枢木スザクをルキアーノ・ブラッドリーは好いていなかった。虐殺皇女の騎士だというから期待したのに、会ってみれば何とも苦手分類に入る人間だった。正義感が強く、命令には従順、なのに人を殺すということに罪を感じている。他人は皆、彼を良い人間として評価している。戦闘力もさながら人当たりがいい人間なのだ、社会ではコミュニケーション能力も大事とされる。生憎、他人に合わせるという考えを持っていないルキアーノは枢木スザクのそういう部分も嫌いだった。だいたい、ナンバーズがナイトオブラウンズなんて可笑し過ぎる。ナンバーズは、ブリタニアに支配されるモノなのだ。たとえ名誉ブリタニア人であっても流れる血はイレヴンなのだ。"血"はルキアーノが大事とするものの一つである。ヒトは血によって生きている。心臓だって、血が無ければただのポンプにすぎない。白血球と赤血球と、いろいろなものが混じる血。赤く、体外へ流れ出ると途端に変色を始めるそれ。ナイフで人を刺すとそこから血が流れ出る。流れ出た血を見てヒトは恐怖に慄くのだ、死という恐怖に。ルキアーノにとって血とは死への恐怖であり、また、己の快楽の種である。ルキアーノは、幼いころから自分が異端児だと気づいていた。幼少のころ、性格は捻くれていたが自分は他のヒトと同じヒトだったと思う。だがいつからか、他人から流れ出る血を見ると酷く興奮するようになった。真っ赤なそれを見ると、脳が沸騰して目に見える景色がコントラストを増す。もっと血が見たい、気づいたらナイフを持っていた。9歳、ルキアーノが初めてヒトを殺した歳だった。それからすぐさまルキアーノは軍に入った。ヒトを殺すため、血を見るために。軍に入って、ルキアーノは訓練が一番嫌いだった。本当に倒す(殺す)と怒られるからだ。だからルキアーノは実践のほうが好きだった。基本的に銃が支給されていたが、銃は好きではなかったので自前のナイフで敵を殺した。もちろん軍のナイフもある、だがあれはあまり切れ味が良くない。軍のナイフは銃が使えなくなったときやむを得ず使うことが前提とされているため、"刺す"性能を重視しているのだ。ルキアーノはナイフは刺すというより切るほうが好きだ。もちろん刺すということも好きだ、滅多刺しなんて大好きである。だが、切れ味の悪い刃は肌を汚く傷つけるだけだ。ルキアーノは血には美を求める。切れ味の悪い刃を何度も何度も往復させてつけた傷から流れ出る血なんて、汚い。それに比べルキアーノの愛用するナイフは、ほんの少しの力を入れて、刃先を肌に押しつけて、サッと滑らせれば、はい終わり。動脈を切って噴水のように吹き出る血を浴びた日は夜も眠れないほど興奮した。とにかく、ルキアーノにとって血は生きるうえでの楽しみであって命の糧だ。ヒトなんてどうせ一番の大切なものは自分の命だ。誰も一番は自分、自分、自分!他人に愛してると睦言を言っても、他人の命と自分の命を天秤に掛けられて相手の命を取るヒトなんて滅多にいないとルキアーノは考える。いたとしたら、そのヒトはとても愚かだ。限りある命の"賞味期限"が早まっただけではないか。どうせいつか死ぬというのなら、自分が長生きしたほうがいいに決まっている。だからルキアーノはヒトを殺す時、問い掛ける。

「お前の大事なものは何だ?」

あるヒトは愛するヒトの名前を答えたり、あるヒトは金だと答えたり、あるヒトは何も言わないまま死んだ。この質問の模範解答をルキアーノはまだ聞いたことがない。誰も彼も、いざという時になったら無様な行動しか取らない。無駄だと分かって反撃したり自決したり。殺さないでくれ、という答えは何度も聞いた。それはつまりイコール命が大事だということだが、ルキアーノの求めているものはそうじゃない。はっきりと、素面で、己の口で言ってほしい。誰よりも自分の命が大事だ、と。


ルキアーノがその日、滅多に行かない庭園に行ったのは本当に偶然であった。帰還したばかりで出撃の要請も無く、やることがなかったのでナイフ投げでもしようかと庭園へ出た。訓練場にボードがあるためいつもは訓練場で投げていたが、その日は何となく訓練場に行く気分ではなかった。訓練場が少し遠いということや、帰還したばかりで疲れているということもあったが、なによりもイライラしていたからだ。ルキアーノはこのイライラに心当たりがある。それは毎月、満月の日になると近づく。気づいたのは実は最近なのだが、満月の日が近づくにつれ身体が高揚してしまうのだ。原因は分からない。だが分かってるのはこのイライラは満月の日を過ぎると消え、次の満月の日までゆっくりとそのイライラを蓄積するのだ。満月が近くなると、ルキアーノは落ち着かなくなる。常に血を見ていたくなったり、もっと人を殺したくなったりする。だから満月の日は無理やりにでも戦場に出てたくさんの敵を殲滅したりして精神を落ち着かせるのだ。次の満月は3日後、今は夕刻だからあと半日と2日。スケジュールでは、満月の日は出撃の予定は入っていない。急な要請があることを願いつつも、なかったらなかったで適当な地へ背いて殲滅の手助けでもしてやろうかと狂った笑みを浮かべた。ルキアーノは庭園を一通り徘徊し、人目につかない薔薇園の裏に生えているナイフ当てにちょうどよさそうな木を見つけた。太さも大きさも申し分ない木には多くの葉が茂っているが手入れを怠ったのか何秒かごとに葉が一枚、また一枚と落ちてくる。ダーツ気分で落ちてくる葉を狙ったら楽しいだろうかと、ルキアーノが胸元にいつも忍ばせているダガーナイフを取り出そうと上着に手を入れた。

「・・・・・・ですので・・・記憶が・・・可能性は・・・いかと・・・」
「・・・ん?」

片手にダガーナイフ3本を握ったところでルキアーノはその話し声に気づいた。木々のざわめきに紛れて人の話し声がする。こんなところに誰かいるのだろうかと辺りを見回すと、少し離れた所にある花壇の前に2人の人影を見つけた。ルキアーノは取りだそうとしていたナイフを仕舞い込み、そっと見つからないように木の影に隠れた。少しだけ顔を出して様子を見ながら耳を澄ませる。ただの一般兵なら無視していただろう、確かに一人は一般兵のようだった。しかし、問題はその隣にいる人物だ。

(枢木スザクか、なんでこんなところに・・・)

ラウンズのセブンである枢木スザクが何故こんなヒト気のない庭園で一般兵と会話をしているのか。枢木スザクの姿を見ただけで、ただでさえイライラしていた精神がさらにイライラする。隙をついてナイフを投げたら、枢木スザクは血を流すだろうか?何度挑発しても枢木スザクは落ち着いた態度で取り払うだけで、ルキアーノは今まで枢木スザクに"負けていた"。何にしても能力は枢木スザクの方が上、ナンバーだって。虐殺皇女を侮辱すれば正式に決闘だのなんだの、煩わしい。戦うのなら決闘ではなく今すぐかかってくればいいのに、わざわざ正しい手続きをして戦いに挑んでこようとする。そんなに正しさが大事なのだろうか。ルキアーノが様子を窺うと、どうやら一般兵は何やら枢木スザクに報告をしているようだ。ただの報告ならこんなところでやる必要はない、重要な任務内容なのだろうか。

(しかし今あいつに特別任務なんてなかったはずだが)

機密で任務を行っているのなら別だが。報告を真剣に聞いている枢木スザクには、わずかな隙もない。きっと見せるであろうその一瞬の隙のためにルキアーノはじっと耐える。会話は遠くて途切れ途切れだったがあまり内容には興味なかったが、意識してしまうと自然と耳に入ってきてしまう。

「・・・についてはこちらの・・・次の・・・に・・・でありますので・・・」
「これはいつの・・・なのか?・・・行動は・・・だと・・・」
「弟役の・・・からは何も・・・ロは偽者だと・・・報告は・・・」

一般兵が何かのファイルを枢木スザクに渡す。長い会話に飽き飽きして欠伸を一つ書きそうになったその時だった。

「こんなもの信じられると思うのかッ!」

その怒鳴り声が枢木スザクのものだと気づくまで数秒かかった。驚いて目を凝らすと、枢木スザクは受け取ったファイルを地面に叩きつけたところだった。一般兵も驚いているようで、たじろぐ一般兵を前に枢木スザクが獣のように唸る。

「で、ですが情報局からの報告は確かに」
「ルルーシュの記憶が戻っていないというのなら、あいつは誰だというんだ!」
「ですから名だけを語る偽者でありまして、情報局は今でも監視を・・・」
「ルルーシュは頭がいい、監視を見破られているのではないのか?」

滅多に感情を露わにしないあの枢木スザクが怒っている。挑発した際にムッとするようなことはあったが、あんな枢木スザクは初めて見た。怒りで声の音量が上がっているのか、今度はハッキリと話の内容が伝わってくる。しかしその話の内容と言ったら、偽者だの監視だのよく分からない。しかし聞いたことのない人物の名前だけは強く印象に残った。

「しかし枢木卿も実際に確認したのでしょう?ルルーシュ・ランペルージは記憶は戻っておりません」
「ッまだ確定したわけではない。・・・近いうちにまた学園へ行く、バックアップを情報局へ要請しておくように」
「了解致しました」

枢木スザクはくるりとマントをひらめかせて去ってしまった。枢木スザクの後ろ姿が見えなくなるまで敬礼を止めない一般兵を見ながら考える。枢木スザクをあんなにも煽るそのルルーシュ・ランペルージという人間。ユーフェミア皇女殿下の名前を出した時だって、枢木はあんなにも怒らなかった。イライラしていたルキアーノの中にある一つのことが思い浮かぶ。ルルーシュ・ランペルージを使ったら、枢木スザクに一泡吹かせることだって可能かもしれない。そうだ、しかも話を聞く限りルルーシュというヒトは監視されている身らしい。監視をつかせるほどの重罪人なのだろうか?記憶がどうこうとも言っていた。そのルルーシュというヒトは何かを疑われていて、枢木スザクはそれを監視しているということらしい。なるほど、じゃあそれなら。

(このルキアーノが、その疑いをハッキリさせてやろうじゃないか)

どうせ数日間予定がないのだ、満月も近いことだし、枢木スザクへの当てつけとして丁度いい生贄ができた。ルキアーノは狂気の笑みを浮かべると、静かに一般兵へと近づいた。一般兵はルキアーノに気づかず、敬礼していた手を下ろしてホッと息をついていた。これから起こることも知らず、一般兵は枢木スザクが叩きつけたファイルを取ろうとしゃがんだ。その時には既に彼の後ろにはルキアーノが立っていて、一本のナイフを取り出すところだった。立ち上がり、振りむいたところ一般兵はやっとルキアーノの存在に気づく。ヒッと声を引きつらせたその一般兵は、きっとルキアーノのことを知っているのだろう。

「ブ、ブラッドリー卿!何故こんな所に・・・」
「なあ、ルルーシュって誰?」
「ブラッドリー卿、申し訳ありませんがそのことについてはお話しすることはできません」

背筋をピンと伸ばしてはっきり言った一般兵に、ルキアーノはスッと目を細める。一般兵がそそくさと立ち去ろうとした、その背後を狙ってルキアーノは彼の首筋に愛用のナイフを突きつけた。ひんやりとした刃の感触を首に感じた一般兵は、恐怖に手に持っていたファイルをバサバサと地に落とす。

「お、おやめ下さいブラッドリー卿!」
「教えてくれたら殺さないでやるよ、それで、ルルーシュは」
「ですからお話しすることはできないと・・・!」
「ヘェ・・・」
「っぐ・・・!」

ヒタヒタと揺らしていたナイフの先が肌に軽く刺さる。脅しではない、ルキアーノは本当に殺そうとしている。生命の危機に震える一般兵は、しかしそれ以上の機密任務を果たそうと口を噤む。言う気はないと態度で示すとルキアーノのイライラが増した。

「早く言わないと、首が胴体とサヨナラするかもしれないな」
「ひ、ひィッ!おやめ下さい!お願いですからナイフを・・・!」
「聞きたい答えはそれじゃないんだよッ!」
「ッぐあああっ!!!」

首にあてていたナイフが一般兵の肩を射していた。うまい具合に骨を避けて刺されたナイフが、肩に激痛を走らせる。あまりの痛みに一般兵は悲鳴を上げると地面に倒れた。花の為に耕された柔らかい土が顔に当たるのも構わず、地面をのた打ち回る。そんな一般兵の滑稽な姿と、肩から流れる血を見てルキアーノは笑い声を上げた。

「ハハハッ!ほらほら、早く言わないと次は反対の肩がダメになるんじゃないか?」
「う、あああっ・・・」

地面に伏す一般兵を蹴り上げて仰向けにすると、その両肩へ乗る。ヒト一人の体重を受けた一般兵の肩がミシリと軋んだ。さらに刺された肩のナイフを抜かれ、足裏で踏みつけられる。拷問のようなそれに泣き出した一般兵をルキアーノは見下ろした。まだまだ残っているナイフをちらつかせながら、その一本を掴み取る。親指と人差し指だけで不安定にナイフを持って、一般兵の顔の真上で止めた。一般兵は、頭上でふらふらと今にも落ちてきそうなナイフにさらに悲鳴を上げた。もしルキアーノの手がナイフが離れたら・・・。ルキアーノはもはや死への恐怖で言葉が出ない一般兵へ悪魔のように問いかける。

「もう一度聞く、ルルーシュって誰?」

その日一週間後、庭園で一人の一般兵の死体が見つかった。人目につかない場所だったため発見が遅れたらしい。一般兵の死因は体中無数につけられた切り傷、刺し傷からの出血多量による出血死だった。死因だけで、犯人は誰だかすぐに分かったが誰もそのことについては触れることはなかった。現場には死体以外"何もなかった"そうだ。





唯一休息できると思っていた学園が、まさかこんなことで脅かされるなんて。ルルーシュは人知れず溜息をついた。突然入学してきたナイトオブランズのスリーとシックス。ジノとアーニャは、とにかく不思議な人物たちだ。庶民の暮らしがどうとか言ってジノは学園生活を満喫しているようだし、アーニャもアーニャで歳の近い友達が何人かできたようだ。自分がゼロだとバレないように気を配りながらも、どうやら本当に学園生活を体験してみたいだけの二人の相手をするのは大変だ。ジノは何かとあれはなんだこれはなんだと聞いてくるし、アーニャは携帯でパシャパシャと写真を撮ってくる。ルルーシュはジノの問いかけに一つずつ答えるのは大変だし、できるだけ写真は残したくないからアーニャの携帯から逃げるのにも苦労する。咲世子に影武者を頼めばいいのだが、咲世子が何をしでかすか分からない。中華連邦に行っている間影武者を頼んだらとんでもないことになってしまった。シャーリーにキスをするわ、女子生徒と何件ものデートの約束をするわで、緊急時以外で咲世子に影武者はとてもじゃないが頼めなかった。なら学校を休んでしまえばいいのだが、ラウンズが入学した途端に休むのはスザクに疑われるかもしれない。もしこれで記憶が戻ったとバレてしまえば、ブリタニアにいるナナリーの身が危ない。だからゼロの騎士団の活動に専念しつつも学園生活に気をいれなければならない。だが、やはり疲れるのだ。今日も何かとジノに引っ張り回され、アーニャには写真をと付け回される。スザクが休学したことを初めて悔やんだ、スザクがいたら二人の行動を抑えてくれるかもしれないのに。だがしかしスザクは今頃ナナリーの傍にいるのだろう。自分を憎んでいるであろうスザクだが、きっとナナリーのことは守ってくれるはずだ。そのことに安堵してしまうのは、おかしいだろうか。

「っと・・・電話か?」

クラブハウスの前まで来て、ルルーシュは突然鳴りだした携帯に足を止めた。ロロはヴィレッタと情報局へ行って偽の報告書を作っているはずだからロロではないだろう。騎士団の幹部の誰かかと携帯を取り出して画面を見ると、ルルーシュはその画面に映し出された名前に息が止まった。スザクからだ。何故スザクから急に電話がかかってきたのだろうか、もしかしたらゼロについて何かバレたのだろうか。ここは出たほうがいいのかでないほうがいいのか、選択を迫られルルーシュは通話ボタンを押した。記憶のないルルーシュなら、出ると思ったからだ。

「・・・もしもし」
『ルルーシュ?僕だよ』
「ああ、どうしたんだ急に?ラウンズの仕事は俺に電話してくるほど暇なのか?」
『そんなんじゃないよ、ただ、ちょっと気になってさ。ジノ達が入学したんだろ?どうかなと思って』
「それは俺じゃなくて本人達に直接聞いたほうがいいと思うんだが」
『うん、まあ、そうなんだけどさ』

うまく隠してあるがスザクの声色は冷たい。それに加え時折交るノイズ音、普通の人なら気付かないこれはこの電話が記録されていることを意味している。向こうが特殊な装置を接続しているのだろう、今までにこんなことはなかった。何故今になって録音などと考えながらも友達として会話をする。

「それなら、お前も学園へ来ればいいのに。俺一人であの二人を相手するのは大変なんだが」
『えっ・・・僕が?』
「そうだよ、休学中って言っても来れないことはないんだろ?」
『そう・・・だけどさ・・・』
「せっかく復学したんだ、たまには顔見せろよ」
『・・・うん』

電話越しでも分かるくらい、スザクは動揺している。当り前だろう、記憶が戻っているのならルルーシュはこんなこと言わない。ルルーシュはスザクが自分の記憶が戻っていると感づいていながらはっきりとするまで手を出してこないことを知っていた。だから、たとえバレていようと言葉で追及されるまでは記憶のないルルーシュを演じることにした。

「そうだ、会長が卒業を決めたらしいからその時にお前も・・・」
『ねえ、ルルーシュ』

スザクの声が真剣なものになった。電話越しの二人の空気がガラリと変わった気がして、ルルーシュはつい言葉を止めてしまった。こういう方向には持っていかないようにしたかったのに、相変わらず空気が読めない男だ。ルルーシュは携帯を持ち直して、止めた足をまた再び動かした。クラブハウスの目の前でずっと立ってるのも変だなと思ったからだ。階段を登り切り玄関まで行く、その間スザクは何も言わず沈黙が流れていた。何か考えているであろうスザク、何を言われてもうまく逃げ切れるように頭の中を整理しておく。扉の鍵は何処だったかなと、ポケットの中を探ろうとしたルルーシュの後ろで微かな足音がした。

『・・・君は本当は記憶が』

そう言いかけたスザクの言葉は、いつの間にかルルーシュの真後ろに立っていた男の言葉によって遮られた。


「どうも、君がルルーシュかい?」


聞きなれない声、ルルーシュが振り返るとそこには若い男が立っていた。突然背後に現れた男にびっくしりて後ずさるが、すぐに背中に玄関の扉があたった。繋がったままの電話を片手にルルーシュは男を見上げる。気配に気づけなかった、何者だこの男は。立てられたオレンジ色の髪の毛は、シャーリーの色と似ているのにとても好感を持てなかった。前までしっかりと閉められたマントの間から、逞しい腕が伸びてくる。男はニヤニヤと笑いながらルルーシュを見下ろし、扉に片手をついてルルーシュを扉と体で板挟みした。男の纏うマントになんとなく見覚えがあったが、思いだせない。

「そうですけど、あなたは?・・・ッ!?」

ルルーシュが答えるや否や、男は隠し持っていた布をルルーシュの顔に押し付けた。鼻と口を塞ぐように押しつけられルルーシュは咄嗟に布を撥ね退けて逃げようとしたが、男の手がそれを許さなかった。逃げ出そうとするルルーシュを後ろから抱きつくようにして動きを封じる。脇から手を入れルルーシュの両腕を持ち上げるようにして布を顔へともう一度押しつけた。顔を左右に振って暴れるルルーシュを押えこみながら、布に染み込ませた薬品を嗅がせる。ルルーシュは息をしてはいけないと分かっていながらも、取れない布にとうとう息をしてしまった。

「んぐっ、ん、んぅー!!!」
『ッルルーシュ!?どうしたの!?ルルーシュ!』

まだ握っていた携帯からスザクの声が聞こえる。せめて助けてと言えたら、しかし塞がれた口では思うように言葉も言えなかった。布越しに空気を吸うたびに薬品の臭いが鼻をつく。ツンとした薬品臭にむせそうになるがそれすら塞ぎ込むかのようにグッと布をさらに押し付けられる。急に目の前がぐらぐらと揺れ始めて、ルルーシュは身の危険を感じた。体中の力が抜けていくのが分かって、持っていた携帯が手からすり抜ける。

「っふ・・・ぐっ・・・んぁ・・・」

ガシャンと音を立ててコンクリートと激突した携帯。その音がスザクにも聞こえたのか、さっきから携帯からスザクが必死に何かを言っている。しかし、既にルルーシュの頭はそれを理解できなくなっていた。布を押さえる男の手を引き剥がそうとしていたルルーシュの手がだんだんと力を失う。自分では立つこともままならなくなり、男へと身体を預けるような体勢になってしまった。意識を失ってはダメだと分かっているのに、薬の威力がルルーシュの身体を襲う。霞み始めた目で男を見上げると、男はまるで獲物を捕まえたような獣の目をしていた。そこでやっと男の服装に気がつく、たしかこれはラウンズのマントではなかっただろうか。何故分からなかったんだと自分に後悔しながらも、何故ラウンズがここにいるのだと疑問に思う。まさか皇帝の差し金だろうか?うっすらと笑った口元から白い牙のような歯が見えて、ルルーシュは意識を失った。





『ルルーシュ!返事をしてよルルーシュ!!!』

ルキアーノは未だに何か喚いている携帯を拾うと、躊躇なくその電話を切った。落としてしまった際にかけたのだろうか、携帯の端が少しへこんでいる。電源の切れた携帯をそのまま近くに投げ捨てると、携帯はまたガチャンと音を立ててバウンドした。今のでまた少し壊してしまったかもしれないが、しかし今はそんなことどうでもいい。自分の胸の中に落ちてきたルルーシュをルキアーノは満足げに見つめた。これが枢木スザクを乱す"ヒト"。名前からは分かっていたが、見た目は女のようやヒトだった。それでも女性にしては高い身長や幅のある骨格は、彼が男性だと言っている。

(胸もないしな)

ルルーシュの平べったい胸を撫でる。あの一般兵が持っていたファイル(一般兵が死んだあとに、彼の下敷きになっていたファイルの存在に気づいた)にルルーシュの写真があった。盗み撮りだろうそれは不自然なアングルなくせにやけに高画質なものだった。ファイルには簡単な報告書しか入っておらず、ルルーシュが何をした人物など重要なことは書いていなかった。それでも、ルルーシュのフルネームと住んでる場所までは分かった。ルルーシュ・ランペルージ。アッシュフォード学園高等部、3年D組に在籍。住宅と学園内をカメラで監視とあったため、外で彼を攫う必要があった。外出時の監視は弟役(弟なのに役と書いてあるのが変だと思った)のロロがしているとあったが、あたりを見る限りそのロロという人物は見当たらない。来た早々にルルーシュは見つけられるし監視の目も無く、全く運がいい。この運はやはり満月のおかげかとルキアーノは日の傾いた空に浮かぶ月を見上げた。今日は満月である。

(血が・・・騒ぐ・・・)

写真で見たよりも、ルルーシュという人物はずっと美人であった。男に美人なんて気持ち悪いが、しかし彼はそう表現する他にその美しさを現す言葉がない。それに黒髪ということが何よりも興味を引いた。アジア系は黒髪が多いがアジア地域はブリタニアの支配地が多く、ナンバーズと慣れ合う趣味もなかったので黒髪のヒトを間近で見るのはこれがはじめてた。外交の場でお偉い人が黒髪だった時はもちろんあるし、今までだって何人もの黒髪のヒトを見てきたが、今までみたどの黒髪よりもルルーシュの黒髪は綺麗だ。髪の毛は闇のように黒いくせに肌は真白。青白くも見えそうなその白い肌の下を血が流れているんだと思うと、思わず生唾を飲み込むほどだ。美人は好きだ、男も女も関係なく。何故なら美人は死に際も美人だからである。不細工な人間は死に際は醜くて目も当てられない。しかも美人で女なら死んだあとも突っ込めるというお楽しみ付きだ。ルルーシュが女じゃなくて本当に残念である。

(おっといけない、殺しちゃマズイんだよな)

殺すこと前提に考えていた思考にストップをかける。一応これは罪人なのだ、ルルーシュの記憶が戻っているのか確かめるのが今回の目的である。報告書からルキアーノが読み取ったのは、ルルーシュは記憶失っていて過去の記憶が戻っているか確かめるのが任務ということだ。大方予想するに、何かの罪を犯したルルーシュは記憶喪失になってしまったが、記憶喪失のままでは罰せられないからルルーシュの記憶が本当にないのか確かめるということなのだろう。記憶喪失のふりを続ければ罰せられることもない。確かにこれは重要な任務だ、だがしかし機密で行う任務なのだろうか。色々疑問に思うことはたくさんある、でも今は目の前の人物に夢中でそんなちっぽけな謎は遠くに飛び去った。今日のためにルキアーノは鞭を一本手に入れた。どこかの国で使われていたというその鞭は、痛みだけを相手に与えるものだ。鞭は使いにくくてあまり好きではなかったが、白い肌に赤い線を刻むのは何もナイフじゃなくてもいい。

(さしずめ、下書きってところか)

下書きだとしても、それ通りにナイフを入れてやろうとは思わないけれど。ルキアーノはぐったりとするルルーシュの脇に片手をいれて、空いた手でその細い両膝の裏に手をいれた。そのまま持ち上げて横抱きにしてから、樽を担ぐようにして肩にルルーシュを抱える。怪し過ぎる光景だから誰かに見られる前に去ろうとルキアーノはすぐさま来た道を引き返した。夜の始まりに美青年を攫う、まるで何処かの小説の一文みたいだ。脅して捕まえてきた部下が待つ車へと乗り込むと政庁の近くにある、とある建物へ向かった。灯台もと暗しとでも言うのだろうか、政庁に近いと余計な邪魔も入らないと思ったからだ。不安げにチラチラと後部座席を見てくる運転手兼部下を睨むと、すぐさまその視線は前へ戻された。いきなりヒトを攫ってきたとなれば驚くのも無理はないと思うが、これは罪人なのだから攫ったのではなく連行だと思う。ブリタニア軍専用の柔らかな座席に横たわるルルーシュは、まさに囚われた姫様のようだ。念のためにと手錠を持ってきていたが、あの部屋に行くまでは使うことはなさそうだ。抵抗されたりした時に使おうと思っていたが、先ほどのルルーシュの抵抗と言ったらあまりにもか弱いものだった。あの程度の抵抗なら片手で捩じ伏せられる、ラウンズは一般人が思うほど"ヒト"ではないのだ。早くルルーシュの血が見てみたい。この白い肌が血に濡れる様を早くこの目で見たい。高鳴る鼓動にルキアーノは冷笑してルルーシュの頬を撫でた。

「せいぜい、楽しませてくれよ?」

ルルーシュという人物は全く知らない。これから起きる拷問に、ルルーシュはどうなるのだろう。すぐに泣くような人物だったら嫌だ、世界で誰よりも自分が一番と思っているほどプライドの高い人間だったらいいと思う。プライドの高い人間を無理やり捩じ伏せて力の格差を見せつけるのがルキアーノは好きだ。ルルーシュの傷を知らない綺麗な肌を自分のナイフで裂けるのだと考えたら武者震いがする。ヒトを痛めつける前はいつも興奮するが、今日はいつも以上に興奮しているのが分かった。おそらく満月のせいもあるのだろうが、原因はルルーシュにもあるのだろう。枢木スザクがルルーシュに固執するのもなんだか少し分かる気がする。こんなにも綺麗な人、放っておけるわけがない。だが罪人は罪人だ、罪は罰せられるためにある。ルルーシュが罪を持つのなら、枢木スザクよりも早く罰してやろう。そしてルルーシュをさんざん傷つけて、罪が分かったら枢木スザクの前に投げ捨ててやるのだ。枢木スザクは自分の獲物を他人に、しかもナイトオブテンに取られたと分かったらどう思うだろう。報告書一枚であんなに激怒していたくらいだ、もしかしたらその場で掴みかかられるかもしれない。それもいい、いや、そうなってほしい。堂々とあの枢木スザクを殺せるようになるのなら。

(正当防衛なら、誰も咎めないだろう?)

ルキアーノは窓のふちに肘をかけて開いていない窓を通して租界を眺めた。エリア11にはあまり来たことがないが、綺麗でなかなかいいところだ。獲物を育てるにはいい環境だ、そう呟いた口から除く牙が窓に反射してルキアーノの目に入る。自分にこんな牙あっただろうかとその牙をよく見てみる。いや、こんな歯、見覚えがない。突然生えてきたかのようなそれにルキアーノは触れてみた。感覚はある、ちょうど八重歯の部分だ。八重歯は尖っているものだがこんなにも大きかっただろうか。窓に映る自分を見ていたら車が停止した。視線を部下にやれば、どうやら目的地に着いたらしい。ルキアーノはやっと着いたかと、隣に寝かせていたルルーシュを抱き上げた。車の扉を開けて辺りを見回すと、自分達以外ヒト一人いなかった。政庁の近くと言っても、目立たない場所だからヒト気がないのだ。ルキアーノは先を行く部下の後に続いて、建物の中に入った。ルキアーノの腕で眠るルルーシュは知らない、これから起こる拷問という名の痛みと恐怖を。ルルーシュを抱くルキアーノは知らない、これから起こる己でも信じられないような事実を。時刻はちょうど午後7時、空に太陽はもうない。やけに大きな満月だけが、二人の行く末を知っているかのように静かに光を放っていた。