※この話は「Sleep of hearts」の別視点の小説ですが、ある可能性の一つとしてお読みください。 ・死にネタ/スザユフィ含/酷い表現有 なのでご注意。 「娘が別れた男に依存してね、未だにそいつからの連絡を待っているんだ。娘はそいつにベタ惚れしていたけど相手は遊びだったらしく捨てられたんだ。でも、私は別れて正解だと思ったよ。正直言うとうちの娘はあまり出来が良くなくてね。相手の男の身分を考えると、うちの娘では無理だと思ったんだ。高望みはしないということさ。うちの娘は顔はいいんだが性格がな・・・。別れた男の写真を何枚も何枚も印刷してアルバムをいくつも作ったり、そいつの交友関係を調べて新しい女が居ると分かったら裏で手を回して別れさせるんだ。けど、女関係は娘が手を回す前に別れてしまうことが多いんだそうだ。その行動を見てるのに、娘は彼は誠実な人だと言い張るんだよ。いつか私の所に戻って来てくれるんだわ、ってね。そう言って私に反抗するくせに困ったことがあるとすぐに私にパパ助けてと泣きついてくるんだ。本当に、困ったものだよ」 手前の景色はものすごい速さで流れていくが、遠くにあるビルはゆっくりとその景色を変えている。走行音の静かなこの車の助手席に乗るのは何度目になるだろうかと考えながら、ルルーシュは窓の外を眺めていた。カーステレオから歓喜の歌が小さく流れているが、何度も聞いてしまったのですっかり歌詞さえも覚えてしまった。両膝をぴったりとくっつけてシートに座ると背もたれが包み込むように身体を支えてくれる。月の浮かんでいない空は鈍い色をした雲に覆われていて今にも雨が降り出しそうだ。膝に手を置いて外ばかりを見ているルルーシュにパトリスはハンドルを握りながら問いかけた。 「君はいつも外ばかり見ているね、そんなに租界の風景が好きかい?」 「・・・いえ、そういうわけじゃありませんよ。車に酔いやすいから外を見てるだけです」 「なんだ、そうだったのか。気づかなくてごめんよ、気分が悪いのだったらシートを倒しても構わないが」 「いえ、お気遣いありがとうございます。・・・あの、窓を開けてもいいですか?」 「そうだね、空気を入れ替えるのに窓を開けようか」 ルルーシュが窓を開けようとする前に運転席からパトリスが窓を半分だけ開いた。途端に強い風が車内に流れ込み、ルルーシュは髪の毛を押さえる。冷たい風に混じった匂いは、やっぱり雨の降りだす前の匂いがした。明日は雨か、それとも夜中に降ってくれればいいけれど。ルルーシュがそう思っていると不意に太股の上に生暖かい感触が伝わってきた。視線を下ろして見てみればパトリスの手がルルーシュの太股を撫でている。ルルーシュがその手を離れさせようと掴むと、逆に手を取られてしまった。片手でハンドルを握るパトリスは視線を前方に向けたまま口元に笑みを浮かべる。 「先生、やめてください・・・こんなところで」 「なに、誰も見てやしないさ。それと、名前で呼びなさいと言ったはずだったね?」 「・・・っパトリスさん、手を・・・」 名前を呼んだことに満足したのかパトリスはルルーシュの手を離した。ルルーシュが掴まれた部分をさすっていると、車は速度を落としとあるマンションの地下駐車場に入った。何台も高級な車が停められているのを見ただけで、このマンションの格の高さが窺える。一番奥の角にある駐車スペースに車を停めるとパトリスとルルーシュは車から降りた。二人の足音が広い地下駐車場にカツンと響き、ルルーシュは誰もいないだろうかと周りを見回す。そうしているうちに後部座席から鞄を取り出したパトリスがルルーシュの傍に寄ると腰を掴んで引き寄せてきた。ルルーシュは肩をビクリと震わせ身を捩る。誰に見られるかも分からないこんな場所で身を寄せられると身体が緊張して動かなくなってしまう。しかしそんなルルーシュの反応を楽しむ様にパトリスはルルーシュの腰を抱きながら歩きはじめる。こんな時間だ、誰かとすれ違うということはないだろう。エレベーターに乗り込んで目的の階のボタンを押すとエレベーターはゆっくりと上昇していった。ルルーシュは背後の天井についている監視カメラに居心地が悪そうにそわそわと視線を泳がせる。鼻を掠めるパトリスの香水は、好きじゃない。エレベーターが停止して扉が開く。暖色の灯りが白い壁をオレンジ色に見せ、床には柔らかな絨毯のようなものが敷いてある。長い廊下に四つしかない扉のうち、一番奥の扉の扉に二人は入った。玄関に入るとすぐに自動で電気が点き、パトリスはコートを脱いですぐ傍に畳んで置いた。パトリスの後についていくようにルルーシュがリビングへ行くと、前回と見た時と全く変わっていない部屋が目に飛び込んできた。ソファやテレビ、絨毯のうえにあるテーブルなど生活するのに必要な家具があるのに生活感の感じられないリビング。ビジネスホテルのように、ただ家具があるだけ。そこに誰かが住んでいるという空気は全くなかった。ルルーシュが真っ黒な革のソファに座るとパトリスがキッチンからワイングラスを2つとボトルを持ってきた。ルルーシュの隣に座りコルクを開けたパトリスがグラスにワインを注いでいく。赤ワインの注がれたグラスをルルーシュに手渡してからパトリスはボトルのラベルをルルーシュに見せる。 「年代もののドイツワインだ、貰い物だったんだが妻がドイツワインは好きじゃなくてね」 「でも、高いものなんでしょう?」 「たまには酔った君が見たいと思ってね」 さらりと言われルルーシュは一瞬きょとんとしたが、ああそういうことかとパトリスの持ったグラスと自分のグラスをかち合わせた。スマートに少しずつ飲むパトリスを横目にルルーシュは一度に半分の量を飲んだ。ワインは嫌いじゃないけれど好きでもない、そもそも酒を飲んでいい年齢ではない。くるくるとグラスの中のワインを回していたら、喉の奥からだんだんと身体が熱くなってくるのが分かる。それでも思考はまだ正常だろうとルルーシュはまた一口ワインを含んだ。 「定例集会があってね、部下が一人移動になったよ。いや、あいつはいい医者だったんだがなぁ」 「そんなこと言って、この前はいなくなればいいって言っていませんでした?」 「はは、そうだったかな」 世間話のような自慢話を聞きつつルルーシュがグラスを空にすると、だんだんと頬が熱くなってきた。それでも身体が熱いと思うだけで脳までは酔っていない。けれどこれ以上話に付き合うのもワインを飲まされるもの面倒で、ルルーシュはパトリスの肩に頭をこつんと乗せた。凭れ掛けるようにしてパトリスにくっつけば、パトリスがルルーシュの肩を抱く。もう酔ったのかい?なんて耳元で囁いてくるパトリスにルルーシュは何も言わずただ身を預けた。酔いやすいということにしておこうとルルーシュが思っていると不意に唇を重ねられる。酒の臭いが鼻をつきルルーシュが眉を寄せると、それを勘違いしたパトリスがもっと唇を寄せてくる。気持悪い唾液の交換のあと、ルルーシュはパトリスに抱えられ隣のベッドルームに連れて行かれた。少し乱暴にベッドに落とされて、ルルーシュはうつぶせの状態から首だけを後ろに回してパトリスを見上げた。スーツの上着を脱ぎ捨ててネクタイを取ったパトリスの顔が開けられたままの扉から入る光に逆光して見えない。ベッドに上がってきたパトリスがルルーシュに覆い被さり、一番上まで締められていた制服をゆっくり解いていく。 「いつ見ても、学生服の君を脱がすのは背徳感があってそそられるね」 続いてワイシャツにまで手をかけてきたパトリスに、ルルーシュはそそられるという背徳感は背徳感ではないだろうと考えながら目を瞑った。 「ああ、それじゃあ。ほら今月の分だよ」 「ありがとうございます・・・あの、妹の件は」 「心配しなくても大丈夫さ、来週には機械が空くからね。水曜に来てくれれば治療は可能だ」 「そう、ですか・・・じゃあ水曜日に」 送って行くというパトリスの誘いを断りルルーシュはマンションを出た。アッシュフォード学園の近くにあるこのマンションからだと歩いてもクラブハウスに帰れる距離だ。まだ日も出ていない真夜中に近い時間だから車通りも少なく、ルルーシュはたまに通りすがる人を避ける様に視線を伏せて歩いた。学生服を着ていると怪しく思われるため上着は着ずに抱えている。そのせいで上半身が寒かったが怪しまれるよりかはいい。歩くたびにカサカサと音がするのは、先ほどパトリスから貰ったナナリーの薬だ。こんなことをいつまで続けているのだと自分に問いかけてみれば、その答えは"分からない"だ。パトリスと知り合ったのは半年前、租界のとあるカジノだった。その日カジノは貴族ばかりで貸し切られ、バーテンの手伝いのアルバイトとしてルルーシュはカジノに来ていた。そこでルルーシュはいつもナナリーが行く、アッシュフォードの息がかかっている病院の医師であるパトリスを見つけた。ナナリーの担当医ではないものパトリスは病院内でも高い地位にいる医師であり、ルルーシュも何度か会話をしたことがあった。しかしカジノで見たパトリスは病院で見る優しい笑みではなく、貴族特有のいやらしい笑みを浮かべ金をばら撒く勢いでポーカーに打ち込んでいた。パトリスもルルーシュに気づいたようで、バーカウンター越しにパトリスがルルーシュに話しかけてきた。 「ルルーシュ君だったよね、ナナリーちゃんのお兄さんの」 「はい、妹がお世話になってます」 「いやいや、君がこんなところに居るなんて驚いたよ。もしかしてこっちのタイプだったのかい」 「まあ、ここにはプライベートでも何度か。でも今日はアルバイトですよ」 ナナリーの医療費はアッシュフォード家が負担はしてくれるものの、やはりルルーシュも頼るだけでは心苦しく最近では負担を断っている。アッシュフォード家もナナリー一人の医療費を全て負担できるほど楽な状況ではない。ルルーシュは賭けチェスなどで一度に多くの大金を稼げることはできるが、それは安定しない収入だ。せっかくだから何か作りましょうかとルルーシュが微笑んでみせると、ふとパトリスがルルーシュを下から上までじっくりと調べる様に見つめた。お勧めのものをいただこうかなとパトリスは言ったが、その細められた目には言葉にできないようなものが含まれていた。軽食かそれともつまみでも出そうか迷ったルルーシュだったが結局弱めのカクテルを出すことにした。飲んだことはないけれど先ほど教えてもらったレシピを思い出しながら作っていると、その間ずっとパトリスがテーブルに肘をついてルルーシュを見ていた。居心地が悪くなるほど見つめられて、何なのだろうかと思いながらルルーシュは琥珀色のカクテルをスッと差し出しだ。フルーツリキュールとジンジャーエールを混ぜた簡単なものだが甘口で飲みやすいものだという。パトリスが目線の高さまでそれを掲げ、一口含む。 「ふむ、美味しいね」 「ありがとうございます」 軽く一礼して、ルルーシュはシェーカーを洗う。パトリスに背を向けたまま道具を洗っていると、背中に視線を感じた。チラリと背後を窺うとパトリスがジッと見ていて、少し気味が悪い。知り合いだからと話しかけたのが拙かったのだろうか。てっきり飲んだらすぐに去るものだと思っていたが、パトリスのグラスが空になってもパトリスは去らなかった。ステンレスの網棚に濡れたままのシェーカーを置いてルルーシュはカウンターの方へと向いた。空になったグラスがテーブルに置かれていて、それを下げようとルルーシュが手を伸ばしたらパトリスの右手がルルーシュの手を掴む様に覆い被さってきた。ルルーシュが驚いて顔を上げると、パトリスが小さな声で呟く。 「ルルーシュ君は、こういうこと興味無い?」 「・・・先生、手を放してください」 「最初に病院で会った時から君のことは気になっていたんだよね。こんなとこで会えたのも何かの縁だと思わないか?」 ルルーシュにだけ聞こえるような小さな声。人々のざわめきやカジノの賑やかさで普通の会話も少し声を張らなくては聞こえないはずなのに、ルルーシュにはその小さな声がしっかりと聞こえてしまう。周りはこの状況に気づいていないが拒絶したりしたらきっとこの状況に誰かが気づく。こんなに大勢の人がいるなかで騒ぎは起こしたくない。ルルーシュは顔を顰めながら手を引こうとしたが、パトリスが腰を上げルルーシュの耳元で囁いた。 「もし私と遊んでくれたらナナリーちゃんのこと、もっと優遇させてあげてもいいんだよ?」 「っ・・・!」 「ナナリーちゃんのためにアルバイトしているんだろう?治療器具の優遇だってしてあげるさ。勿論、その分に見合ったことは・・・してもらうけどね」 確かに、今まで治療の機械がどうしても空かなかったり最新医療器具の使用には費用が高すぎて使用ができなかったりと悔しい思いをしてきた。ナナリーの目か足のどちらかでも良いから治してやりたいと思っていたルルーシュにとって、そのことは大きな問題だった。ナナリーは費用や器具の空きなどについてはしょうがないことだと言っていたけれど、きっと目と足が治ることを一番に願っているのはナナリー本人のはずだ。ルルーシュが戸惑っていると、パトリスはルルーシュの手から己の手を離した。 「終わるの何時かな?」 「・・・8時、です」 「そう。もし、OKなら終わったあとに此処に来てくれるかな。それじゃあ、待ってるよ」 パトリスな胸元から手帳を取り出し何かを書いてからページを破くとそれをテーブルに置いて人ごみの中に去って行った。置かれたメモにはマンションと思われる住所と部屋番号が書かれていた。パトリスのグラスと一緒にそれを手元に持ってくるとルルーシュは紙をくしゃりと丸めてポケットの中へ詰め込んだ。くだらない、そう思うはずなのにルルーシュの心は迷っていた。ナナリーのために身を売るのか。そんな汚い方法で得たものでたとえ目や足が治ってもナナリーは喜んでくれるはずがない。けれどパトリスの権力や地位は非常に利用できるものであり、傍に居て損はない。それに、自分にはもう。 (こんなこと、間違ってるよな・・・スザク。でも、俺は) その夜、ルルーシュはパトリスに身を売った。払った代償は大きかったが、得たものも大きかった。集中的な治療のおかげでナナリーの足は自分でも動かせる程度に回復したのだ。ただ目の治療はまだ難しいらしく、今は足を治療することに専念するべきだと担当医には言われた。担当医はどうしてナナリーにばかり治療の機会が増えたのだろうかと首を傾げていたが、パトリスが言い包めたのか最近は疑問を持たずに治療だけに集中してくれている。パトリスには妻と娘が居るらしいが、その遊び好きは貴族達の中では少しばかり有名だそうだ。ナナリーが初めて自分の力だけで立てる様になった日、ルルーシュは全ての苦痛を耐える決心をした。 たとえ身を汚してもナナリーのためになるなら、そう自分にいいわけをして。本当のことを隠す様にルルーシュはパトリスと密かに関係を持ち続けていた。 バイオリンのメロディによって眠りから引き起こされたルルーシュは身体を起こし背伸びをした。どうやら気づけばずいぶん寝てしまったようで、すっかり時刻は放課後を過ぎていた。固いコンクリートに寝そべっていたせいで背骨が痛く、ルルーシュは眉を寄せながら立ち上がり腰を回した。身体のだるさから授業をサボってしまったが、どうせサボるならもっと場所を選んでおけばよかった。無風の屋上は生暖かい空気に包まれており、じんわりと背中に汗を掻く。携帯を開いてみればメールが何件か届いており、そのほとんどはスザクからだった。今何処に居るのかという問いのメールだったが一番最後に届いたメールには屋上で寝ている自分の写真が添付されており、屋上にスザクが来たのだと分かった。きっと心配をしていてくれたのだろう、いつもスザクはそうだった。ルルーシュが何処かへ行こうとすると行き先を聞き、危ない場所だと思ったら止めるか自分もついていくと言い出す。君はいつ狙われるか分からないんだから危ないことはしないでよと、スザクの言い分はそうらしいがあまりルルーシュには実感がなかった。勿論、皇室に関係する誰かがルルーシュとナナリーが生きていることを知り狙ってくるかもしれないということは分かっている。けれど、死と隣り合わせというには何も起こらない日常に感覚が麻痺しているのだ。 (それに、どうせスザクは・・・) ルルーシュはスザクに返信しようと思い開いていた携帯を閉じた。ルルーシュはスザクを好きだが、それはきっと憧れに近い好意なのかもしれない。信頼できる、守ってくれる、心から頼れる存在。そんなスザクを好きだと自覚したのはずっと昔、まだ子供のころだった。虐げられる自分を助けに来てくれたスザクが、どんなヒーローよりもかっこよく、そして自分と同じくらいの背丈なのにその背中が大きく見えた。日本に送られた時は、誰からも守られない存在なのだと理解して我慢をしていた。だから、そんな守られる存在ではない自分を守ってくれたスザクが好きになってしまったのだった。けれどそれは本当に純粋な好意であって、恋愛感情などなかった。ルルーシュの中でのスザクへの思いが急激に変化したのは、きっとパトリスのせいだろう。初めて、同性である男から与えられた肉体的快楽がルルーシュの心を捻じ曲げた。ただ何も考えず好きでありたいと思っていたスザクが"性の対象"に変わったのだ。パトリスに初めて抱かれた次の日、熱を出したルルーシュをスザクが見舞いに来てくれた。大丈夫?と優しく頭を撫でてくれたその手がパトリスのものと重なってしまい、熱に犯されたルルーシュの脳がスザクに抱かれる自分を勝手に想像し出したのだ。嫌悪感を感じるべきものなのに、その己の想像にルルーシュは嫌悪感どころか喜びを感じてしまった。一度スザクを対象に想像してしまったそれは止めることができず、結果ルルーシュの中でスザクは恋愛対象での好きとなってしまった。 (・・・ところでさっきからこのバイオリンは何処から流れてきてるんだ?) ルルーシュは頭を掻きながら辺りを見回した。目覚めた時から鼓膜を震わせてくるこのバイオリンの音は何処から聞こえているのだろうか。オーケストラ部は屋外では練習はしないし、聞こえるバイオリンは一つのみだ。誰が弾いているのだろうが、ルルーシュはこの音色に聴き覚えがあった。けれどはっきりとは思いだせず、誰が弾いているのか耳で方向を探しながら屋上から見下ろしてみるとそこには庭園の人目につかない一角でバイオリンを弾くジノの姿があった。優雅に腕を動かしバイオリンに集中しているその姿に、なるほど聞いたことのある音楽だとルルーシュは納得した。聞いたことのあると言ってもこの音色を聞いたのは昔、それもスザクと出会うより前の皇室でのことだ。 (昔は小さかったのに、今じゃ俺より大きくなって・・・) ルルーシュは塀に肘をついてジノを見下ろす。実はルルーシュはアッシュフォード学園でジノと知り合うより前にジノと会ったことがあった。まだ母が生きていたころ、皇族の間でも嫌われ者だった母だったが公式のパーティーにはよく出席していた。いつだったかパーティーの空気に飽き飽きしてしまい会場を抜け出したルルーシュは、薔薇庭園で今と同じようにバイオリンを弾くジノに会った。お互いに顔も知らない相手だったため、互いがどの家の者かは知らなかった。ルルーシュも自ら自分は皇族であると言うようなタイプではなかったのでジノには適当な貴族の者だと名乗った。あの時はジノも子供でルルーシュより身長は少し小さかった。後にジノがヴァインベルグ家の者だと知ったのだったが、あれから一度も会うことがなかったためあの時のバイオリンの音だとすぐに分からなかった。いつものおどけた雰囲気は何処へやら、今のジノはバイオリンだけに集中している。黙っていれば普通の奴なのに、などと思いながらルルーシュは音に集中するように目を閉じた。 『抱いてあげましょうか、先輩』 生徒会室でジノにそう耳元で囁かれた時、ルルーシュは恐怖と失望をジノに感じた。ジノも、あのパトリスと同じ人間なのかと。スザクへの好意を見破られてから二人きりになった途端、ルルーシュはジノから何度も何度もスザクについて尋ねられた。なんで男が好きなのかだとか女は好きじゃないのかなど。かつての、あの煌めいた瞳で対等に向き合っていた幼い頃のジノの面影なんて今のジノにはかけらもなかった。それどころかジノは幼いころルルーシュと会ったことなど綺麗に忘れているようだった。でもそれは仕方ないことだ。あれから幾年も時は過ぎ、ジノもルルーシュも成長した。子供らしい丸い輪郭もなくなった今、再び会ってあの時の人物だと分かる人間なんていないだろう。それにジノが昔会ったルルーシュはランペルージではなく皇子であった時のルルーシュだ、気がつかなくて当たり前だ。 『そうそう、世の中ギブアンドテイクなんですから』 ジノがどうして関係を持ちかけてきたのか、ルルーシュには分からない。そして、自分が何故それに応じてしまったのかも。ただ思うのは、あの時は少し自暴自棄になっていたのかもしれない。あの日ルルーシュがナナリーと散歩をしてやってくれないかとスザクに頼みに行った時、スザクからユーフェミアと婚約することを考えていると告げられた。スザクとユーフェミアの二人だけの間の約束で、まだ周りには言っていないという。コーネリアが反対するのではないかとルルーシュが言うと、それでも僕はユフィと婚約したいんだと言われた。もし婚約が決まったら暫く学園には来れないからとスザクはナナリーとの散歩を引き受けてくれたが、ルルーシュは目の前が真っ暗になったようだった。ナナリーがスザクのことを好きだということを兄であるルルーシュは気付いていたから、ナナリーの足が良くなったら絶対にスザクと一緒に歩かせようと密かに考えていた。けれどタイミングはぴったり合うものではなく、ナナリーの足が完全に治る前にスザクはユーフェミアとの婚約を決めてしまった。ナナリーの、そして同時に自分自身の恋の終わりを悟ったルルーシュは流れに身を任せる様にジノの手を取った。そして、スザクの婚約の件を知らないジノに連れて行かれたマンションにルルーシュは早速後悔した。偶然というには残酷すぎて、必然というにも悲し過ぎる。見覚えのあるマンション、何度もあのエントランスを通った。ジノが借りたというマンションはパトリスと同じマンションだったのだ。マンションに一歩入った時からルルーシュは心臓の鼓動がだんだんと速くなっていくのが分かった。万が一にもパトリスと会ったりしたら。いやしかし彼はきっと仕事中だからプライベートでしか使わないこのマンションには居る筈がない。誰にも見られないようにと心の中で祈るがエレベーターの監視カメラからは逃れることができず、ルルーシュが落ち着きなくきょろきょろしているとジノが何を勘違いしたのか肩を抱いてきた。緊張した中で急に触れられてルルーシュは驚いてジノを睨んだのだが、エレベーターが目的の最上階に着いてしまったので怒るタイミングがうやむやになったままエレベーターの外へと押し出された。 (何処で間違えた?それとも、最初から間違っていたのか?) 学園での明るいジノ、二人きりになった時の少し怖いジノ、ベッドの中で恍惚の笑みを浮かべるジノ。どれが本当のジノなのかと考えた時、どのジノも本当のジノだという結論に至った。ジノとの関係は彼が言うところの所詮、遊びというものなのだろう。ジノの遊び癖の悪さはスザクから聞いていた。そして本人には自覚がないということも。多分ジノは思考のベクトルが間違った方向へ進んでしまったままなのだ。上辺だけの情報ばかりを得てしまい、本質を理解しないまま恋愛を続ける。深く追求してしまえば簡単に崩れてしまうであろうジノの恋愛理論。心だとか気持ちだとか、そんなのを考えないでただ利益と効果のためだけに行う疑似恋愛。セックスだけの関係、だけどほんの少し相手に興味がある。ルルーシュは、きっとジノの中での自分は大勢いる"プレイヤー"の中の一人なのだと思った。深く関わらないが、肉体的な関係は深い。でも相手のことなんて知らない、自分が気持よければいい、楽しければいい? (でも、それは・・・虚しいだけなんだよな) ぽっかりと、胸に大きな穴が開いてしまったような喪失感。ジノとの関係を続けていたある日に行為が終わり眠りについたあと、ふとルルーシュは目を覚ました。暗い部屋、隣には裸のジノ、熱の引いた身体だけがやけに寒い。起き上がりなんとなく両手を見つめると、何が悲しかったのか分からないけれど涙が溢れだした。自分はなんでこんなことをしているのだろう?意味のないことばかりを重ねても、あとには何も残らないのに。きっと数日後には自分はこの同じ建物の別の部屋で、別の人物に抱かれる。そう思うと、言葉にできない苦しさが胸を支配するのだ。ルルーシュが泣いているとジノが起きて横になりながら抱きしめてくれたのだが、きっとこうするのもゲームの一つなのだろうと思ったら余計に涙は溢れた。苦しい時、悲しい時、辛い時、助けてくれたのは誰だっただろう?幼き日の思い出が蘇り、ルルーシュはスザクの名を呼んだ。呼んでも届くはずがないと分かっているが、それでもスザクを呼んだ。それは助けを求めるのと同時に自分の中の苦しさを消すため、また、ジノと自分を"抑える"ために紡いだ呪文だった。 「せんぱーい!」 名を呼ばれ、ルルーシュはハッと我に返った。ぼうっと考えていたことが一瞬にして真っ白になり、下を覗くとジノが弓をぶんぶんと振り回し手を振っていた。よくここに居るのに気づいたなと思いながらルルーシュは手を振り返す。そっちに行くから待っててくださいと叫び校舎に走って行ってしまったジノの後ろ姿はまるで子供のようだった。返事もしていないのにしょうがないやつだなぁとルルーシュは口元に笑みを浮かべながらため息をついた。庭園で会った頃の小さな背中はあんなにも大きくなってしまったというのに行動は変わらないままだ。そういえば、とルルーシュはあることを思い出した。ジノと初めて会った時、ジノは蝶を捕まえてその羽根を何の疑いもなく千切っていた。子供ながらにショックを受けたルルーシュはどうしてそんな酷いことをしたのかとジノに聞いたら、ジノはきょとんとしてこう言った。 『だって、私が千切ってみたかったんだ』 それが悪いことだと微塵も思っていないような口振りにルルーシュは空恐ろしさを感じた。今思うと、あの時自分が感じたものはある意味当たっていたのかもしれない。そして思うのだ。純粋な子供ほど、残酷なことを簡単にしてしまうのだと。 まさかあんなことを言われるとは思わず、ルルーシュは頭の中が混乱したままクラブハウスの自室へ逃げ込んだ。ジノの頬を叩いた手が痛かったが、それよりも、ジノに振り払われたことのほうがルルーシュには痛かった。突然終わりを告げられた関係、何を悲しんでいるのか分からない。ただ、受け入れてくれてると思っていたジノに拒絶されたことだけが、ルルーシュの中でハッキリとしていた。ベッドに凭れかかるようにして床に崩れ落ちると涙がシーツに落ちてじんわりと染みを作った。 『気持ち悪いですよ』 そう言ったジノの満面の笑みが頭から離れない。気持ち悪いなんて、最初から分かっていた。抱いてはいけない想いだと自分で理解していたのに、それを改めてジノから指摘されると胸を刺されたような酷い痛みを感じた。気持ち悪いなんて、俺を抱いていたお前に言えるのかとルルーシュは叫びたかったが怒りよりも悲しみの方が今は強い。泣きじゃくる、というよりただ静かに涙を流す。部屋に来るまでは色々な思いが胸の中で爆発していたはずなのに、気持ちや感情がぐちゃぐちゃになってしまい何が辛いのか分からない。たくさんのことを考えていた。ジノに、もうスザクのことはいいんだと言うつもりだった。ジノが生徒会室に来る前にスザクにユーフェミアとの婚約が正式に決まったということを聞かされた。式の日程までも既に決まっており、スザクはとても幸せそうだった。 「まだ皆には、ジノにも内緒ね。驚かせたいんだ」 内緒も何も、スザクとユーフェミアの仲については誰がどう見てもそういう関係にしか見えなかったが。スザクから婚約のことを聞いてルルーシュはとても驚いてショックを受けたが、心の中でやっぱりこうなったかとやけに冷静に納得もしていた。いつかこんな日が来るとは思っていたからかもしれない。ぐらぐらと心が動揺しているうちにジノが来てしまい、スザクとの話はそこで終わった。そしてスザクが生徒会室を出ていくまでルルーシュはずっと心の中であることについて考えた。スザクを好きだということと肉体関係になりたいという気持ちはイコールで結ばれるのか?ということだ。スザクのことを好きだからどうしたいのかという根本的な疑問。ルルーシュがスザクが出て行ったあとジノが言った何気ない言葉で、その答えはあっさりと見つかってしまった。 「だいたいスザクの何処が良いんだっていうんだか・・・。先輩ってスザクの何処が好きなんですか?何処に惹かれて、スザクのことが好きになったんですか?」 パチンとシャボン玉が割れたかのように、ルルーシュの脳で思考が弾けた。スザクのことが好きなのは、彼が自分を守ってくれる強い存在であったから。誰も助けてくれないと思っていた異国の地で、諦めかけていた世界に光を指してくれたのがスザクだったから。だから自分はスザクが好きで、自分も彼を支える存在になりたかった。そこまで分かったら、あとは簡単だった。今までルルーシュは、ある意味パトリスのせいで勘違いをしていた。本当の好き、愛するということは肉体の快楽には依存しないのだと。繋がりたい=セックスではなく、セックス=気持ちの繋がりなのだ。パトリスとのセックスは、パトリスの欲望をルルーシュに繋げるための方法だ。ルルーシュがスザクに求めていたのは肉体的な繋がりでの安心ではなく、ルルーシュが望むスザクへの無条件の愛をスザクが受け入れることだった。受け入れるということをセックスを証明として認識していた部分があったせいか、ルルーシュの中でスザクに対する想いが変化したのだろう。ルルーシュはまるで止まっていた時計の針が再び動き出したかのような気持ちになった。変えられる、これからは変われる。そして自分に言い聞かせるようにルルーシュはジノにスザクに対する自分の気持ちを答えた。しかし、ルルーシュの言葉はジノには届かなかったようだった。ルルーシュはジノが生徒会室に入ってきてから苛々しているなとは感じていたが、それは一時のものだろうと思っていた。たまに疲れたような顔をして来ても、少し話せばジノはいつも笑顔になってくれた。だから今回もそうだろうと思っていたのだけれど、ルルーシュの予想は酷い形で裏切られた。動き出した時計はジノの手によって完全に壊されてしまい、ルルーシュはただ呆然とベッドに伏した。そうしているうちに日は暮れ、ポケットに入れっぱなしだった携帯が鳴り響く。ベートーヴェン、交響曲第九番、第四楽章、歓喜の歌。安っぽいメロディに変えられたそれを耳にしてルルーシュはのろのろと携帯を取り出して通話ボタンを押した。このメロディに設定してあるのはあの人物しかいない。 「・・・もしもし」 「ああ、もしもし。私だよ。今晩の10時に来てくれるかい?」 何処に、など言わなくても分かる。いつもならすぐに分かりましたと言えるのに、ルルーシュはなかなか口が動かなかった。数秒だけ沈黙が流れる。その数秒の間にルルーシュは考えた。ジノとの関係が終わって、何が変わったのか。ジノと関係を持っている時だって自分はパトリスに何度か抱かれた。結局、自分はずっと同じ所に立っていただけだったのかもしれない。どんなに時間をかけても、どんなに考えても、自分は一歩も前には進んでいなかった。電話の向こうでパトリスがルルーシュの名を呼んでいる。ルルーシュは、涙を流したせいで鼻声になってしまった自分の声を飲み込んで言った。 「分かりました」 私はとても嬉しかった。ジノ様がまた私に会いに来てくれたから。最後に会ったのは去年の暮れだった、ジノ様はもう終わりにしようかとそれだけを言って私の部屋から出て言ってしまった。私は、最初はびっくりしたけどそれがすぐに冗談だと分かった。だってジノ様が私を捨てる筈がないのだから。きっとジノ様は私を嫉妬させるためにあんなことを言ったに違いない。私が、誰の所にもいかないでと泣く姿が見たいのだろう。私はすぐにでもジノ様を追いたかったけれど我慢した。ジノ様のほうから私のところに帰って来てくれるのを望んでいるから。ジノ様がやっぱり私じゃなきゃ駄目なんだと気づくまで待ってあげる、なんて優しい私なんだろう。でもいくら私が優しくても、いくら私を嫉妬させるためだとしても、他の女の所に行くのはちょっと許せない。だから意地悪をしてしまうの。相手の女の家に動物の死骸を送ってみたり、社会的地位から転落させるような噂を流してみたり。そんなお茶目な私の行動にジノ様が気づいているかどうか分からないけれどジノ様はすぐに女と別れてくれた。私が手を回さなくても別れてくれた時なんて、ああやっぱり私が居ることを分かってくださってるんだわと感じた。そうして、暫くの間ジノ様の周りに女性の噂がなくなった時期が来た。やっと私の所に戻って来てくれるのねと私はすごく喜んだ。でも、なかなかジノ様から連絡がこなくて私は苛々した。女の影がないのに、どうして私のところへ来てくれないのだろう。苛々して、限界になりそうだった時、ジノ様から連絡が来た。久し振りに会わない?と。私はすぐにジノ様の言ったマンションへと向かった。ジノ様はすぐに私を抱いてくれた。やっぱり私達は一緒であるべき存在なのだと私は泣いて喜んだ。もう離れない、もう離さない。私は幸せな日々の始まりを予感した、なのに、それはたった3日で終わった。ジノ様は、久しぶりに会えてよかったよ、またいつか会おうと言って私にお金を渡してきた。どういうことか分からず唖然としている私をジノ様はマンションから追い出した。なんで?どうして?やっと会えたのに、どうしてわかれなきゃいけないの?悲しみが怒りに変わって、私は一週間後ジノ様がいない隙を狙ってマンションに訪れた。こっそりと作っておいた合鍵でジノ様の部屋に入り、部屋の隅々を探し回った。私は、きっと私とジノ様の間を妬んだ誰かがジノ様を脅迫したのだと理解した。でなければジノ様が私にあんなことを言う筈がない。トイレからベランダまで、色々な所を探したが盗聴器や隠しカメラは見つからなかった。ジノ様は誰かに狙われている、私が助けてあげなければ。そう思いながらベッドルームに行くと、サイドボードにジノ様の携帯電話が置いてあった。ジノ様はふたつ携帯を持っていらっしゃる。一つは仕事用、一つはプライベート用。サイドボードに置いてあった携帯はプライベート用の携帯だった。私は迷わずにそれを取ると携帯のデータを調べた。ジノ様が誰かに脅されているのなら、そいつのデータがあるはずだ。そして私はある一つのデータを見つけた。ある写真データ、この部屋のベッドで黒髪の裸の人間が眠っている。上半身までしか映っていないそれだったが、その人物は明らかに男であり、周りの乱れたシーツを見ると行為後であったことが分かる。私は思わず叫んだ、こいつだ、こいつが私からジノ様を奪ったんだ。 「ッルルーシュ・・・ランペルージ・・・!!!」 「ジノと喧嘩でもした?」 「どうしてだ?」 「いや、ジノが学校に行きたがってないみたいだし、ルルーシュの話しようとすると逃げちゃうから」 「・・・ああ、そういうことか。いや、喧嘩ってわけではないんだが、少し揉めてしまって」 「それは、どっちが悪いの?」 「どちらが悪いとかではないのだが・・・そうだな、俺がジノを怒らせてしまったという感じかもしれない」 「へえ!じゃあよっぽどのことしたんだ?」 「よっぽどって・・・そんな」 「だってジノってルルーシュのこと好きでしょう?そのジノが怒るんだから・・・」 「ま、待て待て待て。ジノが俺のことを好きなわけないじゃないか」 「ええ!ルルーシュ、気づいてなかったの!?」 「気づくって、何がだ?」 「はあ・・・そっか、そうなんだ。まあジノも自覚はなかったみたいだしね・・・」 「だからなんのことだと言ってる」 「ルルーシュは分からなかった?ジノってばいっつもルルーシュにべったりだったじゃないか」 「そうだったか?」 「そうだよ。ルルーシュが学校に来てない時なんて、先輩はまだ来ないの?ってうるさかったんだよ?」 「・・・」 「ルルーシュが学校に来ればルルーシュの隣にずーっと居るし、僕がルルーシュのこと呼んだらそれだけで拗ねられちゃったもん」 「・・・そんなことは」 「ルルーシュだって嫌じゃなさそうだったから、僕はいつの間に仲良くなったんだろう?って不思議だったんだよ」 「嫌じゃなさそうなんて、俺はいつも迷惑してた」 「ルルーシュは口ではそう言うけど、顔はそんな風に見えなかったけどなあ」 「っ違うと言ってるだろう!」 「はは、そんなに怒らないでよ。・・・っと、ごめん。もう時間だ」 「分かった。すまない、今日は・・・」 「ううん、しょうがないよ。ナナリーの具合が悪いなら無理させたくないしね」 「そうか・・・その、スザク」 「ん?なに?」 「・・・婚約、おめでとう」 「ありがとう、ルルーシュ」 通話の切れた携帯電話をポケットに仕舞い、ルルーシュは男子トイレの洗面台に手をついて顔を俯かせた。はぁとため息が狭いトイレに響く。診察時間外だからか病院に人影はなく、ルルーシュがトイレに来るまでも数人の看護師と医師にしか会わなかった。パトリスが居る病院なのでパトリスに会ったら嫌だなと思いつつ、こんな広い病院で会うわけがないなとたかをくくっていた。ルルーシュはパトリスとの関係を次で終わらせようと考えていたので、今はパトリスには会いたくなかった。何故パトリスとの関係を終わらせようと思ったか、それはルルーシュ自身のため、また、ナナリーのためでもあった。ルルーシュは何の考えも無しにカジノなどあんな危ないところにバイトに行っていたわけでない。パトリスのような上流階級の者と繋がりを作っておくため、そして長らくの苦労が報われつい先日ある老医師がナナリーの件を全面的に引き受けてくれることになった。個人病院を経営しているというその老医師は噂にも有名な医師で、ルルーシュはナナリーをこの病院ではなくそちらの病院に行かせることに決めていた。なので、もうパトリスと身体を重ねなくてもよくなったのだ。勿論今までより金銭的な負担は大きくなるが、老医師は少しずつ払ってくれれば良いと言ってくれた。だからもしかするとこの病院に来るのも今日が最後かもしれない。ルルーシュが時計を見るとスザクとユーフェミアの婚約パーティーが始まる時間だった。ナナリーが風邪をこじらせてしまったため婚約パーティーには行けなかったが、ルルーシュは少し安心していた。婚約パーティーに行けばスザクとユーフェミアが婚約したという事実を再確認させられてしまうし、それにジノに会うかもしれない。ナナリーは婚約パーティーに行けないことをとても残念がっていたが、近いうちにおめでとうと改めて言いに行こうとナナリーと約束した。今ナナリーは診察中で傍には咲世子をつかせているから大丈夫だろう。ルルーシュは冷たい水で顔を洗うとハンカチで拭いてから鏡を見た。どうも最近、顔色が悪い。いくら寝ても疲れはとれないし、ストレスが溜まってるかのように胸が重い。ナナリーの風邪が移ったのだろうかと額に手をあててみたが自分では分からなかった。ルルーシュはセンサーに手をかざして水を流したままにしながら、さっきのスザクの言葉を考える。ジノが自分を好いていたのは興味からだと思ってて、それはルルーシュは嫌だと思っていたはずだった。けれどスザクには嫌という風には見えなかったという。ルルーシュは昔からあまり他人に触れられるのが嫌だった。だからジノがアッシュフォード学園に来て最初に会った時、抱きつかれた時に思わずその頭を引っ叩いてしまった。あまり触らないでくれと言ってみてもジノは遠慮するどころか無理にでも抱きついてこようとして、そのうちルルーシュのほうが折れてしまったのだ。 (・・・信用していたから、許した?) しかし信用するにはジノはあまりに不誠実すぎる。が、逆に不誠実だからこそ信用できたという部分もある。パッとした答えが見つからずルルーシュは首を傾げ、あの時のことを思い出した。いつだったか、たぶんジノと関係を絶つ少し前のことだった気がする。行為中にジノがキスをしてこようとした。よく考えたらその時までジノと唇を合わせたことがなくルルーシュはジノの唇を受け入れようと口を開いたのだが、覆いかぶさってくるジノがパトリスと重なってしまい思わずルルーシュは唇を拒んだ。咄嗟の行動に驚いたジノだったが一番驚いたのはルルーシュだった。今までパトリスと何度も唇を合わせたことがあるのに、何故ジノとのキスを自分が拒んでしまったのか。ジノは仕方ないというようにキスをやめてくれたが、行為が終わるまでルルーシュは何故なのだろうかとずっと思っていた。そして行為の終わったあと夢を見た。パトリスに海で追いかけられる、そんな変な夢。キスを迫ってくるパトリスから逃げるのだが夢の中なのに速く走れず、ルルーシュはスザクの名前を叫びながら助けを求めた。長い間スザクの名を叫び続け、遠くに人影を見つける。スザクだ!と思いルルーシュがその人物の胸に飛び込んで顔を上げると、それはスザクではなくジノだった。いつの間にか背後に迫ってきていたパトリスは消え、ついでに海も消え、ルルーシュはアッシュフォード学園の生徒会室でジノとキスをして夢は終わった。夢というものは場面や設定がころころ変わるものだから面白いものなのだが、どうして最後に出てきたのがジノだったのか分からない。ずっとスザクを呼んでいたはずだったのに、最後に出てきたのはジノだった。流れる水を見ながら暫く考えて、ルルーシュはもしかしたらこういうことだったのかもしれないと思った。 (ジノとパトリスが同じだと思いたくなかった?) パトリスとのキスとジノのキスの意味を同じにしたくなかったのかもしれない。ジノはパトリスと同じような奴なんだと思っていたけれど、心の中でジノを信じていたのかもしれない。 (そんなこと、今更分かったって・・・) ルルーシュはセンサーに手をかざすのを止め、水を止めた。そして再び時計を確認する。きっと今頃生徒会のメンバーは婚約パーティーを楽しんでいる頃だろう。ジノのことだからパーティー会場で女性にちょっかいを出しているに違いない。しつこく付きまとって逆に女性に嫌な顔をされるジノを想像してルルーシュはクスリと笑みをこぼした。明日、ジノに電話してみようか。いや、明後日でもいい。とにかくジノに電話して、そして怒らせてしまったことを謝って、学校に来るのを待ってると言ってやろう。最近ジノが学校に来てないのは忙しいからと本人が言っていたらしいが、ルルーシュは自分のせいなのだろうと思っていた。もし、もう一度ちゃんと向き合えるようになったらその時は、幼いころ初めて会った時のように素直な言葉を交わせるだろうか。ルルーシュはそう思いながらトイレを出た。足元しか点いていない電灯のせいで廊下は薄暗く、人影も見当たらない。診察室の近くのトイレで電話すると響くだろうからと上の階の人気のないトイレに来たのだが、静かすぎて不気味だ。早くナナリーの所へ戻ろうとルルーシュがエレベーターへ向かおうとしたその時。 「ルルーシュ・ランペルージさん?」 甲高い女性の声に呼び止められ、とんとんと肩を叩かれる。ルルーシュが振り返ると鬼のような形相をした女が立っており、それと同時にルルーシュは強く後ろへ突き飛ばされた。バランスを崩したルルーシュが背中から床に倒れると、女が馬乗りになってきてルルーシュの首に何かを巻きつけた。首輪のように平べったいそれはルルーシュの首をすっぽりと覆う。そしてそのまま体重をかける様にルルーシュは首を絞められた。驚き、ルルーシュは抵抗する。ジタバタと手足を動かし女を退かそうとするが、女の力は何かが取り憑いたかのように強い。 「死ねッ死ねッ死ねッ!」 女がブツブツ呟く。ルルーシュは女の髪を掴み引っ張ってみるが、女は退かなかった。それどころか締め上げる力を強くし、ルルーシュの顔が真っ赤に染まる。開いた口から声にならない音が漏れ、ルルーシュは吐き気と苦しさに意識がだんだんと霞んできた。ガリガリと女の手を引っ掻きながら、ルルーシュの世界はあっけなく閉じた。 パトリスは目の前に広がる光景になんということだと絶望した。娘が泣きながら電話してきた時から嫌な予感はしていたが、こんなことをしてしまっただなんて。パトリスは見なれた人物の傍でしゃがんで泣きじゃくる娘を見下ろした。パトリスは恐る恐る倒れる人物、ルルーシュの腕を取り脈を測る。まだ生ぬるさを感じられる腕だったが、脈はなかった。 「だって、だって、こいつが・・・こいつがジノ様を・・・」 嗚咽を漏らしながら涙する娘にパトリスは失望せざるを得なかった。以前から娘の精神がおかしいとは思っていたが、こんなことをしてしまうなんて考えもしなかった。けれど人を殺してしまったことは理解しているのか娘はごめんなさいごめんなさいと泣いている。パトリスはとりあえずルルーシュの死体をトイレまで抱えて移動した。便器の上に座らせ、ルルーシュの顔に触れる。真っ白な顔から指を滑らせ学生服の襟を捲ると、締められた痕がうっすらと赤く残っていた。パトリスは後ろで呆然とこちらを見ている娘を振り返り、その手に握られたスカーフを見た。 「パパどうしよう・・・」 ぐずぐずと涙を零しながら娘に問いかけられたパトリスは唇を噛んだ。娘を警察に突き出すのは構わないが、自分の経歴に傷がついてしまうのはなんとしても避けたい。ルルーシュの死体を隠すか?いや、しかしもし警察が動いてパトリスとの関係がバレたら厄介だ。しかも今この病院の中にはルルーシュの肉親であるナナリーが来ている。どうするか、どうしたら、何をすれば。パトリスはこと切れたルルーシュの死体を見つめながらジッと考え、振りかえらずに娘に言った。 「・・・そこの用具入れに、カートがあるからそれを持ってきなさい」 「えっ?」 「いいから、持ってきなさい!」 パトリスが怒鳴ると娘はオロオロとしながらトイレの一番奥にあった用具入れを開けた。布製の大きなカートは普段ならば看護師がシーツなどを運ぶ時などに使うものだ。娘がそれを持ってくるとパトリスは中に入っていた箒やバケツなどを全て取り出し、ルルーシュを中に入れた。上から自分の上着を被せ、外から見えないようにする。これから行おうとしていることがうまくいくかどうか分からない。しかしパトリスの予想通りに事が進めば、全ては上手くいく。パトリスは額に浮かんだ汗を拭い、カートを押し進めた。 「パトリス先生、ルルーシュは・・・」 「後頭部を強く打ったことによる脳挫滅ですね。恐らく、階段から足を滑らせたのでしょう」 「っでも、首の痣はなんだったんですか?それに、仰向けに落ちるなんておかしいと思いませんか!?」 「首の痣はたぶん階段の角に打ちつけた際にできたものでしょう。ミレイさん、私は医者です。彼がどういう理由で亡くなったのかは分かりませんが、私にできることは死因を調べることだけなのです」 パトリスは出来るだけ冷静を装いながらミレイに告げた。ミレイは悔しそうに唇を噛み締め、分かりましたと呟く。警察に届けられるのなら私が書類を書きますがとパトリスが言うとミレイは首を横に振り、ルルーシュの身体だけ引き取らせてもらうと言った。あとは書類上の手続きだけですのでと看護師に連れられて行ったミレイの背中を見てパトリスは詰めていた息をどっと吐いた。警察に届け出を出さないと言うとは思わなかったが、そちらのほうがこちらには都合が良い。これで上手くいったなとパトリスは満足げに椅子の背もたれに体重をかけた。パトリスはルルーシュの死体をルルーシュの自宅であるクラブハウスまで持っていくと階段の上から落とした。ルルーシュの死を事故とさせるために落としたのだ。最初は病院の屋上から落とすことを考えていたのだが、ルルーシュと自分との繋がりの証拠が残っていた時のことを考えクラブハウスに変更した。ルルーシュの携帯からパトリスは自分のデータを全て消してから、パトリスはすぐに病院へ戻った。アッシュフォードが自分のところの病院を贔屓にしてることは知っている。もしルルーシュが運ばれてくるならばこちらに連絡が来るはずだ。ただ賭けだったのが、アッシュフォード家が警察と病院のどちらを先に連絡をするかだった。結果はパトリスの予想通りだったのだが、予想外だったのは救急車を呼んだのではなく、まるで人目を避ける様に普通の車にルルーシュを乗せて来たのだ。パトリスは自分から検死をすると名乗り、そして死因を捏造した。 (危ない橋を渡ったもんだ・・・) しかしこれでもう安心だ。自分に傷がつくことはない。パトリスはそう安心し、ルルーシュのことを早く忘れてしまおうと目を瞑った。 「ジノ、この人」 「ん?・・・っこの人は・・・」 「ジノの元彼女の家族じゃないの」 「あ、ああ。確か医者をしていたと思ったけど・・・そうか、亡くなったのか」 新聞の隅に小さく記事が載っている。アーニャが広げていたそれをジノが読むと、車が電柱に正面衝突して中に乗っていた人物が死んだという死亡記事だった。ジノはこの人物に一度だけ会ったことがあったが、特に印象もないただの男だった気がする。記事によるとパトリス氏は夜中に車を運転中、ハンドル操作を誤って電柱に衝突してしまったらしい。しかも、エアバッグが作動せずフロントガラスに頭を突っ込んで出血死してしまったそうだ。悲劇としか言いようのない記事にジノはため息をつく。アーニャは記事の最後のほうに書かれていることを口で読み上げた。 「尚、パトリス氏には政治献金や医療費の着服などの疑惑があり調査をしている・・・」 「はあ、そういう人だったのか・・・。なんというか、残念だよ」 「心配?元彼女のこと」 「あのなぁアーニャ、元彼女っていうけれど彼女とは正式にお付き合いをしていたわけじゃないんだよ。向こうが抱いてくれっていうから・・・」 「でも彼女は付き合ってると思ってた。ジノに近づかないでって、私は言われた」 「えぇ!?そんなこと聞いてないぞアーニャ!」 「だってジノに言わなかったもの」 とんだ娘を抱いてしまったんだなとジノは後悔した。しかし、噂に聞いたことなのだがその娘は今は精神病院に入院しているらしい。何があったのかは知らないが廃人状態で会話もろくにできないほど精神を病んでしまったという。一度関係を持った相手とはいえ憐れんでしまう。しかしジノが思ったのはそれだけだった。新聞から目を離したジノは止めていた書類整理を再開させた。アーニャも息抜きに読んでいたそれを畳みジノの隣で書類整理を始める。今の二人にとってあの記事は話題の中の一つでしかなかった。また、ジノとアーニャが読んでいなかった記事のある部分にはこう書かれていた。大破したパトリス氏の車はエンジンや電機系統は全て壊れたはずなのに、事故後、車のカーステレオから音楽が流れ続けたのだという。流れつづけたという音楽のタイトルは歓喜の歌。何度も何度もリピートされたそれは最後、青年の笑い声と共にブツリと切れたらしい。幽霊かそれともただの機械の故障だったのか、原因は分かっていないという。 ------------------------ 娘も後に精神病院内で自殺。紫の瞳が見ているという言葉だけ残し首を吊った。 |