザクが戻ってきたら俺がよそるから」

でもと渋るナタリーをルルーシュはやんわりと説得し、ナタリーは盆を抱え部屋を出て行った。ルルーシュはテーブルの上の夕食を眺めた、今日はミネストローネスープにサーモンのポワレと、あっさりとしたメニューだ。数種類のパンとサーモンサラダにムール貝のワイン蒸し。デザートなのだろう、苺のムースもあった。ルルーシュは部屋の扉に注意しながら、テーブルの上の夕食をじっと眺める。そしてサラダのドレッシングに手を伸ばした。銀色の深い皿にはヴィネグレットが入っている。これなら分からないだろうとルルーシュは睡眠薬を取り出すと、その皿の中に入れた。さらさらと粒子のそれがドレッシングの中に溶けていく。固まりにならないようによくかき混ぜ、指先に取って味を確認する。味に違和感はない。 ルルーシュがドレッシングの皿をテーブルに置き、椅子に座ると部屋の扉が開いた。急いで来たかのようにスザクがすぐに飛び込んできて、ルルーシュの姿を確認してホッと肩を落とす。スザクはテーブルの上の夕食を見つけると、重いラウンズのマントを壁の衣類掛けに引っかけた。

「ごめんね、ちょっと急な用事で」
「いや、いいんだ。ほら、もう夕食の準備はできてるぞ」
「本当だ、おいしそうだね」
「ほら、座れよ。冷めないようにとナタリーが鍋ごとスープを置いていってくれたんだ。今よそるから・・・」
「あっ、いいよ。僕がやるから」

レールドに手を伸ばしかけていたルルーシュは、そうかと手を引っ込める。スザクは鍋の蓋を開くと、自分とルルーシュの分のスープを皿に注いだ。スザクの視線を盗み見るルルーシュは、きっとスープに何かを混ぜられるのを恐れているのだろうと思った。皿に何かがついていないかなどスザクは確認をしていた。残念だが、薬を入れているのはそっちじゃないんだとルルーシュは心の中でほくそ笑む。ルルーシュの正面にスザクが座ると、朝食の時のようにまた両手を合わせる。

「いただきます」
「いただきます」

ルルーシュはナイフを手に取りサラダを食べる。それに合わせるかのようにスザクもサラダに手を伸ばした。何も知らないスザクはドレッシングを手に取るとサラダへまんべんなくかける。スザクがルルーシュにドレッシングを渡すと、ルルーシュもサラダにそれをかけた。なるべく食材にはかけないよう、皿の側面に流す様にして底にドレッシングを溜める。そしてルルーシュはドレッシングのついていない部分を何食わぬ顔で食べ始めた。スザクの口へ、ドレッシングのかかったサラダが運ばれていく。






窓辺で本を読んでいたルルーシュはベッドに腰掛けるスザクの姿を見て本を閉じた。夕食の片付けられたテーブルの上へ本を置くとベッドに近づく。スザクはぼんやりと足元を見ているようで、傍から見てとても眠そうに見える。薬が効き始めてきたのだとルルーシュには分かった。ルルーシュがそっとスザクの隣に座ると、スザクがルルーシュの方を向いた。眠いのを我慢しているせいで眉に皺ができている。ルルーシュはスザクの背を撫でながら、心配そうに話しかける。

「スザク、どうしたんだ?」
「なんだか・・・とても、眠くて」
「そうか。今日は外を歩いたから疲れたんだろう、早く休んだ方がいい」
「ルルーシュじゃあるいまいし、歩いたくらいじゃ疲れないよ」

そうスザクは言っているが、わずかに頭がゆらゆらと揺れている。早く寝てしまえとルルーシュは思うが、あまり急かすと不審に思われてしまうので我慢をする。スザクがルルーシュの肩に頭を預け、空いた手でルルーシュの腰を掴んだ。引き寄せる様にするスザクにルルーシュは身体が緊張するのが分かった。鼓動が速くなっていき、スザクの背を撫でていた手が止まる。演技ならばいくらでも平気だったのに、急にこの状態が恥ずかしく思ってしまったのだ。ルルーシュは両手を膝の上に置き、心臓の動きを抑えようとするが自分で簡単に抑えられるものではなかった。不意にスザクの手がルルーシュの肩を押し、ルルーシュは後ろへパタンと倒れた。それに圧し掛かるようにスザクが乗ってきてルルーシュは慌てて身を起こすが、手を押さえる様に掴まれてしまいスザクに押し倒されるような体勢になってしまった。

「ス、ザク・・・」

スザクがルルーシュの首元に顔をうずめる様にして倒れる。スザクはサラダに多くの量のドレッシングをかけていた。大量の睡眠薬の効果がスザクを襲っているのだろう。だんだんとスザクの目が閉じられていき、ルルーシュはスザクを見つめながらその髪の毛に触れた。これが最後だからと、意識の朦朧とするスザクへ語りかける。

「スザク、俺はお前とこうしてまた話すことができて嬉しかったよ」
「ル・・・ルーシュ・・・」
「お前を裏切ってしまう俺を・・・どうか許さないでくれ」

ルルーシュはスザクの肩を押しのけ、自分の横へと転がした。スザクは何か言いたそうに口を開いているが、酷い眠気のせいで言葉を発することができないようだ。手を伸ばしてくるスザクの腕の力は弱く、ルルーシュでも簡単に押さえられる程度の力だった。だんだんと目を閉じ始めるスザクに、ルルーシュは身を乗り出してその顔に自分の顔を近づける。スザクの綺麗な翡翠の瞳と視線がかち合い、ルルーシュはほほ笑んだ。額と額をくっつけて、ルルーシュは目を閉じる。

「さようなら、スザク」

そっとスザクの唇へルルーシュは己の唇を重ねる。スザクは一瞬だけ目を見開いたが、唇に感じた温かさに、その意識を眠りへと落とした。ほんの数秒の口づけだったが、今までした嘘のキスよりもずっと切なかった。






ルルーシュは走る。長い廊下にはルルーシュ以外の足音は聞こえない。頭の中にイメージした内部図と見回り兵の居ないポイントを確認しながら、辺りに人の気配がないか注意する。昼間よりは電灯の明るさが落とされているため遠くのほうはよく見えないが、足もとの非常灯がオレンジ色にぽつぽつと光っているので足取りはしっかりとしている。ラウンズ達の部屋を抜けたルルーシュは中央のエントランスホールに向かい、柱の影からそっとエントランスホールを除いた。近くに通用門があるためか、やはり数人の兵士が居る。監視カメラも管理システムも誤魔化せるが、人の目をごまかすのは難しい。ルルーシュはスザクの部屋から拝借してきた懐中時計で時間を見た。まだ余裕はある。走ったことで乱れた息を整え、ルルーシュは左目に貼ってあったカーゼをゆっくり剥がした。長い間ガーゼで塞がれていた左目が開き、赤い瞳が現れる。もう一度兵士達を確認する。先ほどより2人兵士がいなくなっていた。残った兵士は3人、中央に集まって談笑している。ルルーシュは兵士達はこれ以上は減らないなと決め、兵士達に向かって歩き出した。ルルーシュに気づいた兵士達がルルーシュへと銃を構える。瞳の見える距離まで行くと、ルルーシュはここを通せとそれだけ言った。ギアスにかかった兵士達は頷くと、また談笑を始める。呪われた力だなと、ルルーシュは自嘲しながらエントランスホールを抜けた。途中、通信室に寄りC.C.とのコンタクトを試みたのだが何をやっているのかC.C.とは連絡はつかなかった。計画に何か問題があったのではないかとルルーシュは不安に思うが、今は自分のするべきことをしなければと通信室を出た。最上階の廊下は主に秘書室な事務的な部屋ばかりで、今のこの時間には人がいない。ルルーシュはここまで走ったり階段を駆け上がった疲れから、のんびりとした歩調で廊下を歩いていた。真赤な絨毯が目に入り、最初はこの絨毯に感動したのだったなとくだらないことを思い出す。何処かの窓が開いているのだろうか、冷たい夜風が通り過ぎた。ルルーシュは羽織る肩掛けを握りしめる。これを持ってきてしまったのは、ただの女々しい心情からだ。あの一時を忘れないようにというケジメ、と自分に言い訳してみるがただこの肩掛けを置いていきたくなかったというのが本音だ。

(もう、終わりなんだ・・・)

嘘の平穏が終わろうとしている。ルルーシュは心苦しさに唇を噛んだ。また戦いの中へ身を投じるのを怖がっているのではない。もう、スザクとルルーシュとして会うことがなくなるのが苦しいのだ。ゼロとしてならばいくらでも仮面をかぶれる。けれどルルーシュとして、一人のルルーシュという人間としてはもうきっと会うことがない。会えるわけがないのだ。

「・・・っ」

涙が出そうになり、ルルーシュは顎を引いて堪える。どうして涙なんか出るのだろうと、ルルーシュが足を急ごうとしたその時だった。遠くから駆けるような足音が響いてくる。足音は一つしかなく、とても急ぐようにその足音が止むことはない。きっと誰かが仕事で駆けているのだろうと、この最上階に来ることはないとルルーシュは気にせず足を進める。しかし、なんだかその足音がだんだんと大きくなってはいないだろうか。まるでこちらに近づいてくるような。誰か来たとしてもギアスがあれば大丈夫だと慌てないように心を落ち着かせる。だが、それとは別の不安がルルーシュにはこみ上げていた。まさか、そんなはずはないが、けれど。

(そんなわけない。あいつは部屋で、それに扉にロックだって・・・あいつのはずは)

足音が階段を駆け上がっている。ルルーシュはピタリと足を止め、その音に集中した。ドクドクど自分の心臓が激しく脈打っている。そして、その足音がルルーシュのいる最上階に着いたとき、ルルーシュは堪らず後ろを振り返った。長い廊下、階段の前に立つ人物。

「ッルルーシュ!」

息を切らし立つスザクが居た。ルルーシュは、走り出した。逃げろと考える前に自分の身体が走りだしていたのだ。ルルーシュはスザクとは正反対にある階段へ走り、傍のエレベータのボタンを叩く。しかし最下階に止まっていたエレベータはすぐには扉が開かなかった。何度も振り返り、さっきまで遠くにいたスザクがもうすぐそこまで来ている。ルルーシュは辺りを見回し、エレベータを諦めて階段を駆け上った。ルルーシュの足ではスザクにはすぐに追いつかれてしまう。何処かに隠れなければ。しかしルルーシュはここが最上階だということをすっかり忘れていた。屋上へ続く扉だけがそこにあり、ルルーシュはその扉を飛び込む様に開けた。扉越しにスザクの足音が聞こえ、ルルーシュは震えそうな手でパネルを操作し急いで扉へロックをかける。ピーッという電子音の直後、内側から激しく叩かれる扉。

「ルルーシュ!ルルーシュ!!!」

ルルーシュを呼ぶスザクの声にルルーシュは両手で耳を塞ぐ。何故こんな時にとルルーシュは屋上を見回した。フェンスで囲まれた屋上には逃げ場がない。C.C.との合流場所の方角を見ると、段差のように2mほど屋根が下がっている部分を見つけた。ルルーシュはフェンスから身を乗り出し下を確認する。迷っている暇はないとフェンスに足をかけると、ルルーシュの背後で鉄がへこむような大きな音がした。

「っくそ!あの体力馬鹿が・・・っ」
「ルルーシュ、危な・・・!」

歪な形になった扉が屋上に転がっているのを確認し、ルルーシュは飛び降りた。心臓が持ち上がるような浮遊感のあと、両足に強い衝撃。支えきれず両膝と手を床につけると、勢い余ってそのままルルーシュは倒れた。つんのめるようにして下半身が浮き、ルルーシュが咄嗟に身体を横にするとルルーシュの身体は二、三回転して停止した。回る視界に仰向けになったルルーシュが目を開けると、先ほどまで自分がいたフェンスの場所にスザクが居た。スザクもフェンスに足をかけているのを見て、ふらつく身体を無理やり起こし走りだす。細くなった屋根の上を少し走っていくと、円柱型の大きなダンスホールの屋上へと出た。真っ白な床は中心に丸いガラスが張られていて、ルルーシュは屋根の一番端で足を止めた。行き止まりだ。見下ろす地上はとても低く、飛び降りなどしたらひとたまりもない。壁伝いに屋根や窓が一つもなく、足をひっかけて下りることは不可能だ。

「ルルーシュ・・・」

スザクが完全にルルーシュに追いついた。スザクは息を整えながら、ルルーシュの背中をじっと見つめる。月が雲に隠れていてはっきりと姿が見えない。少しの間二人の荒い息遣いだけが辺りに響く。徐々に動く雲から月が覗き始め、青白い月光がブリタニア宮殿全体に降り注いだ。月が姿を現すと同時に、ルルーシュが振り返る。色の違う片目に、スザクが悲しそうに顔を歪めた。

「やっぱり、君は記憶が・・・」
「・・・ああ、そうだよ。スザク、何故、俺の場所が分かった?」

ルルーシュは、何故スザクがルルーシュの居場所が分かったのかと不思議だったのだ。ブリタニア宮殿中を探したわけではないだろう。足音はまっすぐとルルーシュの方へ向かっていたのだから。スザクはポケットから黒い小さな機械を取り出した。掌に収まるサイズのそれは液晶が付いており、一定間隔で一点が光っている。発信器だ。ルルーシュはまさかと、羽織っていた肩掛けの装飾を見た。四方の紫色のガラスを確認すると、ある一つのものに不自然な凹凸を見つける。ルルーシュがそれを肩掛けからむしり取り、足で踏みつぶすと光っていた液晶の点がフッと消える。なんということだ、スザクは最初から分かっていたとでもいうのか。

「はは・・・ははは・・・そうか、お前は気付いていたのか・・・」

スザクに気づかれていたというのに、それに気づかなかった自分があまりにも愚かに思えてルルーシュは乾いた笑いを漏らした。ゲームは初めからルルーシュの負けだったのだ。スザクにこの状況を見られた以上、逃げることはできない。作戦は失敗したのだ。

「ルルーシュ、僕は」
「っ来るな!」

足を踏み出したスザクにルルーシュが怒鳴る。どこから取り出したのかルル―シュの手には、鋭利なナイフが握られていた。その切っ先はルルーシュの首に向けられていて、スザクがサッと顔を青くする。今にも突き刺さりそうなナイフにスザクが声を張り上げた。

「やめるんだ!」
「やめろ?ハッ、そんなに自分で俺を殺したいのか。だが俺を殺せばC.C.の行方は分からなくなるぞ?」
「そうじゃない!C.C.なんて関係ない!」
「ああそうだよな!お前にとっては、C.C.は関係ないよな!ゼロであるこの俺が、お前の憎む対象なんだからな!」

自棄になるようにルルーシュが言葉を吐く。しかし、どの言葉もわざとらしい言葉ばかりで逆にスザクは悲しくなった。仮面をかぶりきれていないルルーシュの表情は苦しそうだ。スザクは大きく息を吸い、短く吐いてから足を一歩踏み出した。ジャリ、と靴と屋根が摩擦で鳴る。ルルーシュはゆっくりと近づいてくるスザクに目を見開いた。真剣な表情でルルーシュの目を真っ直ぐ見てくるスザクに、ルルーシュは無意識のうちに後ずさる。屋根がなくなるまで残り数センチの所まで下がり、これ以上下がれないのだと分かるとルルーシュは両手が震えるのが分かった。逃げられない。

(また記憶を改竄されるくらいなら、利用されるくらいなら、俺は・・・!)

ふらりとルルーシュの身体が傾く。ルルーシュの背後には何もあるわけがなく、ただ澄んだ闇が広がっている。吸い込まれるようにして倒れ始めたルルーシュを見て、スザクは地を蹴った。

「ルルーシュ!!!」

スザクの手が伸びる。けれどルルーシュはそれから逃げる様に手を胸の前で握りしめた。目を瞑り、きっと来るであろう死の衝撃に身構えたルルーシュだったがそれはいつまで経っても来なかった。スザクの手がルルーシュの腕を掴み、思い切り引き上げる。ガクンとルルーシュは屋根の上に引き戻され、衝撃でルルーシュの手からナイフが落ちた。ナイフは屋根の上を一度だけバウンドし、ルルーシュの背後の闇へと落ちる。スザクの腹へ乗りかかるようにしてルルーシュは屋根の上に崩れ落ちた。下の方でナイフがコンクリートに弾かれた音が聞こえた。

「なんで、どうしてだスザク・・・俺を憎んでいるんじゃないのか・・・?」

阻喪したルルーシュがか細い声でスザクに問う。あのまま突き飛ばすなりなんなりしてくれればよかったのに、何故助けたのだ。今の自分には殺す価値もないのかとルルーシュが涙を目に滲ませた。スザクはルルーシュに怪我がないことを確認し、安堵の息をつく。そしてその細い身体を真正面から抱きしめた。ビクリとルルーシュの肩が揺れ、逃げ出そうと暴れる。けれどスザクは絶対に放さないというように腕の力を強めた。

「ルルーシュ聞いて。僕はずっと、君のことならなんでも分かってるつもりだったんだ」

ルルーシュのことが好きで、ルルーシュのことならなんでも知ってるつもりだった。好きなこと、嫌いなこと、理解して、全部好きになった。ルルーシュの耳元で囁くようにスザクが語る。

「でも本当は違ったんだよね。君はゼロで、ずっと仮面をかぶっていた。僕の前でも。僕はそれに気づけなかったんだ」

ルルーシュがゼロなのではないかと疑った時は、そんなはずないと信じたくなかった。自分の知らないルルーシュがいるだなんて分かりたくなかった。

「ギアスという力を持った君は、ゼロとしてたくさんの人を傷つけて・・・ユフィを殺した」
「・・・行政特区日本は、俺にとって邪魔だったんだ。だから俺はユフィを殺したんだよ」
「ルルーシュ、僕はそれを信じたくない」
「信じたくない?お前は見てただろう、俺がユフィを殺す瞬間を」

向き合うユーフェミアとゼロ。ゼロの放った銃弾がユーフェミアを貫き、命を散らせる。確かにその瞬間をスザクは見ていた。己の目で見てしまったからこそ、スザクは怒りが抑えられなかったのだ。だが、しかし。

「・・・もう嘘はいいよ」
「なんだと?」
「もう僕は嘘は聞きたくないんだ。君の嘘はどれも上手すぎて、僕には見抜けないよ・・・」

優しいルルーシュと怖いルルーシュ、スザクに手を差し伸べたゼロとユフィを殺したゼロ。どれが本物かと考えれば、どれも本物のルルーシュだった。嘘とは本音を隠すカーテンのようなもので、嘘というカーテンに疑問を持ってめくろうとしない限り真実は永遠に分かることはない。分かろうとすること、理解。スザクは自分の知らないルルーシュを知るのがただ怖かったのだ。怖がって知ろうとしないで、ルルーシュから気付かないうちに離れていってしまった。

「大切なものはね、君だったんだよ。君を大切にしたくて僕は戦ってきたつもりだったんだ。それが、どうしてこんなことになっちゃったんだろうね」
「スザク、お前・・・俺を憎んでいるんじゃ・・・ないのか・・・?」

ルルーシュが恐る恐るというように顔を上げた。スザクの言葉が理解できないというように震えるルルーシュの唇を、スザクは親指でそっと押さえる。やはりルルーシュにそう思われていたのだなとスザクは心の中で苦笑した、

「憎んでいたよ。でも、今は違う。ルルーシュは覚えてないかな、前にも言ったけど僕は君のことが好きなんだよ。もう遅いかもしれないけど・・・僕は君を信じたいんだ」

一瞬の間を置いてルルーシュの瞳が見開かれる。そして、ポロリと球のような涙がルルーシュの目から落ちた。自分が泣いているのが分かってないルルーシュは何度も何度も目を擦り、首を横に振った。スザクの言葉が信じられないのも無理はないだろう。ルルーシュは今まで、あまりにもスザクと敵対してしまったのだから。

「ルルーシュはきっと、自分のしてきたことの重さが分かってるんだろうね。だから止まらないようにしてるんだよね。僕はそれをただ罪を重ねるものだとは思わないよ。でもね、君が傷つく方法を取らなくてもいいんだよ。ユフィだって、きっとそう思ってる。ルルーシュが償うのなら僕も償いたい。今度は敵じゃなくて、一緒に優しい世界を手に入れたいんだ」

今まで自分達はあまりにもすれ違い過ぎてしまった。もし遅くないのならば、手を取りたい。罪だって罰だって痛みだって、同じように感じたい。スザクは涙するルルーシュの頭を撫で、すまなそうに目を伏せる。

「ごめんルルーシュ。君は嫌かもしれない、僕は君を・・・その、こんな目に遭わせてしまった。ナナリーだって、僕のせいで・・・。今更だって思うよね。ごめん、でも僕は」
「違う・・・違うんだ・・・スザク・・・」
「えっ?」

ルルーシュが両手で顔を押さえながら、肩を震わせた。スザクがルルーシュの顔を見ると、指の隙間から真っ赤に充血したルルーシュの目が見えた。

「本当は・・・お前を、巻きこみたくなかった。お前とナナリーが一緒にいてくれたら、俺は良かったんだ。俺だって、お前を大切にしたかったんだ・・・!」

ルルーシュはゼロとしてスザクと手を組もうと思っていた時もあった。けれどスザクはゼロの手を取らなかった。スザクは戦いは好まないのだと思い、ルルーシュは戦いを自分が引き受ける代わりにスザクにはナナリーの傍に居てほしかったのだ。ルルーシュは軍を辞めないかと何度かスザクに言ったことがある。けれどいつも、それはできないといわれてしまった。几帳面なスザクだから自分の義務を全うしたいのだと考えルルーシュは早く世界を壊す決意をした。早く優しい世界ができればナナリーもスザクも笑ってくれるだろうと。汚れた世界にスザクを巻き込みたくないと、ルルーシュは思っていた、なのに。

「ルルーシュ、それって・・・」
「っみなまで言うな・・・!」

それはつまり、お互いがお互いを大切にしたいと思っていたということではないだろうか?スザクは顔を隠すルルーシュの手を取り、冷たい手を握りしめる。ルルーシュの手をルルーシュの顔から退かすと、悲しげに歪められた顔がそこにあった。スザクは、自分の自惚れではないことを願いながらルルーシュの目元にゆっくりと唇を寄せた。ルルーシュが反射的に両目を瞑ると、目尻にぷっくりと涙の雫が浮かんだ。嫌がられないか、抵抗されないかと不安を込めながら1センチだけ伸ばしたスザクの舌がルルーシュの左目の涙を舐める。ルルーシュはスザクの顔が離れるまで大人しかった。スザクが涙を舐めとったのだなと、ルルーシュが思ったのはそれだけだ。スザクの顔が離れたのが分かりルルーシュが目を開けると、それほどスザクの顔は離れていなかったらしく鼻と鼻が触れ合うような位置にスザクは居た。自然と言葉を失い、ルルーシュとスザクはお互いの瞳を見つめた。吸い込まれていくように、二人の唇の距離が近づく。夜の寒さに吐いた息が白くなるのを見て、ルルーシュは重なった唇の温かさを感じながら心の中で呟いた。

(長い一日だったな)






「ようスザク!最近セックスレスなんだってな!」

開口一番のジノの言葉に、スザクは思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しそうになった。出かかった紅茶を飲み込むも、ゲホゲホとむせてしまいスザクはジノを睨んだ。ジノはいきなり咳こんだスザクに首を傾げるだけで、自分の発言の大きさに気づいていないようだ。

「ジノ・・・そんなこと、誰から聞いたのかな・・・?」
「おお怖い、そんなに睨むなよ。ナタリーが、最近ベッドメイキングの回数が減ったっていうからそう思っただけだって」

もしかして図星だったか?とジノがスザクの背中を痛いほどバシバシと叩く。スザクはイラっとして拳を振り上げたが、ジノのにはひらりとかわされてしまった。正直、図星だったから質が悪い。スザクが大きなため息をつくと、ジノは気にするなと勝手に言ってスザクの部屋を出て行った。扉が閉まる直前、ひょいと顔を出してルルーシュによろしくなと言うあたり、ジノはまだルルーシュを諦めていないのだろう。いつでも自由な男だとスザクは思いながらあの時のことを思い出していた。

(ほんと、こういうことは予想外だったよ)

あの夜、奇跡的な和解を果たしたあの後C.C.が二人の前に現れた。スザクはC.C.がルルーシュを連れて行ってしまうのではないかと焦ったがC.C.にその気はなかったようで、寧ろやっぱりこうなったかという目でルルーシュを見ていた。ルルーシュはすまないとC.C.に謝っていたけれど、C.C.は気にしていない様子だった。

「カレン達には、謝っておいてくれないか。ごめんと、あと、もう戦わなくていいと」
「ああ、分かってるさ。あいつらも、なんだかんだで身を隠せているようだしな」

カレンや黒の騎士団の幹部だった人物は、日本の中で安全な場所を見つけて生活しているそうだ。ルルーシュにとって残してしまった黒の騎士団の存在が気がかりだったようで、それを聞いてルルーシュはとても安心していた。ナナリーについても、危害が加えられていない今の状態がいいのだろうとC.C.にまかせることにした。ルルーシュにとってもスザクにとっても、今はナナリーを安全な場所に置いておくのが一番だと思うからだ。いざという時はC.C.が何とかすると言ったので、不安だがまかせることにした。C.C.は去り際ルルーシュにあるものを渡した。指輪が入っているような小さな箱。箱の中にはルルーシュの紫の色とそっくりなコンタクトレンズが入っていた。ただのコンタクトレンズに見えたがC.C.曰く特別なものらしい。

「スザク、誰か来たのか?」
「あ、ルルーシュ」

ルルーシュの両目の紫がスザクを見ている。蒸気を含んだ空気と共にルルーシュがバスルームから出てきた。濡れた髪の毛を乱暴に拭きながらルルーシュがスザクの座る椅子の正面に座る。テーブルの上に散らばる書類を見て不敵に笑った。

「またなにか書類を間違えたのか?」
「うっ・・・偶然だよ、たまたま」
「そんなこと言って、この前も間違えていただろう?ほら、見せてみろ」

ルルーシュの手がスザクの持っていた書類を奪う。以前だったら、こんな穏やかな時を過ごせるようになるとは思ってもいなかっただろう。ルルーシュは結局、スザクの元へ戻ることとなった。戻ると言ってもそれは皇帝を欺くための口実で、実際には以前のような関係に戻ったというわけではない。スザクにしてみれば、やっと思いが通じあったというのに手の出せない状況なのだ。ルルーシュは慰み者の件を若干引きずっているようで、あまりスザクに触れようとしてこない。寝るときなどは、ベッドは一つしかないのだからと一緒に寝ようといったスザクを断固拒否してソファーで寝てしまった。スザクが何度も何度も説得し、ようやく最近一つのベッドで寝れるようになったばかりなのだ。

(これじゃあ生殺しだよなあ・・・)

スザクがルルーシュを見れば、目に飛び込んでくるのは大きく開けられた首元。窪んだ鎖骨に、前にあそこに痕をつけたなと思い出し唾を飲み込む。ルルーシュが嫌ならスザクは無理強いしたくない。けれど、目の前で羊が転がっていると狼はちょっかいを出したくなるものだ。書類に夢中になるルルーシュの背後にスザクはそっと回る。うなじに張り付いたルルーシュの髪の毛を避けて指で撫でると、ルルーシュは素っ頓狂な声を上げて書類をテーブルの上にまき散らした。

「っスザク!」

怒り振り返ったルルーシュの顔を待っていたと言わんばかりに、スザクはその額に口づける。額にむにっというスザクの唇の感触を感じ、ルルーシュはスザクの頬を思い切り引っ叩いた。バシンと大きな音が部屋に響き、丁度部屋に入ってきたアーニャが少し驚いた顔をしてスザクとルルーシュを見た。

「・・・喧嘩?」

スザクが違うよというけれど、ルルーシュは怒って立ち上がるとベッドに潜ってしまった。ベッドの上にできた大きな塊に、前途は多難だなとスザクは叩かれた頬を押さえる。もうすることはしてしまった仲なのだからと思うのは自分勝手だろうか。

(でも、これからは一緒だから、大丈夫だよね。きっと。)

ルルーシュが教えてくれた天動説。ルルーシュはあれは人間の自我に似ていると言ったが、スザクは地動説も人間の自我に似ているのではないかと思う。地動説とは、天動説とは正反対に地球が動いているという学説のことだ。自分が何かを中心にして回っている。何かとは世界。一つの、大きな世界という惑星の周りを星のように人間たちが彩っている。太陽系の惑星たちが太陽という光を中心にして回るのは、人間が光という願いを中心に回っているのと同じに思える。光を中心に人間が回っているなんて素敵じゃないかと、スザクはそう思うのだ。






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DNAシリーズ スザクルート終了です。 長い間お付き合いいただきありがとうございました。