「これは秘密なんだが・・・実は、ルキアーノはゲイなんだ。だからこの前のあれは、あいつにとってただの挨拶みたいなものなんだよ。ルキアーノとはたまたま知り合っただけで、ただの友人なんだ。だからこの前のことはなんてことないハプニングであって問題視することのほどでもない。よって、あの時のことは全員忘れるべきだと俺は思う」

自信満々にルルーシュが言うものだから、その場にいたルルーシュ以外の全員は驚きを通り越して呆れてしまった。何処からともなく聞こえてくるため息にルルーシュはめげず、胸を張って背筋をピンと伸ばした。手元にあった適当な資料をそれっぽく持ちながら机をトントンと叩く。

「考えなくても分かることだろう。ただのちょっとしたイレギュラーだったんだ。だが、俺とルキアーノは全く関係がない。友人と言っても全く親しくはないし、そう、知り合いと言ったほうが正しいのかもしれないな。分かったか、みんな。じゃあこの話はこれで終わりだ」
「終りなわけないでしょうルルちゃん!」

話しを切り上げようとしたルルーシュをすかざすミレイが止めた。ルルーシュがあからさまに舌打ちをすると、それまで黙ってルルーシュの話を聞いていた皆が口を開きだす。そんな不自然なことがあるわけがないだとか、無理がありすぎるんじゃないかとか、嘘ならもっとましな嘘をついてほしいだとか。ルルーシュはむすっと口をへの字に曲げて腕を組んだ。まるで尋問されている罪人にでもなった気分だ。ここはアッシュフォード生徒会室。ルルーシュは入口を背にして部屋の真ん中にある長いテーブルの前に座り、刺さるような皆の視線を受けていた。先ほどまで順調に流れ作業で回ってきていた書類は皆の手の中で停止している。興味半分怖さ半分と言った全員の目にルルーシュは隠すことなく眉を顰めた。当のルルーシュも、あのような嘘で皆が誤魔化せるとは思っていなかったがこの状況は非常に嫌だ。ただでさえ問題が山積みで疲れているのに、学園生活までこの調子では休める場所がない。

「先輩、ブラッドリー卿がゲイだなんて聞いたことないですよ」
「普通は秘密にするものだ」

どの普通だ、とジノは思った。先日の吸血鬼祭でのあの事件は、一部を隠し全校生徒に広まった。ナイトオブラウンズのテンが突然学校イベントに参加、などと楽しげに新聞部は書いていたが生徒会メンバーにとっては楽しいどころか恐ろしいものだった。ルルーシュが連れ去られたあとの生徒会室はまるで氷河期の地球のように空気が凍りついて、誰ひとりとして言葉を発せなかった。目の前で起こったことが信じられなかったのか、シャーリーが気絶し倒れその場は一旦締め切られた。どうしてナイトオブテンが突然現れたのか、どうしてナイトオブテンはルルーシュを捕まえたのか、どうしてナイトオブテンはルルーシュにキスをしたのか。あの場面を見てしまった者達の中で疑問はどんどん膨れ上がり、休み明けの今日、放課後になってふらりと生徒会室に顔を出したルルーシュに疑問の風船は一気に破裂してしまったのだ。

「ああもう、だったら俺とルキアーノはどんな関係だっていうんだ?俺が説明した関係ではなく違う関係なのだと、ジノは言えるっていうのか?」
「それは・・・」
「ほら、言えないだろう。ただの知り合い、それで充分じゃないか」

そう言われてしまえばジノや周りは口を閉じるしかなかった。確かに、ルルーシュとルキアーノがルルーシュが説明した関係ではないのなら、ふたりはどういう関係だというのか。恋人同士か、と考えてみるがどうもしっくりこない。しかし、知り合いというには仲が深いようにも見える。ただの友人ではないことはぼんやりと感じ取れるのだが、その関係をはっきりと言葉にするのは難しかった。けれどルルーシュの説明で納得がいくわけでもない。腑に落ちないという皆の顔をルルーシュはこっそりと盗み見ながら、心の中で大きなため息をついた。

(あれもこれも全部あいつのせいだ・・・)

名前を心の中で呼ぶだけですぐに思い浮かぶ夕陽色の髪。憎たらしいほどの笑みを浮かべたルキアーノに、どれほどの被害を被っているのだろうとルルーシュは思った。少しの間会わなかったというだけで学校には乗り込んでくるし、イベントには乱入、そのうえ皆の居る前であのような破廉恥な行為を。できれば、思いだしたくない。けれどあまりに強烈すぎて忘れることはできないようだ。皆にルキアーノとの関係を知られるわけにはいかないが、正直に話したところで信じで貰えるかどうかも怪しい。本当はルキアーノは吸血鬼で、その餌食にされてるなど口が裂けても言えない話だ。ミレイやリヴァルはいいが、問題はスザクやジノやアーニャのラウンズだった。ナイトオブラウンズは滅多なことがなければそうそう集まって会うことはないだろう。もし三人の中の誰かがルキアーノに直接ルルーシュとの関係を訪ねたりなどしたら、ルキアーノがどう答えるのか不安でしょうがなかった。あのルキアーノの性格からして素直には喋らないとは思うが、スザクにだけは余計なことは喋ってほしくないと思う。ルキアーノが忘れているのかどうか知らないが、ルキアーノはルルーシュが罪人だということを知っているのだ。なんの罪を犯したのかは知らないものの、ルキアーノがそれを知っているとスザクが知ったら何かをしてくるかもしれない。ルルーシュは、自分に何か危害が及ぶのはいいがナナリーが危険な目に遭うのだけはなんとしても避けなければと思っている。スザクがナナリーに何かをするとは思いたくないが、今はスザクのナナリーに対する"情"を信じるしかなかった。

「なあスザクどう思う?先輩の言ってること」
「・・・さあ、どうだろう。ルルーシュがそう言うなら・・・でも、ルル―シュは嘘がうまいからなぁ」

今日初めて聞くスザクの声にルルーシュは僅かに指先をピクリと反応させた。ジノに首に腕を回されているスザクはジッとルルーシュの方を見ていて、ルルーシュがスザクの方を見ると目が合った。サッとルルーシュがすぐに視線を逸らすが、スザクは口元は笑っているが目は笑っていないように見える。記憶のことを疑われているのだろうとルルーシュは唇を緩く噛んだ。何故こんなくだらないことで記憶のことを疑われなくてはならないのだ。嘘がうまいだなんて、本当はこんな嘘できればつきたくはないとルルーシュは胸の中だけでスザクに怒った。

「じゃあ、知り合いなら何処でどうやって知り合ったんですか?それくらい教えてくれたっていいでしょう?」

尚も食い下がってくるジノがルルーシュの目を覗き込んでくる。近くなったジノの顔をルルーシュは手のひらで押しのけながら、こうなったら嘘をつき通してやろうと開き直った。

「そうだな、じゃあ教えてやろう。俺がルキアーノと初めて会ったのは俺が賭けチェスのために行った租界のとあるゲイバーで・・・」
「誰が誰とゲイバーで会ったって?」

突然背後から降ってきたその声に、ルルーシュは大きく肩を震わせた。生徒会室に居た全員はその聞いたことのある声に扉の方へ振り返った。するとそこには、扉に片腕をあて此方を見ているルキアーノが居た。いつからそこに居たのか、ルキアーノの表情は不機嫌そうだ。いきなり現れたルキアーノにルルーシュが思わず椅子を倒して立ち上がり、口をわなわなと揺らす。

「な、なんでお前がここに・・・!」

部外者であるはずのルキアーノが普通に学園の中にいることにルルーシュは驚きを隠せなかった。ずんずんと生徒会室の中に入ってきたルキアーノは迷うことなくルルーシュの方へ近寄る。それを防ぐようにロロとアーニャが前へ出るが簡単に押しのけられてしまった。ルキアーノは固まってるルルーシュの目の前まで来るとその細い腕を掴もうとしたのだが、ルルーシュが逃げる様にジノの後ろに隠れてしまった。ルキアーノとルルーシュに挟まれるようになったジノは盾にされたことに焦り、ちょっと!と抗議の声を上げた。ジノの背後で腕を組み、そっぽを向くルルーシュにはジノの声は聞こえないことになっているらしい。ルキアーノにじろりと睨まれ、ジノは何で自分がこんな目にと思いながら、そういえばとルキアーノに訊ねた。

「そうだ、ブラッドリー卿、貴方がゲイだと聞いたのですがそれは本当ですか?」
「わっ馬鹿、ジノ!それは!」
「・・・はァ?誰だ、そんなことを言ったのは」
「違うんですね?」
「当たり前だろう」

ですってよ、とジノが後ろに居るルルーシュに言う。最早、ルキアーノが居ては嘘もつけないルルーシュは黙ってルキアーノから視線を逸らすことしかできなかった。ルルーシュが黙ったのをいいことにジノはさらにルキアーノに問う。

「じゃあ何で先輩にキスしたんですか?ゲイじゃないんでしょう?」
「私の獲物はあくまでルルーシュだ」
「つまり先輩だけにしか興味がないと?」
「そうだ。ルルーシュとは血の」
「っわー!あー!わーわーわー!」

ルルーシュがルキアーノの言葉を遮って大声を上げる。ルルーシュらしくない行動に皆が驚いていると、ルルーシュは頭に血が上ったかのように顔を赤くしてルキアーノに怒った。

「っだから!どうしてお前はいつもそう後先を考えずに行動するんだ!」
「そんなこと考える必要などないだろう」
「俺にとっては重要なことなんだ!」

そしてルル―シュははたと気がつき、またやってしまったと周りを見回した。今の二人はただの知り合いというには仲が良すぎるように周りには見えた。そしてジノやアーニャはルキアーノにあんな口をきくルルーシュに冷やりとしたが、ルルーシュの荒い口調にも気を害していないようなルキアーノに思わず目を丸くしてしまう。ナンバーに差があるジノでさえルキアーノに話しかけるのには僅かに気を使う。それはルキアーノが若干人とは違う性格をしているためだからなのだが、ルルーシュはそんな気は毛の先ほど使っていないようだ。

「だ、だいたい!何故お前がここに居るんだ!?」

誤魔化す様にルルーシュがそうルキアーノに怒鳴る。何故ここに居るのかということをすっかり流してしまっていた。ルキアーノがそれはと口を開こうとしたその時、開きっぱなしだった生徒会室の扉の向こうからどたどたと数人の足音が聞こえた。間も無く、2人の生徒がぜえぜえを息を切らしながら生徒会室に入ってくる。生徒はそこにいるルキアーノを見つけると、膝に手をついて安心したように大きく息を吐いた。

「ブラッドリー卿・・・こ、ここにいらしたんですか・・・ぜえ・・・ぜえ・・・」
「さ、探しましたよ・・・はあ・・・はあ・・・」
「お、お前たちは・・・!」

ルルーシュが生徒の顔を見て驚き指を指すが、他の皆は何故ルルーシュが驚いているのか分からなかった。それはそうだろう、何故ならそこに居た生徒は吸血鬼祭の時ルルーシュを屋上から突き落とした(語弊があるが結果的にそうなってしまった)生徒だったからだ。ルキアーノと手を組んでいたと思われる生徒が、また何故ここに?ルキアーノを探していたような言葉を口にした生徒はルルーシュを見つけると気まずそうに苦笑いをした。

「副会長、この間はどうもすいませんでした・・・あはは」
「すいませんでしたで済むと思っているのか?」
「そ、そんなに怒らないでくださいよ!俺たちだって、部活のためにどーしても!」
「部活と俺を突き落すのとはどう関係があるっていうんだ?」

突き落した、とうい物騒な単語に生徒会の皆がざわめく。突き落しただなんて言い方しないでくださいと生徒が起こると、それまで黙っていたミレイがちょっといいかな?と間に入ってきた。

「えーっと・・・色々聞きたいことはあるんだけど、まず、君達は?」
「俺たち、美術部の二年生です」
「ブラッドリー卿をモデルに絵を描かせていただいていた途中だったんですが、ブラッドリー卿が急にいなくなってしまって・・・」

ハンスという眼鏡をかけたアッシュブロンドの男子生徒はその短い髪を掻きながら困ったようにルキアーノを見た。続いてエミリオという少し長めの黒髪を後ろで縛っている男子生徒がルキアーノを促す様に扉の方へ手のひらを向けた。

「ブラッドリー卿、行きましょう。まだもう少しかかりますので・・・」
「ああ、分かった。だそうだ、行くぞルルーシュ」
「はぁっ!?」

素直に頷いたかと思えばルキアーノはルルーシュの腕をがっしりと掴んだ。そしてそのまま引っ張られ、ルルーシュは強い力によろけながらも引きずられていく。ルルーシュは両足に力を入れ踏み止まり抵抗した。

「俺は関係ないだろう!」
「副会長お願いしますよ、ブラッドリー卿が副会長がいなきゃ嫌だっていうんです」
「だったら絵のモデルなんか引き受けるな!」
「そんなこと言われても、絵のモデルになってくれる代わりに吸血鬼祭の時に手伝ったんですから」

エミリオとハンスはルルーシュを後ろから押す様にして移動させる。三人の力に非力がルルーシュが敵うはずもなく、ずるずると引きずられていくルルーシュは助けを求める様にミレイを見た。その視線を受け取ったミレイがエミリオに問うた。

「エミリオ君、待って待って。それはちゃんと許可はもらってるの?」

未許可ならばちゃんと許可をもらってからと言いかけたミレイをハンスが止める。ミレイの言葉を聞き、エミリオは懐から何枚かの紙を取り出しミレイに押し付けた。

「部活動については学園長から、副会長のことについては担任と学年主任から、ブラッドリー卿の一時的な来校許可は教員会議の結果特別許可されました。それが書類です」
「あらら・・・ご丁寧にどうも・・・」

何か隙間を見つけてそこ突いてやろうとしていたミレイは、返ってきた完璧な答えに両手を上げた。ルルーシュに目を向けミレイは首を横に振ると、ルルーシュはそんなと悔しげな表情を見せた。エミリオとハンスはまるで駄々っ子のようにやめろと叫ぶルルーシュをやんわりと宥める。そしてそのままルルーシュはルキアーノと美術部2人に連れて行かれ、まるで吸血鬼祭のあの時のように静寂が生徒会に流れた。




「全く、職務怠慢だと思わないか?」

怒ったようにそう言ったジノの言葉にアーニャが頷く。それを聞いたスザクはため息混じりに言った。

「ジノ、アーニャ。それは君達もだと思うんだけど」

スザクの前に盛られた書類を見て、ペンすら持っていないジノは乾いた笑いを漏らしながら首筋に手をあてた。政庁の一室で集まった3人は、学校へ行っている間に溜められたという書類仕事をこなしていた。時間はもうすっかり夜、しかしこの書類を片付けないことには寝れないし明日学校へ行かせてもらうことができないのだ。ジノはしぶしぶペンを掴むが、アーニャはもう飽きたというように携帯をずっと握っている。

「私たちのことは別に今はいいんだ。私が言ってるのはブラッドリー卿のことだ!」
「まだ考えていたのかい?いい加減飽きないね」
「スザクは気にならないのか?どうしてブラッドリー卿と先輩が知り合いなのかとか、なんでブラッドリー卿は先輩につきまとってるのかって!」
「つきまとってるのはジノも同じでしょ」
「茶化すな!」

ふう、とスザクはため息を吐き動かしていた手を止めた。ジノをじろりと睨むと、その視線にジノが冷や汗を流す。言葉は落ち着いているようなスザクだったが、その顔はとても怖かった。静かな怒りと例えようか、スザクは不機嫌そうに眉を寄せていた。

「じゃあもう一度ブラッドリー卿に聞いたらいいじゃないか」
「き、聞けばってそう簡単に言うけどなスザク・・・。それに、先輩に口止めされてるのか今からじゃ何聞いたって答えてくれないみたいだったぞ。なあ、アーニャ?」

アーニャが頷き、スザクはアーニャは既にルキアーノに聞いたのかと少しだけ目を細めた。アーニャは、でも何も話してくれなかったと呟く。つい先ほど、ここの部屋に来る前にアーニャはルキアーノを見かけたのだ。周りに誰もいなかったし、反対側からちょうど歩いてくるルキアーノにアーニャは訊ねた。ルルーシュとはどういう関係なのかということを。アーニャが尋ねるとルキアーノは別に、と何も言わず去って行ったらしい。もっと追及できればよかったのだが、アーニャにはその会話をすぐには難し過ぎる。それを聞いたジノとスザクはやはりそうだよなと肩の力を抜く。今からルキアーノに何を聞こうがきっと無駄だろう。肩を落とした二人を見てアーニャはでも、と口を開く。

「ブラッドリー卿、少し変わったような気がする」
「ああ、それ分かる気がする。なんていうんだろうな、こう、丸くなったというか」
「あまり怒らなく・・・なったよね」

以前のルキアーノは傍に近寄るだけで怒る、というイメージがあった。話をすればトゲトゲしく返され、作戦行動は独断で行うこともしばしば。ナイトオブラウンズとして力は認められているものの、人間性としては評価はできないものであった。そんなルキアーノが最近、大人しくなったと思うのはスザク達だけではないだろう。優しくなったとは決して言えないが、ちょっとしたことで怒らなくはなった。命令にも文句は言うものの従うときが増えたし、あまり公式の場には出なかったのに最近はちゃんと会議にも出るようになっていた。ヴァルキリエ隊の女性達もそのことは感じ取っているらしく、ルキアーノ様はどうかしたのかしらと不安げに話しているのをこの前耳にした。

「それって、やっぱり先輩と関係あることだと思うか?」
「ルルーシュと?」
「いつ二人が知り合ったのかは知らないけれど、ブラッドリー卿が変わり始めたのは少し前からのことだろう?もしその頃に先輩と知り合ったって言うんなら、先輩がきっかけに何か変わったんだと私は思うんだが」

少々無理のある予測ではあったが、その可能性は否定できない。でもそれは、とスザクが言いかけた時、部屋の内線が鳴り響いた。ジノがそれに出ると何か困ったような口調で会話し、電話を切る。ジノはアーニャのほうだけを見て首を竦めるとお呼び出しみたいだと言った。部屋を出ていこうとする二人にまさかこの書類を全部自分一人でやれというのかとスザクは焦ったが、ジノはすまなそうに手を振るだけだった。扉が閉まり、部屋にひとりだけにされたスザクは目の前の書類に大きなため息を吐く。書くのを止めていた手を再開し、先ほどのことを考えた。

(ルルーシュとブラッドリー卿・・・ゼロとナイトオブラウンズ。危険だな)

ルルーシュがルキアーノと知り合いだと知った時には、まさかゼロのことが他のラウンズにバレたのかと思ったのだがルキアーノの様子を見るとそうではないらしい。けれどゼロのことと関係がないのも厄介である。ルキアーノが何故ルルーシュに固執しているのか分からない。見せつけるようなキスをしたということは、そういう意味で狙っているのだろうとは思う。今の段階ではルルーシュの記憶は一応戻っていないということになっている。しかしそれは怪しいもので、スザクは記憶は戻っていると殆ど考えていた。

(もしルルーシュが何かを企んでいるなら・・・)

ルキアーノの前のルルーシュは本当に困ったようで、きっと彼らの今の状況は望んでなったものではないのだと思う。けれどもしルルーシュが黒の騎士団を動かしブリタニアへ何かを仕掛けるつもりならば、ルキアーノを利用しないとは限らない。ルルーシュにはギアスがある、いくらルキアーノが強くてもあの呪いに勝つことはできない。もし今の状況もルルーシュがルキアーノにギアスをかけた結果だとしたら?そうも考えてはみたが、あの状況に利益があるとは思えなかった。

(一度、試したほうが・・・いいのか?)

以前にもルルーシュに記憶のことを問いただそうとした時があった。でもその時は、ちょうどルルーシュがあの事件に巻き込まれてしまいうやむやになってしまったのだ。あの時のことを思い出すとスザクはとてももどかしい様な苛立ちを覚える。突然切れた携帯に何かあったのかと思い学園へ行けばルルーシュがいなくなったと言う。クラブハウスの前に落ちていた携帯はスザクとの通話が最後のものだった。監視はどうなっていたんだと情報局へ行けば、ヴィレッタやロロもルルーシュがいなくなったことは知らなかったらしくとても焦っていた。ちょうど監視カメラのないところをルルーシュは連れ去られた可能性があり、その時は皇帝の差し向けかとも思ったのだがそれは違った。ルルーシュがいなくなったということに、一番心を乱していたのはスザクだった。あの時はただルルーシュがいなくなってしまったということに頭がパニックになり、朝になるまで探し回っていた記憶がある。今思い返すと何故あんなに必死だったのか分からない。ルルーシュは憎むべき存在だというのに。ふらりと寄った政庁で、ボロボロになったルルーシュが兵士に連れられて来た時は頭の中が真っ白になった。激しい怒りから、ルルーシュを暴行したというその兵士達を殴り飛ばした。その兵士からすぐにルルーシュを引き剥がし、病院へ行くまでスザクはルルーシュの傍にずっといた。政庁に来た時にはルルーシュの意識はなく、ルルーシュが意識を取り戻したのはその日の夜だった。

(ルルーシュはゼロなんだ、だから、心配なんてしちゃいけないのに)

あの時、傷ついたルルーシュを見た時スザクに沸いたのは兵士達に対する怒りだった。そして、よくもルルーシュを傷つけたな、と思ってしまったのだ。よくも、だなんて言えた立場ではないのに。彼から妹を引き剥がし記憶を奪わせた自分に比べれば。ルルーシュのことになるといつもスザクは心の中が掻き乱されるような気分になる。それが、いつも。

(苦しくて堪らないんだ)





美術室の隣の準備室を挟んだ隣に教室の半分ほどの小部屋がある。そこは主に美術部が人物をモデルに絵を描く時に使う部屋だ。普通の美術室よりも少しだけ豪華で、冷暖房も完備してある。モデルが半裸になったり、時には全裸になったりする場合もあるので窓にはカーテンよりも厳重なシャッターがあり扉もパスロックがかかる様になっている。絵を描くときに部屋の内装はさまざまに変化される。今の内装は、中央に黒い革のソファに赤い絨毯、サイドには丸くて金色の足の長い丸いテーブル。テーブルの上には銀の花瓶が置かれており、真っ赤な薔薇が活けられていた。窓のシャッターは下ろされてはいないが、描写の時になるときっと下ろされるのであろう。ルルーシュは腕を組み苛立ちを逃す様に指を上下させる。窓の外ではまだ登校中の生徒がちらほらと居た。何で自分がこんな目に遭わなくてはならないのだと、厳重にロックされ部屋の外に出られないルルーシュは一人ため息をついた。

「これじゃ、監禁と同じだろう・・・」

朝早くからクラブハウスにエミリオとハンスが訪ねてきた。その時点で嫌な予感はしていたのだが、ルルーシュは迎えにきたという二人に連れられこの部屋に直行させられたのだ。ここ数日間ルキアーノは絵のモデルとしてアッシュフォード学園に来校していて、その度にルルーシュはただルキアーノの傍にいるという役柄だけで連れ出される。ルキアーノの隣でただ座っているだけという、他の生徒からしたら授業なんかよりも楽なことだとは思うがルルーシュにとっては授業を、しかも体育を受けていたほうが何倍もましだった。いつルキアーノが変なことをするのではないかと気が気ではない。放課後になってやっと解放され、ルルーシュは気疲れでその日の体力の殆どを使ってしまうほどだ。なので、今日こそは逃げてやろうと思っていた。学校に行けば捕まるなら学校に行かなければいいとルルーシュはそう考えついたのだが、そのルルーシュの考えを読んでいたのかどうかは分からないが美術部の彼らはわざわざクラブハウスにまで迎えにきた。教師の特権でどうにかしろとヴィレッタに言ってみたものの彼女はあくまで味方でもないことを忘れていた。せいぜい頑張るのだなと、日頃の恨みを晴らすような顔をされルルーシュは逃げることは不可能に近いのだと諦めた。この部屋に入れられてから脱出を試みたが、扉は外からしか開かないように設定され内部からの操作は一切きかないようになっていた。窓も開かず、ルルーシュはただこの部屋でルキアーノが来るのを待つだけなのだ。

(そういえば、あいつ、ここ最近は血をどうのと言わないな)

ふと思い出し、ルルーシュは首を傾げる。吸血鬼の詳しい生態など知るはずはないが、吸血鬼にとって血は重要なものなのは分かる。血以外を口にすることはできないというわけではないらしいが、やはり適度に血液は体内に吸収させなくてはいけないはずだろう。ルキアーノは前からあまり頻繁 にルルーシュのところへは訪れていなかったがそれは2人の間に距離があったからで、今は毎日こうして顔を合わせている。目の前に吸血鬼の好物である血液を持った人間がいるというのに、ルキアーノは触れはしてくるが血を喰らおうとはしてこない。血液を持った人間、というと誰でもいいように聞こえるがルキアーノはルルーシュの血がお気に入りだったようだった。けれど、求めてこない。ついに他の誰か血を喰らえる人間を見つけたのだろうか。そうならば安心できるのだが、とルルーシュは思ったが何だかそれも少し寂しいような気がする。ルキアーノが他の誰かの血を、と考えたところでルルーシュは待てと自分の考えにストップをかけた。

(何故俺が寂しいと思わなくてはいけないんだ?そんなわけない、俺は被害者だ。寧ろ、あんなこと二度とされなくて済むなら嬉しいことじゃないか)

少しでも寂しいと思ってしまった自分が信じられずルルーシュは頭を抱え、違う違うと一人ぶつぶつ呟く。確かにルキアーノのことが好きかもしれないと思った時もあった。でもあの時はまさに血を吸われたあとのことで、頭がぼんやりとしていたのだ。きっとあの血迷った自分の考えはルキアーノに血を吸われて頭が混乱してしまったからだ、とルルーシュはそう結論付ける。でなければあんなこと、正気とは思えないのだ。一度でもあんな馬鹿なことを考えてしまった自分が恥ずかしくルルーシュが歯をぎりりと食いしばっていると、背後で扉の開く音がした。やっと来たのかとルルーシュは振り返った。

「おい、いつまで待たせるつもりな・・・」
「あれ、ルルーシュ」

開いた扉の向こうには、美術部員でもルキアーノでもなくスザクが立っていた。少し驚いたような顔でルルーシュを見るスザクに対し、ルルーシュは心臓が止まるかと思うほど心の中で驚いた。不意打ち過ぎるスザクの登場に無意識のうちに一歩後ずさる。スザクは部屋の見回し、誰も居ないのかと部屋に入ってこようとした。しかし、ルルーシュはそこで扉が開いている今ならここから逃げれると思い付いた。

「ま、待てスザク!そこから動くな!」
「え?なんで?」

けれど遅かった。スザクが言う終わるころにはスザクの身体は完全に部屋の中に入ってしまい、ルルーシュが手を伸ばすのも空しく扉は閉まってしまう。あぁ・・・、と落胆するルルーシュの声にスザクが扉がどうかしたのかと訊ねる。スザクは知らないのだ、今この部屋は内側から出られないことを。ルルーシュが何も言わず扉を指差し、開けてみろと言う。スザクは変なルルーシュとこぼし扉を開けようとしたのだが。

「・・・あれ?開かない」
「だから動くなと言ったのに・・・。俺が逃げないように、この部屋は内側から出られないようになってるんだ」
「え・・・じゃ、じゃあ僕はどうやって出ればいいの?」
「知るか。お前が勝手に入ってきたんだろう」

せっかくの逃げるチャンスを消され、ルルーシュは困るスザクをよそにぷいと窓の外を見る。せいぜい出られなくて困るがいいとルルーシュが内心ざまあみろと思っていると、スザクはそれほど困った様子ではなくそっかと呟いただけだった。予想外の反応にルルーシュがチラリとスザクを見ると、その表情に微かに目を見開いた。スザクの顔は部屋に閉じ込められて困ったという顔ではなく、寧ろこの状況になったことを喜んでいるような顔だったからだ。貼り付けられたようなスザクの笑顔の下に何かほの暗いものを感じる。二人して部屋に閉じ込められた、ということは、この密室の中で二人きりということにもなる。これはまずいとルルーシュは思考を巡らせ、ソファの隣のテーブルに置かれた自分の携帯を見た。

「そ、そうだ。携帯で外に連絡しよう。俺は出させてもらえないが、お前が閉じ込められたと言ったら開けてくれるだろう」

もともと携帯を持っていたルルーシュだったが、ルルーシュがいくら外に連絡しようとも学園内である以上誰も助けてはくれなかったのだ。リヴァルやシャーリーに逃げるのを手伝ってくれと言っても、先生からの命令で、とやんわり断られてしまった。スザクと二人きりという状況はルルーシュにとって良い状況ではない。さっそく誰かに連絡を、とルルーシュが携帯を取ろうとしたらその前にルルーシュの携帯をスザクが取った。スザクが手の中にあるルルーシュ携帯をジッと見つめ、徐に。

「いや、いいよ。それに、出られないほうが僕には嬉しいしね」

バキンッと鈍い音を立ててルルーシュの携帯は二つに割れた。呼吸をするより自然にルルーシュの携帯は割られ、ルルーシュがぎょっと目を見開いた。なにをするんだとルルーシュが言うとスザクは壊れてしまった携帯をテーブルの上に置いた。壊れちゃったね、などとスザクがさらりと笑顔で言うものだからルルーシュは流れがまずい方向へ行っていることを察知した。スザクがルルーシュの方へ歩いてくる。ルルーシュは間合いを取るように後ずさり、スザクに近づかないようにする。窓際からだんだんと追い詰められ、ルルーシュの背が窓を右手にした壁に当たったことでルルーシュの進行は止まった。手を伸ばせば掴めそうな位置にまで迫ったスザクが足を止め、笑う。

「どうしたのルルーシュ。どうして逃げるの?」
「お前が近づいてくるからだろう」

あくまで友人、として接したいつもりらしい。だったらその怖いほどの笑みをなんとかしろとルルーシュは心の中で毒づいた。何も掴んでいない両手が心もとなくルルーシュは手のひらを腹の前で握ったり閉じたりする。スザクの痛いほどの視線から目を逸らし、誰かこないかと扉のほうばかりを見ていると授業開始のチャイムが鳴り響いた。鳴り終った途端、静かになる校内。先ほどまでどこからかざわめきが聞こえてきていたのに、今じゃ何も聞こえない。ここで何も話さないのは逆にスザクの不信を煽るだけだとルルーシュは何か適当は話題でこの空気を変えられないかと考える。けれど、逃がさないというようなスザクの目が恐ろしくて、いつもならすぐに思いつく適当な話や嘘も出てこなかった。スザクは不意に視線を窓の外へと向け、身を固くするルルーシュに言った。

「そういえば、アーニャが写真を見せてくれたんだよ」
「・・・写真?」
「生徒会のみんなでお茶会をしてた写真だったよ。ちょうど僕がいなかった時みたいだったけど」
「お茶会・・・ああ、あの時の」

スザクの言っている写真とはまだジノとアーニャが入学したてたのころ、ルルーシュの淹れた紅茶が飲みたいと零したミレイに便乗してジノが自分も飲みたいと言い出し、仕舞いにはアーニャやシャーリーも飲みたいと言い出してお茶会のようになってしまった時のことだろう。確かにあの時はまだスザクはナナリーの復活させた行政特区やゼロの一件で忙しく学校に来れていなかった。

「楽しそうだったね。写真で、君とロロがふたりでお茶を淹れてたよ。あれは、ロロに紅茶の淹れ方でも教えてたのかな」
「あ、ああ。そうなんだ。ロロは料理は苦手で、紅茶も上手く作れないって言うから俺が教えていたんだ」
「ふうん。本当に君たち"兄弟"は仲がいいね」

スザクの言い方は"兄弟"ではなく"兄妹"のはずではないのかと責めているようにも聞こえた。ルルーシュはそれを右から左に聞き流す様にして平然を装う。それくらいの揺さぶりでは動揺はしないのだ。

「当り前だろう、たった二人の兄弟なんだからな」
「はは・・・そっか。今度僕も紅茶の淹れ方を教えてもらおうかな」
「そうだな、今度お茶会があった時にでも教えてやろう。でも暫くお茶会は無理そうだな。ルキアーノが来てるこんな状態じゃ、おちおち学校にも来れやしない」

苦笑交じりでなんとなく言ったルルーシュの言葉にスザクがピクリと肩を揺らす。そしてスザクは宙を睨むようにして考え込み黙りこんでしまった。いきなり言葉を止めたスザクにルルーシュは何かまずいことを言っただろうかと、スザクを見つめる。視線を窓からルルーシュへと戻したスザクは、背筋が凍るほどの静かな声で言った。

「ルルーシュとブラッドリー卿は、どんな関係なの」
「は・・・それは・・・だから、知り合いだって言っただろう」
「嘘だよ」

間髪入れずに否定される。ルルーシュは、ルキアーノの名前を出したことは失敗だったと思った。知り合いだとか友達だとか、それだけだったらいい。けれどルキアーノはラウンズでルルーシュは黒の騎士団のリーダーであるゼロだ。ルルーシュは、スザクの中で自分の記憶のことがどれだけ疑われているか知らないがスザクの知らないところでラウンズと顔見知りのようになるのは疑ってくれと言っているようなものだ。

「嘘じゃない。知り合いじゃないとしても、ただの友人だ」
「友人・・・ね。じゃあ君は友人ならキスをするっていうのかい」
「なっ!」

ルルーシュはカッと頬を僅かに染め、スザクを睨んだ。何をふざけたことを言っているのか、人をからかいたいのかとルルーシュはスザクを睨んだのだがスザクは動じることはなかった。あの時ことを掘り返されるとは思ってもおらず、ルルーシュは沸いてきた怒りのままにフンと鼻を鳴らした。

「誰が好き好んで男なんかとキスしなくちゃいけないんだ」
「でも、この前したじゃない。ブラッドリー卿と。」
「あれはあいつか一方的にしてきたことで、俺はいつも嫌だと」
「いつも?」

言ってからしまったと思ったがもう遅い。スザクの視線がキッと強くなり、今のは違うんだと言おうとしたルルーシュの声を掻き消す様にスザクが強い口調で言う。

「いつもって、どういうこと」
「ち、違う、今のは言葉のあやで」
「いつもしてるってこと?」
「そうじゃない!いつもとか、そういう意味じゃなくて・・・あいつが・・・」

ルルーシュの顔が今まで以上に赤くなる。声がだんだんと小さくなっていき、しどろもどろになるルルーシュにスザクがイラついたように舌打ちをした。それからルルーシュが腕に衝撃を感じたのはすぐだった。スザクが突然ルルーシュの腕を掴んだかと思うと、そのままルルーシュを振り投げるかのように背後にあったソファへと突き飛ばす。不意を突かれたルルーシュは抵抗というより脳が今の状況を把握した時にはソファに沈んでいた。

「ッなにするんだ!」

ひじ掛けに足を取られうつ伏せに倒れ込んだルルーシュは身を起こしスザクに怒鳴る。スザクは聞いているのかいないのか、無言のままソファに乗り上げるとルルーシュの肩を痛いほど掴み仰向けにするとソファへ押し付けた。体重をかけられたルルーシュの右肩に圧迫するような痛みが襲う。ルルーシュは息をつめバタバタと両足を暴れさせるが、スザクの両膝に挟まれるように両足が拘束されてしまった。殆どルルーシュの上に覆いかぶさるような状態のスザクを退かそうとルルーシュは肩にかかるスザクの手を掴む。

「おい、放せ!このっ・・・あっ!」

スザクの手を掴んでいたルルーシュの手が、逆にスザクに捕まってしまう。咄嗟に空いた手でスザクの手を放そうとしたが、その手ごと一つにまとめられ頭上に片手で押さえつけられた。ソファの手すり部分にぐいぐいと押しつけられルルーシュの両手首が痛む。いくらルルーシュのほうが身長が少しだけ高かろうが軍人相手に太刀打ちできるわけがなかった。左手でルルーシュの手を掴んでいるスザクはルルーシュを見下ろす。

「ブラッドリー卿といつもしてるんだ?キス」
「っ違うと言っているだろう!」
「だったらこの前のは何?ルルーシュがそういう趣味だって知らなかったな」
「だから・・・ッ!?」

スッとスザクの右手が伸び、ルルーシュの顎を掴んだ。上を向かされるようにぐいと持ち上げられルルーシュが息苦しさに声を漏らす。スザクの影がルルーシュの顔に落ち、鼻先が触れるほどに二人の距離がぐっと近くなる。視界いっぱいにスザクの顔が入り、ルルーシュが思わず抗議の声を止める。この距離はなんなんだ。さっきまで怒りが灯っていたスザクの瞳は何処か虚ろで、ただルルーシュの瞳をジッと見ていた。

「ス、スザク・・・」
「ルルーシュどうしよう。なんだか、僕、すごく嫌な気分だ」

気分が悪いならば保健室にでも言ったらどうだなんて冗談は今は言えるわけがなく、ルルーシュは茫然と口を薄く開いたままスザクを見た。静かな呼吸音すら聞こえる距離なのに、だんだんとその隙間がなくなっていく。ルルーシュの頭の何処かで、何が起こっているんだと理解できないもう一人の自分が言う。ただ、目の前のスザクが男の目をしていることは理解ができた。抵抗しなければと思うのに身体が言うことがきかず、唇が触れ合おうとする。もう一センチ、というところ。扉が開く。

「・・・何をしているんだ?」

先ほどのスザクの声なんか比ではない、地を這う唸りのような声が空気を裂いた。ハッと我に返ったようにスザクが身を起こす。まるで自分が今何をしようとしていたか分からないというようにルルーシュを見た後、すぐに扉の方を見た。ルルーシュも扉の方へと視線を向けるが、見るより先ほどの声でその扉に立つ人物が誰かは分かった。半開きの扉を掴んでいるその人物は、どれほどの力を入れたのか掴んだ扉を握った形のように歪にへこませた。壁へ綺麗にスライドするはずの扉が歪に凸凹になった部分に引っ掛かり、ガタガタと不吉な音をたてる。彼は、ルキアーノは部屋の中へ一歩踏み出した。

「ル、キアーノ・・・」

思わずルルーシュの口から名がこぼれる。ルキアーノは何も言わないが、逆にそれが怖かった。ルキアーノはソファの前まで来るとスザクの肩を掴みルルーシュの上から退かすと力いっぱい壁へと突き飛ばした。ドンという強い衝撃を身に受け、呆然としていたスザクはよろよろと背を壁につけたまま床に座り込んでしまった。手の拘束を解かれルルーシュが身を起こすが、その前にルキアーノにまた手を握られてしまう。骨を砕く気ではないかと思うほどの強い力にルルーシュが痛いと叫んだ。

「いっ・・・放せ・・・ッ!」

吊り上げる様にしてルキアーノはルルーシュの手の引くと、来い、と小さく言った。何をと言いかけたルルーシュはルキアーノの目を見て背筋にゾッと冷たいものが走ったのが分かった。何故怒っているのかと思うが、それを口にできないほどルキアーノの目は恐ろしかった。抵抗しようものなら本当に骨を折られると思いルルーシュはルキアーノに従う。のろのろと起き上るルルーシュが待てないのかルキアーノはルルーシュの手を強く引くとそのまま引きずっていくようにして部屋を出て行った。

「・・・、・・・僕、は」

ひとり取り残された部屋でスザクが呟く。先ほどの自分の行為が信じられず、額に手をあて俯いた。ルルーシュにゼロのことを、記憶のことを問いただすはずだった。ロロのことを引き合いに出してみたりしたのに、ルルーシュの口から出たルキアーノという言葉に気がつけばそのことばかりを追求していた。ルルーシュとルキアーノのことは気になるが、記憶のことを揺さぶるには関係のないことなのに。今まで見たことのないルルーシュのあの顔が目に入った途端、頭が真っ白になったようだった。込み上げる感情を押し殺すような、でも目元にはその感情が滲み出てしまっているあの表情。あの時のルルーシュの顔はスザクの中に静かに眠っていた何かを起こすようなものだった。

「なんで、あんなこと・・・ッ」

ほんの一瞬でも彼に劣情を抱いてしまった自分をスザクは殴りたかった。





「・・・ッ!!!」

遠くのほうでバタバタと足音がする。時折ルキアーノの名を呼ぶ声が聞こえ、きっと美術部員たちがルキアーノを探しているのだろうとルルーシュは思った。ここに居ると大声を出せればよかったが、今ルルーシュの口はルキアーノの唇によって塞がれていた。非常口より手前にある小さな空間は、ちょうど柱と柱が被る様になってできてしまったものだ。設計ミスなのか余分になってしまったその空間には掃除用具を入れるロッカーが3つほど並んでおり、ルルーシュはそのうちの一番左端のロッカーに背を押しつけられていた。襟を持ち上げられるようにされ、身長差のせいでルルーシュはどうしてもつま先立ちになってしまう。長い間のつま先立ちは足が吊ってしまいそうでルルーシュはルキアーノの胸板を殴る様にして叩いた。いい加減息苦しいと唸ってみせると噛みついていた唇が離れていく。やっと解放されたとルルーシュは口を大きく開け酸素を取り込んだ。喉に手をあて咽るように酸素を吸うルルーシュをルキアーノはイラだったように見下ろす。

「何をしていたんだ」
「・・・っ、は・・・?」
「あの部屋で、枢木と何をしていたんだ。答えろ」

いきなり部屋から連れ出されたかと思えばこんなところへ追いやられ、しかも口づけをされた挙句この質問とは。ルルーシュは意味が分からず怪訝にルキアーノを見上げた。ルキアーノは怒っているようだが何故怒っているのかが分からない。

「なんだって・・・いいだろう」

友人に圧し掛かられ口づけされかけたなど言えるわけがない。スザクのあの行動はルルーシュにだって理解ができないのだ。何をしていたのだと聞かれ、その質問は自分にしたいほどだとルルーシュは思う。ルキアーノの眉の皺がぐっと深くなり、ルキアーノの手が乱暴にルルーシュの頬を掴んだ。

「いいか、お前は私の獲物だ。勝手に他の奴の所にでも行ってみろ、今すぐお前を殺してやる」

全くもって意味が分からない。けれど、身勝手な束縛をされていることだけはルルーシュにも理解ができた。まるで自分が所有物扱いされたようで、ルルーシュの山より高いプライドがピシリと音をたてる。どうしてルキアーノに自分の行動をいちいち指図されなければいけないのだ。それに、逆らったら殺すというような脅し文句はルルーシュは嫌いだ。そう思うと、だんだんルルーシュは怒りが湧いてきた。どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだ。ルキアーノもスザクも意味が分からない。どうして皆おかしな行動ばかりするのか。ルルーシュは怒りを隠すことなくそのままルキアーノへぶつけた。

「勝手に決めるな。誰がお前なんかのいう通りにするか」
「・・・ほう?何を言っているのか、分かっているのか?」
「ああ分かってるさ!もう俺のことはどうでもいいだろう!」

今までルルーシュの中で押さえていた不満や不平が堰を切って溢れ出てきた。プツリと糸が切れたかのようにルルーシュが声を張り上げルキアーノを睨んだ。声を張り上げたと言っても小さな空間に響くが廊下までは漏れない程度の大きさだった。

「何故、俺にこだわる!?血が欲しいのなら他の奴でいいだろう!俺にもう構うな!」

腹の底から絞り取ったようなルルーシュの苦しげな言葉に、ルキアーノがカッと目を見開いた。今にも泣き出してしまいそうなルルーシュの顔が酷く気に入らない。ルキアーノがルルーシュの頬を掴んでいた手の親指でその口をこじ開けた。

「うっ、ぐ・・・!」
「他の奴でもいいとお前は本気で思っているのか?」
「っ・・・!」
「ふざけるな」

ルキアーノの長い親指がルルーシュの口内をゆっくりとかき回す。形の良いルルーシュの歯を確かめる様に動くルキアーノの指にえずきそうになりながらもルルーシュはその指をガリッと噛んだ。ルキアーノが一瞬だけ目を細める。すぐにルルーシュの口の中に気持ちの悪い鉄の味が広がった。ルキアーノの血。吸血鬼のそれだが、味は人間のものと殆ど変らなかった。途端、射抜くような視線がルルーシュを貫いた。それと同時に鳩尾に強い痛みを感じ、ルルーシュは声にならない叫びをあげる。ルキアーノの拳がルルーシュの腹にめり込んでいた。

「もう一度思い知らせてやろう・・・ルルーシュ」

寄りかかる様に倒れ込んできたルルーシュの耳元にルキアーノはそう囁いた。




「ブラッドリー卿がいない?」
「え、ええ・・・ここにもいないってことは・・・はぁ、もう、ほんと、どこに行ったんだか・・・」

ハンスが生徒会室に飛び込んできたのはつい先ほどのことだ。パチン、とホッチキスで書類を留めてジノはアーニャと顔を見合わせる。まだ授業中の時間に学校にやってきた二人は、途中から教室に入るのもなんだか入りづらいからと授業が終わるまで生徒会室で雑用をこなしていた。いつも賑わっている生徒会室も二人だけだと静かなものだった。あと30分もすれば授業終了のチャイムが鳴り響くであろうこの時にハンスが生徒会室に来たのは、ルキアーノがいなくなったからだという。

「急に任務でも入ったんじゃないのか?なあアーニャ」
「知らない。けど、その可能性は十分にある」
「いや、でもそうじゃないっぽいんだよなぁ・・・副会長もいなくなっちゃうし、何処に居るんだよ全く」

疲れ切ったハンスの言葉にジノとアーニャは思わず振り返った。なんだか不吉な言葉が聞こえたような気がする。この学園で副会長と言ったらあの人物しかいない。ジノは慌てて訊ねた。

「先輩もいないのかっ?」
「そうなんだよ。ブラッドリー卿に連れて行かれるのを見たっていう先生が居たんだけど、どうなんだか」

あまり信じていないようなハンスの口調だったが、ジノはそれはきっと真実なのだろうと思った。ハンスはルキアーノとルルーシュの関係が怪しまれているということは知らない。だからきっと連れて行かれたということはあまり信じていないのだろうし、連れて行かれたとしても大した意味を考えてはいないのだろう。

「あ、そうだ。ラウンズなら他のラウンズの連絡先とか知ってるだろう?ほら、携帯とか。それでブラッドリー卿と何とか連絡つかないかな?」
「そうだな・・・って言っても私・・・じゃなかった、俺はブラッドリー卿の連絡先知らないんだよなぁ。アーニャ分かるか?」

アーニャはこくりと頷くと携帯を操作し耳にあてた。暫くそのままにしていたアーニャだったが、首を横に振る。どうやら繋がらないようだ。ハンスとジノの溜息が重なって部屋に響いた。ハンスによれば学園内を探しまわっているのだが全然見つからないらしい。もうこの学園内には居ないと考えるのが妥当だが、だとしたら何処に行ったのか。ルキアーノとルルーシュの行方に見当がつくはずもなくジノが頭を悩ませていると生徒会室の扉が開いた。

「・・・何してるの君たち?」
「っスザク!」

片手で頭を押さるようにして入ってきたスザクは、まさか生徒会室に誰かいると思っていなかったため少し驚いたような声で言った。まるでこの世の終わりを見たかのような顔でスザクはよろよろと部屋に入るとジノの隣に座った。はあ、とわざとらしいくらい大きなため息をついて机に伏す。なにかあったのかと聞くのが野暮なほどスザクが落ち込んでいるのが分かった。できればこのままそっとしておいてやりたいが、今はそうもいかない。ジノはスザクの肩を揺らした。

「なあ、スザク」
「・・・なにさ」
「そんな暗い声出すなよー・・・ってそうじゃない。お前、ブラッドリー卿と先輩が何処にいるのか知らないか?」
「っし、し、知らないよ!!!」

ガバリと急に起きたスザクは顔を青くしてそう叫んだ。明らかに動揺してるその言動にジノとアーニャは目をぱちくりと瞬かせた。スザクは、あっ、と一瞬だけ顔を引きつらせそして肩の力を抜いた。何かを思い出したかのようにスザクが頭を抱えもう一度机に伏す。挙動不審なスザクの行動を初めて見たジノは内心冷や汗を流しながら誤魔化す様に言う。

「そ、そうかぁスザクも分からないのかぁ!じゃあ何処に行ったんだろう先輩たち・・・」
「やっぱりもう学園内にはいないのかも・・・ああ、せめて連絡がつけばなぁ・・・」
「・・・ブラッドリー卿とルルーシュがどうしたの?」

腕の隙間から覗くようにしてスザクがジノに聞く。その顔をどうにかしろと思いながらジノは答えた。

「いなくなってしまったらしい。二人して何処かに」
「え!?」
「ブラッドリー卿と先輩が一緒に居るのを見た先生が居るらしいんだが、ブラッドリー卿と連絡がつかないんだ。」
「ブラッドリー卿の携帯に連絡してみたけど、だめ。繋がらない。」

やはりスザクは知らなかったようで顔を強張らせて驚いている。ジノは、やはりスザクもルキアーノとルルーシュのことが気になるのだなと思った。ルキアーノとルルーシュが何処に居るのか。学園内に居るという希望を託して校内放送を流してもいいが、それだとあの生徒会長が悪乗りしてしまいそうで怖い。二人がいなくなったいうことはあまり広めないほうがいいのだろう。それに、ラウンズとしてはルキアーノと連絡が取れなくなるのは万が一の時に困る。このまま行方不明のままにしておくわけにもいかないなとジノが悩んでいるとハンスが思いついたようにアーニャの携帯を指差した。

「そうだ!ブラッドリー卿と連絡がつかなくても副会長が一緒に居るんだったら副会長に連絡すればいいじゃないか!」

その手があったかと顔を明るくしたジノとは対照的に、スザクの顔がさぁっと青くなった。

「そうか!アーニャ、先輩の番号分かるか?」
「分かる」
「あー・・・えっと、それも無駄なんじゃ・・・ないかなぁ・・・」

ルルーシュに電話をかけようとしたアーニャはスザクが言ったその言葉に手を止めた。どうして、とアーニャが聞くとスザクは顔を青くしたまま視線を逸らす。ハンスとジノもスザクの方を向き、スザクは三人の視線を受けながらポケットに手を入れた。恐る恐るというようにポケットから手を引いたスザクの手に握られていたのは見るも無残に割られた携帯。ハンスはそれがどうしたのだと首を傾げたが、ジノとアーニャはアッと口を開き驚いた。見覚えのあるそれはルルーシュの携帯だったからだ。

「な、なんで先輩の携帯をスザクが持ってるんだよ!し、しかも壊れて・・・」
「ごめん・・・僕が壊しちゃって」
「壊しちゃってじゃないだろう!」

何がどうあったらルルーシュの携帯を真っ二つに壊すことが起きるのか。ジノは問いただしたかったが、ここでいくら聞いたとしてもルルーシュと連絡が取れないのには変わりはない。数秒の沈黙が流れた後、ジノは机を叩き立ち上がった。

「と、とにかく、俺たちも探そう!」

アーニャが頷き立ち上がると、スザクも力なく立ち上がる。しっかりしろよとジノがスザクの背中を叩くと、スザクは両手で自分の顔を軽く叩いてから息を吐いた。さっそく部屋を出て行ったハンスの後をジノとアーニャは追うようにして出ていく。スザクは精神を落ち着かせるように目を瞑って一呼吸おいたあとジノ達のあとに続いた。





こぽこぽと水中で空気の上がる音が聞こえる。口を閉じていなければ水が入ってくるが、息苦しさにだんだんと脳が悲鳴を上げてくる。酸素が欲しいとルルーシュは水中でもがき顔を上げようとするのだが、後頭部を鷲掴みにされ冷たい水の中へ固定される。両手がバシャバシャと水面を打ち、堪え切れなかった苦しさにルルーシュの口から大きな泡のような酸素が漏れた。口の中に水が入ってくる。慌てて口を閉じるが、酸素を吐き出した肺が無意識のうちに口の中の水を飲み込んでしまった。喉に流れ込んでくる大量の水に意識が飛びそうになる。水面を叩くルルーシュの手が弱くなったのを感じたのか、ルキアーノはルルーシュの髪を掴み上げて水中から出した。

「ッ、ぐ、ゲホッ、う゛ぇッ・・・!!!」

胃からこみあげてきた不快感を抑えきれずルルーシュは排水溝に嘔吐する。今日はろくに食べ物を食べていなかったので、少しの胃液と大量の水しか出てこなかった。それでも胃いっぱいに入った水を吐き出したくてルルーシュは自分の胸を叩いて水を吐き出す。その様子をルキアーノは酷く楽しそうな表情で見下ろしていた。バスルームには熱気はなかった。その代わり、冷え切った水がバスタブに張られている。バスタブのふちまでいっぱいだったその冷水はルルーシュが顔を入れたせいで僅かに減っている。制服の上着だけを脱いだ姿のルルーシュは全身が水浸しだ。いつもなら服が肌に張り付く感触が気持悪いと思っただろう。べったりと張り付いたワイシャツはルルーシュの白い肌を透かして見せている。未だに吐き続けるルルーシュの首根っこを掴む様にしてルキアーノがルルーシュの身を持ち上げる。ルルーシュを真上に向かせるようにして顔を掴み、ルキアーノはその瞳を覗き込んだ。

「苦しいか?」
「っは、っはぁ・・・!」
「まだ、大丈夫だよな?」
「っ・・・も・・・やめ・・・ッ!?」

言うか言わないかのうちに、ルルーシュはまた水中へと沈まされた。正面から首を絞めるようにして仰向けに沈む。水中で目を開いたルルーシュの目には水の中から上を見上げるという不思議な光景が飛び込んできた。ゆらゆらと揺れる水面の向こう側にオレンジ色の髪と嬉しげに歪んだルキアーノ顔が見える。頭だけを沈まされた状態で、ルルーシュの肩甲骨がバスタブにあたり下半身が不安定に上に上がる。シーソーのように頭を下げ足を上げるルルーシュはバタバタと両足を揺らす。首を掴むルキアーノの手をルルーシュは引っ掻くが、力が弱まることはない。ぎゅう、と喉仏を潰されるように圧迫されルルーシュの口からまた酸素が漏れ、また水が流れ込んでくる。いつまでこの責苦が続くのかとルルーシュは歯を食いしばった。

(息ができない・・・ッ!!!)

ルルーシュはここが何処なのか分からなかった。あの時ルキアーノによって気絶させられたルルーシュはこのバスルームで目を覚ましたのだ。灰色のタイルが敷き詰められているバスルームの真ん中を区切る様に薄っぺらいカーテンが設置されている。普通のバスルームにしては広いが、本来ならばあるはずのシャンプーや石鹸などは何処を見てもない。まるで初めて使われたようなバスルームだった。そして、突然開始された水責め。死にはしないものの呼吸を奪われる苦しさは、ある意味、死と同じくらい苦しいのではないかと思う。水中へ顔を沈められ、出される。それを何度繰り返したことか。酸素が限界で、もうダメだと思うその限界をまるでルキアーノは知っているようだった。ギリギリまで沈められ、唐突に引き上げられる。相手を殺さずにただ苦しみだけを味わわせる方法をルキアーノは熟知しているようだ。どれだけの時間が経ったのかは知らないが、ルルーシュの体力はもう限界に近かった。何故自分はこんなところでこんな目に遭っているのかと、それすら分からなくなってきたルルーシュはまた不意に水中から出された。ルキアーノに何を言っても無駄だと理解し、ルルーシュはただ必死に酸素を貪った。ひいひいと必死に呼吸をするルルーシュが可笑しかったのか、ルキアーノが高笑う。

「はは、ははは!ヒャハハハッ!」
「ぐッ!」

笑いながらルキアーノがルルーシュを突き飛ばす。自力で立ち直る力が残っていないルルーシュはそのままバスタブへ転がる様に落ちた。大きな水しぶきが立ってタイルを濡らす。落ちた衝撃でバスタブの水は半分以上が外へ流れてしまった。身体を縮まらせるようにしてバスタブの底に倒れるルルーシュはよろよろと身を起こした。ルルーシュの肘のあたりまでしか残っていない水は凍る様に冷たい。凍りそうなほどの冷たさにルルーシュが歯をガチガチと鳴らした。ルルーシュの惨めな姿にルキアーノは武者震いし、片足をバスタブに乗せ上げる。

「止めてほしいか、ルルーシュ」
「・・・っ・・・は・・・」
「止めてやってもいいんだぞ、その口でちゃんとお願いをしたらな」

クツクツと笑うルキアーノをルルーシュは呪うような瞳で睨む。ルルーシュの濡れた髪や服では迫力などなかったが。ルキアーノは人を従える瞳、態度を持っている。しかしそれは従えるというよりは服従させる、屈従させるというようなものに近い。綺麗に言えば自分の欲に忠実で、悪く言えば自己中心的なのだ。そして今まさに彼は人を従わせようとしている。一方的な暴力と言葉の圧力によって。ここで止めてくれというのは簡単だ。ただ、一時的にでもプライドや自尊心を捨てルキアーノに乞えばいいのだから。けれどそれは、一時的なものであったとしても確かに、降伏の意味なのだ。ルルーシュはそんなものに屈して堪るかと唇を噛んだ。だが、ルルーシュの意志とは別にルルーシュの身体が耐えられるかどうかが問題である。大量の水を吐いたことにより喉の奥はヒリヒリと痛み、胃に泥が入っているかのような不快感が付き纏っている。抵抗した際にバスタブにぶつけた四肢や、息切れする呼吸。これ以上拷問を続けられたら、いくら屈しないと心に決めていても折れてしまいそうだ。ルキアーノの手が伸び、ルルーシュの前髪を掴んだ。上を向かせるように髪を引っ張られ、ルルーシュが痛みに小さく声を上げる。ルキアーノが顔をグッと近づけて口を開くと、鋭利な牙が見えた。

「言えよ」

最早、それは選択ではなく命令だった。屈してしまえば楽になれるとルルーシュの頭の中で声がした。それはこれ以上は危険だと思うルルーシュの本心が告げているのか。髪を引っ張られる痛みと既存の苦しみにルルーシュは思考に靄がかかったように、ぼんやりとルキアーノを見上げた。楽になれる、言ってしまえば。言うだけ。ただ、一言、やめてくださいと、そう言えば。ルキアーノの暴力になど屈したくないと思うのにルルーシュの唇がゆっくりと開いていく。ルルーシュの震える唇が開く様子をルキアーノは目に焼き付ける様に見ていた。

「・・・っ・・・・・・」

声を絞り出そうとしたその時、ルルーシュにあの時の記憶が蘇った。皇帝の間、拘束された身、見下ろすブリタニア皇帝と、スザク。あの時もこうして同じように髪を引き上げられていた。"友達"を売るスザクの冷たい声と、まるで玩具を見るような皇帝の眼差し。あの時ルルーシュは叫んだ。止めろと、また俺から奪うのかと。反射的に言った言葉だったけれど確かに乞うた。けれど大切な記憶と最愛の彼女は奪われてしまった。刻みつける皇帝の瞳がルキアーノの瞳と重なる。ここで彼に服従したら、愚かな道を進むような気がした。ルルーシュの中で萎れていた拒絶の心に小さな光が灯る。弱弱しく開いていた口を一度閉じ、ルルーシュはハッキリと言った。

「誰が言うかものか・・・この・・・下衆が・・・ッ!!!」

強い口調でルルーシュはルキアーノを拒絶した。ニヤニヤと笑っていたルキアーノの顔が一瞬にして凍り、すぐに怒りに顔が歪んだ。掴まれていた髪ごと横に投げるようにしてバスタブに叩きつけられルルーシュは後頭部を強打する。目の前に星が浮かんだような衝撃に頭をくらくらさせていると、バシャバシャと乱暴にルキアーノがバスタブの中に入っていた。大きめのバスタブに細身のルルーシュとは言え、男性二人が入るのには些か狭い。ルキアーノは腰に跨り、両手でルルーシュの首を絞めた。さっきの首の締め方など遊びではないかと思うくらいの強い力。

「言えッ!言うんだッ!!!」

首を絞めた両手を上下に揺さぶりながらルキアーノが怒鳴る。ルルーシュはルキアーノの手を掴み引き剥がそうとしながら首を横に振った。このままでは本当に死んでしまうかもしれないと思う。けれどルルーシュは首を縦には振らなかった。呼吸を我慢することによりルルーシュの顔に血の色が濃くなってくる。僅かに開いている口から飲み込みきれない唾液が垂れバスタブの水へ落ちた。ルキアーノの怒号に耐えながらルルーシュがギュッと両目を瞑っていると、フッと急に首を絞める力が弱まった。

「っどうして・・・どうして言わないんだ・・・ッ!」

さっきの怒りの声とは打って変わって、ルキアーノの悲しみを押し殺したような声が降ってきた。ルルーシュがゆるゆると目を開くと、天井から下がる電灯の光を背にして悲しげに眉を寄せるルキアーノの顔がそこにはあった。いつも高飛車なルキアーノが悲しんでいるところなどルルーシュは初めて見た。首を絞められて苦しいのはルルーシュのほうなのに何故かルキアーノのほうが苦しそうに見える。ルキアーノの手がルルーシュの首から滑り落ち、ルルーシュの両肩を弱く掴む。顔を少し俯かせるルキアーノの手にルルーシュは自然と触れていた。

「どうしたらお前は私のものになるんだ・・・ッ?」
「ルキアーノ・・・?」
「私は、こんなにもお前を欲しいと思っているのに・・・どうして、どうして答えてくれないんだ・・・!!!」

ルキアーノの気持ちが零れだしたかのような言葉。ルキアーノはこれほどまでに誰かを欲しいと思ったことは一度もなかった。全て力でねじ伏せれば手に入ってきたからだ。地位も名誉も、ヒトだって。けれどルルーシュと出会ってからルキアーノの世界はがらりと変わった。深紅の血の色だったルキアーノの世界に違う色が混ざりはじめた。それは鮮やかな希望という色だったり、拒絶という鈍い色だったり。それをいくら赤で塗り潰そうとしてもその色が消えることはなかった。そのうち、ルキアーノの世界に初めて"他人"が入り込んでくるようになった。いや、入り込んでくるというよりルキアーノが受け入れたというほうが近いだろう。初めて受け入れる他人、それがルルーシュだった。ルルーシュはルキアーノ自身も知らなかったルキアーノの本性を暴いたヒトだった。ルルーシュの血を欲していたルキアーノはいつしか自分でも気づかないうちに、ルルーシュという存在そのものが欲しくなった。だからルキアーノはルルーシュだけ血を吸ったし、ルルーシュの身体も抱いた。けれどいくらルルーシュの身体が受け入れても、心まではルキアーノを受け入れてはくれなかった。会うたびにぶつけられる拒絶の言葉。ルキアーノは精いっぱいルルーシュが欲しいと言っているつもりなのに、ルルーシュには伝わらない。

「私を拒絶するな・・・ルルーシュ・・・ッ!」

ルキアーノはそう言ってルルーシュを胸の中に閉じ込める様に抱きしめた。首元に顔をうずめるルキアーノをルルーシュは抱き返さなかった。けれど吐露されたあの言葉を聞いてルルーシュは、ルキアーノはある意味無垢なのだと思った。違う言い方をすれば、そう、子供だ。自分が欲しいものがあってもそれの上手い求め方を知らず暴れる子供。ルキアーノはきっと今までその強い力を持ったせいで自分で心から欲しいと思うものがなかったのだろう。 欲しいと思っても簡単に手に入ってしまうのだから。そして周りはルキアーノの強さに恐れ、ルキアーノを自分達とは違う人間なのだと心の中で隔離したに違いない。たとえ頭のいい子供だとしても教育を受けなければ成長はしない。ルルーシュはルキアーノを漠然と可哀想だと、そう思った。

「・・・ルキアーノ、手に入れるということは力でねじ伏せることではない。相手を理解して受け入れることなんだよ」
「理解・・・?」
「ルキアーノ、俺が欲しいのなら俺を・・・理解しろ、そして、受け入れる心を持つんだ」
「そんなこと私にはできない・・・分からないんだッ!うかうかしていたらルルーシュはきっと誰かに奪われる、そんなのは・・・ッ」

ルキアーノの脳裏にあの時のスザクとルルーシュの光景が思い出される。ルルーシュに乗りかかるスザクを見て、ルキアーノは咄嗟に奪われると思ったのだ。他人にルルーシュを渡したくない、その気持ちがルキアーノを激しく乱した。しかしルキアーノはこんな時にどうすればいいのか分からなかった、だからルルーシュに手を上げた。思い通りにならないのなら思い通りに矯正してしまえばいいと。けれどそれは間違いだったのだ。ルキアーノは本能的に悟っていた、自分がヒトらしくなるのにはきっと時間がかかる。その間ルルーシュが誰かに奪われてしまう可能性は非常に高い。特に、枢木スザクには。抱き潰す様に腕の力を強くしたルキアーノに、ルルーシュはそっと優しく囁いた。

「大丈夫、お前ならできる」
「ルルーシュ」
「俺は俺自身のものだ、そう簡単に誰のものにもならない。だから、お前を待ってやるくらいの時間はある・・・」

ルキアーノは身を起こしルルーシュをまじまじと見つめた。その言葉の意味を良いように捉えてもかまわないだろうかとルキアーノがルルーシュの濡れた髪に触れる。まるで壊れ物にでも触れるようなルキアーノの手つきに、ルルーシュはいつものようにフッと鼻で笑った。

「気の抜けた顔だな、そんなんじゃいつまで経っても俺を手に入れることはできないな」
「・・・なに?」
「もがいてみせろ、ルキアーノ」

ルルーシュは挑発するようにルキアーノを睨んだ。手の届かない苦しみをルキアーノに味わわせてやろうとルルーシュが不敵に笑うと、ルキアーノの表情がいつもの彼に戻っていた。売り言葉に買い言葉というわけではないが、ルキアーノは面白いと思った。ルルーシュの髪を撫でていた指をルルーシュの首筋へ移す。血管を探す様にルキアーノの指が動き、ある一点でピタリと止まった。ワイシャツを肩までずらし、露わになった白い肌に喉が鳴る。ルキアーノはルルーシュの口元に唇を寄せると、その牙を剥き出し笑った。

「いい気になるなよ、ルルーシュ」

ルキアーノの牙がルルーシュの肌に突き刺さったのはそれからすぐのことだった。




夕方になり、ひょっこりと戻ってきたルキアーノとルルーシュを待っていたのは疲れ果てたスザク達とエミリオとハンスだった。租界まで探しに行ったスザク達だったが結局夕方になってもルルーシュが見つからず、これはいよいよマズイと思い始めた時だった。あまりにも普通にアッシュフォード学園の校門をくぐった二人に、スザク達は生徒会室からすぐに外に飛び出した。少しふらついているようなルルーシュの腕を支えながら歩いているルキアーノはいきなり現れたスザク達を興味無いように見た。エミリオとハンスが半泣きになりながらルキアーノに詰め寄る。

「ブラッドリー卿!今まで何処に!」
「ああ、ちょっと」
「ちょっとじゃないですよ!連絡もつかないし、もう絵のモデルはしてくれないのかと!」

あくまで絵の心配をしているエミリオとハンスはいい度胸だと思う。エミリオ達がルキアーノに詰め寄る傍ら、スザク達もルルーシュに詰め寄る。

「先輩!急にいなくなっていうから心配したじゃないですか!」
「すまないジノ・・・ちょっと外へ出ていたんだ」
「そうだとしても、何も言わずに出ていくのはいけないと思うよ」
「・・・スザク」
「いったい何処に行っていたんだい?」

あのことが気まずいのか、口調は厳しいものだがスザクはルルーシュの目から視線を逸らしている。そういえばあの時のスザクの行動はなんだったのだとうと思いながらルルーシュはポケットから黒いそれを取り出してスザクに突きつけた。傷一つない真新しいそれは携帯電話だった。

「携帯電話。お前が壊してしまったから、買いに行っていたんだ」
「なんだよ先輩!携帯買いに行ってたって・・・すごく心配したんですよ!?」
「だからすまないと言っているだろう」
「・・・でも、なんでブラッドリー卿と?」
「ああ、それは・・・あいつもこの頃ずっと絵のモデルをやっていただろう。たまには息抜きが必要かと思ってな」
「それで一緒に?」
「そうだが、何か問題でも?」
「いや、別に・・・」

道理は通っているが、怪しい言い訳だった。じとりとスザクがルルーシュを見ると、ルキアーノがルルーシュの腕をぐいと引っ張った。ルルーシュを自分の隣に引っ張ったルキアーノがスザクを睨む。まるで自分のものに触るなというような目だった。その目が何だかスザクは気に障り、ムッとしてルキアーノを睨みかえす。不穏な空気が流れ始めそうになったが、ルルーシュがルキアーノの手を叩いたことによってその空気は晴れた。

「ほら、お前が何も言わずに出ていくから皆が心配していただろう」
「それは・・・悪かったな」

ぼそりと言い捨てるようにルキアーノが言った言葉に、スザク達は驚きを隠せなかった。あのルキアーノが謝るだなんて、思わなかったのだ。ルルーシュは微笑みルキアーノの背を軽く叩いた。そういえば、やけに二人の距離が近いような気がする。あれだけルキアーノを避けていたルルーシュが平然とした態度でルキアーノの隣にいることが不自然に見えた。スザク達が口をぽかんと開き唖然としているとハンスがあのぅ、と片手を上げた。

「ずっと気になってたんですけど・・・ブラッドリー卿と副会長って、どういう関係なんですか?」

ハンスの問いに、ルキアーノとルルーシュが顔を見合わせる。エミリオがその言葉に頷いた。今までのルキアーノとルルーシュの行動を見てきて、ずっと疑問に思ってきていたのだろう。どうせはぐらかされるとスザク達が思っていると、ルルーシュがくすりと笑った。

「そうだな、人には言えない関係・・・とでも言っておこうか」

スザクは目が飛び出るのではないかと思うほど目を見開き、ジノは顎が外れるのではないかと思うほど口を開き、アーニャは無表情だが彼女の握っている携帯がミシリと音を立てた。 だからその関係とはなんなのだと、何も知らないエミリオとハンスは思った。



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ルルーシュの携帯代は後々スザク宛てに請求されました。

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