ゼロの行方が分からくなって一週間、ルキアーノはトウキョウ租界に居た。煌びやかなネオンの光を浴びながら、黒のスーツを纏って夜の街を闊歩する。先ほど抱いた女の香水の香りが鼻につき、思わず眉を寄せる。スーツに染みついたのか、首元を擦ってみても香りは取れない。威勢がいいだけの馬鹿な女だったなと思いながらルキアーノは両手をポケットの中へ突っ込んだ。通り過ぎるブリタニア人達はルキアーノの存在に気づくことなく通り過ぎて行く。誰も、まさかこんな所にラウンズが居るとは思わないだろう。ナンバーの低いラウンズなど正装を脱いでしまえば所詮こんなものだ。しかしルキアーノは全く気にしていない。ルキアーノがラウンズに居る理由は国でも地位でも名誉でもなく、殺戮なのだから。ラウンズは皇帝に近い存在のためメディアに露出する機会も多いはず。しかしメディアが取り上げるのはヴァルトシュタインやヴァインベルグや枢木などのラウンズばかりで、戦場ばかりを駆けまわっているルキアーノはメディアからインタビューすら来ない。どうやら世間でもルキアーノはラウンズの中で異端だと思われているらしい。それもまた、ルキアーノは気にしていないのだが。ともかく、いつも戦争にしか呼ばれることのないルキアーノが何故エリア11にいるのかというと、その理由はゼロだ。一週間ほど前、ナナリー皇女がエリア11の総督に就任してからゼロの行方が全く分からなくなったということらしい。これは、公にされていない情報だ。ナナリー総督が合衆国日本への協力を黒の騎士団に要請したのだが、向こうの返答はゼロの行方が分からないので返事をすることができないというものだった。これを好機と捕えたのかどうなのかは知らないが、ルキアーノは皇帝の命を受けてエリア11へ降り立ったのだ。ルキアーノだけではなく、手の空いていたクルシェフスキーもエリア11へと来ている。二人での行動を頼むと言われたのだがそんな命令など聞く筈もないルキアーノは一人でトウキョウ租界を歩き回っていた。ゼロを探しているわけではなく、ただ、なんとなく。ルキアーノとしてはゼロには勿論興味があった。大口を叩いているテロリストを自分の手で殺せたらどれだけ楽しいことだろうかと、機会がないかと伺ってもいた。しかし今のゼロは興味がない。ゼロの行方不明の理由は全くもって分かっていないらしい。黒の騎士団の中からゼロだけが忽然と姿を消した。と言うことは今回の行動はゼロの単独の行動となる。テロ行為に繋がる可能性は否定はできないが大きくはないだろう。つまり、ゼロ"個人"の理由からの失踪。ゼロの正体がどんな人間であれ、刃を持たない相手を探してまで殺す趣味はルキアーノには無い。あくまで、自分が有利と信じて疑っていない奴を殺すのが楽しいのだから。

「ねえ、お兄さん。何処行くの、遊ぼうよ」

甲高い女の誘い言葉。ルキアーノはそれを片手で払って、足を進める。ルキアーノはエリア11には来たことがあるがこうやって租界をちゃんと歩いたのは初めてだった。一個人として見るならばトウキョウ租界は"よく作られた"場所だと思う。よく作られたブリタニア人のための玩具箱。ルキアーノは租界の大通りを外れ、暫く歩いた。そうすれば直ぐに寂れたゲットーが見えてくる。ルキアーノは新宿再開発地区という看板の前に立った。そして辺りを見渡す。ここはなんて冷たい所なのだろうか。華やかな租界の空気など流れてこないこの場所は、ニホンジンの墓場だ。戦う意志もない、愚民。くだらないと思っていると突然ルキアーノは肩を掴まれた。振り返れば明らかにガラの悪そうな金髪の男。

「おい、アンタ。こんな所で何してんだ」
「………」

ニタニタ笑う汚い笑み。瞳孔の開ききった男はイレヴンではなくブリタニア人のようだ。そしてよく見てみれば男の背後に数人、イレヴンが立っている。まるでルキアーノを囲むようにして立っているイレヴンの男達もまた瞳孔が開ききっていた。

「ジャンキーか」
「なあアンタ、ここで何してんだって聞いてんだよ」
「汚い手で触るな」
「なっ…なんだとこの野郎ォ!!!」

肩を掴んでいた手を振り上げブリタニア人の男が拳をルキアーノの顔めがけて振り下ろす。しかし、ルキアーノに衝撃は来なかった。代わりに、ルキアーノの傍らに何かがボトリと落ちた。男の掌がまるまる、地面に落ちている。

「ア、アアアァァァ!!!!!!」

男はあったはずの右手を押さえながら地面にのた打ち回る。血液が噴き出す様はいつ見ても綺麗だが、こんな男の血には何の価値もない。ルキアーノは懐から出したナイフについた血を布で拭き、再び懐へそれを戻した。悲鳴を上げるブリタニア人の男を見てイレヴン達が騒ぎ出す。

「てめェー!!!」

一斉に飛びかかって来たイレヴン達を、ルキアーノは今度はナイフを使わずに地面に沈めて行った。数分後にはルキアーノの周りには呻きながら男達が倒れていた。相手の血で汚れてしまった頬を拭い、ツバを吐く。本当にくだらない。この場所は、所詮、そんな場所だ。窃盗、密輸、人身売買に、麻薬。エリア11の汚い所は全てゲットーに集まる。租界での"事件"など、上流階級のお遊びにしか過ぎない。もっと、人間同士が殺し合うおぞましい事件は、ゲットーでしか起きないのだ。ルキアーノは助けを求める男達の手を踏みつけ、看板の横を通り抜けて租界へ繋がる道へ向かった。ルキアーノがここに来たのには一応理由がある。恐らく、ここはゼロが初めて行動を起こした場所だ。少なくともルキアーノはそう思っている。シンジュク事変はゼロが行ったものだという、それ以前にゼロが起こした事件はない。ならば、ゼロが表立って何かを行った場所はここである。犯人は現場に戻る、というわけではないのだが、なんとなく、ゼロがここに居そうな気がしたのだ。居たからと言って、どうにかしようというつもりはルキアーノには無いのだが。見つからないなら見つからないで早くエリア11なんかではない戦場へ行かせてもらえないだろうか。

「…ん?」

そんなことを考えながらルキアーノが租界へ戻る道を歩いていると、ふと、廃墟になったビルとビルの間で何かが動いた気がして足を止めた。通り過ぎたその抜け道を覗くように二、三歩下がる。誰かが使っていたであろう青いビニールシートの横に大きなゴミバケツ。その隣にはプラスチックのケースが無造作に積み重なっている。見間違いだったのだろうかとルキアーノが更に目を凝らせば、居た。ケースの奥に隠れる様に、誰かがそこに蹲っていた。プラスチックのケースが灰色をしているため、白い服を着たその人物は見つけにくかった。しかし一度その存在を見つけてしまえばすぐに分かった。地面に座り込むような体勢で荒く息をしている。少し長めの黒髪だったが、骨格や息遣いの間から聞こえる声などから男だと分かった。口元を押さえながらゼエゼエ と呼吸をしている姿は弱々しい。ルキアーノは目を細め、その男の腕を見た。 無数の注射針の痕、やはり、ジャンキーか。興味が消え失せ、ルキアーノが踵を返す。しかしその時ルキアーノのつま先がビニールシートにぶつかり、ガシャッ!という思った以上に大きい音が出た。その音に、座り込んでいた男が肩を跳ねあがらせる。そして顔を上げた。

「…ッハ、ゥ、っ…ハッ…!」

男は、意外にもまだ幼かった。青年と言った方が正しいだろう。青年の瞳はゆるゆるとルキアーノの方を見て彷徨っている。焦点の合わない瞳は虚ろで力が無い。青年の症状は明らかに薬切れだ。いったい何の薬かは知らないが、その目を見て、恐らく幻覚作用のあるものだと思う。ならば、今このあたりではリフレインが大量に売買されていると聞いていたので、リフレイン中毒者だろう。けれど見たところこの男はブリタニア人だ、リフレインは主にイレヴンに売られると聞いていたのだが。ブリタニア人でもリフレインを使う奴は居るが、使うメリットなど無いと言うのに。青年の瞳が音の発生源を探すようにルキアーノを捉える。そのまま視線は足先から胴体へ行き、ルキアーノの顔を見つめる。そして、青年とルキアーノの目が合った瞬間、青年は目を見開いて飛び退いた。飛び退いた、と言っても足は動いておらず、手で地面を掴んで数十センチ下がっただけだが。

「……………」

ルキアーノはこんなつまらない人間を虐げるほど馬鹿ではない。目に留めるほどの人間でもない。けれど、ルキアーノは青年の瞳を見て、違和感を覚えた。薬が切れたジャンキーが今起こす行動と言ったら、逃げ出すか、攻撃をしてくるかだ。多くのジャンキーは攻撃を選択するだろう。薬切れ、ということは新たに飲む薬を持っていないということ。新しい薬を手に入れるには、金が必要だ。なので多くのジャンキーは薬が切れたら、人に攻撃をしてくる。金銭を奪うために。今ルキアーノの前に居る男は逃げだしもせず、攻撃もしてこない。廃人かとも疑ったが、廃人と呼ぶには不釣り合いな瞳が力強くルキアーノを睨んでいた。

「お前…」

思わずルキアーノが声を漏らす。青年の睨みは恐怖でも、怒りでもなく、ただ身を守る威嚇の目をしている。ルキアーノが手を出せば立ち向かって来そうなその瞳。この状況で、だ。どちらが強者でどちらが弱者かなど分かりきっていることなのに。暫くの間、ルキアーノと青年は睨み合った。ルキアーノは、心の奥がざわつくような奇妙な感覚に襲われ、気づけば何も言わないまま路地を出ていた。自然と、ルキアーノが逃げたような形になった。政庁に戻ったルキアーノは寝室のベッドの上で、ただ天井を見上げていた。目を瞑ればあの瞳が思い浮かんでくる。ただのジャンキーと分かっているはずなのに、どうしてもあの瞳が頭から離れない。ただの虚勢だったのかもしれない、だが、あの青年は逃げようとはしていなかった。

「…ッチ」

次の日、ルキアーノは夜になるとまたゲットーへ向かった。昨夜と同じ道を通り、看板の前まで行くと道を引き返す。通りがかりにビルの間を覗いてみると、青年はまだそこに座ったままだった。今度はルキアーノは近づかなかった。ただ通り過ぎる時に視線をそちらへ向けるだけで。そのまた次の日、ルキアーノは同じようにゲットーの道を往復し、青年の姿を確認した。更に次の日、と日にちを重ねて行き気づけば4日が経とうとしていた。青年は、少なくともルキアーノがその道を通る時はそこから動いていなかった。ルキアーノは何故、自分がこのような行動をしているのか理解ができなかった。ただ、強いて言えば、気になるのだ。あの瞳が。それだけの理由でルキアーノは無駄な往復を繰り返していた。そして、5日目の夜。騒ぎ声が聞こえていたので、なんとなく予想はついていた。ルキアーノがまた同じようにビルの間を覗くと、あの青年を数人の男達が囲んでいた。何やらもめているようで、青年は両腕をそれぞれ男達に掴まれているようだ。青年は抵抗しているようだが、二人がかりで掴まれていたら簡単に解けるわけもない。

「てめェ、よくも逃げやがったな」
「…は、なせ!」
「なんだその態度はよ、あ?もっペン打っとくか?」

青年の前に立つ男の手には、カバーの外された注射器。青年の鼻先に針の先端を突きつける男はいやらしい笑みを浮かべていた。青年は抵抗はしているが逃げようとはしない。ああ、なんと馬鹿な奴なのだろうか。気づけばルキアーノは、青年に針を突きつける男の方を掴んでいた。

「…おい」
「ッて、てめぇは…!」

ぎょっと目を見開いた男達にルキアーノは見覚えがあった。確か、初めてこのゲットーに来た際に突っかかって来た無謀な奴らだったと思う。ルキアーノが手首を切り落とした男は居なかったが、それ以外のメンツはほぼ同じ顔だった。男達はルキアーノを見た途端、ルルーシュから手を離した。ルキアーノの行動を窺う様にジリジリと後退し、悪態をつきながら路地の奥へと逃げて行った。あっという間に退散して行った男達の背中を、興味もないと言う様に見たあとルキアーノは青年の方を見る。青年は、男達が逃げる時に押されたのか地面に両手をついて座り込んでいた。乱れた白いシャツは土で汚れていて、左肩の部分は大きく露出している。

「逃げるのなら、せめて場所くらい変えたらどうだ」

ルキアーノは青年と目線を合わせる様にしゃがむ。青年は男達の消えて行った路地の奥を見た後、ルキアーノの方を見た。先ほど抵抗していた時のような強い瞳は消え失せて、ただ、虚ろな紫色がルキアーノを見ている。ルキアーノはひらひらと掌を青年の顔の前で動かした。だが、青年の瞳に光は戻らない。ぼうっとした仄暗い瞳が、ルキアーノを見つめる。どうやら、この青年のあの強い瞳は、自身に危害が及びそうになった時に見れるものらしい。さて、無意識のうちに邪魔をしてしまったものの、どうするか。ルキアーノは初めて見た動物を見る様に青年を上から下まで見てみた。みすぼらしい格好、土に汚れた肌、乱れた髪。白い肌には点々と注射の痕と、恐らく乱暴された痕跡が。

「自分を守ることもできないくせに」

貶すように吐き捨ててみるが、青年は不思議そうな顔をしてルキアーノを見ているだけだ。首を僅かに傾けて、言っている意味が分からないと言うように眉を寄せている。言葉が分からないというわけでもないのに、どうしてそんな顔をしているのか。見ず知らずの男に声をかけられて不信に思っているなら分かるが。ルキアーノは立ち上がり、空を見上げた。夜空を埋め尽くすどんよりとした雲と湿った空気。今にも雨が降り出しそうな空だった。ここに雨をしのげそうなものはない。冷たい風が吹き抜けて、とうとう雨が降り出し始めた。ルキアーノは両手をポケットに入れて、青年を見下ろした。

「来るか」

霧のような雨が降る中、青年は静かに頷いた。




身形を整えてやりそこで初めて気づいたが、青年は整った顔立ちをしていた。租界の中でも有数のこの高級ホテルは、予約など取っていなくてもラウンズの証明書を見せればすぐに最上階の部屋が用意された。スーツのルキアーノと並ぶのが不釣り合いなほど汚い格好をしていた青年をルキアーノはベルボーイに押し付けた。一時間以内に身形を整えて連れてこい、と命令して。ベルボーイは完璧な笑顔でかしこまりましたと礼をして青年を連れて行った。青年は不安そうな顔をしてルキアーノを見たが、すぐに部屋の扉は閉まった。一時間後、部屋に入って来たのが誰なのかルキアーノはすぐには分からなかった。ただ、青年の後ろにベルボーイが笑顔で立っていたので、それが先ほどの青年だと分かった。ホテル内にはブティックがある。恐らくそこで服も交換させられたのだろう。ゲットーで身にまとっていた汚いシャツは純白のシャツに変えられ、所々破けていたスラックスも真新しい漆黒のそれに変えられていた。清潔に整えられた黒髪から、紫の瞳がルキアーノを見ている。

「来い」

ベッドに腰掛けているルキアーノが手招くと、青年はのろのろと歩いてルキアーノの前に立った。生気の感じられない顔がルキアーノを見下ろす。頬にかかっている黒髪に触れ、それを掻き上げながらルキアーノは聞いた。

「名前は」
「…名前?」
「そうだ、名前だ」
「……ルルー、シュ」

初めて会話らしい会話をしたが、どうも覇気がない。ルキアーノはルルーシュの髪の毛から手を離し腕を組んだ。

「薬は、自分で使ったのか」
「…分からない」
「分からないことはないはずだろう、お前のことなんだから」
「分からない、何も…」

ルキアーノは目を細めた。立ったまま動かないルルーシュの腕を掴み、覗きこむ。ルキアーノが睨んでもルルーシュは顔色一つ変えず、もう一度分からないとだけ呟いた。薬の影響なのか、それとも精神的なものなのか。名前は分かるが、自分が何者なのか分かっていない。ルルーシュは、いつの間にかあの場所に居たのだと静かに答えたが、それまでの経緯は全く分からないという。つまり、ルルーシュには過去の記憶が無いようだ。ルキアーノは、そうかとだけ呟いてルルーシュの腕を強く引いた。突然腕を引かれてしまったのでルルーシュは抵抗する間もなくベッドに倒れこんだ。ルキアーノが乱暴にルルーシュの靴を剥ぐ。

「生憎、ベッドは一つしかない。嫌なら出て行け」

ルキアーノはそれだけ言うと、さっさと布団の中に潜り込んだ。ルキアーノにとってルルーシュの過去のことなどどうでもいい。名前だって、呼び方に困るから聞いただけだ。何も覚えていないというは嘘かもしれないが、それならそれでよかった。ルキアーノ自身が、何故ルルーシュを連れてきてしまったのか分かっていなかった。ただ、あそこに置いておくのは勿体ない気がしたのだ。勿体ないと思っただけであって、特に傍に置いておくつもりもない。野良猫を気まぐれで拾って来たと思えばいい。そう思いながらルキアーノは電気を消して目を瞑った。電気が消えて少ししてから隣に人の体温を感じ、ルキアーノはそのまま眠りに落ちた。




「噂になってますよ。ナイトオブテンの後ろに幽霊がついて回ってるって」
「じゃあゼロが見つからないのはその幽霊の呪いということにしておけ」

クルシェフスキーの咎めるような声が聞こえた気がしたが、ルキアーノは構わず通話を切った。携帯電話をテーブルの上に投げ出すと、ガコンという不快な音が鳴って、本を読んでいたルルーシュが顔を上げた。うるさい、というようにじとりと見られたがルキアーノは気にせずソファに寝転がった。クルシェフスキーの電話は注意のようなものだった。それもそうだろう、ここ最近は政庁に戻ってすらいない。一応、ラウンズの仕事はこなしているつもりだが、ゼロの行方など分かるわけもない。しかし、それだけだったらクルシェフスキーも電話をよこしてこなかっただろう。問題は、ルルーシュのことである。ルキアーノはルルーシュに、出て行きたければ勝手に出て行けと言ってある。だがルルーシュは出て行くどころかこの部屋から動こうとしなかった。日がな一日、窓の外を眺めていたり、ベルボーイに本を貰ったそれを読んでいたり。ただ、ルキアーノが部屋を出て行こうとすると必ず付いてくるのだ。ルキアーノの半歩後ろについて、ひたひたとルキアーノの後ろについてくる。邪魔だと思ったのは最初だけで、今じゃもう気にならなくなってしまった。堂々と道を歩くルキアーノの後ろを俯き加減で静かについていくルルーシュの姿は傍から見れば変に見えただろう。親のあとをついてくる子供のようにに見えたかもしれない。ルキアーノの行動範囲は広い。その分、ルルーシュを連れて歩く範囲も広くなる。ルルーシュを連れて歩く姿が目撃されてもおかしくは無い。クルシェフスキーは、ルキアーノが租界で引っ掛けた女を連れ回していると思っているだろう。別に引っ掛けたわけでもなければ連れ回してもいないし、それに、女じゃない。ルキアーノは懐からナイフを出し、刃が剥き出しのままのそれを宙へ投げたりして手の中で遊ぶ。

「血が足りないなァ」

戦場へ行きたい。早く人の命を破壊したい。暫く、と言っても一週間ほどだが、握っていないパーシヴァルのグリップの感触を懐かしく思う。ここ最近では毎日、適当な人間を捕まえては一方的な喧嘩を仕掛けているがそれもそろそろ飽き始めた。喧嘩は喧嘩、殺しは違う。こんな場所で殺しをして何か言われるのも癪なので手加減をしなければいけない。戦場ならば、いくら傷つけてもいくら殺しても、誰も何も言わないのに。戦場で無ければただの厄介者なのかと、ルキアーノは自嘲する。ヒュン、と大きく頭上へナイフを投げる。くるくると宙を回転してルキアーノの手元に戻ってくるはずだったそれは、横から伸びてきた手によって取られてしまった。さっきまでそこで本を読んでいたルルーシュがいつの間にかルキアーノの横に立ち、ナイフを掴んでいた。一歩間違えれば手を切ってしまうというのに。ルルーシュはナイフをテーブルの上に置く。

「危ないから、やめてくれ」
「…危ない?」

こくりとルルーシュが頷く。危ないと言われても、よく分からない。何故ならあの状況で危ないのはルキアーノだけだったのだから。ナイフが飛んでくるわけでもないのに危ないと言ったルルーシュの言葉の意味が分からない。するとルルーシュは更に、言いにくそうにポツリと漏らす。

「…それと喧嘩も危ないから、やめてくれ」

ルルーシュの言葉に混乱しそうになったルキアーノだったが、そういうことかとやっと理解できた。ルルーシュではなくルキアーノが危ないからやめてくれということか。つまり身を心配されたということ。思いがけなかったそれにルキアーノは思わず声を上げて笑ってしまった。なんて面白いことを言うのだろうか。危ないから、なんて。自分が負けるわけがないのに。喧嘩にも刃にも負けるはずがない。力を持っているのだから。

「ハ、ハハハ!どうして危ないんだ?私には力がある、絶対的な力だ。それを妨げるものなんて、なあ、ないだろう?」

ルキアーノが不敵に笑ってみせると、ルルーシュは悲しげな顔をして首を横に振った。胸元で握り締められているルルーシュの手が落ち着きなく服を掴む。

「違うんだ。力があっても、傷つかない人間なんていない」

ルルーシュがまるで自分がそうであったかのように苦しげな顔をする。ルキアーノは怪訝に目を細めて、上半身を置きあがらせた。お前、と呟いた声が空気中に消える。言葉が途切れ、シンと部屋が静まり返る。ルルーシュは、普段は口数が少ない。最近やっと増えてきたと思っていたところだった。ルルーシュは態度はおとなしいが、口は意外と達者なもので、ストレートに言葉を伝えてくることが多い。普通の人間ならばルキアーノを恐れて言えない文句も、まるで友人に注意するかのようにルキアーノは言ってくる。それだけに、今のルルーシュの言葉にどんな意味があるのかルキアーノには理解しきれなかった。暫くの沈黙のあと、それを破ったのはルキアーノの大きなため息だった。

「だったら、この欲望をどう発散すればいい」

ルキアーノに破壊衝動を抑えることはできない。下手に抑え込むと、爆発した時に、酷いことになるのだ。適度な暴力、それこそがルキアーノの精神を落ち着かせるもの。やめろと言われて止められるわけがない。ルキアーノは後頭部を掻き毟る。まさか、危ないからやめろだなんて女みたいなことを言われるとは思っていなかった。本当の女だったらまだ許してやれるが、男に言われても。

(…女?)

不意に、ルキアーノの脳裏にルルーシュを連れてきた日のことが思い出される。注射痕の他に見えた、乱暴をされた痕。ルキアーノはルルーシュの顔をジッと見つめた。喋れば声の低さで男だと分かるし、骨格も女性のものではない。しかしそれらに目をつむれば、ルルーシュは、十分抱ける男だ。ルキアーノはニタリと笑うと、ルルーシュの腕を力強く掴んだ。驚くルルーシュが抵抗する前に、そのまま立ち上がりベッドへ投げ捨てる様に突き飛ばす。軽いルルーシュの身体はいとも簡単にベッドの上に転がった。

「な、にするんだ!」

ルルーシュが身を起こす前にベッドの上に乗り、ルキアーノは仰向けのルルーシュの腹に跨って座った。両肩を押さえつければ、ルルーシュが身を捩って抵抗する。だがそんな僅かな抵抗はルキアーノにとって障害ではない。ルキアーノは肩を掴んでいた手を離して、代わりにルルーシュの手首を力強く捻り上げた。痛みに呻くルルーシュの身体がのけ反る。それさえも押さえつけて、ルキアーノはルルーシュの唇に噛み付いた。

「ン、ム…ゥ…ッ!」

ルルーシュが目を見開き、顔を左右に振る。抵抗するルルーシュの様子を楽しげに見つめながらルキアーノは更に強く手を捻った。

「あ゛ッ、ぐ、んンゥ…ッ!!!」

ルルーシが痛みに声を上げた瞬間、開かれた唇に舌を侵入させる。一度侵入してしまえばこちらのもので、ルキアーノはルルーシュの口内好き勝手に蹂躙した。だらだらとルルーシュの口の間から唾液が垂れ落ちる。魂を吸い取るように思う存分唇を味わったルキアーノが顔を離すと、ルルーシュがルキアーノをキッと睨みつけた。生理的な涙は浮かんでいるものの、その瞳は、ルキアーノの頭に強く残っていた瞳と同じものだった。唾液で汚れた口元をルキアーノは手の甲で拭いて、フンと鼻を鳴らす。

「暴力が駄目なら、お前が犠牲になればいい」

ルルーシュの瞳が揺れる。パクパクと何か言いたそうに唇が動いていた。ルキアーノの言葉は、半分は冗談だ。冗談というより、逃げ道だ。ルルーシュが本気で抵抗をするならばルキアーノは無理強いしないし、それでルルーシュが逃げ出しても追わない。恐らくここが、ルキアーノとルルーシュの分岐点となる。

「嫌なら、今すぐ逃げろ」

ルルーシュの手首を解放してから、脅すような低い声でルキアーノが宣告する。ルルーシュは戸惑うように視線を彷徨わせる。逃げられて当然と高をくくっていたルキアーノだったが、ルルーシュの手がルキアーノの服を縋るように掴んだ。

「………」

言葉での答えは無かった。しかし、態度を見れば分かる。安易な判断ではないかとルキアーノは思ったが、構わず、ルルーシュのシャツを引きちぎった。乱暴に抱いた。最中、ルルーシュはずっと、泣きそうな顔をしていた。




何か、とてつもない絶望を感じた気がしたのだが、目が覚めたルルーシュにはそれが何か分からなかった。むくりと起き上がり、乱れた髪の毛を掻いて、そこで自分が泣いていたことに初めて気づいた。慌てて目を擦ると、隣で眠っていたルキアーノがううんと唸る。ルルーシュが振り返りると、ルキアーノは寝返りをうって、穏やかな寝顔を晒していた。こうしていたら、ただの男なのに。そう思いながらルルーシュはルキアーノを見つめた。ルルーシュは、自分が何者か分からない。気がつけばゲットーに居た。自分の名前は覚えているものの、過去のことは思い出せなかった。ルルーシュが思い出せるもっとも古い記憶は、ルルーシュの目の前でリフレインを掲げる貴族の男だ。何故、そうなったのか。どうして、そんなことになったのか。分からないままリフレインを打たれた。リフレインは過去の思い出に浸る薬物。幸せな思い出に浸った記憶はあるのだが、その内容は思い出せなかった。三度目に打たれそうになった時、ルルーシュは逃げ出した。ゲットーの中を走り回り、何故か追ってくる男達から逃げ。しかし、リフレインの副作用なのか酷い苦しみがルルーシュを襲った。だれにも見つからないようにビルとビルの間でジッと苦しみに耐えていた。どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか、自分のことも分からず、孤独に心が押しつぶされそうだった。ルキアーノを初めて見た時、ルルーシュは無意識のうちにルキアーノを敵と見なしていた。ルキアーノの顔に、見覚えがあったのだ。昔何処かで会ったのかもしれない、が、分からなかった。ただ、この男は敵だと、脳がそう命令した。そのあと度々ルキアーノが道を通っていたのはルルーシュには分かった。自分のほうを見ていることにも。ルキアーノが道を通るたび、攻撃されるのではないかとルルーシュは内心怖れていた。だが二回目にルキアーノが現れて、ルルーシュは驚いた。ルルーシュを助けるような形でルキアーノが現れたからだ。ルキアーノは危険だと本能が警鐘を鳴らしているのに、それでも、ルルーシュはルキアーノの手を取ってしまった。

「…ッは…」

ルルーシュは心臓の痛みを感じて蹲る。ルルーシュがルキアーノからの性行為を受け入れてしまったのには理由がある。ここから逃げたら行く当てがないこと、それと、ルキアーノを放っておいてはいけないということ。少しの間、一緒に行動しただけでルキアーノの危険な思考はすぐに知ることができた。ルキアーノは獣だ。激しい生き方をしていると、ルルーシュは思う。だがそれ故に自分の身が焼かれていることに気づいていない。ルルーシュは、ルキアーノを止めたかった。だから、逃げなかった。でも、それと同時に、ルルーシュの心の中に言いようのない不安が込み上げた。ルルーシュの本能はルキアーノを拒絶しているのに、ルルーシュの心はルキアーノを求めていた。

(俺は、ルキアーノを知っていたのか?俺は、何者なんだ?)

分からない、何も分からない。それが苦しい。ルルーシュはルキアーノに身を寄せる様に再び横になると、少しだけ指先を触れさせて目を瞑った。何も思い出せないけど、今は、思い出したくない気がする。それはただの予感なのだが、思い出してしまったら、何かが壊れそうだと思ったのだ。




「このホテルも飽きたな、移動しよう」

そう言って連れだされたのはいいが、人ごみの波に飲まれてルルーシュはルキアーノとはぐれてしまった。いつもならば見失わないのに、今日は何だか人が多く足下に気を取られているうちにルキアーノの姿は無くなっていた。突然見知らぬ場所に放り出されたルルーシュはとりあえず近くにあった洋服屋の前のベンチに腰を下ろした。辺りを見まわしてみてもここが何処なのかも分からず、不安で胸が押しつぶされそうになる。いつも外に出るときはルキアーノと一緒だった。この道も何度か通ったことはあるが、この先が何処に繋がっているのか分からない。どうしよう、そんな言葉ばかりが頭の中で回り始める。ルキアーノを探しに行くか?いや、見ず知らずの場所を歩く勇気などない。なら、元のホテルまで戻る?ホテルの場所なんて覚えてないし、名前だって分からない。ここで動かずに待っているほうが賢明だろう。ルルーシュはそう決めてここで待つことにした。それにしても今日は何故こんなにも人が多いのだろうか?ルルーシュは近くに居た老人に声をかけた。

「あの、すみません。今日は何かあるんですか?」
「え?ええ、今日はパレードがあるんですよ。もうすぐ始まるんじゃないですかね」
「そうですか、ありがとうございます」

なるほど、どうりで人出が多いわけだ。よく見てみれば外灯などにパレードの幕がかかってあり、何かの記念パレードが行われるようだ。そうしているうちにどんどん人が集まってきた。ルルーシュは身を小さくしてジッとルキアーノを待つ。周りの喧騒がルルーシュに余計孤独を感じさせた。ここは何処なのだろうか、もしかしたら昔の自分なら知っていたかもしれない。人の笑い声や視線、それらがルルーシュをの心を責め立てているようでルルーシュは息苦しさを覚えた。もし、ここで待っていてもルキアーノが来なかったらどうしよう。いや、もしかして、来ないかもしれない。何故ならルキアーノにとってルルーシュはただの拾い猫なのだから。どうしよう、どうしよう、どうしよう。今すぐここから逃げ出したいが、動けない。ルルーシュが祈るように両手を握ったその時、突然腕を掴まれた。ルキアーノかとルルーシュは顔を上げたが、そこには見知らぬ青年が固い表情でこちらを見ていた。

「…?」
「…ッルルーシュ、君一体今まで何処に居たんだ!」

いきなり怒鳴られてルルーシュはびっくりして目を見開いた。そして、青年が自分の名前を知っていることにも驚いた。青年は黒の学生服を身にまとい、髪は茶色の癖っ毛だ。顔立ちからブリタニア人ではないことは分かる。青年はルルーシュの腕を引いて立ち上がらせると、まるで拘束するように両肩を掴んできた。

「やめ…ッ!」
「逃がさないよ、君を探してた。いい加減、バラしたらどうなんだ!」
「何がですか!やめてくださいッ、貴方、誰なんですか?」

茶髪の青年が硬直する。まるで、信じられないと言うような瞳でルルーシュを見ていた。ルルーシュはその青年の声に怯えながらも、この青年の顔をよく見てみた。この青年の顔も、何処かで見覚えがあるような気がする。でも、思い出せない。以前の自分の知り合いだったのだろうかと思っていると、苛立ったように声を荒げた。

「ふざけるな!また君は嘘をつくのかッ!ナナリーにまで、嘘をついてきたくせに!」
「…な、なりー?」

茶髪の青年が口走った女性の名に、ルルーシュの思考がピタリと止まった。ナナリー、とても聞き覚えのある名前。とても大切だった名前。その途端、ルルーシュの記憶の扉にかかっていた鍵が外れた。断片的な記憶が流れ込んできて、それと同時に、深い絶望が襲いかかった。フラッシュバックのように、過去の光景が目の前に流れて行く。それはどれも早すぎてひとつひとつを捉えることはできなかったが、声が聞こえた。おにいさま、と呼ぶ声。少女の声。ルルーシュの身体がカタカタと震え出す。思い出してはいけない。そう思うのに、流れ出した記憶は止まらない。

「あ……ああ………!」
「ルルーシュ?」

青年が訝しげにこちらを見ている。その瞳を見て、ルルーシュの脳の一閃の光が通り抜けた。コイツハテキダ!背筋に悪寒が走り、ルルーシュは叫び声を上げて青年の手を振り払った。

「あァーーー!!!来るなぁあああッ!!!」

手を振り乱して青年を拒絶する。ルルーシュの叫び声に周りの視線が一気にルルーシュと青年に集まった。身を震えさせながら後ずさりするルルーシュの腕を青年が掴み引っ張る。しかしルルーシュは足を踏ん張って抵抗した。

「はなせ!誰かッ、助けてくれっ!だれかぁっ!!!」
「ルルーシュ!ちょっ…!」

ルルーシュが叫び出したことに青年は焦ったのか、空いた手でルルーシュの口を塞ごうとする。しかしその腕は通行人の男性に掴まれた。

「あなた何してるんですか!」

傍から見ればルルーシュが襲われているように見えたのだろう。通行人の男性が青年の手を掴み上げていた。それを合図にしたかのように、人ごみの中からもう一人中年の男性が出てきてスザクからルルーシュを引き剥がした。勢いが余ってルルーシュはそのまま地面に倒れ込む。青年は二人の男性によって身を押さえられていて、しかし青年の力が強いのか今にも拘束を振り払いそうな勢いだ。地面に尻もちをついたままルルーシュは青年を見上げ後退する。近くに居た女性がルルーシュの傍にしゃがんで声をかけた。

「大丈夫ですか!?」
「違うッ離せ!ルルーシュ!」
「あ…あああ…ッ!」

青年の鬼のような形相にルルーシュは急いで立ち上がると、そのまま走り出した。背後で青年の呼び止める声が聞こえたが、ルルーシュは必死に走って逃げる。少し走って後ろを見れば、青年が男性達の制止を振り払ってこちらを追いかけて来ていた。ルルーシュは人の流れに逆らいながら人ごみの中を逃げる。通り過ぎる人々が何事かと振り返るなか、何度も転びそうになる足を叱咤してルルーシュは走った。振り返ったらすぐそこのあの青年がいるかもしれない。そう思うと、振り返ることができなかった。誰か、誰か助けてくれ!心の中でそう叫びながら、ルルーシュは人ごみの向こうに、見つけた。

「ルキアーノッ!」

呼ぶと同時に、その身体に飛びつく。ショーウィンドウの前に立っていたルキアーノは突然飛びついて来たルルーシュに驚いている。

「なんだ、居たのか。どうも人が多いと…」
「…ッハァッ、ハッ、ハァッ!」
「…どうかしたのか」

ルルーシュの様子がおかしいことに気付いたのか、ルキアーノがルルーシュの肩を掴む。ルルーシュはルキアーノにしがみ付いたまま後ろを振り返った。先ほどの青年の姿は見えない、しかし、今まさに迫ってきているかもしれない。

「し、らない男が…追いかけて…来て…ッ」

走ったせいで呼吸が乱れる。息切れしながらなんとかそれだけルキアーノに伝えると、ルキアーノがルルーシュの身を抱いた。目を細めて人ごみの中を観察するようにしながら、こっちだとルルーシュをビルのすき間に移動させる。何度か振り返りながら薄暗いビルの間を進んでいき、ルキアーノはルルーシュを奥へ追いやってから大通りの人ごみを見つめた。追いかけてくる人物は居ない。ルキアーノがフッと息を吐く。

「大丈夫だ」

誰も来ない。そうルキアーノが言うが、ルルーシュは胸がざわついてルキアーノから離れることができなかった。スーツを掴んで、ぴったりと身を寄せる。暫く遠くの人ごみを見て、本当に誰も来ないことを確認したルルーシュは足の力が抜けてしまった。地面に崩れ落ちそうなルルーシュを咄嗟にルキアーノが抱き上げる。ルルーシュは子供のように、ルキアーノの首に腕を回した。ぐずぐずと恐怖から涙が出てくる。ルキアーノはルルーシュの後頭部を守るように掴んで、ルルーシュの息が落ち着くのを待った。

「どんな男だったんだ?」
「お、れと同じくらいの…茶髪の…ッ、多分、中国か日本人…だっ、た」
「リフレインの売人じゃないのか、だとしたら中国人だろう」
「俺の、名前を、知って、た…」

ぎゅうとルルーシュの腕の力が強くなる。ルキアーノを見つけられた安堵とさっきの青年の恐ろしさに、ルルーシュはルキアーノの肩に目を擦りつけた。ルキアーノの空いた手が戸惑いがちルルーシュの腰を掴んだ。先ほどの青年はルルーシュのことを知っているようだった。追いかけられたことは怖かったがそれ以上に、先ほど青年が言い放った少女の声で流れ込んできた過去の記憶の方が怖かった。あれが、以前の自分の記憶なのだろうか。はっきりとは分からなかったが、辛い、絶望の感情だけは分かった。怖い、自分が何者なのか、分からないのが怖い。あの記憶はなんだったのか、しかし、咄嗟にルルーシュはあの青年を敵だと思った。何故、敵が居るのか。自分は何かと戦っていたとでもいうのだろうか。確かなものなんて一つもない、今の自分には何もありはしない。今の自分が信じられるものは。

「そんなに怯えるな、誰もいない」

縋るしかない、この確かな温かさに。この孤独の中で唯一の存在は、ルキアーノしかいない。辛い記憶など思い出したくない。"また"絶望に突き落とされるくらいなら、このまま、逃げ続けていたい。ルルーシュは全てから目を逸らすように、ルキアーノに身を任せた。





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ルルーシュの逃避行