「それで、事と次第によっては上に報告しなくてはいけないのですが・・・」
「いや、それは大丈夫だ。貴方が思っているようなことではないからな」

女性医師はその言葉を聞いて目をぱちくりさせたあと、そうですかとだけ言った。手元の書類に何かを書きこむ素振りをして、点滴の速度調整をするとそのまま女性医師はカーテンを捲って出て行った。カーテンで仕切られただけの狭い空間だが、それでもやっと他人が出て行ったことに肩の力を抜いて、ジノは傍にあった小さな丸椅子に座った。ベッドで眠る人物の顔を眺めると、その青白い顔色に胸が締め付けられる。厚いブランケットの上に乗っている右腕。細い腕に刺さる点滴と、ぐるぐるに巻かれた包帯。今はブランケットで隠れて見えない左腕にも包帯が巻かれているのだろう。ガラスの破片は細かいものが多く深い傷にはならなかったのだが、広範囲で傷を負ったため手首から肘にかけて包帯が施されている。今はすやすやと眠るルルーシュに安堵したのも束の間、カーテンの向こう側に数人の人影が見えた。医務室なのだから誰かが居るというのはおかしくはないが、その人影はカーテンの前でわざと止まっている。微かに聞こえてくる話し声にジノが耳を傾けると、その話の内容に眉を寄せた。

『おい、ここなのかよ?』
『多分な。でも実際どうなのかは・・・』
『ラウンズの慰み者なんだろ?ちょっとくらい見るだけならいいじゃねぇか』
『でもラウンズの物に手ぇ出したらまずいんじゃねぇの』
『だーかーら、見るだけだって、な? それに慰み者なんて誰にでも足開くんだろ』

最後の一言に、気づいたら手が動いていた。真っ白なカーテンを乱暴に開く。カーテンを繋いでいたレールの悲鳴と共に、カーテンの前に立っていた兵士達が振り向く。開かれたカーテンに驚いたのか、それともカーテンの向こうから出てきたジノに驚いたのか、そこに居た兵士達はビクリと身体を震わせた。人数は4人、ブリタニア軍は兵士の教育を間違っているのではないだろうか。ジノは見るものが慄くほどの冷たい笑顔を兵士達へ向けた。

「怪我人がいるからさぁ、静かにしてくれないか」

有無を言わせないその口調。いつもの陽気な彼とはあまりにも程遠いその様子に兵士達は顔を真っ青にして敬礼だけすると、すぐさま医務室を出て行った。兵士達の後ろ姿を睨みながらジノはカーテンを静かに閉めた。ふう、と息を吐いて椅子に座る。色々なことがありすぎて少し疲れてしまった。

「・・・ルルーシュ」

名前を呼ぶ。ルル―シュは眠っているので勿論返答はない。返答を期待して呟いた言葉ではなかったのだが、やはり何も返ってこないと少し寂しい。手を伸ばしてルルーシュの目にかかっている髪を払ってやる。そのまま頬に手を当てて撫でると、ひんやりとした肌の温度が感じられた。まるで死んでいるように冷たい。陶器のようになめらかな肌を指でなぞるとルルーシュの瞼が一瞬だけピクリと動いた。

「ッルルーシュ?」

まさかと思い身を乗り出して名前を呼んだ。手を止めて様子を見る。しかし暫くしてもルルーシュの目が開くことはなく、ただの勘違いだったのかとジノは肩を落とした。

(まだ目は覚まさない、か・・・)

あれから1日間が経った。ルルーシュは気を失ってから今まで一度も目を覚ましてはいない。検査などから薬などをしようされたわけではないことは分かったが、何か精神的なダメージのせいで意識を取り戻すのが遅れていると女性医師は言っていた。あの時、ルルーシュを抱えて医務室に飛び込んできたジノを、女性医師は慣れた手付きで落ち着かせすぐさまルルーシュの治療に取り掛かった。主な外傷はガラスの傷だけだったのだが、ジノに錯乱していたと聞き医師はすぐに血液検査をした。血液検査の結果は、軽度の栄養失調のみだった。とりあえずは栄養剤と精神安定剤を投与して様子を見ている状態なのだ。しかし、ルルーシュの身体に出来ている"ガラスの破片で出来て以外の傷"に女性医師はやはり気づいてしまったらしい。女性医師が気づいたであろうことにジノは、それはしょうがないなと思う。シャツ一枚と下着だけという、格好からしてもルルーシュの状態は普通ではない。そのうえ性的な傷があれば、そういうことをされたと思われてもおかしくはないのだ。それについてはとりあえず否定しておいたが、実際のところは分からない。スザクの所有物、そういうことを目的とするための人物だとしてもレイプ紛いの行動は問題があるのではないか。

(いや、それを決めるのはルルーシュだ。私が決めることではない)

侵入者を目撃したということでジノは一通りノネットに事情を聞かれた。ノネットの問いかけに個人的に都合の悪い部分は誤魔化して、あとは本当のことを言った。突然ガラスの割れるような音がスザクの部屋から聞こえ、扉が開かなかったのでスザクの了承を得て扉を壊したら侵入者が居たと。だいたい、ナイトオブラウンズの一人なのだから本当は事情など聞かれなくてもいいのだが、そうはいかないわけが一つだけあった。ルルーシュである。スザクは隠していないと言っていたが周りの人間の殆どがルルーシュの存在を知らないのは明らかだ。あの人物は誰なのかと聞かれ、ジノはつい言葉にするのを躊躇った。できればルルーシュの存在は死られたくなかったし、スザクの慰み者だと自分の口で言うのがなんとなく辛かったのだ。そう考えてしまい口籠っていると、後ろから言葉を投げかけられた。

『彼の名前はルルーシュ、僕の慰み者です』

スザクであった。慰み者だと言われ、ノネットだけではなく周りにいた兵士達もとても驚いていた。もちろん驚いたのはジノもだ。今まで隠してきたくせに、突然こんな人がいる前でルルーシュの存在をバラしたのだ、驚かないわけがない。驚きと共に沸く疑問にジノがスザクを凝視すると、スザクは何処か吹っ切れたような笑顔でジノを見返してきた。ルルーシュは自分のものだと怒り狂っていたスザクは既に居らず、急に変わってしまったスザクの態度にジノはますます訳が分からなかった。侵入者を追ったスザクは結局、侵入者を捕まえられなかったらしい。庭園の中に逃げ込まれてしまい見失ったのだとスザクは言う。動体視力が並みの人間じゃないスザクが見失うなど信じられなかったが、確かにあの広い庭園に逃げ込まれてしまえば、探すのは至難の業だろう。木々や草花が多く死角になるところが多すぎる。とりあえずそれの報告と壊してしまったスザクの部屋の修理についてなど事務的な書類を書いて、それで今のところは落ち着いている。

「・・・どうするかなぁ」

侵入者の正体と目的。分かっていないとは上に報告したものの、ジノは正直あの侵入者の目的はルルーシュとしか思えなかった。でなかったらわざわざスザクの部屋から侵入しないだろうし、それにルルーシュが目的では無かったら普通は大声を出される前に殺すか拘束するだろう。でも侵入者、あの女はそれをしなかった。スザクは明らかにあの女のことを知っているはずなのに、報告では何も知らないと言っていた。正体を知っていながら何故隠すのか?やはりどれも考えられる原因はルルーシュしかない。よく考えてみるとジノはルルーシュの詳しいことを何一つ知らなかった。スザクの慰み者で、ここに来る前にはエリア11に居て、過去にスザクと何かがあったくらいまでしか知らない。だいたい、まだ会って長くないのだ。長くないのにジノはルルーシュを好きになってしまっていた。まだあまりよく知りあってもいないのに身体を重ねて、その上好きだと囁くなんて、ルルーシュは軽い男だと思っているだろうか。いや、普通なら思うだろう。そう思われているかもしれないと分かっていながら、ジノはルルーシュへの気持ちを抑えられずにいる。

「一目惚れ、だったのかな」

ぽつりと呟く。ルルーシュの顔を見ながら考え耽っていると、ポケットにしまっておいた携帯が震えた。消音にしておいてよかったと携帯を取り出せば、画面に表示されたメールマークにそれがすぐにアーニャからのものだと分かった。電話を好まないアーニャは何か連絡があるとすぐにメールを送ってくる。ジノとしては電話のほうが手っ取り早くて好きなのだが、アーニャはあまり話すのが好きではないらしい。まさか任務が入ったのではないだろうなと嫌な予感を抱えつつメールを開く。

「げっ・・・」

内容は、ある意味任務よりも嫌なものだった。書類仕事がまだ残っているから戻って来いとノネットが怒っているという旨が書いてあり、ジノは大きなため息をついた。すっかり忘れていたが自分は仕事中だったのだ。昨日はあの後仕事になんて戻れるわけがなく、そのまま後処理に回っていたが一日経てば溜めていたものは押し寄せてくる。どうしてもルルーシュの様子が気になって何度も何度も医務室へ足を運んでしまうが、来るたびに目を覚ましていないルルーシュにそわそわしてしまう。できることならばつきっきりで傍にいてやりたい、だが、自分はナイトオブラウンズなのだ。軽々しく仕事を放棄できるほど、ラウンズの名前は軽くない。

(きっとスザクだって)

傍に居てやりたいと思っているのだろう。なんとなくタイミングがずれてスザクと二人で話す機会がなかなか得られないのだが、ルルーシュのベッドの脇に置かれている新しい服を見たところスザクも医務室には来ているようだ。何度も来ているがスザクとここで会わないなと思う反面、ここでは会いたくないなとも思う。ルルーシュを好きな者同士、こんなところで会っても気まずいだけだ。今はまだ三人とも自分の気持ちの整理もよくできてないと思う。携帯を仕舞い立ち上がると服の皺を整えた。またあとで来よう、そう思いながらカーテンに触れる。目に焼きつけるようにルルーシュの顔を見た後、後ろ髪を引かれる思いでジノは医務室を後にした。





カーテンの閉まる音を聞いて、ルルーシュは瞑っていた目をゆっくりと開けた。ジノの気配がカーテンの傍から遠ざかっていき、扉の開閉音が聞こえた所でほっと息をつく。本当はジノが来る少し前から目覚めていたのだが、起きるタイミングを逃して寝たふりをしてしまった。さすがに医師は寝たふりには気づいていたようだったが、何も言わないでくれたようだ。それに起きたとしても脳を苛む頭痛と、やけに痛む右目でろくに会話もできなかっただろう。ここに運ばれてきた時の記憶はルルーシュにはなかったが、それでも身体を包むような温かさと自分の名を呼ぶジノの声だけは覚えているような気がする。そもそも、あの女が自分に触れてからの記憶がルルーシュには一切なかった。何か大きな衝撃が脳を襲ったのは覚えているのだが、それが何かまでは思い出せない。気がついたらここで寝ていたのだ。

(ジノ・・・)

久しぶりに声を聞いたが、やはり変わっていない。でも声に疲れが出ていたところを考えてみると、仕事が忙しいのだろうか。先ほどジノが触れた頬に手を当ててみる。まだジノの手の感触が残っているようで、ルルーシュはツキンと胸が痛む。ジノは何回もここに訪れてきてくれたようだが、ナイトオブランズだって忙しいはずなのに自分のためにこんなことろに来させてしまって申し訳がない。なんだかジノには迷惑をたくさんかけてしまっているようで、ルルーシュはジノに見せる顔がなかった。あのジノのことだから気にしてないと笑って許してくれそうな気もするが、本心ではどう思っているか。

(喉がかわいたな・・・)

目線だけで辺りを見回す。生憎何か飲めそうなものはない。代わりにルルーシュはすぐ傍の小さなテーブルに服が乗っていることに気づいた。見覚えのあるワイシャツ、スザクがいつも自分にくれていたものと同じもの。真新しいそれはきっちりと畳んで置いてある。

(スザクも・・・来てくれたのか)

そうだ、ジノだけではなくスザクにも迷惑をかけてしまった。そう気づいてルルーシュの気分は急降下した。なんて駄目な人間なのだろう自分は。囲われている身でありながら周りに迷惑をかけるなんて。このまま何処かに消えてしまいたい、そんな風に考えてしまうほどだ。枕もとにコードの伸びた小さなボタンのようなものが置いてある。コールのようなものなのだろうが、押すのは躊躇った。ジノと医師の会話は聞いていたから自分が今どんな状態なのかは分かっていた。喉の渇きくらいで誰かを呼ぶのも何だか小さなことな気がして、ルルーシュは渇きを紛らわすために唾を飲み込んだ。

(そういえば、あの女・・・)

『・・・思い出せルルーシュ、お前は』

触れる直前に女が発した言葉を思い出す。あの時は気が動転していてその言葉の不自然さに気付かなかったが、今改めて思うとおかしな言葉だ。まるで自分を知っているような口ぶり、いや、あの女は自分のことを知っている。名を呼んだのだ、ルルーシュと。以前に会ったのだろうかと記憶を辿ってみるが、思い当たることはない。でもあの女の顔は何となく見覚えのある気がした。見覚えがあるはずなのに何か分からない。思い出そうとすると頭痛が増して思考を邪魔するのだ。この頭痛と何か関係があるような気がしてならないが、今のルルーシュにはどんな関係があるのかまでは分からない。

(思い出せ、か・・・)

思い出す、その動作が最近やけに引っかかる。昔のことを思い出そうとすると起きる頭痛や、漠然とした記憶はあるのに細かいことまでは覚えていないこと。性行為にしたって、知識とこれまでの記憶は確かにあるのに身体がついていかない。身体と記憶におかしな差が生じているのだ。自分のことなのに自分がよく分からない。言いようのない不安ばかりが膨らむ。誰かに言うわけにもいかないし、言ったところで何かが変わるとも思えない。そもそも誰かなんて限られた人しかいないのだから、その"誰か"になる候補の人間を考えてみてもやはり言う気にはなれない。

(・・・目が痛い)

じんじんと目が熱を持っている。何故だか右目だけ痛い。頭痛だけでもやっかいなのに目まで痛み出して、なんだというのだ。でも頭痛の痛みとは違い右目の痛みは何処か、そう、懐かしいような気持にさせる痛みだった。何故痛みが懐かしさを感じさせるのかは分からないが、やけに右目が気になる。手元に顔が見れる道具ないので確認はできないが、もしかしたら腫れているのだろうか?触るだけじゃ、瞼は腫れと似たような感触がするので腫れているのかどうか分からない。ガラスの破片が瞼に刺さって炎症を起こしているという可能性もある。やはり医師を呼んだほうがいいのだろうか。

(いや、まずは休もう。もしかしたら休んだら痛みが治まるかもしれない)

痛いからと言ってすぐに言うのもなんだか子供っぽく、我慢できない痛みではないので今は我慢することにした。しばらく経ったら治っているかもしれないし、それに、今はなんだか一人でゆっくり眠りたい。考えなくてはいけないことはたくさんある。あの女が自分を知っていて、自分を狙って侵入してきたのなら、今度こそ厄介な奴だとスザクに捨てられてしまうかもしれない。そういうことや、あとはジノのこと。ジノに惹かれ始めていることにルルーシュは嫌でも気づいてしまった。あの優しげな目と温かな手に、スザクに対する好意とはまた違う好きが生まれてしまった。でもまだ引き返せるところにいる、これ以上ジノに近づいてしまったら本当に揺らいでしまう。スザクとジノ。自分には選ぶ権利なんてないのに、選ぶ立場になろうとしている自分が本当に嫌だ。浅ましい、愚かな人間だ。人が人を選ぶ、どうしても生々しく考えてしまう。そんなことを悶々と考えていたら、だんだんと眠気が脳を侵食してきた。じわじわと意識が遠のいていく心地よさに目を瞑ると、それからはあっという間だった。眠りに入る直前、ふと思う。

(前に見た変な夢、もう一度見れるといいな)

右目は痛いまま。





「あっ・・・」
「あ・・・」

開いたエレベーターの扉の向こうに、今お互いに会うのが一番気まずい人物が居た。開閉ボタンに手をかけたままエレベーターの中に居るジノがスザクの顔をやけに真剣な目つきで見ている。乗ろうか乗らないか迷う前にエレベーターの扉が閉まりそうになったのでスザクは思わずエレベーターに飛び乗った。狭くはないエレベーターだが、近い距離で二人きりというのはあまり変わらない。性能のいいエレベーターは物音ひとつ立てずに下降を始めた。ふわっと一瞬だけ身体が持ち上がるような浮遊感、でもそれもすぐにおさまる。無言のまま隣り合わせで、扉の上の階数ランプを見つめる。いつもより降りるのが遅いんじゃないのかと思ってしまうほど時間が長く感じられる。

「なぁ」

ジノが口を開いた。空気に緊張が走るが、スザクは階数ランプから目を離さずに返事をする。

「なに」
「ルルーシュ、まだ起きないんだってさ」
「知ってる」
「何か精神的なショックのせいかもしれないって」
「聞いたよ。まぁ、あんなことがあったからしょうがないかもしれないけどね」

淡々としたスザクの声に片眉を上げ、ジノは腕を組んだ。

「結構冷たいんだな」
「何がさ?」
「ルルーシュにだよ。もっと心配したっていいんじゃないのか」
「してるさ。でも、僕がいくら心配したって今の状況が変わるわけじゃない」

諦めとも取れるスザクの言葉にジノは驚く。それと同時に奇妙な違和感を感じた。やはり、何かが違う。前のスザクはルルーシュのことになるともっと、こう、追い詰められたような言葉しか吐かなかったはずなのに。

「・・・お前」
「ねぇ、ジノ」

ジノの言葉を遮るようにして、スザクがジノの方へ向いた。

「この前言いかけたこと、教えてあげようか」

ジノは思わず息が詰まる。 それはまさに今、スザクに聞こうと思っていたことだったからだ。見透かされたような気がして、不審な目でジノはスザクを見るがスザクは無表情に近い顔でジノを見ているだけだった。階数ランプがどんどんと下がっていく。まるでタイムリミットを表しているかのようなランプが刻一刻と目的の階へと近づいていた。スザクの目は何も感じていないような冷たい目をしながらも、その奥で深くどろどろとした、憎悪にも似たなにかが窺える。教えてほしい、そう口にしかけてジノは止めた。ここで"スザク"に教えてもらうというのは、おかしいのではないのだろうか。確かにルルーシュのことについては知りたい。何も知らない分、ルルーシュについてスザクと同じように知りたい。けれど。

(ルルーシュ自身のこと、それをスザクから聞いてどうする?何故ルルーシュのことをわざわざスザクから聞かなくてはいけないんだ?そうだ、聞くべき相手は違う。私がそのことを聞かなければならないのは・・・)

ぎゅっと拳を握り、ジノは扉へ視線を戻した。

「別に、いい。お前からは聞かない。」

お前からは。そう強調された言葉にスザクが表情を固くする。そのまま追いうちをかけるようにジノはしっかりと言葉を続けた。

「ルルーシュのことは、ルルーシュの口から聞きたい。ルルーシュが私に言ってくれるまで私は待つ。だからスザク、お前からは聞けない。」 「・・・そう」

スザクが呟いたと同時に軽快なベルの音がチンとなった。到着の合図だ。ゆっくりとエレベーターの扉が開き、スザクが一歩踏み出す。二歩、三歩と歩いてエレベーターから出たところで、スザクは足を止めた。今だにエレベーターの中にいるジノは止まったスザクの背中を見つめる。

「でも、じゃあ、これだけは言っておく。・・・ルルーシュは人殺しだ。」
「っ!?」

ヒトゴロシ。その単語がジノの思考が一瞬止まる。まるでナイフで胸と一突きされたような衝撃が胸の辺りに走った。スザクは今なんと言った?ルルーシュが、人殺しだって?何故、どうして。告げられたその意味がジノには理解ができなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。動揺しうろたえるジノを見ないままスザクはそのまま静かに言葉を紡ぐ。

「そのことだけは先に知っていてほしい。そのことを受け止められないなら、もうルルーシュに近づくな。傷つくのは、ルルーシュだから。」

底冷えするような声。どうせお前には受け止められないだろうと言っているようにも聞こえる。言いたいことはそれだけだとでもいうようにまた歩き始めたスザクに、いつの間にかジノは大声で問いかけていた。

「お前は!・・・受け止めてるのかよ!」

その声にスザクがピタリと足を止め、そして振り返った。いくらか距離があるはずなのにジノにはスザクのその顔がはっきりと見えた。まるで何かがズレているような、壊れた笑み。

「僕はもう、決めたから」

そう言って、スザクはそのまま歩いて行ってしまった。エレベーターの中で一人取り残され、呆然と立ち尽くすジノは無意識のうちに唇を噛んでいた。強く噛み過ぎたのか、口の中に広がった鉄の味にハッと気がつく。口内が赤くなっているイメージが沸き、ジノはじんわりと沁みわたる血の味を飲み込んだ。





ゆさゆさと誰かに身体を揺さぶられている。 ゆるやかな揺さぶりだったが、ルルーシュの目を覚まさせるのには十分な刺激であった。

「・・・ん・・・」

ぼんやりと目を開く。途端に差し込んできた光に反射的に眼を瞑ったが、慣れさせるように何度か瞬きをするとだんだん光に慣れてきた。寝起き独特の倦怠感が身体に纏わりつく。頭を軽く振るようにして枕の上で転がせば、そこでやっと傍に誰かが居ることに気づいた。

「スザク・・・?」
「起きた?」

喉がかすれて上手く言えなかったが、スザクは笑って頭を撫でてくれた。頭を撫でられるなんて久しぶりだなと思いながら、その心地よさにまた眠りに落ちそうになる。ふわふわと浮くルルーシュの思考では、今のスザクの行動がいつもとは違うことに気づけなかった。ベッドに腰かけるスザクが動くたびに、簡素な作りのベッドがギシリと軋む。

「怪我の具合、大丈夫そうだね」

ブランケットの中から腕を引っ張りだしてきて、包帯の上から傷口を撫でられた。包帯の下がどんな状態なのかは分からないけれど、スザクがそう言うのなら大丈夫なんだろう。あんなことがあった後だからスザクに会うのが怖かったが、会ってみると意外と緊張しないことに少しホッとする。開口一番に怒鳴られたらどうしようかとも思っていたからかもしれないが。

「あの・・・」
「ん?」
「迷惑をかけてしまって・・・すまなかった」

最後のほうは小声になってしまったけれど、スザクにはちゃんと届いたようだ。少し驚いたようなスザクの顔に思わず目を逸らす。寝たままの状態で言うのもなんだったが、まず最初に謝りたいと思っていた。しかしやはり寝たままはいけないだろうと思い起き上がろうとするとスザクがやんわりと身体を押さえつけてきた。まだ寝ていろということらしい。やけに優しいスザクの行動に少し不安を感じながらも抵抗するわけにもいかずまた枕に頭を沈ませた。

「気にしないでいいよ。ブリタニア軍に恨みを持つ人は多いから、ここが狙われるのはいつものことなんだ」
「で、でも・・・あの女・・・っ痛・・・」

また頭痛が走る。頭を押さえるとスザクがをして手を重ねてきた。ずきずきと痛む頭を庇いながらスザクを見上げれば、スザクは優しい笑みを浮かべている。しかし。

「あの女のこと、知ってるの?」

顔と声の温度差がはっきりとしていた。柔らかな微笑みを浮かべているくせに、声はまるで問い詰めるかのように険しい。そのギャップが逆に恐怖心を起こさせてしまう。知っているような気がすると言おうと思ったのだが、そのスザクの恐ろしさについ思っていたこととは違うことが口から出てしまった。

「いや・・・し、らない・・・」
「うん。そうだよね。ルルーシュは、知らないよね」

暗示のように言われ、やはり知らなかったかもしれないと思ってしまう。本当は見覚えがあるような気がするのだけれども、スザクの前ではそれを考えることは何故だか怖くてできなかった。やはりなんとなくだがスザクが怖い。指先が震えそうなのを抑えていると、スザクが気持ちを切り替えたようにパッと顔を明るくした。

「そうだ。部屋ね、扉壊しちゃったついでに鍵変えることにしたんだ」
「えっ?」
「本当は僕の部屋で休ませてあげたかったんだけど、部屋の修理とかあるからさ・・・。部屋の修理が終わるまで、個室の病室開けてもらったからそこに移ってもらうけどいいかな?」

申し訳なさそうに聞いてくるスザクに、ぽかんと口を開けてしまう。いいも何も、決めるのはスザクだし、いやその前に。

「いい、けど・・・スザクはいいのか?」
「なにが?」
「だから、その、俺をこのまま傍に置いて・・・」
「どうして?」
「どうしてって、それは・・・」

あれほど迷惑をかけたのだ。ジノのことや、これまでのことを考えたらスザクが自分をいつ捨ててもおかしくないのである。しかも慰み者という存在が周りにバレてしまった。スザクは慰み者の存在を隠していたはずなのに、今回のことで周りにそれがバレてしまったのだ。慰み者、しかも男だなんて、きっとスザクは肩身の狭い思いをしてしまうに違いない。からかう様な興味の目で見られても変ではない。本当ならジノのことだけでも捨てられておかしくないというのに、まだスザクは自分を傍に置いてくれるつもりなんだろうか。捨てないというスザクの言葉が撤回されるのならきっと今しかないと思っていたから、もう必要ないと言われれば今すぐにでもここを出ていくつもりだった。覚悟をしておいたのだが、どうやら、スザクは捨てる気なんてないようだ。

「僕は前にも言ったけど、君のことは捨てたりなんかしないよ」
「・・・でも」
「でも、じゃなくて。」

片腕は点滴の針が刺さっているため動かせないが、空いたもう片方の手でブランケットを寄せた。

「何が不安なの?それとも、僕に捨てられたいの?」
「そうじゃない!そうじゃない・・・ただ、何故そんなに俺のことを大事にしてくれるのか分からなくて・・・」

無条件の愛にも似たスザクのそれ。慰み者なんて、生活に余裕があり遊びと本気を弁えている人間が買うものだ。本当ならば人間として扱われてはいけないもの。最初スザクが自分を買うと言った時は、スザクもそういう人間なのだと思っていた。けれどもそれが違うことはすぐに分かった。まるで、そう、本当に自分のことを好いてくれてるような愛情。遊びとしての、場を盛り上げるためだけの"好き"ではなく、心からの"好き"。スザクは一人の人間として自分を扱ってくれた。もちろん仕事上しなくてはいけないことはするが、それだってあまり酷いものではない。最近は色々なことがあってあまり"昔のように"穏やかな日を送ることはできなかったが、それでもスザクは捨てないでいてくれている。自分には、何もない。ただ人より優れた外見と、あと身体の遊びだけ。金もなければ地位もない、名が知れ渡っているわけでもないし、そこらに埋もれている人間の一人でしかないのだ。そう考えだすときりがなく、気分がすんと沈んでいく。スザクの顔を見ることができず、自分の胸を見るように視線を下げていたらそっと頬に手を添えられた。

「あのね、ルルーシュ。君が"思い出しても"、僕は君のことを好きだよ」
「思い・・・?」
「この気持ちは嘘じゃないんだ。だから、もし、その時が来ても僕が君を好きだってことだけは覚えててほしいんだ」

スザクが何のことを言っているのかいまいちよく分からない。思い出してもだとか、その時だとか、何のことなのだろう。ただスザクの声が今まで聞いたことないくらい真剣なもので、思わずスザクを見てしまった。必然的に眼が合い、そのまま見つめ合う。トクトクと心臓の音が聞こえてしまうほど、自分がドキドキしてるのが分かった。答えを待っているかのようなスザクの目に、何のことなのか分からないまま小さく頷いた。そのまま自然に顔が近づき合う。スザクが圧し掛かってくる重みを感じながら、あともう少しで唇が触れ合おうとした、その時である。


シャッ


「あ〜っと、邪魔しちゃったかな?悪い悪い」

突然開いたカーテンとその陽気な声に、二人して弾かれるようにそちらへ向いた。果物やら何かが入った小さなバスケットを片手にジノが立っているではないか。邪魔したかなと言う割にはあまり悪かったと思っていない顔をしているジノがずかずかとベッドへ近づいてくる。少し怒っているようにも見えたが、ニコニコとした笑顔からはそれがどうなのかは捉えられない。身体を起こしたスザクを見ると、唖然とした表情でジノを見ていた。

「よかった、目覚ましたんだな!はいこれ、何も食べてないんだろ?」
「あ、ありがとう・・・」
「急いで用意したからこんなのしかなくてさぁ、ごめんなぁ」
「いや、いいよ。十分嬉しい」

スザクを押しのけてバスケットを差し出してきたジノの勢いに少し押されてしまう。ちらちらとスザクの様子を見てみるが、スザクはまるで凍りついたかのように動かない。どうしようどうしようとそればかりが頭の中を巡る。身体を起こし、バスケットを抱えると果物の中に苺があるのを見つけた。好物を見つけ少し心が明るくなったが、いやいや今は喜んでいる場合じゃない。

「あの、ジノ、その・・・」
「ジノ、ちょっと来て。」
「わっ!なんだよスザク!」

ジノに話しかけようとしたら、その前にスザクが立ち上がりジノを引っ張っていってしまった。見てるだけでも痛いほど強く腕を掴んでいるが、ジノは痛くないらしい。出ていく直前にスザクがくるりと振り返る。

「ちょっと待っててねルルーシュ、すぐに戻ってくるから」
「あ、ああ・・・分かった・・・」
「おい!あんま引っ張んなよスザクー!」

うるさい!とスザクがジノに怒って、そのまま二人は医務室を出て行ってしまった。なんだか置いてかれたような気分になり少し寂しかったが、それ以上にあの二人が一緒だということのほうが気になる。スザクとジノと三人で対面することになるとは思っていなかったから、ジノが現れた時は心臓が止まるかと思ってしまった。ジノのことについてはあまりスザクと話したくなかったから、ジノについては話題には出さなかった。出せなかったということもあるけれど。

(・・・大丈夫だろうか)

どちらにも心配しながら、追い掛けることもできずただ中途半端に開かれたままのカーテンを見つめた。





「スザク、痛いって!」

ジノがそう言ったので、スザクは払うようにして掴んでいたジノの腕を離した。医務室から少しだけ離れた人気のない廊下まで連れて行って、壁際に追い詰めるようにして立つ。まさかジノがルルーシュの前にまた現れるとは思っていなかっただけに、焦りと怒りがわいていた。

「どういうことさジノ、僕は言ったはずだよ。受け止められないならルルーシュに近づくなって」

地を這うような呻きでジノに問う。ジノは全く恐れを見せずに、掴まれていた腕の部分を労わるように撫でていた。ジノにはこれ以上ルルーシュに近づいてほしくはなかった。だから二度とルルーシュに近づきたくなくなるように、釘を刺しておいたのに。これ以上、手を煩わせてほしくないのに。

「ああ、そうだよ。だから私は来たんだ。」

さらりと言ったジノの言葉にハッとする。まさかそんなとは思うが、いやしかし。殴りかかりたくなる衝動を抑えて聞き返す。

「なんだって?」
「何があろうと、私がルルーシュを好きな気持ちは変わらないってことさ」

目の前が、真っ暗になった。ジノはなんと言った?好きな気持ちは変わらない、ということは、まさか受け止めるとでもいうのか。何も知らないくせに?米神に嫌な汗が慣れる。

「ハッ、君がそんなに馬鹿な人間だとは思わなかったよ!」

苦し紛れに言ってみるが、声に本気がないことは自分でも分かった。罵倒の言葉を並べてみるものの、どれも張りぼてみたいに重さがない。ジノは聞き流すようにして頭を横に振った。

「なんとでも言えばいい。私も決めたんだ、スザクのように」
「・・・っ!」
「だからこれからは、遠慮はなしだからな」

不敵に笑うと、ジノは踵を返して医務室の方へと行ってしまった。ジノを引きとめなくてはと思うのに、その場から動けずに佇む。もしかしたら、自分は余計なことをジノに言ってしまったのかもしれない。そう思うと腸が煮えくりかえるほどの怒りが心を焼く。ジノが何を思ってああ言ったのか予想はつく。彼は本当にルルーシュが好きで、自分から奪おうとしているのだ、ルルーシュを。

(そんなこと、絶対に許さない)

やっと手に入れたのに、誰かに取られてたまるものか。昔からずっとルルーシュを"守ってきた"のは自分だ。そしてこれからも、守り続ける。偽りの記憶で呼吸し続けるルルーシュに愛情を注ぐ。あの女の思惑通りになどさせない。記憶が戻ったとしても、逃がさない。あの女のもとになど絶対に返してやるものか。もう一度ゼロなんかやらせない、もう誰にも渡さない。ジノにも、あの女にも、皇帝にだって。

「ルルーシュは、"俺"のものだ」