この透明な壁の頑丈さをジノは知っていた。たとえどんなに強靭な肉体の持ち主でも、人間である限りこの檻を壊すことはできない。知っていたはずなのにここから出せと馬鹿みたいに喚いてしまった。しかしいくら大声を出し暴れても誰も来ることはなく、ただジノの立てる物音が響くだけだった。そのうち、返答もないことが虚しくなりジノは壁に拳をつけて床に崩れ落ちた。何もできない自分に、そして何が起こっているのかすら分からない自分が悔しくて歯を食いしばる。唯一分かることといったら、ルルーシュの命が危ないということだけだった。処刑、何故ルルーシュが。 戦闘に負けた時だって、こんなに悔しい思いをしたことはない。

(私の責任だ・・・ッ!)

先日からスザクの様子がおかしいとは思っていた。いや、先日からと始まったわけではない。もっと前から、そう、彼とルルーシュの関係を自分が知った頃からスザクはおかしかった。ルルーシュに対するスザクの態度は温かみに満ちていて、ルルーシュもそれに満足しているように見えた。けれど、時折垣間見える二人の間に走る違和感にジノは気付いていた。その違和感がここ最近にかけて突然大きくなったのだ。違和感に気づいた時、二人にしか分からないことがあるのだとジノは気にしないようにしていた。しかし、この状況では気にしないようにとは言えなくなってしまった。スザクは最初、誰かに見つからないようにとルルーシュを自室に監禁(軟禁と言ったほうがいいのだろうか)していた。その時点で、おかしいのだ。いくらラウンズだからと言って慰み者を個人的に自室に閉じ込めておくなど、世間にバレたら何と言われるか。慰み者を持つのは珍しくはない、実際暗黙の了解として周りも黙認している。だがしかし、自室に閉じ込めておくという行為がアウトなのだ。幾度も事件に巻き込まれるルルーシュ、その度に"ルルーシュよりも周りの異変に過敏になる"スザク。ジノの知らないルルーシュとスザクの過去・・・。

(スザクは、本当にルルーシュのことを好きなだけなのか?)

スザクの行動は、ただ好きなだけとは違うような気がする。愛しているという気持ちの他に隠れたものがあるような。時折ルルーシュを見つめるスザクの鋭い目、あれは。そう、例えばスザクはルルーシュを憎んでもいるのではないか、そう思いかけてジノは違うとそれを自分で否定した。スザクがルルーシュを憎んでいるなんてありえない。 彼は心からルルーシュを愛しているのだ。そんなはずはない。しかしジノの中に浮かんだその可能性は、いくら捨てても頭の中に沸いてきた。直感というのだろうか、これは。ジノは勘で物ごとを決めることがあるが今回の勘は信じたくはなかった。冷静に考えてみよう、まず、スザクにはルルーシュを恨む理由などないではないか。それに恨んでいたとしても、ジノが今まで見てきたスザクは確かにルルーシュを愛していた。自分の目で見て確かめたことなのに、やはりどうしても納得がいかない。ある固まりまで繋げられたパズルのピースが、別の集まりのピースと上手く繋がらない。じっと考えるジノの中にある仮説が浮かんだ。

(・・・愛しているが、憎んでもいる・・・?)

正反対の二つの気持ち。アンビバレンスをルルーシュに対して抱いているのではないか。愛しながらも憎むなんて、ジノには理解できない。しかしこれまでのスザクの言動を考えてみるとそうとしか思えなかった。ルルーシュを愛するスザクとルルーシュを憎むスザク。ふたつは確かに存在している。ジノは、スザクがルルーシュを憎むはずがないと思っていたが重要なことを思い出した。スザクはルルーシュを人殺しだと、そう言った。もしスザクの憎しみの原因がそれだとしたら。

(しかし、皇帝直属の任務なんてそうそう出ないはずなのに・・・何で・・・)

あの時スザクは皇帝直属の任務だと言った。スザクが何度も皇帝陛下に謁見していたのはこのためだったのだろうか。皇帝が直々に命令を下す任務なんてよっぽど重大なもののはずだ。何故皇帝陛下がルルーシュを?皇帝が慰み者であるルルーシュと何か関係を持っているとは考えにくい。一国の皇帝がただの一般人を、何故。

(いやまて・・・違う、確かルルーシュは・・・)

ルルーシュは、皇帝からスザクへ与えられたものではなかったか?ジノはルルーシュの存在を知るきっかけとなった噂を思い出した。確かあの時あいつは言ったのだ、皇帝陛下からの贈り物だと。ルルーシュと皇帝陛下は関係がないわけではなかったのだ。だが、関係があったと分かったところで何故皇帝がルルーシュを捕えたのかは分からない。スザクのいう処刑とは言葉通りの意味なのだろうが、そこが一番よく分からなかった。例えば、そう例えばだ。ルルーシュが罪人だったとする、これはスザクの言っていた人殺しの罪だとしよう。その罪でルルーシュが"処刑"されるとする。だとしたら、何故今になって?

(そういえば・・・)

そこでジノはあることを思い出した。スザクの部屋で見たあのアルバムのことだ。黒く塗りつぶされた人物、ジノがビニールを剥がして確かめたあの人物はルルーシュだった。前に一度ルルーシュが洩らしたことがある。自分はストリートチルドレンだと。あの写真に写っていたルルーシュは今のルルーシュと年齢がそう変わらなかった。ルルーシュがストリートチルドレンならばあの写真に写っているはずがない。そう、学校の写真になど。

(写真のルルーシュと今のルルーシュ・・・同一人物なはずだ、でも、辻褄が合わない)

ルルーシュとスザク、皇帝陛下、それと"人殺し"、処刑。やはり、ジノには分かるはずがなかった。

(私は部外者なんだ、何の関係もない・・・ただの・・・)

あと一歩という所で真実にたどり着けない。いやもしかしたら、あと一歩というわけではないのかもしれない。何故なら、スザクがルルーシュを恨んでいるということや皇帝とルルーシュの繋がりなど、全てジノの空想でしかない。それが正しいという保証はどこにもないのだ。断片的な情報から組み立てた脆い結論でしかない。だいたい、ジノの仮説が真実だとして、それでどうする?この状況を考えてみろ、何もできないじゃないか。いくらここでジノが考えても、ジノはここにいる限りどうすることもできない。ルルーシュが処刑されるのを、この檻の中でただ待つだけなのだ。

(何がラウンズだ、何が力だ、こんなとこに入れられただけで何もできないなんて・・・私は・・・私は・・・)

ジノは壁を一度だけ強く叩き、己の無力さに絶望した。



投げ出された床の固さと冷たさにルルーシュは小さく声を漏らした。拘束服に着替えさせられ、両腕を後ろに固められたルルーシュをスザクが冷たい目で見下ろす。両足首も一つに固定され、肩と膝をくねらせてもがくルルーシュはまるで芋虫だ。特別処置室は実際は広くはないものの、物が何もないため広く見える。壁も床も真白、電灯の灯りが弱いため部屋は薄暗かった。うつぶせのままのルルーシュをスザクは足で肩を転がして仰向けにさせる。抵抗のできないルルーシュはいとも簡単にころんと仰向けにされると、ひっくり返った亀のようにうつ伏せに戻ろうとした。しかし拘束された状態では難しく、胸を上げたり下げたりするだけだ。そんなルルーシュの腹の上にスザクは跨ると、しゃがんでルルーシュの前髪を掴んだ。引き上げるようにすれば、痛みにルルーシュが歯を食いしばる。スザクがルルーシュの顔を覗き込むと右目の紫がスザクを睨んだ。スザクが空いた手でルル―シュの左目をなぞる。

「似合ってるよルルーシュ。やっぱり君は、紫の瞳だけで十分だよ」
「黙れ・・・ッ!また俺を裏切るんだな・・・!」

ルルーシュの頭をぐるりと巻くようにして取り付けられた眼帯。革製のそれはなんの変哲もないただの眼帯で、特殊なことは何一つしていない。そんなただの眼帯に目を塞がれただけで無力化するギアス。今のルルーシュは力の持たない弱者だ。ルルーシュは身体を左右に動かして暴れてみるものの、そんな抵抗は赤子の手を捻るより簡単にスザクに封じられる。前髪を掴まれていた手を放され、床に顔を押し付けられる。頭蓋骨が痛むほど力を入れられ、米神に鈍い痛みが走った。

「ルルーシュが悪いんだよ。思い出さなければよかったのに・・・そしたら僕がずっと守っていてあげたのに」
「ハッ!守る?慰み者の何処が"守る"だ!?身体を蹂躙するのが、お前の守るということなのか!」
「君が記憶なんて取り戻さなければ、ナナリーだって無事で済むかもしれなかったのにね・・・」
「ッ・・・!」

妹の名を出され、ルルーシュは身体を震わせた。パタリと抵抗を止めたルルーシュの耳元でスザクは囁く。

「君がゼロになんてならなければ、ナナリーだって平和なまま暮せていたんだ。特区日本で幸せに暮らせていたかもしれないのに、その 可能性を奪ったのは君なんだよルルーシュ」
「それは・・・ッ」
「そうだよね、特区日本が完成してしまえば黒の騎士団はいらなくなる。だから殺したんだろう、ユフィを。」

違う叫びたかったがルルーシュは口を噤んだ。いくら言い訳をしてもユーフェミアを殺したのは事実なのだ。ギアスの暴走だったんだと 言ったところで許してもらえるとは思えない。何も言わないルルーシュを肯定だと受け取り、スザクは立ち上がるとルルーシュの腹を 強く蹴った。鳩尾に来た衝撃を受け止めきれずルルーシュが咳き込むとスザクがぎゅっと拳を握る。

「君は!君自身の目的のためにユフィを殺したのか!たくさんの人を殺して、みんなに嘘をついて・・・!」

スザクの言葉ひとつひとつがルルーシュの胸に深く刺さる。しかし反論はできなかった。血濡れた手を洗い流そうとしても無駄なこと、一度犯してしまった罪は消えることはない。ルルーシュはそれよりも、スザクがこれほどまでに自分を恨んでいたのによく今まで我慢してこれたなと思っていた。むき出しの憎しみ、肌にひしひしと伝わるほどの恨み。皇帝の命令とはいえ、憎む相手を傍に置くなど普通なら耐えられないだろう。

(その"異常"が耐えられるくらい、俺が憎かったというわけか・・・)

ずんと仄暗い気持ちがルルーシュの中に落ちる。あの時捕まった時から、もう終わりだと頭のどこかで気づいていた。でもそれを信じたくなくて虚勢をはってはみたものの、ゼロへの憎しみを露わにするスザクを見てしまったらもう無理だった。自分の行いは人々を悲しませるだけのものだったのだと、そう理解させられたのだ。刺し違えるつもりで決行したのに、その刃すら奪われ今はただ転がされるのみ。いっそのこと、舌を噛んで死んでしまおうかとも思ったが、自分で自分の命を絶つのは駄目だ。今まで消してきた命を背負って自殺など、してはいけない。

(スザクに殺されるのなら・・・いいのかもしれないな・・・)

スザクには悪いことをたくさんしてきてしまったと思うし、スザクに殺されるのならば他の人たちも許してくれそうな気がする。ルルーシュは先ほど蹴られた腹の痛みに汗を滲ませ諦めたように眼を瞑った。その様子を見ていたスザクは、やりきれない怒りを抑えるようにルルーシュを睨む。数分間沈黙が続いたが、スザクは苛立ったような溜息でそれを破り近くの壁に寄り掛かった。

「だんまり、か。そうやって君はいつも本当のことを言ってくれない。嘘ばっかりだ」
「・・・・・・」
「間違った方法でしか生きられないんだね。記憶の無かった時の君は嘘なんてつかなかったのに・・・ああ、違う、君は記憶がなくても僕に嘘をついたよね」

侮蔑を含んだ目でスザクがルルーシュを睨むと、ルルーシュは下げていた視線をスザクへ向ける。記憶がなかった時のことは、ルルーシュにとって戸惑いに満ちるものだ。偽りの時間の中で育まれた僅かな繋がりだというのに、それをルルーシュは忘れることができなかった。勿論、身体を蹂躙されたことは許せる筈がないが。スザクの言う嘘とはどの嘘のことだろうか、ルルーシュは思い出してみるもののよく覚えていない。あの時は言うならば本当が嘘で、嘘が本当だった。ごちゃごちゃになった記憶のせいでもう何が嘘だったのか分からないのだ。

「僕がいないと寂しいって僕が好きだって言ってくれたのに、ジノと寝た」
「・・・ッ!」

ジノという名前にルルーシュの肩が大きく揺れた。心臓がドキリと止まったかと思うほど、ジノの名前に反応する。そこでやっとルルーシュは、さきほどのジノのことを思い出した。スザクに捕まって視界を塞がれた時確かに聞こえたジノの声。ということは、あの場面をジノに見られたということになる。意識が返ってからジノの姿は見かけていない、だとするとジノはどうなったのだろう。ルルーシュの顔から血の気がさあっと引いた。

(まさか、ジノを、巻きこんでしまったのか?)

あの場面を見た以上ジノが黙っているとは思えないし、スザクもジノを放置しないと思ったからだ。だとするとジノに本当の記憶のことを知られてしまったかもしれない。ジノの姿が見えないためどうなのかは分からないが、スザクがジノに本当の記憶のことを話した可能性は十分ある。ルルーシュは嫌な冷や汗が背中を伝った気がした。本当の自分のことをジノに知られたら、きっとジノに軽蔑される。彼は皇帝の騎士であるラウンズでブリタニアを守り、愛す男なのだ。ジノにとってゼロは敵であり、正反対の存在なのだ。ゼロのことを、記憶のことをジノが知ったらスザクと同じように裏切られたと思うのだろうか。この嘘つきめと、ジノに憎まれるのだろうか。そう考えると恐ろしかった。だが、それより巻き込んでしまったことによってジノに何か危害が及んだのではないかと。

「君があんなことをしなければ、僕だって」
「ジノは・・・」

スザクの言葉を遮るようにルルーシュが口を開く。黙っていたルルーシュが急に反応したことに驚きスザクはルルーシュの顔を見た。ルルーシュは顔を上げ恐る恐るスザクに訪ねる。

「ジノは、どうしたんだ?」
「ジノ?・・・なに、ジノのことが気になるの?」

今話しているのは自分なのに他人の名を、しかもよりによってジノの名を出されスザクはイラついた。低い声で返すもののルルーシュは怯むことなく、それどころかジノのことを思ってか不安げな表情でスザクを睨んでいた。この状況でジノのことなど忘れていたスザクは曖昧に言葉を選ぶ。

「さあ?ルルーシュが知っても、あんまり意味ないんじゃないかな?」
「・・・どういう意味だ」
「言葉通りだよ。だいたい、今更ジノのことなんて君には関係ないでしょ」
「ッ関係なくない!」

ルルーシュが強く怒鳴り、スザクは驚いた。何故ジノのことをそんなにも気にするのだろう。暫くの間一緒に過ごしてきたから情でも移ったのだろうか?人殺しのくせに。他人を心配してる場合ではないはずなのに、本当に馬鹿だ。

「そんなにムキにならないでよ、まさかジノのことが好きになったとか言わないでよね」
「・・・ッ」

ギュッと下唇を噛み目を逸らしたルルーシュの意外な反応にスザクは思わず息を止めた。何気なく言った言葉だったのだがそのような反応をされるとは思ってもいなかった。何か言葉を返せばいいものをルルーシュは何も言わない。ただ悔しそうに顔を震わせながら床を睨んでいる。もしやという気持ちがスザクの中に浮かんだ。

「まさか、ジノのことを本気で・・・?」

スザクは違うと言ってほしかったが、ルルーシュはそれを無言の肯定で返した。スザクはあまりの絶望に目の前が真っ暗になった。ふつふつと沸き上がってきたのはルルーシュに対する怒りとジノに対する激しい嫉妬だ。なんということだ、いつの間にかルルーシュの心はジノに取られていたのは。あんなにも一緒に居たのに、色々な手を尽くしてルルーシュを自分の元に置いていたのに。乾いた笑いがスザクの口から漏れだす。それはルルーシュを馬鹿にするような笑いではなく寧ろルルーシュをまんまと取られてしまった自分の愚かさを笑っているようにも思えた。

「は、はは・・・あはは!ルルーシュ、本気で言ってるのかい?」

心臓を突き刺すような虚しさをスザクはルルーシュにぶつける様に言い放った。ジノはルルーシュのことが好き、ルルーシュもジノのことが好き。その事実がスザクの中に残っていた何かを壊してしまった。ルルーシュの首を片手で掴み吊り上げる様にして顔を上げさせれば息苦しさにルルーシュの顔が歪んだ。無性にイラついて空いた片方の手でルルーシュの頬を叩くと同時に髪の毛を掴んでいた手を離す。いとも簡単に横に倒れたルルーシュにスザクは叫んだ。

「何か君は勘違いしてるんじゃないか!?ジノの好きな君は、今の君じゃない!」

ルルーシュの顔が悲痛に染まる。分かっていると言い返さず、言い返せず、ルルーシュはじっと耐えた。そんなこと言われなくてもルルーシュは十分、分かっているのだ。ジノの知っている自分は自分ではないと。ルルーシュは何も言わない、何も反論しないということがスザクの激情を煽っているとも知らず。

「君はジノにも嘘をついてきたんだ、ずっと騙していたんだよ!?」

壁にビリリと響く怒鳴り声。狂った感情を止めることのないままスザクは思い切りルルーシュの首を踵で踏みつぶした。圧迫される息苦しさと、まるで喉の中を虫が這いまわっているような苦しさにルルーシュは呻いた。息ができず、中途半端に開いた口がぱくぱくと震える。拘束されたルルーシュの両手が何かを掴む様に動いていた。

「今の君をジノが好きになると思ってるのか?自惚れもいい加減にしろ!君は、ゼロなんだ!人殺しなんだよ!」

喉を圧迫していた足が離れルルーシュは咳こむ。しかし十分に咳こむ間も無くガンとこめかみを強く蹴られた。脳を直接蹴られたような衝撃に目の前が真っ白になりルルーシュは急速に意識が遠くなっていくのが分かった。蹴られた身体は仰向けのままゆっくりと脱力していく。目の前が霞んでいき、淡くなっていく視界にルルーシュが最後に見たのは自分を見下ろすスザクの姿だった。悔しさと悲しさで目を真っ赤にしているスザクの顔はいつか昔、離れ離れになる直前に見たような顔に見えた。いつだってスザクを傷つけてしまうのは自分なのだなと、ルルーシュは漠然とそう思い意識を失った。直前に口から出たごめんという言葉は、音にならず空気となって宙へ投げ出された。

「ルルーシュ、君も僕も、もう終わりだよ。僕の手で、終わらせてあげるよ。好きだから。」

ルルーシュには聞こえていないと分かっていながらスザクはそう呟いた。そしてそのままラウンズのマントを翻しルルーシュのそのままに部屋を出て行った。準備は素早く行わなければいけない。




ここに入れられてどのくらい経ったのだろうとジノが腰に付けていた懐中時計を見るとまだ一時間も経ってはいなかった。やけに時間の流れが遅く感じる。何かをしていたり何かを考えていたりすれば別なのだろうが今のジノには何かをするということも何かを考えるということもできなかった。ただ、自分という人間の弱さに絶望するだけ。ルルーシュは無事だろうかと何度目になるか分からない心配を心の中で漂わせる。虚ろな目で天井を眺め、なんでこんなことになってしまったのだろうと思う。自分はただルルーシュがいて、スザクとアーニャとふざけ合いながら日々を過ごせればよかったのに。どこで間違ってしまったのか、それは、自分があの日ルルーシュに会いに行ったことから間違いだったのだろう。トリスタンを壊していなければ、ルルーシュの存在に興味を持たなければ、会いに行かなければ。そうしたら、今頃どうなっていただろう?今までと変わらない日常を生きていたはずだ。言ってしまえばルルーシュがいなければジノがこのような目に遭うことはなかったということだが、ジノはこれをルルーシュのせいだとは全く思っていなかった。トリスタンを壊したのもルルーシュの存在に興味を持ったのも会いに行ったのも、全て自分が考え行動したことなのだから。言葉を着飾って運命だとは言いたくない、これは自分の行ってきたものの結果なのだから。だから、こういう運命だったのだと諦めたくはない。もし運命があるのだとしても、そんなもの捻じ曲げてしまえばいい。・・・けれど。

(そんな力、今の私には、ない)

そう力なくうな垂れるジノの耳に足音が聞こえてきた。パタパタと駆け足の音はこちらに向かってくる。誰だろうと顔を上げると、透明な壁の向こう側に見慣れた彼が息を切らせて立っていた。眉を寄せて苦しげな表情でこちらを見ている彼は、ジノとルルーシュを引き合わせるきっかけを作った・・・。

「ジェフ・・・」
「ッジノさん!どうして、こんなことに・・・!」

ジェフリーは肩を震わせ眼尻に涙を溜めている。どうして彼がここにいるのだろうと思いながらジノは情けなく笑ってみせる。

「どうしてなんだろうな。私にもよく分からないんだ」
「そんな!何もしていないのに、こんなところに入れられているんですか!?」
「何もしてない・・・いや、どうなんだろうな。私は、何をしてしまったんだろう」

まるで独り言のように呟いたジノの言葉は弱弱しい。今まで見たこともないジノの様子にジェフはそんな、と顔を歪めた。横の壁に背を預け見上げてくるジノはいつものジノではなかった。こんなちっぽけな牢屋で惨めに座り込んでいるジノがあまりにもショックでジェフの瞳からはボロボロと涙が零れ始めてしまう。長身で、ジノと同じくらい体格のいい男が子供のように泣いている姿はカッコいいとは呼べない。透明な壁に手をついてジノが苦笑する。

「相変わらず泣き虫ジェピなんだな」
「う、ううぁ・・・ジノさん・・・!」

濃いブラウンの髪とライトイエローの瞳、黙っていれば整った顔の男だった。しかし訓練で常に最低値ギリギリをゆくその身体能力をブリタニアは見回り兵とランク付けている。何をするにしても不器用なこの男がどうしてブリタニア軍人になれたのかが不思議なくらいだ。気が弱く同僚からも使い走りにされているジェフは、ジノの数多くの友人の中でも存在感のある人物だ。しかし何故ジェフがこんなところに居るのだとジノは疑問だった。ここは牢屋の中でも特別な位置にあり、見回り兵の身分では立ち入ることすらできないはず。

「ジェフ、どうしてここに?お前じゃここには入れないはずだろう?」
「ッジノさんがこんなことになってるのに、何もしないわけにはいかないじゃないですか!」
「ジェフ・・・」
「・・・っでも、俺、役立つことなんもできなくて、だから・・・せめて、これを渡したくて」

胸の内ポケットからジェフが一つの封筒を取り出した。そしてその見覚えのある封筒にジノは驚いた。何故ならそれはジノが暫くの間ルルーシュに宛てていた手紙に使っていた封筒だったからだ。何故それをジェフが持っているのだろうか。

「お前、それを何処で?」
「ジノさんが、連れてかれた時、お、俺も近くに居たんです・・・」

本来ならばあの時ジェフリーがあの場所にいる筈がなかった。兵士達は皆、演習場にてナイトオブラウンズ数名との合同訓練に参加しているはずだったからだ。昨晩言いつけられた書類整理に時間がかかり眠る時間が少なかったジェフリーはすっかり寝坊してしまい大急ぎで演習場へと向かっていた。すると何処からか只ならぬ騒ぎ声が聞こえ、つい足をそちらへ向けてしまったのだ。ジェフリーがあの場所に着いた時、既にジノは拘束されて何処かに連れて行かれる所だった。ジノを拘束する兵士達の向こう側にはナイトオブセブンと最近兵士達の間で噂になっていたナイトオブセブンの慰み者が居た。慰み者を抱える様にして去って行ったナイトオブセブンと顔に異様なマスクをつけた兵士数人に取り押さえられているジノ。ジェフリーは恐ろしさからその場から動けなかった。ラウンズ同士の争いなのだろうか、もしかしたら自分はとんでもない所を見てしまったのではないだろうか。ジェフリーは自分はどうすればいいのだろうと慌てていると、ふと、病室の扉の近くに何かが落ちているのを見つけた。先ほどの騒ぎで誰かが落としたのだろうかとジェフがそれを拾うと封筒に書かれていた宛て名に驚いた。ルルーシュへ、と書いてある上から二本線で消された文字の下に小さな文字でジノへ、と書いてあったのだ。確かナイトオブセブンの慰み者の名前はルルーシュ。ジェフリーはこれはあの慰み者がジノへ宛てた手紙なのだと分かった。先ほどナイトオブセブンに連れられていってしまった慰み者、ルルーシュ。それを止めるようにして抵抗していたジノ。ジェフリーはこの手紙をどうするべきか、迷うわけがなかった。恐ろしさから動くこともできなかった自分が今この状況でジノにできることと言えば、この手紙を誰の手にも渡さずジノに届けることであった。

「これは、きっと誰かに見られちゃ駄目なんだって思ったんです・・・だから」
「これを私に届けるためにこんなところまで来てくれたのか?見回り兵がここに入ったと知られたら、どうなるかくらい分かっているだろう!?」

見回り兵の身分でここに立ち入ることは禁じられている。下級兵の身分で規則を破るなど解雇や処罰の対象に十分なるのだ。しかも今回のケースでは、あの場面を見ていたというジェフリーは皇帝やスザクの手配で暗に処分されてしまうかもしれない。今だってここに誰か他の奴らが来た時点でジェフリーの未来は消えてなくなってしまうかもしれないのに。

「はは・・・確かに、バレたら俺はクビですかね。でもこれを届けなきゃって・・・でも、ここに入るとき見張りが丁度いなかったから、今しかないって思って」
「お前・・・」

確かに、今この牢屋にはジノ以外の罪人などは入れられていない。そのためここの見張りを任されている兵も合同演習に行っているのだろう。ジノをここに入れたスザクの部下達が入口を見張っていると思っていたジノはそれを聞いて安心した。ここに入れられた以上自分で出ることはできないし、ジノがこんなところに入っている人物はスザク達しかいないため誰かが助けに来るとも思わなかったのだろう。しかし彼らはあの時ジェフリーが居たことに気づいていなかったようだ。ある意味運がよかったのだろうか。ジェフリーは透明な壁の横にある操作パネルの下にあるボックスを開いた。食事などを入れるそこに封筒を入れボックスを仕舞うと、壁の中で何かが動く音がして牢屋後ろにある壁の隅で小さな正方形に壁がずれた。電子レンジのような四角い空間が現れ、中央にはジェフリーが先ほどボックスの中に置いたままの状態で封筒があった。ジノがそれを取り出すと自動的に扉が閉まり再びただの壁となる。ジノは手の中の封筒に書いてあるジノへという文字を見つめた。見たことのない筆跡、ルルーシュの字なのだろう。学校へ行っていないと聞いていたからてっきり文字は書けないのだと思っていた。いや、本が読めるのだから書けないわけがないか。ジノは震えそうな指を叱咤して封筒を開いた。カサカサと紙ずれの音が独房の中に響き、中からは一枚の紙が出てきた。

(これが、ルルーシュからの・・・)

二つ折の薄っぺらい紙。この紙にはどんな文字が綴られているのだろう。きっと、これはさっきの出来事と関係することが書いてあるはずだ。即ち、ジノの知らないルルーシュのことが書かれている。読みたいと思うのにジノの手はなかなかその手紙を開かなかった。正直なところ、読むのが怖いのだ。何が書かれていて、どんな内容なのか。ジノの知らないことがたくさん書かれていて、それを知ることによってよりルルーシュを遠くに感じてしまうのではないか。

(・・・いや、それはただの"逃げ"だ)

結局のところ、自分が傷つくのが嫌で逃げているだけなのだ。自分に力があると思っていたが自分は弱かった何もできない、と諦めてしまうのは、何もできないくせに行動をして自分が傷つくのを恐れているから。他人に自分のやっていることを無駄だと思われたくないから。自分に振りかかる痛みを他人という壁でごまかそうとしている。何を基準に強いと言うのか、何を基準に弱いと言うのか。我慢も妥協も時には必要だ、しかし、それで諦めを隠すことはしたくない。例えそれをしてしまって未来が大きく変わったり酷く傷つくかもしれない。後悔ならば後で出来ると言うが、その後悔をしないほどのことをしてしまえばいい。中途半端な言葉や行動で自分だけでなく周りをも傷つけるくらいならば、いっそ何かを壊してしまうくらいのほうがいいのではないだろうか?

(そうだよな、ルルーシュ)

きっとルルーシュも、そう考えているような気がする。ジノの虚ろだった瞳に小さな光が宿った。意を決し紙を開きジノはその文字を読み始めた。


ジノへ。
こうしてジノへ手紙を書くことになるとは思ってもいなかった。
この手紙をジノが読んでいる時には俺はもうそこにいないだろう。
俺にはジノに謝らなければいけないことがある。俺はジノにたくさんの嘘をついてしまった。
出生のことやスザクとのこと、ジノが知っている俺は全て嘘の俺だ。
家族がいないこと、身体を売っていたこと、それも全て嘘だ。
騙すつもりはなかった。だが、しょうがなかったのだとは言わない。
俺がジノに嘘をついてしまったことは変えられない事実だからだ。ただ、謝りたい。
直接言えたらどんなによかったことだろうか。俺はもう二度とジノと会うことはないだろう。
たくさん嘘をついて、たくさん迷惑をかけたのに逃げる様にして消えることを許してほしい。
ジノが本当の俺を知ってしまったら、きっとジノは俺を憎むだろう。
俺は憎まれても仕方ないことを今までしてきてしまった。
俺とスザクは昔、友達だった。でも俺とスザクが今でもまだ友達同士なのかは分からない。
ジノにはスザクと、ちゃんとした友達になってほしい。スザクは俺を恨んでいる。
俺がスザクを長い間苦しめてしまったからだ。俺はあいつに許されないことをしてしまった。
そして俺はまたスザクを苦しめる選択をしようとしている。ここから逃げることを、あいつはきっと許さない。
ジノにはスザクの本当の友達になってほしいと俺は思っている。
友達としてあいつを支えてやってほしい。俺が言えることでは、ないと思うけれど。
ジノと出会ってからの日々は騒がしくて、くだらなくて、温かかった。
会えなくなってから扉に挟んでくれた手紙は全て読んでいた。
その手紙にどれほど俺が救われたのか、ジノには感謝している。
しかし今の俺とジノの知っている俺は別人だ。お前が好いてくれた俺はもういない。
何のことだかジノには分からないと思う。でも冗談だとは思わないでくれ。
前の俺はお前の気持ちに応えることができなかった。でも今ならはっきりと言える。
俺は今もジノだけを愛している。これは嘘なんかじゃない。
本当のことを知って、軽蔑してくれても構わない。ただ、伝えたかったんだ。
できることならジノとは別の場所で出会いたかった。
そうしたら、俺は素直にお前と向き合えていたのだろう。
最後まで我儘な俺を、どうか思い出として忘れてくれ。
たとえ俺が遠くへ行ったとしても、俺はジノの幸せを願っている。
今までありがとう。さようなら。
ルルーシュより。


ジノは思わず涙が出そうになってしまった。ルルーシュがこれほどまでに自分のことを考えてくれていたのだと思うと、目がカァッと熱くなってしまったのである。流れ出そうな涙を何とか堪え、手紙を額に当てる様にして目を瞑る。ルルーシュがついた嘘、何で嘘をついたのかは分からない。けれどきっと悪意があってついたものではないのだろう。悪意があったのなら、こんなに簡単にバラしてしまうはずがない。そしてスザクのこと。スザクとは友達だったという、そして酷いことをしてしまい恨まれてもいると。たまにスザクがルルーシュを冷たい瞳で見ていた理由はそれなのだろう。ルルーシュはここから逃げるつもりだったのだ、そしてそれをスザクに見つかり捕まってしまった。ルルーシュの言う本当の自分とは、どういうことなのだろうか。けれどジノには手紙を書いた今のルルーシュも、ジノと出会った前のルルーシュも、同じだった。今のとか前のとかは関係がない。ルルーシュは、ルルーシュでしかないのだ。たとえルルーシュの中で何かがあったのだとしても、今のルルーシュがジノを知っているということだけで今のルルーシュはジノの好きなルルーシュだった。

「ルルーシュ・・・ッ!」

彼を、助けなければ。ジノは顔を上げ手紙を閉じた。こんなにも不器用で人の痛みを知っている彼に言ってやらなければいけないことがある。そう、一刻も早くルルーシュを救い出さなければいけない。ルルーシュが殺されるのを待つわけにはいかないのだ。さっきまでの何もかもを諦めていた自分はどうかしていたとジノは唇をギュっと噛んだ。イレギュラーに落ち込んで勝手に弱気になるなんて"らしくない"じゃないか。自分は誰だ?ナイトオブスリー?ヴァインベルグ家の末っ子長男?違う、自分は自分だ。ジノ以外の何者でもない。覚悟を決めたジノだったが、まずはどうするかと考える。ここを出るにはどうしたらいいのだろうか。

「ジノさん」
「ん?・・・ッジェフ!?」

名を呼ばれジノが振り返るとジェフリーが銃を構えるところだった。ジェフリーが居たことを忘れていたジノだったが、銃を取り出したジェフリーに驚いて壁を叩く。

「何をする気だジェフ!?」
「ジノさん、行かなくちゃいけないんでしょう?」
「っどうしてそれが」
「そんな顔してたら誰だって分かりますよ。それに、俺が分からないはずがないでしょう?」

ずっとジノさんについてきたんですから、とジェフリーは笑った。まさかジェフリーに見破られるとは思わなかったジノだったが、ジェフリーが何をするつもりなのかと不安でいっぱいだ。ジェフリーは銃の安全装置を外してその銃口を横のパネルへと向けた。装置を壊してここを開かせるつもりなのだ。確かにここの牢屋は管理室で管理のされていないタイプの鍵なためパネルを壊して開かせるというのは可能だ。けれど。

「こんなことをしたらお前はどうなる!消されてしまうかもしれないんだぞ!?」

脱出の手助けをさせてジェフリーを巻き込むわけにはいかない。この手紙を必死に届けに来てくれた彼を危険な目に遭わせたくないのだ。けれどジェフリーはふるふると首を横に振って引き金に指をかける。

「いいんです、ほら、あれを見てください。監視カメラです。ここで逃げてもどうせ俺は消されてしまいます。何もしないで消されるくらいなら、ジノさんの役に立って消されたいです」
「っ馬鹿野郎!そうやって軽く決めてるんじゃない!今すぐ逃げるんだ!そうしたらまだ間に合う!」

ルルーシュを早く助けたいとは思うが、何かを犠牲にするなんてまっぴらごめんだ。ジェフリーの腕は震えている、きっと怖いのだろう。怖いのならしなくていい、早くここから逃げるべきなのだ。手紙を届けてくれただけでも彼は恩人なのだから。止めろと怒鳴るジノに、ジェフリーは目を合わせないようにしながら話し始めた。

「ジノさん、あなたが最初に俺に話しかけて来てくれた時のこと覚えてますか?」
「はっ・・・?」
「軍に入ってまだ半年もしない頃でした。俺が演習で大失敗して夜に庭で落ち込んでた時、俺に声をかけてくれましたよね」

その日の演習はチームで分かれてのナイトメア実践演習だった。ナイトメアの操縦は苦手だったものの、頑張ろうと気合いを入れていたジェフリーだったのだが結果は全く駄目であった。前に移動しようとすれば後ろに下がる、銃を撃とうとすれば機体が回転し、敵を切ったつもりが自分のチームリーダーの機体を切っていた。仲間からも責められ、ジェフリーは自分の才能の無さに打ちひしがれていた。誰もいない夜の庭園でぼうっと噴水を眺めながら落ち込んでいたところに通りかかったジノが声をかけたのだ。最初は不審人物かと思い声をかけられたのだったが。当たり前だ、あんな時間にあんな場所にいる兵士がいるわけがないのだから。

『そうか見回り兵だったのか、すまない』
『いえ、ヴァインベルグ卿に不要なことをさせてしまい申し訳ありませんでした』
『まあ気にするなよ。それより、どうしてこんなところに?』
『それは・・・』

ジェフリーは演習で失敗してしまい落ち込んでいたことをジノに伝えた。ナイトオブラウンズと話すだけでも緊張するのに、こんなことを言ってしまってはきっと呆れられるのだろうなと思っていたジェフリーだったがそれはジノの笑い声で飛ばされてしまった。

『あはは!そんなことで落ち込んでいたのか!そうか、今日の演習のあのナイトメアは君が操縦していたのか!』
『み、見ていらしたんですか!?』
『ああ、上の方から少しだけ見させてもらったよ』
『そう、ですか・・・』

あの演習を見られていたと分かりジェフリーはあまりの恥ずかしさに涙が溢れてしまった。自分の弱さと不甲斐なさを憧れであったナイトオブラウンズに見られてしまっていたのだ。悔しさや苦しさからジェフリーはわっと泣き出してしまった。突然子供のように泣き出したジェフリーにジノは自分が泣かせてしまったのかとオロオロとし、背中をポンポンと叩きながらこう言った。

『そんなに落ち込むことはないさ、誰にだって失敗はあるだろう?』
『う゛ぅっ、で、も、俺、いつも、うまくできなぐで・・・いぐら、練習しだって、だ、駄目で・・・』
『人は成長するものだ、きっとこれから変わっていく』
『で、でも・・・』

ウジウジと自分の弱さを気にするジェフリーはジノの言葉を無理だ無理だと拒絶する。何を言っても聞かないジェフリーにジノは、ジェフリーを目の前の噴水へ投げ入れた。静かな庭園に似合わない水音が響き、深さも結構ある噴水からジェフリーは顔を出した。縁にしがみつき鼻に入ってしまった水に咽ぶ。

『な、なにするんですか!』
『うるさい!そうやって自分はダメだと決め付けて諦めるな!』
『ッ・・・』
『何のために軍に入ったんだ?そうやって落ち込むために入ったわけではないだろう?失敗したからといって何もかもを諦めるなんて愚か者のする行為だぞ。確かに君は弱い、けれど。』

ジノはジェフリーの目の前まで来るとそっと手を差し出した。

『君は自分の弱さを分かっている。それだけで、人は十分に強くなれる。そうだろう?』

ニコリと笑ったジノと差し出された手を交互に見つめ、ジェフリーは強く返事をしてその手を握り返した。それからジノとジェフリーは知り合うようになり、ジェフリーがメイドのナタリーを好きだと言った時にはこっそりと仲を取り持ってくれた。あの日からジェフリーの目標はジノになった。

「ジノさんにとっては些細なことだったのかもしれません。けど俺にとって、あの時差し出してくれた手は救いの手だったんです」
「ジェフ・・・」
「あの時、いや、今までもずっと俺はジノさんに助けられてきました。だから、今度は俺が・・・!」

ジェフリーがしっかりと銃を構える。ジノはハッとして、ドンドンと透明な壁を叩きジェフリーを止めさせようと大声を出した。あの時ジノがジェフリーに言った言葉は、先ほどの自分に言える言葉だった。ルルーシュを助けることを諦めていた自分、それをジェフリーはあの手紙を持ってきたことで目を覚まさせてくれたのだ。頼むからやめてくれとジノは懇願する。だがジェフリーは何も言わず引き金を引く指を強くしていった。打ってからは時間がない。すぐに異変に気づいた誰かがここに来てしまう。ジノは叫んだ。

「ジェフリーッ!!!」

ジノの叫ぶ声を掻き消すようにして銃弾は放たれた。乾いた音の銃声が連続して響き渡り、続いて何か硬い物が割れるような音が鳴った。至近距離での発砲に音は壁で少し薄まったもののジノは両手で耳を塞ぎギュッと目を閉じた。銃弾を何発も打ち込まれたパネルは不気味な電子音を上げながらバチバチと電気を発している。ジェフリーがダメ押しに銃のグリップの底でパネルを強く叩いた。パネルは小さな爆発音を立てながら煙を上げ、そしてジェフリーとジノを区切っていた透明な壁が頭上へ上がっていく。部屋全体が揺れるような振動にジノが目を開くと透明な壁は完全になくなっていた。

「ジノさん!早く!」

けたたましいサイレンが辺りに鳴る。パネルの異常に警報装置が感知したのだろう。ジノは牢屋から飛び出るとジェフリーの手を掴んだ。え?と驚くジェフリーを無視しジノはそのまま走りだした。ジノの速い足についていけないジェフリーが前に転びそうになりながら必死についていく。

「ジノさん!?手を放してください!」
「お前も来い!ここに居たら、お前は捕まってしまう!」
「俺がいたら足手まといになります!その手を」
「嫌だ!」

出入り口へ向かって一直線に走る。大切なことを思い出させてくれた彼を見捨てるわけにはいかなかった。幸いまだ誰も駆けつけていないようですぐに監獄エリアからは脱出できた。急いでルルーシュの元へ向かわなければならないが、ルルーシュは何処にいるのだろう。ジノとジェフリーは監獄エリアの出入り口から少し離れた場所まで来ると足を止めた。

「っはぁ、っはぁ・・・ど、どうするですかこれから・・・」
「ルルーシュの居場所を探さなくちゃならない。ジェフ、何か知らないか?」
「えぇっ?・・・っは、そうですね、はぁ、確か・・・・・・ああ、そうでした。皇帝陛下がどうのって言っていたような」
「皇帝陛下?・・・まさか、あそこで?」

確かにルルーシュ一人のために処刑場を使うわけにはいかないだろう。あそこは人目につきやすい場所にある。ジェフリーの聞いた皇帝陛下という言葉に、ジノは皇帝陛下の間かと閃いた。だとしたら時間がない。この場所から皇帝陛下の間までは少し距離がある。ジノはきょろきょろと見回し再びジェフリーの手を掴んだ。ずいずいと引っ張りながらある部屋の前で立ち止まり、扉を開けるとその部屋にジェフリーを押し込んだ。第17資料室、滅多に人が入ることのない部屋だ。

「わっ、ジノさん!?」
「ジェフ、お前はここで待っててくれ。必ず後で迎えに来るから、絶対にここを出るなよ?」
「ジノさん!これ持ってってください!」

扉が閉まる直前ジェフリーがジノに向かって何かを投げる。反射的に受け取ったそれは先ほどジェフリーが使った銃と補充用の銃弾だった。思えば今の自分は丸腰状態だったことに気づきジノは扉越しに礼を言う。答える様に扉がコンコンと叩かれ、ジノはポケットからラウンズのカードキーを取り出し扉にロックをかけた。

「ありがとう、ジェフ」

銃に銃弾を込め、ジノは内ポケットに銃を隠した。できるならばこれは使いたくはない。しかし万が一ということもある。ふぅ、と息を吐いてから踵を返す。ここからは気を張っていかなければならない。グッと足の裏に力を入れジノは皇帝陛下の間へ走り出した。







「愚かな息子よ、何故お前はブリタニアを憎むのだ。お前の中に流れる血は、ブリタニアの純血だというのに」

ブリタニア帝国皇帝シャルル・ジ・ブリタニアは久し振りにまみえた息子にそう言い放った。皇帝陛下の間として作られたこの場所には3人の人間しかいない。赤い絨毯に顔を押し付けられながら四つん這いで蹲るルルーシュ、ルルーシュの頭を鷲掴み床へ押し付けながら皇帝に片足を跪かせるスザク、そしてその二人を見下ろすように玉座に座るブリタニア皇帝。ルルーシュは目だけでじっと皇帝を睨んでいた。何も言わず、ただ、訴える様に睨むだけ。微かな布ずれもはっきりと聞こえるくらいの静寂の中、それを破ったのは皇帝だった。

「愚かなりルルーシュ。その呪われたギアスにより、その身を形成する遺伝子に逆らおうとは。だが、遊びはもう終わりだ」
「母さんを見捨てたくせに、俺を、ナナリーを捨てたくせに・・・!」

ルルーシュがそう皇帝へと唸る。反逆の種を生み出したのは貴様の業なのだと、ルルーシュは激昂した。しかしルルーシュが何かを言おうとすれば頭を押さえつけるスザクの手の力が強くなる。不安定な体勢で肺が潰され息苦しく、ルルーシュは僅かに呼吸を乱した。

「ルルーシュ、君は、君自身が行ってきたことの罰を受けなければならない」
「罰?そんなものいくらでも受けてやるさ。だが、受けたところで何かが変わるのか?世界は変わらない、何故分からないんだスザク!」
「っその身勝手さでどれほどの人が傷ついたと思っているんだ!」

言い争う二人を皇帝は冷ややかな目で見下ろしている。ルルーシュが自由でない手足をバタつかせ抵抗をするので、スザクはルルーシュの頭を一度引き上げると叩きつけるようにして床に振りおろした。ゴツリと骨がぶつかる嫌な音が耳に聞こえてきた。衝撃でくらくらする視界にルルーシュが大人しくなる。

「僕が、君を殺す。君を殺したらC.C.も何らかの動きを見せるだろう」
「ハッ・・・あいつにとって、俺は・・・ただの・・・共犯者でしかない・・・何も起こるわけが・・・ない、さ・・・」
「死ぬのが嫌なのかい?それとも、また記憶を書き換えられて嘘をつき続ける方が君にはお似合いなのかな」

スザクは皇帝のほうをチラリと見る。皇帝は渋い顔をしたまま何かを言いかけたが、口を閉じ一度だけゆっくり頷いた。それを見たスザクは立ち上がるとルルーシュを足で転がし仰向けにさせる。鎖骨へと足を乗せ固定させると、腰に下げていたエストックをゆっくり引き抜いた。スラリと伸びた刃が銀色に輝き照明に反射して光る。細い切先をルルーシュの喉仏を刺す様にしてギリギリの所で止めた。数ミリの距離しかない刃と肌の空間が不安定に揺れる。

「君の死をもって僕は前に進む、さよならだルルーシュ」

決別の言葉をルルーシュに向け、スザクは剣を両手で握った。ルルーシュの心臓の真上へと切先を移動させ高々と腕を上げる。ルルーシュはとうとう己の最後を感じ身体の力を抜いた。目を瞑り覚悟するように手を軽く握る。これで自分の人生が終わるのだと思うと、なんだか呆気ないなとルルーシュは思った。これまでの過去が脳裏に思い出されると、苦しかったことが全て今なら許せる気がした。後悔ならばたくさんある、ナナリーの残して逝ってしまう自分は兄失格だ。それに、スザクには辛い思いばかりさせてしまった。ここでまた殺すことでスザクの中の罪はきっと重くなる。彼は、スザクは本当はやさしい人間だとルルーシュは分かっていた。そしてそれを狂わせてしまったのは自分だとも分かっていた。ああ、最後に、せめて最後に。スザクが腕を振り下ろしたと同時にそれは呟かれた。

「すまないスザク、本当に、すまなかった」

スザクの耳がそれを捉えた瞬間、皇帝陛下の間への扉が勢いよく開かれた。いや、開かれたのではなく壊されたというのが正しい。ロックのかかっていたはずの扉はベコリと大きくへこんでおり、その扉の向こう側には長身の人影が。

「ルルーシュッ!!!」

その呼び声にスザクだけでなくルルーシュも肩を震わせた。スザクの剣はルルーシュの服に突き刺さっている。肌には、届いていなかった。聞き覚えのある声にスザクが振り返ると、そこには銃を構えたジノが立っていた。銃を構えたまま駆け寄ってくるジノに、スザクが腸が煮えくりかえるような怒りを感じた。また邪魔をするつもりなのか。

「ッ来るな!!!」

スザクは叫ぶと、ルルーシュの髪を掴み無理やり立たせるとその首に刃を突きつけた。ルルーシュが痛みに声を漏らし、ジノは足を止めることを余儀なくされた。しかし銃は構えたまま、間合いを計りながらジノは片足だけを一歩け下げた。拘束されたルルーシュの姿にジノがギリリと歯を食いしばる。

「ジノ・・・どうして僕の邪魔をするの?」
「邪魔なんかしてない。ただ、ルルーシュを助けに来ただけだ」
「ルルーシュを?ハッ、おかしいね。このルルーシュは君の知っているルルーシュじゃないんだよ?ねえ、ルルーシュ?」

剣の刃でスザクがルルーシュの顎をクイと上げた。覗きこむ様にしてスザクがルルーシュを見れば、ルルーシュはふるふると唇を震わせる。怯えきったそのルルーシュの顔にジノは天井に向けて一発銃を発砲した。銃声に驚いたルルーシュがぎゅっと目を瞑り、小さな照明が天井から落ちて割れた。

「そんなこと、知っている。」
「なに・・・?」
「けれど、ルルーシュはルルーシュだ。たとえルルーシュが過去に何をしていようが私の愛したルルーシュは、そこにいる彼ただ一人だけだ。」
「ジノ・・・っ」

心を刺すような言葉にルルーシュが堪らずジノを呼んだ。今の自分を認めてくれるというのだろうか。しかしジノの言葉にスザクは激怒した。

「ふざけるなッ!何も知らないくせに、ルルーシュのことを何も分かってないくせにそんなことを言うな!」
「そうさ、私は何も知らない。けれどスザク、お前は分かっているのか!?ルルーシュのことを!」
「ふ、ははは・・・当たり前じゃないか。ルルーシュは僕のものなんだ、何もかも分かっているさ!」

そう本気で言うスザクを見てジノは違うと心の中で思った。スザクはルルーシュばかりを見ていたばかりに、自分の見ているルルーシュが己の心が生み出したものだと気づいてはいないのだ。人間は物ではない、変化し続ける生き物だ。スザクは、ルルーシュはこうであると決め付けてそれをルルーシュへと押し付けている。拒絶しないルルーシュのせいでそれが本物だと錯覚し、悪循環を作り出しているのだ。ルルーシュがスザクを拒絶しない理由、それは2人の過去にあるのだろう。きっと最初はお互いの優しさだったはずだ。いつしかそれが歪に壊れ、この結果になってしまったのだ。こんなのは間違っていると、首を横に振った。

「違う、スザク。分かっているとか分かっていないとか、そうじゃないだろう?」
「君は裏切られたことがないからそんなことが言えるんだ。僕はルルーシュに酷い裏切りをされたんだよ・・・それを僕は許せない」
「裏切り・・・?」

ジノが訝しげに見ていると、スザクはおもむろにルルーシュの左目に巻いてあった眼帯の紐を剣先で切った。ハラリと眼帯がルルーシュの頭から外れ、閉じられていたルルーシュの片目がゆっくりと開いていく。いったいなんなのだと不思議に見ていたジノだったが、ルルーシュの左目に煌々と光るその赤色に目を見開いた。右目は透き通るようなアメジストなのに、左目は血のように真っ赤なルビー色に蠢いていた。

「なっ・・・!」
「この瞳を見てごらん、僕を裏切ったのはこの瞳なんだよ」

チョンチョンとルルーシュの涙袋を刺しながらスザクが蔑む様に笑う。ルルーシュの赤い瞳には何かの模様が刻まれており、まるでノイズ混じりのようにざわついている。あんなに綺麗だった左目の紫は何処へ行ってしまったのだろうか。ただ色が赤いというだけなのに、ジノはその瞳に只ならぬものを感じた。しかしその瞳がスザクとどう関係があるのだろう。

「ルルーシュはこの瞳でたくさんの人を殺したんだよ。ね?」
「っ・・・」
「殺した・・・って、どういうことなんだ」

全く意味が分からない。瞳で人が殺せる筈がないとジノはスザクは正常なのかと疑った。しかし反論をしないルルーシュはそれが正しいとでも言うように口をぎゅっと噤んでいた。理解のできていないジノを憐れむ様にスザクは言った。

「君には理解できないだろうね。この瞳でどれだけの人が来るんだと思う?僕をずっと騙しつづけて、ルルーシュは僕を裏切ったんだ!」
「スザク、俺は」
「ルルーシュ、喋ったら駄目じゃないか。ああそれとも、ジノにもギアスを使うつもりなの?」
「違う!俺は・・・っ!」
「嘘は嫌いだよ。」

剣がルルーシュの首を浅く切りつけた。スゥと剣を引けばルルーシュの白い肌から血が流れ出し、首筋を伝って拘束着に赤い模様を作っていく。喉を潰すのではないかとジノは銃をスザクへ向けたが深く傷つけるつもりはないらしく、スザクは刃に付着したルルーシュの血を振り払った。

「ルルーシュは嘘つきなんだ。ジノも騙されているんだよ。」
「・・・なぁスザク。やっぱり、お前は間違ってるよ」
「なんだって?」
「私はスザクとルルーシュの間に何があったのかは知らない。昔の二人は知らない。けど」

ジノが向けていた銃を下ろす。そしてそのまま銃を近くへと投げ捨てた。ジノの行動にスザクは驚いてジノの顔を見る。ジノの表情は何処か悲しげで、それはスザクの友人としてのジノの顔だった。スザクを睨むようにして銃を構えていたジノが急にガラリと態度を変えたことにスザクは何かの策ではないかと身構える。しかしジノに策などあるはずがなく、訴える様に口を開いた。

「スザク、ルルーシュが嘘つきだと知っていたのなら何故裏切りも嘘だと思わなかった?」
「・・・!」

スザクの息が止まった。裏切りが嘘なんて、そんなはずはない。だって彼はその手でその口で裏切り続けてきたのだから。何を馬鹿なことを言っているんだとスザクは狂ったように笑った。ジノの言葉に反応したのはスザクだけではなかったが、誰も変化には気づかなかった。玉座に座るその人物の顔つきが変わる。玉座を背にしているスザクにはその表情が見えるはずがない。

「呆れた!そんなことがあるわけがないだろう!」
「お前は、お前が傷つけられたから裏切りだと言ってるんじゃないのか?」
「・・・違う、違う違う違う!ルルーシュは僕を裏切って・・・!」
「ッそうなるまでの過程をお前は知っているのか!?過程が大切だと言っていたのはお前じゃないかスザク!」

結果よりもその過程が大切だと確かにスザクは考えていた。けれど、結果を重視するルルーシュが過程を考えてるとは思わなかった。しかしルルーシュが過程を考えていたのならば、あの行動は選んでしたものだということだ。ならば尚更最悪ではないか。スザクは怒りにまかせて言葉を発した。

「うるさいうるさいうるさい!ルルーシュはユフィを殺した!シャーリーのお父さんも、みんな、ルルーシュが!」
「っ!?」
「ルルーシュは嘘つきだ!全部全部全部、ルルーシュの言葉に本当なんてない!!!」

再びルルーシュの首元に刃を突きつけたスザクは頭を振り乱す。スザクは明らかに混乱している。いつその刃をルルーシュに突き刺してもおかしくない状況にジノは舌打ちをした。

「スザク!」
「ルルーシュは僕が殺す!僕だけのものだ!ジノに取られるくらいなら、僕が!!!」

スザクが剣をルルーシュの腹に向ける。ルルーシュの後ろに回ったスザクがそのままルルーシュを貫くならばスザクも無事では済まない。ジノは思わず駆け出した。手を伸ばし止めさせようとするが・・・間に合うか?いや、間に合わない。もう少しなのに、この腕がもう少し長ければ。まるで世界がスローモーションになったかのようにゆっくり流れていく。もう駄目だとジノが絶望しかけたその時。

「枢木ィィィ!!!」

空気をビリリと裂くような大声。フッと影が射しスザクが後ろを見ると、玉座に座っていたはずの皇帝がそこに立っていた。マントと大きくバサリと広げスザクを見下ろしている。憐憫に溢れたその表情にスザクはどうしてと呟く。皇帝の両目に光る鳥が今まさに羽ばたこうとしているではないか。スザクの手から剣とルルーシュが滑り落ちる。剣は剣先を床に跳ねさせて両脇の大理石の床にカラカラと揺れた。無理な姿勢でずっと立たされていたルルーシュは崩れ落ちる様にして絨毯の上へ倒れた。両腕を拘束されているため手がつけず頭から床に激突しそうになったルルーシュをジノが間一髪で受け止めた。ジノの腕の中でルルーシュは皇帝とスザクを見上げている。ジノもルルーシュの視線の先を追い二人を見上げる。スザクは。

「もう良い。お前は・・・」

まるで父親のような優しげな言葉だったそれは、赤い鳥を脳に受けたスザクに届いたのだろうか。





「ほらルルーシュ、お腹出して」
「っこれくらい自分で出来る!」
「はいはい、いーからいーから」

ジノはルルーシュを後ろから抱き込む様にして座りシャツの前をプチプチと外していった。子供扱いするなとルルーシュは怒るがジノは無視し、現れたルルーシュの白く薄い腹に残る痣を撫でた。スザクが思い切り蹴ったそこは固い靴先のせいで痣になってしまっていた。ジノは脇に置いた救急箱から大きめのシップを取り出しルルーシュの腹に貼る。ひんやりした感触にルルーシュが息を詰めるのが分かった。端から剥がれないように紙テープでしっかりと止めると、他に傷がないか確認していく。さわさわと触られる感覚がくすぐったくてルルーシュはジノの手の甲をペチンと叩いた。

「くすぐったい」
「まぁまぁ。怪我人は大人しくしてなって」

ジノの指がルルーシュの頬に貼ってあるシップを突いた。スザクに叩かれた痕があとから腫れあがってきてしまったのだ。ルルーシュは言いたいことがたくさんあったが、ケロリとしているジノの前ではすっかり緊張も解けてしまった。ジノの部屋、ジノのベッドの上で二人して何をしているのだろうと思ってしまう。ぼんやりと窓の外を見ていたルルーシュは急にひょいとジノに持ち上げられるとそのまま向かい合うように座らされた。靴を脱いだジノの逞しい脚がルルーシュを逃がさないというように挟んでくる。何をするんだと言いかけたルルーシュは、ジノのその真剣な表情にヒュっと息を吸い込んだ。見つめ合い、沈黙が流れる。

「・・・ルルーシュ」
「すまない・・・何から話せばいいんだろう。お前には迷惑をかけてしまった」
「いいんだそんなこと。それより、手紙読んだよ。」
「っ!」
「書いてあることは本当・・・なんだよな?」
「・・・あぁ」

手紙のことなど頭から抜けていたルルーシュは、今更あの内容が恥ずかしく思えてしまった。もう二度と会うことがないからと言いたいことを書いたのだが、まさかこうしてまた話せることになるとは思ってもいなかったのだ。思わず視線を逸らしたルルーシュの頬をジノが優しく掴む。自分のほうへ向かせるようにして力を入れるとルルーシュはおずおずと視線を合わせてきた。ルルーシュの左目は紫色に戻っている。それは、皇帝陛下から渡されたものだった。

「なあルルーシュ、スザクは・・・」

あの後、スザクはバタリと倒れてしまった。皇帝を見て急に倒れてしまったスザクにジノは驚いたが、ルルーシュはどうしてだと皇帝を見ていた。皇帝はルルーシュとジノを交互に見て何かを言いたそうにしていたが何も言わず、去り際にルルーシュにだけ向けてこう言った。

『妹が大事ならば、大人しくしておけ』

そして皇帝が去りただ呆然としていたジノ達は何処からともなくやってきた皇帝の部下達によって退却させられた。その際に部下の一人がルルーシュに小さな箱を渡した。中にはコンタクトレンズのようなものが入っており、それがなんなのかはジノには分からなかったがルルーシュには分かったようだ。スザクは担架に乗せられ何処かへ運ばれて行ったが、行き先は医務室ではないらしい。スザクはどうなってしまったのだろうかとジノは心配だった。

「俺の考えが正しければスザクは無事だ。ただ、どんな状態で戻ってくるのかは俺にも分からない・・・」
「そう、か・・・」

とりあえず戻ってくるということは安心した。しかし、どんな状態で、とは気になる言葉だ。きっと何を話すべきかと迷って泣きそうになっているルルーシュをジノは頭を撫でて落ち着かせる。大きな掌がルルーシュの髪に触れると、ルルーシュは肩の力を抜いた。

「ジノ、これからする話はお前を傷つけてしまうかもしれない。それでもいいか?」
「いいも何も、私はルルーシュのことが知りたいよ。知るのは怖くない。」
「・・・ありがとう」
「でも話す前に一つ聞いていいか?」
「なんだ?」

ジノはふうと息を一つ吐いて、ルルーシュを見た。

「ルルーシュは私のことを、どう思っている?」
「なっ・・・!お前、そ、それは」

ルルーシュの頬がだんだんと赤くなっていく。ジノが訊いているのはきっと手紙に書いたことなのだろうと、ルルーシュは恥ずかしさでいっぱいになった。答えは自分の中でとっくに出ている。けど、それを口にするのはあまりにも恥ずかし過ぎる。慌てふためくルルーシュはブンブンと首を横に振るが、ジノは宥める様にルルーシュに言った。

「お願いだ、言葉でちゃんと言ってくれないか?そうしないと私は不安になってしまうよ」
「で、も・・・」
「ルルーシュ、私は君を愛している。」

耳元で囁かれルルーシュは思わず俯いた。愛を囁かれることなど初めてで、どうしたらいいのか全く分からない。耳まで真っ赤になったルルーシュをジノは緩く抱きしめてそのこめかみにキスをする。ルルーシュの答えをゆっくりと待つジノに、ルルーシュはゆるゆると顔を上げた。至近距離に見えるジノの整った顔。癒すように微笑まれ、ルルーシュは口を開きかける。が、すぐに閉じた。そして言葉の代わりに自分の唇をほんの一瞬だけジノのそこへと押しあてた。

「っ!」

すぐに離れていってしまった顔にジノは驚いた。そして自分の唇に触れた微かな感触に口づけされたのだと理解する。ふわりと羽根が触ったかのような本当に軽いそれ。しかし言葉の代わりとしては十分すぎる返答にジノはルルーシュの唇に噛み付いた。ぐいと引っ張られバランスを失ったルルーシュの身体がジノの腕の中に収まる。ぎゅうぎゅうと抱き潰すのかと思うくらいの力で抱きしめられルルーシュはバシバシとジノの背中を叩いた。しかしジノがそう簡単に放してくれるはずもなく、やっと解放されたのは長すぎる口づけを堪能された後だった。ルルーシュの濡れた唇とジノの親指が拭う。

「っはぁ・・・」
「ルルーシュ・・・」

脱力してしまったルルーシュをジノが抱えなおす。ルルーシュはジノの胸板に顔を預けるとその温かさに胸がいっぱいになるのを感じた。まだ全てが終わったわけではない。ナナリーのことやスザクのこと、ギアスのことや黒の騎士団のこと。まだまだやらなければいけないことはたくさんある。しかし、一つの終わりをジノと迎えられたことにルルーシュは涙が出そうだった。

「ジノ・・・そうだな、まずは、昔話からしようか」

これから先に何が起こるのか、それは誰も分からない。けれどこの先を、大切な人達を傷つけないためにも、ルルーシュは歩まなければならなかった。ジノの髪を撫でてくれる手の大きさを感じながらルルーシュはゆっくりと話し始めた。




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DNAシリーズ ジノルート終了です。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
以下補足説明です。
・戻ってきたスザクは今回の騒動の記憶を消されておりルルーシュとの記憶は変わらないものの、ルルーシュはジノの慰み者として監視されているという記憶になっている。
・皇帝はあまりルルーシュを殺すつもりはなかったがスザクが強く殺したいと言っていたので殺すことにしていた。けれどジノとの会話で嘘や信じるといったことに昔の自分を思い出した。
・すっかり存在を忘れられていたジェフリーは次の日に救出され、ジノの手配で罰を免れた。