ふと、誰かに呼ばれたような気がしてルルーシュは顔を上げた。目に映る窓の向こうには真っ青な空が広がっていて、所々にある雲がゆるやかに動いている。もう少し窓に近ければ校舎玄関が見えるのにとベッドの上でルルーシュは思う。窓辺に置いてあるアイリスのガラスを挟んだ外で真っ白な鳥が飛び立つ。それを見てルルーシュは気のせいかと視線を手元に戻した。手のひらを軽く握り、開く。それを何度か繰り返し、上下する己の腕と病的なほどに白い肌に浮く血管の色を見つめる。手のひらに巻かれた包帯はしっかりとその下の傷口を押さえている。包帯だなんて大袈裟だから嫌だと思ったが、手当をしてもらった以上文句は言えなかった。それにキチンと手当をしていなければスザクが怒るだろうから。ルルーシュは息苦しさを感じ、喉元に手をやった。けほ、と咳が一つ。それに合わせたように部屋の扉が開いた。

「せーんぱい、何してるんですか?」
「・・・ジノ」

眩しいと思うほどの金髪を揺らしながら入ってきたジノにルルーシュは喉元から手を退かす。ジノの片手にはどこから持ってきたのか薔薇の花束ともう片方の手には学生鞄が握られていた。ジノがルルーシュを通り過ぎ窓際まで行くと花瓶にさしてあったアイリスを抜き薔薇の花と交換する。ルルーシュがまだ枯れていないのにと言うとジノは薔薇のほうが先輩に似合っていますからと、アイリスを薔薇を包んでいた紙で包んだ。傍らにあったテーブルに花と学生鞄を置いてジノはルルーシュに寄ってその頬に手を添えた。

「熱は・・・ないみたいですね、よかった」
「ああ、おかげ様で。ジノこそ大丈夫なのか?」
「なにがです?」
「この前・・・、その、雨に濡れたままだったろう?風邪はひいてないか?」

ジノの額に手を伸ばそうとするルルーシュの手をジノは掴み、そのまま手の甲に唇を寄せた。ピクリと指先を反応させるルルーシュにジノが悪戯っぽく笑う。

「あのくらい平気ですよ。・・・それより、薬、まだ飲んでないんですか?」

ジノがテーブルに置かれた白い袋をチラリと見る。ルルーシュがしまったと思う前にジノが大げさにため息をついて握っていた手を離した。ルルーシュは手を引っ込めキスされた手の甲を包帯の巻かれた手のひらで覆う。ジノのこういうことは貴族の癖なのだろうと分かっているつもりだがどうしても恥ずかしいと思う。

「どうせまた何も食べていないんでしょう?」
「あまり食欲がないんだ」
「だめです。食べなきゃ薬飲めないでしょ、何か食べないと」

ジノが言っていることは正しいがルルーシュはどうしても気が進まない。食欲がないのは本当だ、というよりあまり何かを口にしたくなかった。昨日もろくに食べていないが腹が減ったという気はしないし、減っていないのなら食べたくはない。確かに薬は食後に飲むもので何かを食べなければならないが、多少胃が荒れるくらなら食べずに飲んでもいいとルルーシュは思っていた。しかしそんなことをジノに知られたらまた何を言われるか分からない。

「でも・・・」
「でもじゃありません。先輩って、ほんとそういう所ずぼらですよね」
「ずっ・・・!なんだと!?」

ジノの言葉に毛を逆立てた猫のようにルルーシュが怒るとジノはケラケラと笑った。笑いごとではないとルルーシュはさらに怒ったが、ジノが真面目に聞いていないことが分かると言っても無駄だと口を閉じた。もう知らない、と口を尖らせてふいと視線をそらしてしまったルルーシュにジノは慌てて謝る。

「わっ、ごめんごめん!ね、怒らないでよ先輩!」
「・・・ふん」

両手を合わせて謝ってくるジノを一瞥して、ルルーシュは更に顔をそむける。実はそんなに怒っているわけではないのだがあっさりと許すのはなんだか癪だ。ルルーシュが顔をそむけるたびにベッドの反対側に回るジノはまるで大型犬のようだ。許しを乞うジノの声がいい加減に可哀想に思えてルルーシュは少し不機嫌そうな顔をしたままジノを見た。やっとこっちを向いたとジノは喜ぶがルルーシュの表情に苦笑いをする。

「もう先輩ってば強情っぱりなんだから」
「ジノ、出入り禁止にされたいか?」
「えっ!ちょ、それは困る!嫌だ!」

本当に困るという顔のジノにルルーシュは内心笑ってしまう。なんだかんだジノが心配してくれているのは分かっていた。食事のことや薬のことなど必ず気を使ってくれるし毎日用事もないのに会いに来てくれる。来たとしてもするのは本当に他愛のない話ばかりで、けれど逆にそれに心が安らいだ。ルルーシュは知っている、ジノがルルーシュに抱いている気持ちを。そしてジノも、己の気持ちがルルーシュに知られていると知っている。寧ろ、よく口に出して好きだ好きだと言っている。流石に鈍感のルルーシュでもジノの気持ちには気付いた。しかし、だからと言って何か言うわけでもなかった。何故なら、ルルーシュはスザクに恋心を抱いていたからだ。このことはジノも知っていて、知っているうえでルルーシュを好きだと言う。

「あっ、そうだ!お詫びに何か食べ物買ってきますよ、何がいいですか?」
「だから食欲は・・・」
「いーから!ほら、好きなもの言ってください!なんでも買ってきますから!」
「・・・そうか、じゃあ」

何がいいかと言われても突然思いつくわけがなく、ルルーシュは少し考えてから苺と呟いた。果物なら喉の渇きも潤せるし、食べるのも楽だろう。苺と聞いたジノは分かりましたと言ってルルーシュの言葉も待たずに部屋を飛び出して行った。そんなに急がなくてもいいのにとルルーシュは思ったがすでにジノの姿は無く、シュンと閉まる扉をただ呆然と眺めるだけだった。嵐が過ぎ去ったような静けさが訪れ、ルルーシュは小さく息を吐いた。いつの間にかさっきの息苦しさは消えていた、ジノと話したおかげで紛れたのだろう。この前は酷い発作を起こしてジノに助けられてしまった。スザクを、好きな人を思って苦しくなり過ぎて発作などなんと女々しいことだろう。ジノには情けない姿ばかり見せてしまっているなとルルーシュは申し訳なく思う。たくさん迷惑をかけているくせにジノの思いに答えてやれないのだ、心苦しくもなる。やはりスザクのことは諦めるべきなのだろう。それはスザクやユフィ、ジノのためでもあり自分のためでもある。けれど。

(簡単に諦められるのなら・・・どんなによかったか)

そっと目を瞑る。幸せそうなスザクとユフィを思い描いて、ルルーシュはどうしようもない自分を責めた。窓の外に目をやり、そろそろ顔を出さないとミレイが心配するだろうかとぼんやり考える。出席日数のほうは微妙な改竄ならバレることはないだろうか、あまりにも行き過ぎないと不審に思われるだろう。しかし、行ったとしてもどうせスザクはいない。誰もいないスザクの席を見つめながら過ごす学園生活なんて、もう耐えきれる自信がない。どうせ学園を卒業したとしても、偽りの身分では表立った仕事もできない。卒業後までアッシュフォード家に世話になるわけにもいかないとは思うが、ナナリーのことを考えると危険なことはできない。どうするべきかと考えていると、遠くから足音が聞こえてきた。ジノが帰って来たのだろうかとルルーシュは時計を見るがまだ10分も経っていなかった。買いに行くと言っても30分はかかるはず。そういえば学園の園芸部が苺を育てていたような気がする、もしかしたらそれを貰ってきたのかもしれない。なんだか面倒なものを頼んでしまったなと後悔した。扉の開く音が聞こえ、ルルーシュは扉の方へと振り向いた。

「なんだジノ、早かったな・・・・・・ッ!?」

心臓が大きく脈打つ。ルルーシュの目が見たのはジノではなく、少し驚いた表情で立つスザクだった。何故スザクがここに、と思うより早く脳裏にさまざまな光景がフラッシュバックする。ぎゅうと胸が締め付けられるような痛みにルルーシュはただ呆然とスザクを見た。ジノと間違われたと気づいたスザクは苦笑いしてすまなそうにする。ルルーシュの異変には気付いていなかった。

「えっと、ごめんねジノじゃなくて」
「・・・・・・・・・」
「ルルーシュ?」
「・・・・・・・・・っ、あ、ああ。いや、こっちこそすまない。どうしたんだ急に?」
「久しぶりに学校に来てみたらルルーシュが休みで、体調不良だっていうからお見舞いにきたんだけど・・・迷惑だったかな?」
「いや、そんなことないさ・・・」

ルルーシュはスザクに見えないように袖を伸ばして包帯の巻かれた手を隠した。扉の前で立ったままのスザクに入ったらどうなのだと言うとスザクは何故か照れくさそうに部屋へ入ってきた。扉が閉まり、完全な個室となる。バクバクと脈が速く流れ、顔が強張ってしまうのをルルーシュはなんとか抑えた。スザクが来てくれたのは嬉しいことのはずなのに、今すぐここから逃げ出したいと思う自分がいる。スザクはベッドの近くまで来ると傍にあった椅子に座った。膝の上に学生鞄を置き心配するような目でルルーシュのことを見ている。

「風邪だって聞いたけど、熱は大丈夫?顔色はあまり良くないみたいだけど」
「ああ、大したことないさ。ちょっと身体がだるいだけで熱はないよ」
「よかった。・・・ジノが来てたの?」

スザクがテーブルの上に置きっぱなしにされていたジノの学生鞄を見てルルーシュに問う。見舞いに来てくれていたんだとルルーシュが言うとスザクはへえそうなんだと嬉しそうに言った。

「ジノと仲良くなったんだね、ジノみたいなタイプはルルーシュは苦手だと思っていたよ」
「なんだそれは、人の好き嫌いが激しいやつだって言いたいのか?」
「そんなんじゃないって!ほら、ジノってラウンズだけど貴族だから・・・その、ルルーシュは嫌かなぁって」
「そんなことか。確かに貴族は嫌いだが・・・ジノは特別だ」

確かにジノはブリタニア人の貴族だが、何故か嫌いにはなれなかった。ブリタニアは憎いしその皇帝である騎士、ナイトオブランズであるジノはルルーシュからしたら敵同然だ。しかしそれ以上にジノという人間の純粋な部分をルルーシュは知ってしまっていたから、ジノを嫌いになることはできなかった。人の痛みや死を知った上での純粋さをジノは持っている。スザクはユーフェミアの騎士ではあるがナイトオブラウンズではない。ナイトオブラウンズのスリーでありながらイレヴンのスザクを友人として扱ってくれるジノは、スザクがブリタニア軍で身分のことで風当たりがないかと心配するルルーシュにとってとても安心できる存在なのだ。

「そっか、それを聞いて安心したよ」

ニコと笑うスザクにつられてルルーシュも口だけ笑う。もしかしてスザクが自分のことを少しでも心配してくれていたのだろうかと思うと心が軽くなった気がする。笑い合い、会話が途切れて沈黙が流れる。スザクは膝の上の学生鞄の口を開けたり閉めたりして、なんだか落ち着かない様子だ。何か言いたいけど言い出せないというような、そんな仕草。チラリとこっちを見ては視線を逸らすスザクに、しょうがないなと思いつつもルルーシュは訊ねる。

「どうしたんだスザク?何か言いたいことでもあるのか?」

きっかけを作ってやるとスザクは唇を一度噛んでから、実は、と真剣な声で話を切り出した。鞄の中から大きめの茶封筒を取り出しルルーシュに差し出す。何も書いていないそれが何か分からずルルーシュはスザクを見ると、スザクは促すように頷いた。重さからして何か固体が入っているわけでもなさそうだ。

(手紙にしては大きいし・・・何かの書類か?)

ミレイにでも頼まれたものなのだろうかとルルーシュは閉じてあった封筒を開いた。隙間から中身を覗けば何枚か書類が入っている。まずは一番手前にあったそれを引き出して、ルルーシュはピタリと止まった。目を見開き、眉を寄せる。この書類は見覚えがある。何故なら、この前カレンが全く同じものを貰っていたからだ。

「特区・・・日本・・・」

封筒に入っていたものは行政特区日本への参加書類であった。まだ何も書かれていないそれは二人分あり、きっとルルーシュとナナリーの分だ。どういうつもりなのか、いや、考えなくても分かる。何も言わないルルーシュにスザクはその横顔を見つめた。

「一週間後、三次登録募集の期限なんだ」
「・・・スザク、俺は」
「分かってる、でも、僕は・・・今日はこれを渡したくて来たんだ。行政特区日本に入れば君達の安全は保障されるんだ、僕は君達に行政特区日本に参加してほしい」
「・・・、そう、か」

いつか来るとは思っていたが、まさか今渡されるとは思ってもいなかった。考えさせてほしいと曖昧に断り続けていたものの、今の状態で特区日本に入ることなどできるはずがない。特区日本は、言わば、ユーフェミアの作り上げた日本人の希望だ。騎士枢木スザクと共に特区日本のために働く姿はさまざまなメディアで取り上げられている。二人の作る幸せな箱庭に、ルルーシュは入る勇気がない。スザクを好きだという気持ちが、ルルーシュの中のユーフェミアを否定している。しかしその反面兄として、初恋の人として素直に喜んでやりたいとも思っている。アンビバレンスな感情はいつしか他人ではなく自分を責めるようになり、今に至っている。

(スザクは別に俺のことが心配で来たんじゃない、特区日本のために俺に会いに来たんだ)

スザクが体調を心配して来てくれたのだと思い、少しでも喜んだ自分をルルーシュは哀れと思わざるを得なかった。今のスザクは特区日本のことしか目にないのだ。主であるユーフェミアの特区日本のために。ルルーシュにとって結局それは特区日本のためというより、ユーフェミアのためという風にしか見えなかった。スザクにとって自分はやはりただの友達でしかないのだろう。胸がズキズキと痛みルルーシュは俯いた。

(今更何を言っているんだ俺は。こうして、友達でいてもらえるだけでも幸せなはずだろう)

スザクは知らない、ルルーシュがゼロだったことを。ルルーシュは、ゼロのやり方を嫌っていたスザクにゼロのことがバレてしまったらきっと軽蔑されると思った。いや、軽蔑どころの話ではなく絶縁されブリタニアに突き出されてしまうかもしれない。ゼロはたくさんの人を殺してきた。理由がどうあれそのことに変わりはない。自分の目的のためだけにゼロは行動してきたのだ、そんな自己中心的なことスザクが許すはずがない。善の象徴とも呼べるユーフェミアの騎士は、悪の象徴であるゼロを認めない。ゼロを認めないということはルルーシュを認めないということでもあり、それ故にルルーシュはゼロのことを言い出せなかった。とどのつまり、嫌われたくない、というのが一番の理由。自分のことながらなんと我儘なんだろう。ルルーシュは書類をじっと見つめて考える。決めるのは今なのだろう、答えを出さなくてはいけない。そしてこれが最後の賭けでもある。緊張を解くように小さく息を吐いてからルルーシュは口を開いた。

「いくつか、聞いてもいいか」
「・・・なに?」

ルルーシュは指先の震えを誤魔化すように書類の端を指でなぞった。

「特区日本は、本当に"大丈夫"なのか?」
「・・・?うん、安全だよ。特別扱いになっちゃうけど、君達は特区の中でも一番安全な場所に住んでもらえるようにユフィに頼んだんだ」
「学校は、どうなるんだ?」
「特区内に学校を作る計画が上がってるんだけどまだ実現は難しそうなんだ。だから、ちょっと遠いけど特区からこのままアッシュフォード学園に通ってもらうことになるかな・・・」
「・・・カレンは、どうしたんだ?」
「!・・・ルルーシュ、知ってんだ」
「ああ、この前、見かけたからな」
「そう・・・、本当は誰にも言っちゃいけないんだけど、まぁルルーシュならいいよね。カレンはお母さんと一緒に特区内に住むそうだよ、学校は辞めるって。シュタットフェルトの名前は捨てるらしい」
「そ、うか・・・」
「・・・今だから言うけど、カレンは黒の騎士団の一人だったんだ」
「・・・」
「でも、カレンは特区日本を選んだくれた。ゼロが居なくなったからもしれないけど、でも、選んでくれたことを僕は嬉しく思うよ」

スザクの口からゼロの名が出て、思わずルルーシュは肩を震わせた。聞くか聞かざるべきか、ルルーシュは迷っていた。聞きたいという気持ちはあるが、きっとその答えは残酷なものになるだろう。けれど、僅かな可能性に賭けてみたいという思いもあった。できれば答えは自分にとって優しいものがいいが、現実はそんなには甘くない。どうせ今の自分には1か0かしかないのだ、ならば。

「・・・なぁ、スザク」
「ん?」
「お前はゼロがいなくなって・・・嬉しいか?」

スザクは一瞬きょとんとして、すぐに笑顔で答えた。

「うん、嬉しいよ。ゼロがいなくなってここは平和になった。黒の騎士団のテロ活動がなくなってから他のテロリスト達も動かなくなって、傷つく人達が減ったんだ。いや、今まではゼロのせいで傷つく人がたくさんいたから・・・だから、ゼロはいなくなるべき存在だったんだよ。」

スザクの言葉はしっかりとルルーシュの耳に伝わり、その時ルルーシュは心の中で何かが壊れる音を聞いた。ぴくりとも動かないルルーシュに気づかずスザクは言葉を続ける。

「あのね、ルルーシュに謝らなくちゃいけないことがあるんだ。僕、ルルーシュがゼロなんじゃないかって疑ってたんだ。でも、今思えばそんなはずないよね。あんな人殺し、ルルーシュなんかじゃないよね。ほんと疑っててごめん、あの時の僕は・・・ほら、色々大変だったからおかしかったんだ。今はもう、大丈夫だから!ユフィだっているし、それにもうゼロはいなくなったんだから!もし、またゼロが現れた時は・・・いや、そんなこと今話すことじゃないか。まあ、できればこのままずっとゼロがいなくなったままのほうが僕は嬉しいんだけどね」

そう話すスザクの声は穏やかで、ルルーシュはキツク指先だけで書類を握った。分かっていた、期待する答えなど貰えないこと。否定されることなど分かっていた。砂粒よりも小さな可能性なんて信じるものではない。分かっていた、分かっていた、分かっていた。だから、でも、せめて、ほんの少しでいいから、認めてほしかった。今までやってきたことが無駄じゃないと確かめさせてほしかった。しかしそれも、もう叶うことはない。ならば、行く道はもう一つしかなかった。

「スザク」

ルルーシュは静かに名前を呼ぶと俯かせていた顔を上げた。見えるスザクの穏やかな顔に、ルルーシュの心は海へ沈む様に落ちていった。そして目を細くし、口だけで笑う。

「わかったよ、特区日本に参加するよ」

スザクは顔をぱぁっと明るくし喜んだ顔でルルーシュを見つめた。

「ほ、本当、だよね!?」
「ああ、本当だよ」
「そっか・・・よかった・・・!」

安堵するスザクを見てルルーシュ、そうやって安堵するのはユフィの願いが叶ったからなんだろうと心の中で思った。

「あ、それじゃあ書類・・・」
「すまないスザク、身分証明書を作らないといけないから今すぐには無理なんだ。会長にも確認しないといけないし」
「そっか。じゃあどうしよう、僕また暫く学校に来れないんだよね・・・。でも期限は一週間後だし・・・」

どうするべきかと悩むスザクにルルーシュは表情を変えないまま書類を封筒に仕舞った。

「スザク、もしよかったならなんだが・・・一週間後迎えに来てくれないか?」
「迎えに?」
「ああ、用意には少し時間がかかるしな。その時に書類を渡そうと思うんだが、どうだ?」
「うん、それいいね!分かったよ。一週間後迎えに行くね!」

スザクがそう言うと不意に壁にかかっていた時計を見てあっと声を漏らした。それから慌てたように立ち上がりポケットに仕舞っていた携帯を取り出す。

「いけない、もう僕行かなくちゃ。これから特区の会議があるんだ」
「そうか・・・大変だな」
「うん、ごめんね、もう少し居たかったんだけど」
「いいさ、騎士様は忙しそうだからな」
「もう、茶化さないでよ。それじゃ僕行くね」

急いで出て行こうとするスザクの背中を一度見て、ルルーシュは外を見た。扉が開きスザクが出ていく直前、ルルーシュが突然声を上げた。

「スザク!」

久しぶりに聞くルルーシュの大きな声にスザクは足を止める。振り返るがルルーシュの顔は外を向いたままだ。

「どうしたのルルーシュ?」

スザクがそう言うがルルーシュは何も言わず数秒の沈黙が流れる。耳が痛いほどの静寂のあと、先ほどの大きな声とは違い弱弱しい小さな声でルルーシュが言った。

「俺が、もし、お前のことを好きだと言ったらどうする?」

ルルーシュの表情はスザクからは見えなかったが、スザクは何を今更だと思いながらも答える。

「うん、僕も好きだよ。僕ら、友達じゃないか」
「・・・ああ、そう、だよな」

スザクから見えない、ルルーシュの頬に透明な筋が流れる。ぽたりと落ちたそれはルルーシュの手に巻かれた包帯の上に落ちて音もなく染み込んでいった。

「俺たちは、友達だからな」







何故この学園の女子は高性能センサーのように居場所を確実に当ててくるのだろう。そう思いながらジノは小走りでクラブハウスへの道を走っていた。ルルーシュの希望していた苺はアッシュフォード学園の園芸部から貰えた。味も質も味もいいそれに満足したジノはすぐにでもルルーシュの元へと届けたかったのだが、ジノに集まる女子たちがそうさせてはくれなかった。女性に失礼はいけないと、いつもならば相手が満足するまで付き合ってあげるのだが今は時間が惜しい。けれど苺をくれたのは園芸部の女子であり、物を貰っておいてさっさと行ってしまうのは良くないだろう。園芸部だなんて家庭的でいいねだとか君が育てた苺だからきっと美味しいよだとか、そんな在り来たりの褒め言葉を何度言ったことか。そしてどこからか集まってきたいつもの追っかけ女子まで来てしまい、やっとのことでジノはその群がりから逃げ出してこれたのだ。

(先輩大丈夫かなぁ、安静にしてればいいけど・・・)

籠に詰めた苺がこぼれないように気をつけながらジノはあの部屋に居るであろうルルーシュのことを心配する。ルルーシュは今非常に不安定で危険な状態だ。過度のストレスによる過呼吸は頻繁に起こるようになり、ろくに食事をしないため体重は下がる一方。睡眠時間も少なく、かと言って起きていて何かをするわけでもなくただぼーっと宙を見つめていたり。その全ての原因をジノは知っているわけではないが、原因の大部分を占めるものは知っている。ユーフェミアの騎士でありジノの友人でもある、枢木スザク。ルルーシュはスザクを好きなのだ。しかしジノから見てもその恋は到底叶いそうにない。ずっと友達だったという二人だが、スザクはイレヴンのうえにユーフェミアの騎士である。騎士は常に主のことを考えていなければいけない。スザクからルルーシュのことを好きになるのならば可能性はあったかもしれないが、逆は些か厳しいものがある。そしてなにより性別という壁が大きく立っていた。

(ま、私が言えたことではないか)

恋愛の形は自由だと思っているし、それより前にジノはルルーシュのことが好きになってしまったのだ。最初はただの好奇心だった。ルルーシュがスザクのことを好きだと知ったのは本当に偶然だったし、その時は男が男をなんてとほんの少し嫌悪を抱いていた。けれどルルーシュの言葉や行動ひとつひとつから感じられる想い、好きだという気持ちと苦しいという気持ちがジノを変えた。これほどまでに人を好きになれるのかと思うくらいルルーシュはスザクを愛していて、そんなルルーシュにジノは愛おしさを感じてしまったのだ。自覚してからは、自分でも子供だと思うくらい一直線だった。周りの人も何人かは気付いているだろう、ジノのルルーシュに対する気持ちを。ジノはルルーシュを好きになってからもっと分かったことがある。好きだという気持ちは抑えても溢れ出て来てしまい、同じような気持ちをルルーシュはスザクに持っているはずなのにそれを気づかれないように隠すルルーシュはどんなに辛いのだろうと。ジノはルルーシュのように気持ちを隠すのがうまくはない。どんなに意識をしても我慢がしきれないのだ。それを、ルルーシュは平然とやってのける。簡単なように見えてきっと、心は張り裂けそうなのだろう。ルルーシュが誰もいない教室でスザクの席を見つめているのを見てしまった時、この人は本当にスザクのことが好きなのだなと思った。生徒会室のテレビでスザクとユーフェミアの映像が流れた時はジノはルルーシュが心配でしょうがなかったが、皆の前ではルルーシュは本当に演技がうまかった。リヴァルやシャーリーがスザクとユーフェミアの仲が怪しいと騒いでも笑ってそれを受け流す。ルルーシュは強い人だと思う。しかし、それは他人の前でだけだ。ひとりの時のルルーシュはとても弱い。シャボン玉のように触れてしまえば壊れてしまいそうな儚さを纏いルルーシュはいつもひとり悲しみに耐えている。耐えて、耐えて、耐えて、ルルーシュは己の身体をどんどんと弱くしてしまった。もともと日に焼けていなかった白い肌は蒼白と呼べるほど白くなり、精気の感じられない人形のようになってしまった。学校に来ている時は上手く仮面を付けて周りを欺いてはいるが、ジノは騙されるわけがなかった。そしてルルーシュの異変が分かるジノはいつしかルルーシュを支えるようになった。

(私の一方通行ってのは変わってないけれど、ね)

いくらジノが頑張ってもルルーシュの気持ちが向くことはない。それでもジノはルルーシュを諦めようとは思わなかった。ルルーシュがスザクを諦めないように、ジノもルルーシュへの気持ちを諦めないようにしたいのだ。そうしたらいつかルルーシュもこちらを向いてくれるのではないかとジノは思っている。そうジノが考えているうちにクラブハウスの入口まで着いてしまった。女子に揉みくちゃにされて乱れた制服を直し、いざ入ろうと踏み出したがジノが入るその前に扉は開いた。扉が開いた途端中から人が出てきて思わず互いに驚いてしまった。すみません、と避けようとしたがその人物の顔を見てジノは息が止まった。

「スザク!」
「なんだ、ジノだったのか」

ジノだと分かるとスザクは肩の力を抜いて笑ってみせた。しかしジノはルルーシュのことがある手前、スザクを目の前にして少し気まずい。籠を後ろに隠すようにしてジノは問う。

「今日学校来てたのか?」
「うん。でもまあこれからまた会議だけど」
「そうなのか。というか、なんでクラブハウスに?」

学校の校舎から出てくるのなら分かるが何故クラブハウスから出てきたのだろうか。ジノが不思議に思うとスザクはチラリと後ろを見た。

「いや、ちょっとルルーシュに用があったからさ」
「っ先輩に会ったのか!?」
「ちょ、急に大声出さないでよ。別に普通に会ったけど?体調悪かったみたいだけどね」
「・・・っ!」

なんということだ、今のルルーシュがスザクに会うなど危険すぎるのに。スザクは続けて嬉しそうに話した。

「あ、聞いてよジノ!あのね、ルルーシュが行政特区日本に参加してくれるって言ったんだよ!」
「なっ!」
「今書類を渡して来たんだ、これでやっと僕も安心できるよ」
「お前、そんなっ」
「あっ、と。ごめんジノ僕もう行かなきゃ」

ジノが問いただそうとする前にスザクは忙しそうにジノの横をすり抜けて駆けていってしまった。ジノが声をかける暇もなく見えなくなる姿に暫し呆気にとられていたジノだったがハッと我に帰ってクラブハウスの中に急いで入った。階段を駆け足で上り部屋を目指す。スザクに対する怒りやルルーシュに対する心配が混ざり合って、いてもたってもいられなくなったのだ。着いた部屋の前で扉が開くと同時に部屋に飛び込む。ルルーシュはジノが最後に見た時と同じようにベッドに座っている。ジノが入ってきたのに何も言わずこちらも向かないルルーシュにジノは部屋に流れる空気に嫌な予感がした。

「・・・せん、ぱい」

ジノがテーブルにゆっくりと籠を置く。ルルーシュの手元には封筒があり、それがスザクがさっき言ってた書類なのだと分かった。なんと声をかければいいか分からずジノが黙っていると、ルルーシュのほうから口を開いてきた。

「ジノ、会長を・・・ミレイを呼んできてくれないか」

冷たいルルーシュの声。いや冷たいのではない、生を感じられないのだ。身体の奥からゾワゾワと言いようのない不安感が押し寄せる。今すぐにでもその顔を見たいと思うのに、ルルーシュから発せられる拒絶の空気にジノは動くことができない。

「先輩・・・スザクが、来たんですよね」
「・・・・・・・・・」
「あの、私、いや、俺・・・・・・」

ぎゅっと拳を握りジノは口を閉ざした。ルルーシュの肩が震えているのが見えたからだ。泣いているのだろうかと思うけれど、それを確認する術はない。窓ガラスに反射するのは情けない自分の姿だけで、ルルーシュの顔は外から射す太陽の光の反射によって丁度隠れて見えなかった。

「ジノ・・・頼むから、呼んできてくれないか」

絞り出すような声は今にも崩れてしまいそうで、ジノは唇を噛み締めた。

「・・・分かりました、すぐに呼んできますね」

ジノは置きっぱなしだった自分の学生鞄としおれたアイリスの花を掴み静かに部屋を出て行った。ありがとうと小さく呟いたルルーシュの声が耳から離れずジノは何かを殴りたい衝動を心の中で押し殺した。ジノが生徒会室に行きミレイを呼ぶと、そのジノの真剣な表情から何かを読み取ったミレイが何も言わずに一度だけ頷いた。まるで任せろというようにミレイは高い位置にあるジノの肩を叩きクラブハウスへと向かっていった。ミレイとルルーシュの話が終わるまで待っていようと思っていたジノだったがナイトオブラウンズというものは時を選ばせてくれない。連絡が入り軍に戻らなければならなかった。できることならば無視してしまいたい命令だがジノにはそれをすることはできない。後ろ髪を引かれる思いでジノはアッシュフォード学園を後にした。すぐにでも用事を済ませて戻ってこようとしていたジノだったが植民地エリアでのテロ鎮圧命令を受けてしまい、ジノが再びアッシュフォード学園に戻ってこれたのはそれから一週間後、雨の日のことであった。







「すごい雨だなぁ、ユフィ、大丈夫?濡れてない?」
「ええ、私は大丈夫」

バケツをひっくり返したような大雨だった。数メートル先も霞んで見えるほどの雨は音を立てて振り続ける。せっかくの日なのに嫌な天気になってしまったなとスザクは思った。ルルーシュが行政特区日本に参加してくれると言ってくれたのがちょうど一週間前。今日はルルーシュとナナリーを迎えに行く約束の日であった。ふたりを驚かそうとユーフェミアを連れてきたスザクだったのだが、こんな雨になるとは思ってもみなかった。時刻は夕刻を少し過ぎた頃、朝から曇っているなとは思っていたが大雨は昼過ぎから急に降り出した。スカートの裾を両手でたくし上げるユーフェミアの頭に傘をさしてやりながら2人でクラブハウスへの入口へ小走りで向かう。踏み出すたびに跳ねる水が二人の足元を侵食し、結局着く頃には足の指まですっかり濡れてしまっていた。傘を畳み傍らへ立てかけるとスザクは携帯を取り出して時間を確認した。

「もう、雨は降るしルルーシュとは繋がらないし散々だよ」
「きっと支度に忙しいんですよ。約束の時間通りなんでしょう?」

携帯の画面は確かに約束の時間を指していた。しかし、スザクは本当に大丈夫なのかと不安に思っていた。クラブハウスは玄関に灯りはついているものの、その建物のどの部屋にも明かりは点いていなかった。まるで無人にも思えるクラブハウスに、約束を忘れて出かけてしまったのではないだろうかと思ってしまったのだ。あの几帳面なルルーシュに限ってそんなことはあるはずがないと、気を取り直しスザクはクラブハウスの扉を叩いた。

「ルルーシュ、僕だけど」

返答がなく二度目のノックをしかけた所で扉は開いた。するとすぐに車いすに座るナナリーとその横に立つ咲世子の姿が見えた。ユーフェミアは久し振りの再会にすぐさまナナリーの傍へと駆け寄った。

「ナナリー!・・・あら?」

ユーフェミアが目線を合わせるように屈むとナナリーの顔がこてんと横へ落ちた。閉じられた目はいつものことだが、薄く開いた口から漏れるのは微かな寝息。ナナリーは車椅子の背に頭を預け眠ってしまっていた。咲世子が人差し指を立て口元にあてるとユーフェミアはこくりと頷いた。ユーフェミアの後に続いて来たスザクはきょろきょろと周りを見回した。

「スザク、ナナリーは待ちくたびれて眠ってしまったみたい」
「そっか。あの咲世子さん、ルルーシュは?」

いつも妹の傍に居る彼が見当たらずスザクが咲世子に問うと、咲世子は懐から一通の手紙を差し出した。

「ルルーシュ様から、これを」
「ルルーシュから?」

迎えに来たというのに何故手紙なのだろうと思いながらもスザクはそれを受け取った。封のされていない封筒には一枚の紙しか入っておらず、内容も数行しか書いていなかった。読み終わったスザクが、なんだ、と落胆するとユーフェミアが首をかしげた。

「どうしたのですかスザク?」
「ルルーシュ、どうしても自分の書類の準備が間に合わないから先にナナリーだけ連れて行ってくれだってさ」
「まあ、そうなんですか」
「ルルーシュは後から合流するって。せっかく迎えに来たのに残念だなぁ」

大方、ナナリーの準備ばかり考えていたら自分の準備が間に合わなかったというところだろう。ナナリーの書類は咲世子に渡してあると書いてあり、スザクが尋ねると咲世子はスザクがルルーシュに渡したあの封筒をスザクに渡した。全てが記入されていることを確認して、スザクはしょうがないなと深呼吸した。

「それじゃあ僕たちは先に行ってようか」
「はい、そうですね」
「咲世子さん、荷物は何処にあるんですか?」
「荷物でしたらルルーシュ様がまとめて特区の方へ送られたと言っておられましたが・・・」
「あ、そうだったっけ。それじゃあナナリーだけか」

やけにさっぱりとしたクラブハウスはなんだか殺風景にも見えた。これからはイベントや生徒会でしかここを使わないのだなと思うと、何度かここへ訪れたことのあるスザクはなんだか寂しさを感じた。ナナリーを起こさないように車いすを押し扉を開くと、外は相変わらずの土砂降り。車椅子のまま行くべきかとも思ったが車へと乗せる際にナナリーが濡れてしまうかもしれない。少し迷った末スザクはナナリーを抱え上げて運ぶことにした。寝ている女性の身体を勝手に触るのは良くないと思うけれどナナリーの身体のことを考えるとこうするのが一番だと思う。スザクがナナリーを横抱きにし、しっかりと支えると不意に頭上に傘がさされる。見るとユーフェミアがナナリーを抱えて両手の使えないスザクのために傘をさしていた。

「ありがとうユフィ」
「うふふ、どういたしまして」

微笑み合うふたりはそのままゆっくりと歩き出し、それに続いて咲世子も車いすを押しその後についていった。咲世子は、目の前を歩く幸せそうな二人とスザクの腕に抱えられるナナリーの穏やかな顔を見て、ここには居ない彼女の兄を思い出し語ることのできない言葉に痛烈に悲しさを感じた。こっそりと振り返ると、クラブハウスの二階の一室に小さな人影が。雨でしっかりと見ることのできないその顔に咲世子は、今彼はどんな表情でこちらを見送っているのだろうと思った。






「っはぁ、っはぁ・・・っ!!!」

大雨に濡れるのも構わず、ジノは走っていた。前にも一度こんな風に彼のために雨の中走った記憶があるが、それよりも今は胸の中を支配する不安感がジノを全力疾走させていた。一週間前に別れた時から嫌な予感はしていた。彼が、ルルーシュが何かとんでもないことをしてしまうのではないかと心配でしょうがなかった。何度携帯に電話をしてもそれが繋がることはなく、今までは出なくても必ずかけ直してくれていたのにとジノは誰に向けてか分からぬ舌打ちをした。そして何より、先ほどアッシュフォード学園の裏口で出会った彼ら。ルルーシュを迎えに来たというスザクの腕には彼の大事な妹が抱えられており、聞けば、迎えに来てほしいとルルーシュに頼まれたのだがルルーシュは準備が間に合わなかったので先に彼女だけ連れて行くことになったというじゃないか。ジノはスザクのその言葉が信じられなかった。誰よりも妹を大切にするルルーシュがこんな大切な時に妹を一人だけで行かせる筈がない。たった一枚の手紙だけで、そんな大切なことを直接スザクに伝えないのもおかしい。行政特区への参加書類はナナリーの一枚しかない。荷物はすでに送ったという。わざわざ迎えに来てほしいと頼んでおいて現れないルルーシュ。さまざまな事柄がジノの頭の中に浮かび上がり、共通した不自然さにジノはまさかと顔を青くした。

『っ先輩は今何処に!?』
『え?さ、さぁ・・・準備って言っても何の準備かは知らないからなぁ。咲世子さん分かりますか?』
『・・・いえ、私は何も。』
『・・・・・・!』

口では知らないという咲世子の目がジノに向けて力強く光ったことにジノは気がついた。目が合い、咲世子の目が何も言わずに背後のクラブハウスへと向けられる。咲世子の伝えたいことはジノにしっかりと伝わった。気がつけば傘を咲世子へと押し付けてジノは走り出していた。ジノの予想が当たっているのならば、ルルーシュはきっと。顔に当たる雨が視界を邪魔するが、しっかりと目を開けるジノの目はクラブハウスの入口からふらりと出てきた人影を捉えた。頭で認識する前に口が開く。

「先輩ッ!!!」

人影はピタリと止まりこちらを向く。そしてジノのことを見た瞬間、ジノのほうとは反対側へと走り出してしまった。逃がすものかとジノはその影を追い、あっという間にその背中に追いついてしまった。ジノの足が元から早かったというのもあるが、逃げるその人の足が今にも崩れそうなほどふらついていたのが一番の原因である。ジノは逃げる肩を掴みこちらを向かせると、目に映ったその顔に胸が張り裂けそうになった。

「ジノ・・・ッ」

雨とは違うそれを両目から流し、光を失った眼が咎めるようにジノを見上げていた。肩を掴むジノの手を放そうとルルーシュはもがくが、そうはいくかとジノはもう片方の手でルルーシュの手首を掴んだ。その途端、ルルーシュが半狂乱になりながら叫ぶ。

「ジノッ放してくれッ!もういいんだ!もう、俺は!」
「先輩!」
「お願いだ、もう苦しいんだ!限界なんだ!俺がいたら、だめなんだ!」

頭を左右に振り乱しルルーシュが叫ぶ。雨によって冷たくなった体温はまるで死人のようだ。 ジノがルルーシュを抱き寄せようとすると、ルルーシュが手足をバタつかせ拒絶する。コンクリートに溜まった水がバシャリと跳ねジノの足を汚した。全てを拒絶するような行動なのにジノにはそれが助けてほしいと言っているように見えた。ルルーシュの息が荒くなり呼吸の間隔が短くなっていく。ぜえぜえとルルーシュの喉が鳴り始め、マズイとジノは唇を噛んだ。

「頼むから!ジノ!つらいんだ!無理なんだ!俺には、俺は、汚いから!!!」
「先輩、落ち着いて!」
「俺が、俺だけがいなくなればいいのに、どうして放してくれないんだ!必要ないんだ!世界も日本もスザクも、俺のことは必要としていないんだ!!!」
「先輩・・・ッ!」
「分かってたよ、俺が生きていないことくらい!だけど、俺は自分の手で未来を掴みたかった、明日が欲しかったんだ!」

ぼろぼろと零れる涙と共にルルーシュの口から吐き出される心の痛み。初めて聞くその本心に、今までこれほどの気持ちを抑え込んでいたのかとジノは目頭がカァっと熱くなった。ルルーシュの顔が悲痛に歪み、痩せた胸が苦しげに上下する。過呼吸が起こり上手く呼吸の出来ないはずなのにルルーシュは叫び続ける。

「つらい、本当に、つらいんだ!これ以上苦しむくらいなら、いっそ、殺してくれ!!!」
「っ、ルルーシュ!!!」

殺してくれと、その一言を聞いた瞬間ジノの中で何かが弾けた。抵抗するルルーシュを力ずくで抱き締め深く唇を重ねる。ルルーシュの後頭部を掴み、掻き抱くようにしてルルーシュを包んだ。ルルーシュは目を見開き暴れるがジノの前では微々たるものでしかなかった。口を塞がれ苦しさに唇を開くと口づけは噛みつくような激しいものへと変わった。啄ばむように何度も角度を変えてジノの唇がルルーシュの唇を食む。最初は暴れていたルルーシュだったが徐々に抵抗が少なくなり、代わりに縋るようにジノの制服を握りしめた。

「っ、ふ・・・んぅ・・・!」

だんだんとルルーシュの呼吸が落ち着いてくる。ジノがゆっくり唇を離すと二人の間に透明な糸がつぅと通った。惚けた顔でジノを見上げるルルーシュをジノは愛おしく見つめる。雨で頬に張り付いたルルーシュの黒髪をジノの手が優しく払う。

「俺じゃ、駄目ですか?」
「ジ、ノ・・・」
「好きなんです、本当に。貴方の事を愛しているんです」

鼻と鼻が触れ合う距離でジノが囁く。ルルーシュは悲しげに目を細め、でも俺は、と言いかける。しかしそれを言わせないようにジノが軽く唇を合わせるとルルーシュは更に涙を零した。

「自分でもどうしようもないくらいに、貴方が欲しいんです」
「ジノ、でも」
「去るなら、いなくなるくらいなら私の傍に居てください・・・!」

息が止まるほどの衝撃、ジノの言葉はルルーシュの心に強く響いた。ルルーシュは切なげな表情のジノを見てぼんやりと思う。スザクを想い辛く苦しかった日々、崩れそうな時いつも駆けつけてくれたのはジノだった。想いに答えられないというのに見返りを求めないようなジノはどんな時でも自分を気にしていてくれた。この一週間、携帯電話に増える着信履歴に何度その電話に出ようか迷ったことか。自分の決意が揺らいでしまいそうで出れなかった電話に後悔したのはついさっきだったような気がする。ひっそりと、このまま誰も知らない所で一人生きていこうと思っていた。なのに、どうしてジノは来てしまったのだろう。誰にも必要とされてないはずなのに、どうして求めてくるのだろう。雨の音が遠く聞こえる程、近くにジノの息を感じる。ルルーシュは小さな声でジノに問う。

「ジノ・・・おれは、お前の為にいても、いいのか?」

何かに怯えるような微かな声。それでもジノの耳には確かに届いた。ルルーシュのその言葉の意味にジノはルルーシュを抱きしめる腕の力を強めた。隙間がなくなるほど2人の距離が密着し、ジノはその眼尻に僅かに涙を溜めた。

「当たり前じゃないですか・・・ッ!」

ジノの大きな身体がルルーシュの小さな体を包み込む。もう誰にも、スザクにも渡さないというようにジノはルルーシュの細い腰に手をまわした。そんなジノの姿にルルーシュはきゅうと胸が締め付けられる。ジノの肩口に瞼を寄せ、ルルーシュは壊れた涙腺をジノの制服へと押し付けた。トクトクとお互いの鼓動と体温を感じ、顔を見合わせた二人の唇は自然と重なっていった。押しつけるだけの幼稚なものだが、ルルーシュの心を癒すには十分なものであった。雨脚はいつの間にか弱くなっており、空から落ちる雨は遠くの外灯に反射して星のように光っていた。





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カッとなると先輩からルルーシュに呼び方が変わるといいよね、という話。
咲世子は何でも知っている。ナナリーは眠っていたんじゃなくて眠らされていた。