・学生パラレル
・ルルーシュが若干乙女
・ジノは貴族ではないので一人称「俺」
↑でもよろしかったらどうぞ




事故だった。あの日は梅雨の真っ最中で、雨が降っていて地面が滑りやすくなっていた。傘で遮られた視界と雨で霞む風景。車が通るところは泥が跳ねるし道も狭いからと、その日はいつもの帰り道とは違う道を帰った。距離は少し遠くなるが車も入ってこない大きな公園。雨の日だったから遊具で遊んでいる子供や散歩する老人たちも居らず、ポツポツといくつか傘を見かける程度だった。今日はこんなことがあったとか、そういえばあの時はどうだったとか、そんな他愛のない話をしながらスザクと二人で帰っていた。人前で堂々と言えるような仲ではなかったから、でも今日は周りに誰もいないし雨で見えないだろうと片手を繋ぎ合って雨音にかき消されそうな小さな声で話しながら歩いた。内緒話をしているような距離で笑い合う。二つの傘がぴったりとくっついて、それだけで幸せだった。本当に、事故だったんだ。公園内の長い石段を降りようとした時、下から駆けあがってきた子供がぶつかってきた。子供の肩が腰あたりに当たり、右足が滑る。ぐらりと身体が傾き、ふわりと階段の上に投げ出され―――。

「ッスザク!おい!スザク!!!」

雨と同化するスザクの血。長い石段を、俺を庇うようにして落ちたスザクはコンクリートの地面に頭を打ってしまった。仰向けに倒れるスザクの後頭部から止めどなく流れる血。雨と泥でぐちゃぐちゃになった服を気にしていられるほど余裕がなく、スザクの名前を叫び続ける。目を開かないスザクに涙がこぼれそうになる。尋常じゃない血の量と、自分の頭の中にある知識が、死の一文字を思い浮かび上がらせる。揺さぶって起こしたいという気持ちを飲み込んでスザクの手を握り、制服の上着を脱いでスザクの頭の下に敷く。携帯を取り出して助けを呼ぼうとしたが、運の悪いことに圏外であった。何故こんな街中で県外なのかと怒りが沸くが、ならば人を探して助けを呼ぼうと立ち上がったら途端に右足に激痛が走った。カクンと足が崩れ、なんでだと裾を捲ってみれば足首が若干変な方向に曲がっていた。折れてる。

「そんな・・・!いやだ、いやだ!スザク!」

こんな時に限って誰も通りかからない。ぶつかってきた子供も戻ってくるわけがない。立ち上がることもできず、助けを呼ぶこともできず、時間だけが無情にも過ぎていく。雨がスザクの血をどんどん流していって、失われていく体温を引き留めるようにスザクの身体を抱きしめた。反応のないスザクの身体に不安が積もり、耳につく弱弱しい呼吸に押しつぶされそうになる。地を這ってでも助けを呼べばいいと思ったが、こんな状態のスザクをここに置いてなどいけるわけがなかった。冷静な自分だったら今この状況でも、少ない可能性を取って助けを呼びに行っていただろう。しかし、今は混乱しすぎていて冷静な判断ができずにいた。ぼろぼろ零れだした涙が雨と一緒に流れおちる。何もできない自分の無力さを呪う。誰でもいい、助けてくれ。そう強く願った。

「そいつを死なせたくないか」

突然現れた黄緑の髪の女。傘をさしていないのにその女は濡れておらず、まるでその女を雨が避けているようだった。救急車を呼んでくれと言っても、その女はその言葉しか言わない。精神異常者かと諦めかけたが、何度も問うてくるその女に半ば自棄になりながら叫んだ。

「助けてくれ、お願いだから・・・スザクを・・・!!!」

その言葉を聞いた女は、口だけ笑って呟いた。


「契約だ」


石段の上に取り残されたスザクの傘と、石段の途中に引っ掛かりぐちゃぐちゃに折れてしまった俺の傘。二つの傘の距離は遠い。





「おいスザク、またあの子が呼んでるぞ」
「あ、うん分かった。ごめんルルーシュ、ちょっと」
「ああ、分かった。」

クラスメイトに言われ席を離れたスザクの後ろ姿を見つめる。

「おいまたあの子かよ、お前ら付き合ってんじゃねぇの?」
「そんなんじゃないよ!友達だって」
「どうだか〜」

リヴァルの茶化す声に照れながら答えたスザクは、教室の後ろの扉へ向かう。そこには薄茶色の髪をした長髪の少女が立っている。周りの視線を気にしながら俯いていた少女だったが、スザクが近くに来た途端パァっと顔を明るくして笑顔になった。教室のざわめきで何を話しているかまでは分からなかったが、親しげに話す二人に胸が痛んで視線を机に落とした。チクチクと刺さる痛み、あの少女がスザクを好きなのは周りから見ても一目瞭然だ。スザクもそれに気づいてはいるようだが、何か行動を起こすということは今のところないらしい。スザクとあの少女が楽しそうに話すところを見ていると、切なさで胸が押しつぶされそうになる。でもスザクが笑っていられるのならばと我慢した。本を開いて冷たい文字に目を通す。哲学書の内容だけを気にしていたいのに、どうしてもあの二人の姿が頭から離れない。

「あの二人いつ付き合うと思う?」
「さぁ、でも時間の問題だよなぁ」
「美男美女で、悔しいけどお似合いなんだよなぁ・・・あーあ、俺も彼女欲しい」

前の席で話していたクラスメイト二人の会話が耳に入る。そんなこといちいち言葉にしなくても痛いほど分かってると心の中で罵倒し、でも表情は変えずに聞こえないふりをする。本を掴む指が震えそうだ。

「おいランペルージ、お前どう思う?」
「・・・は?」

いきなり話題を振られ思わず顔をあげてしまった。思い切りしかめっ面をしていたせいで、クラスメイトが少し驚いたような顔をする。

「なんで俺に聞くんだ」
「いやだって、お前ら友達だろ」

友達。その言葉に、ツキンと刺さるような痛みを感じた。そう、スザクは友達だ。少なくともあいつにとって俺は友達。そうだと言えばいいのに何故か言葉が続けられなくて、黙ったままの俺にもう一人のクラスメイトが肩を組んできた。

「分かる分かるよ、お前も彼女いないもんなぁ」
「はぁ?なんでそういう話に・・・」
「だから、スザクに女ができて寂しいんだろ?分かる、分かるよ!俺もそうだったよ」
「勝手に話を進めるな、別に寂しくなんか」

ない、と続けようとして口が止まった。寂しいのだろうか。ちらりとスザク達を盗み見る。どんな話題なのだろうか、少女が身振り手振りで何かをスザクに伝えている。それをスザクが笑顔で頷きながら聞いている。チクチク。すぐに視線を戻して、密かに胸を押さえる。この痛みは寂しさに似た何かだが、今は寂しさと呼ぶべきなんだろうか。少女への嫉妬とスザクへのどうして?という気持ち。不自然に言葉を止めた俺にクラスメイトが首を傾げてどうしたと聞いてくる。俺は少し間をあけてから小さく言った。

「・・・いや、寂しいのかもな」

まさかそんなこと言うとは思ってなかったのだろう、クラスメイトの二人は顔を見合せて目を見開いていた。素直に言葉にしてみたら、やはり寂しかったのだと気づく。一人にポンポンと肩を叩かれて顔を寄せられる。もう一人が俺達の首の辺りに腕をかけて、円陣を組む様な形になった。ぐっと近くなった距離に、一人が小声で囁く。

「ランペルージがそういうとは思わなかったよ」
「別に、思ったことを言っただけだ」
「だから、その思ったことを言っただけってのが貴重なわけよ」

言っている意味がよく分からない。放してくれないだろうかとぼんやり考えていると、一人がニヤリと笑った。

「でもよ、ランペルージだってモテないわけじゃないだろ?」
「そんなこと」
「いーんだって隠さなくて。つーかこの学校のやつらならみんな知ってることだし」
「・・・」

確かに、容姿がいいせいで女性から交際を求められることは多々ある。入学したての頃は一日に何度も呼び出されたこともあった。そのたびに断わりを入れて、そのせいで最近は週に一度程度くらいに減った。無駄に告白するよりも仲良くなってからと考えたのか、それともあまりに反応を示さないので無駄と思ったのか。自分でも他人よりかは異性に人気があるとは自覚していたが、あまり嬉しくはなかった。このひねくれた性格もあるが、何よりもスザクがいたから、あまり異性との恋愛事には興味がなかった。

「そんで、ランペルージはスザクが女ばっか構って寂しいんだろ?」
「そんな大げさにいうことじゃ」
「いいから。ランペルージ、その寂しさを紛らわす方法が一つだけある」

ビシッと人差し指を鼻の前にあてられるが、全く意味が分からない。しかし寂しさを紛らわす方法と聞き、ついそれはなんだと聞き返してしまった。こんなこと聞いてもあてにならないのに聞いてしまうのは、最近本当に耐えられなくなってきたからかもしれない。クラスメイトは顔を崩して笑うと、急に真面目な顔になった。その顔につい身構えて耳を立てる。どんな方法だと待ち構えていると、クラスメイトは口を開いた。

「「合コンだ」」

呆れてものも言えないとはこのことだろう。大きくため息をついてひっついていた腕を振り払った。本気で聞こうとしていた自分が馬鹿らしくなる。

「馬鹿にしてるのかお前達は」

怒りを隠さずに言うと、クラスメイトが落胆の声を上げる。合コンなど、女で気を紛らわせと言いたいのか。

「そんなことないって!三日後、どうしてもメンバーが一人足りないんだよ!」
「ランペルージが来てくれたら盛り上がるしさ!頼むよ!」
「誰が行くか!」

縋りついてくる二人を小賢しいと払う。全く、不快の極みだ。鞄を掴んで携帯を取り出すと席を立つ、次の授業はサボり決定だ。未だに話をしているスザク達を一瞥し、反対側の扉からこっそり教室を出る。サボりだと分かったらスザクが止めるだろうから、見つかってはいけないのだ。もう少しで予鈴が鳴る。移動する生徒の波に紛れて屋上へと足を向けた。階段をゆっくり上っていると予鈴が鳴って、携帯が震えた。足を止めて画面を見ればスザクからの着信で、きっといないことに気づいたのだろう。出たくなるがグッと気持ちを抑えて振動が止むのを待つ。そうしているうちに本鈴が鳴り携帯の振動は止んだ。ふぅと息を吐いて緊張を解く、電話がかかってきたそれだけなのにこんなにも緊張するなんて。止めていた足を再び動かして屋上の扉の前に来ると、拝借していた鍵を使って鍵を開けた。視界いっぱいに広がる青空。空に大きく浮かぶ入道雲が夏を感じさせる。外側から再び鍵をかけようとして止めた。もしかしたらスザクが探しに来てくれるかもという僅かな望みを捨てきれなかったからだ。だがそこまで考えて、苦笑した。探しに来てくれるなんて"今のスザク"はどうだか分からないのに。結局扉には鍵をかけ、扉の脇にある小さな屋根の下に寝そべって空を見上げた。

(本を持って来た方がよかったかもしれない)

今更教室には戻れないので後悔してもしょうがないが。ごろんと寝がえりをうつ、屋根で腰のあたりまでは影になっているが下半身は太陽が照りつけて暑い。しかし制服を着ているから日焼けはしないだろうし、風も少しあるからいいだろうとそのままじっと頭を落ち着かせる。空気の通り抜ける音や遠くのざわめき。一人になりたいと思って来たのに、こうしていると今ここにいるのは自分一人だということを嫌でも理解してしまい寂しかった。

(ほんとうに・・・ひどい、矛盾だ)

目を瞑り思い出すのは、スザクとあの少女の姿。自分とそういう関係じゃなくなったスザクがああいうふうなことに興味を持っても別におかしくはない、寧ろ普通だ。それを嫌だと思ってしまう自分は、なんて愚かなのだろう。思えば時期が早まっただけなのかもしれない、いつかこういう時が来るはずだったのだ。それが早まったのだと思えばいいと無理矢理自分を納得させる。でも心の中で燻ぶる想いは消えることはなかった。好きなのに言えない、男同士だから、それに。生ぬるいコンクリートの温度を感じながら、あの時のことを思い出し始めた。





緑の髪の女は契約だと言った。あの時のことは実はぼんやりとしか覚えておらず、夢だったのではないかと思う時がある。でもこの現実を見せつけられるとあれ夢なんかじゃないということがよく分かった。

『その男を助けたいんだろう?いいだろう、助けてやる』
『本当かっ!?』
『ただし、条件がある』

女の提示してきた条件は二つ。一つは女の願いを叶えること、もう一つは。

『その男からお前の記憶を貰う』

スザクは命は助かるが俺に関する記憶を全て失うということらしい。それを言われて躊躇してしまったが、すぐに俺は決断した。命か記憶、どちらが重いかと考えたら答えは一つだからだ。スザクが俺のことを忘れてしまうのは辛かったが、スザクが死んでしまうよりかはいいと思った。俺がそれでも構わないというと女は悲しそうな顔をしたが、そうか、とそれだけ言った。それからのことはあまりよく覚えていない。気づいたら家の自分の部屋のベッドに寝ていた。妹、ナナリーは昨日俺は普通に帰ってきて一緒に夕食を食べたと言っていたがその記憶が俺にはなかった。足の怪我もなくなっていて、あの女の仕業なのだろうかと思いながらも、スザクのことを思い出し急いで学校へ向かった。あの女の言ったことは本当なのだろうかと考えながら学校に向かっていると、見覚えのある後ろ姿を見つけた。茶色いその跳ねっ毛を俺が見間違えるわけがなく、無事だったのかと俺は安堵した。声をかけようとしたら、丁度良くスザクが振り向く。

『スザ・・・』

名前を呼びかけて、身体が凍ったように止まった。スザクは一度だけ俺を見たあと、そのまますいと視線を外して前を向いてしまったのだ。確かにこちらを見たのに何の反応も示さずに、他人を見たようにスザクは俺を見たのだ。もしかしたら見えなかったのかもしれないと思いこんだ俺だったが、あの女の言うことが本当だったと知らされることとなる。その日一日、俺はスザクを見ていた。何か変化がないか見逃さないためだ。しかしこれといって変化はなく、本当に何事もなくその日は終わった。そう、何事もなく、"俺のほうを一度も見ることなく"。変化があったのは周りのほうであった。周りから俺とスザクは親友だと思われていたはずだったのに、周りは俺とスザクをただのクラスメイトの仲だとしか認識していなかった。だから俺が「スザク」と呼んだ時、リヴァルなんかはとても驚いていた。下の名前で呼ぶほど仲が良かったのか、と。本当にスザクの中から俺という存在が消えてしまったことを知って、心臓が張り裂けそうだった。俺たちの関係がゼロに戻ると、それだけだと思っていた俺の考えは甘すぎた。人と人との関わりを深めるというのは、簡単にできることではないのに。でもあのままだったらスザクは死んでいた、もしかしたらこうして姿さえ見れなくなっていたかもしれない。それを考えると、俺は心の痛みを我慢するほか方法が分からなかった。それから暫くして、放課後に突然スザクに声をかけられた。

『あの、ランペルージ君。最近僕のこと・・・見てるよね?何か用?』

少し戸惑うようなスザクの表情。明らかに不審に思っているというな顔だったが、それでもスザクが"他人"の俺に話しかけてくれたと、それだけで俺は泣いてしまった。ずっと耐えてきたからだったのだろう、馬鹿みたいにないてしまいスザクを困らせてしまった。俺を宥めながら、どうしたのランペルージ君、と言ってくるスザクの声が嬉しくて涙が止まらなかった。でも前みたいに抱き寄せてはくれないし名前で呼んでくれるはずもなく、それが悲しくて涙がなかなか止まらなかった。嬉しさと悲しさがごちゃごちゃになり散々泣いて、スザクは何も言わずに隣に居てくれた。泣きやんだ俺に何故泣いていたのと聞いてきたスザクは、昔出会ったころのスザクを思い出させた。初めてスザクと会った時も俺は泣いていた。あの時なんで泣いていたのか、思いだせなかったが思い出したところであの時のスザクはもういない。もうあのスザクはいないのだと思った俺は、くだらない戯言を口にした。

『"友達"が死んだんだ』
『えっ・・・?』
『親友だったんだ、でも、俺のせいで・・・』
『そう、だったんだ・・・』
『お前に似てるんだ、その友達が。』
『僕に?』
『だからつい目で追って・・・嫌だよな、知らないやつに似てるなんて言われて。迷惑だよな。』

ごめん、と去ろうとした俺の腕をスザクが掴んだ。また泣いてしまいそうだったので振り返れなかったが、でも足は止まった。何故引き留めたのか分からず、そのままじっとしてると腕を掴んでいたスザクの手が俺の掌をぎゅっと握ってきた。ビクリと身体が震えた、何故なら以前スザクはよく俺の手を握ってくれたからだ。

『嫌じゃないよ。ただ、ランペルージ君のことあんまり知らなかったからなんだろうって思っただけだから。』
『・・・そう、か。すまなかった』
『いいって、でも、ちょっと嬉しかった』
『・・・?』
『ほら、同じクラスでもランペルージ君とあんまり話したことなかったから、こうやって話せて嬉しい』

振り返りスザクを見ると、スザクは少し照れたように笑いながら俺のことを見ていた。あまり話したことのないというスザクの中の俺は、どんな風な人物に見えているのだろう。少なくとも、いきなり泣き出すようなやつではなかったのではないだろうか。

『よかったら、友達になろうよ』

ね?と首を倒して聞いてきたスザクに、一瞬呆気に取られたがつい吹き出してしまった。今時"友達になろう"など言葉にする人間がいるとは思わなかったのだ。おかしくて、さっきまで泣いていたことを忘れクスクスと笑う。笑いだした俺にスザクが焦って、何で笑うの?とわたわたする。それがもっとおかしくて俺は目尻に溜まった涙を拭くと笑顔で言った。

『分かった、友達になろう、"スザク"』






はっと目が覚め、青かった空がオレンジ色に染まっていた。時間の経過にマズイと思って携帯の時計を確認すれば、とっくに授業は終わっていてもう放課後であった。三つも授業をサボってしまったと、自分の失態に舌打ちをする。アラームか何かを設定しておかなかった自分も悪いと思うけれど。いつもだったらきっかり一限ずつ目が覚めていたのに何故だろうと思い、ああそうかと気落ちした。今まではスザクが探しに来てくれて、起こしてくれていたのだ。スザク、と思い出すだけで胸がずきずきと痛い。今はスザクとは友達のままだ。友達と言っても、本当に友達でしかなくて、しかもあまり深い仲でもなかった。だから、あの少女がスザクに近づいても自分からは何も言えなかった。はぁと大きなため息を一つ吐いてから立ち上がった。背伸びをして制服についた汚れを払うと、屋上を後にする。誰もいなくなった校舎を一人で歩く、遠くでオーケストラ部の楽器の音が聞こえた。最近思うのは、自分が我慢していればいいのではないだろうかということだ。いくら恋仲だったとしてもあの女の言う契約とやらで、その関係は無かったことになった。その事実を知っているのは自分だけで、スザクは何も知らない。よく考えればこの状況で傷ついているのは自分一人なのだ。スザクのことは今でも好きだが、その気持ちを持ち続けるのはダメなのかもしれない。もともと男同士ということもあって背徳感は付き纏っていた。俺はどう思われようが構わないが、スザクが冷たい目で周りから見られることになったらどうしようかと日々思っていたのだ。好きだからこそ一緒にはなれないと、ドラマでよく聞く台詞がある。今ならあの台詞も分かるかもしれない。それに例え今この関係で告白でもしてみたら、絶対にスザクは俺のことを受け入れないだろう。スザクの中での俺は、ただの友人なのだから。沈んだ気持ちを引きずりつつ教室の扉を開ける。荷物はそのまま教室に置いていたままだったからだ。何か盗まれているということは無いだろうが一応中を確認しておく。勉強道具の一切入っていない鞄、盗られたものはなさそうだ。携帯を鞄に仕舞おうとしたとき、鞄の内側のポケットで何かがキラリと光った。何かと思い探って取り出してみると、それはチェーンの通された指輪だった。

(そうか、ここに入れておいたんだったな・・・)

以前、スザクからクリスマスプレゼントとして貰った指輪。シルバーのシンプルな指輪だったが、スザクから貰った大事なものだ。あの時は自分も何をあげるか迷ってて、悩んだ末に指輪にしたらスザクと同じ指輪だったということを覚えている。指輪は学校でははめていられないからチェーンを通していればいつも持っていられると言ったのはスザクで、これと同じものをスザクも持っていたはずだ。夕日に反射してキラキラひかるその指輪をそっと撫でる。つるつるした表面にひやりとした冷たさを感じ、それを掌の中でぎゅっと握った。

(そういえば、あの箱にあの指輪は入ってなかったな・・・)

不意に思い出したのは、あの日の何日か後あの女がいきなり持ってきた箱のことだ。雨の日以降一度も現れなかった女が急に家に訪れた時はさすがの自分でも驚いた。ずかずかと俺の部屋に入ってきた女は大きな箱を一つ俺に渡してきた。これは何だと問えば開けてみろと言われ、傲慢な態度の女を不快に思ったが俺は箱を開けた。箱の中はどれも見覚えのあるものばかりで、俺は言葉を失った。

『お前、これ・・・何処で・・・』
『あの男の部屋だ。物までは消せないからな、回収させてもらった』
『なんで俺のところに・・・』
『お前たちは、そういう関係だったのだろう?捨ててもよかったんだがな、お前に聞いておこうかと思ったんだ』

箱の中には、昔撮った俺とスザクの写真や俺がスザクにプレゼントした物が入っていた。こんなものあげたなと思うものまで入っていて、スザクが俺が送ったものをちゃんと持っていてくれたことに涙が出そうになった。箱の中身を一つ一つ出して確認する。これは去年の、これは何年前の、これは。そう確認していくうちにスザクとの思い出が蘇り、俺はスザクとの思い出の品の中で泣いた。女はまるで母のように俺を抱きしめてくれたが、俺が抱きしめてほしかったのはスザクで、もうスザクには抱きしめてもらえないと思ってしまい、その悪循環だった。スザクとのことがあってから俺は涙もろくなったような気がする。勿論人の前では泣かないが、ふとした時に一人で思い出すと涙がこみあげてきそうになる。

(強く、ならなければ)

弱くなってはいけない、あれだけ分かっていたのつもりなのに。両親を事故で亡くし、幼いころより頼りのない親戚をタライ回しにされ、力がなくては生きていけなかった。だから今は得意な賭けチェスで生活費を稼ぎながらナナリーと二人で暮らしている。子供だけの生活は苦労が絶えなかったが、これも3年間も続けば慣れてしまうものだ。ナナリーは病弱で目や足も不自由だからその治療費や家政婦を雇うのに金は必要だったが、賭けチェスに加え週に何度かのバイトをすれば十分に足りる。とはいえ生活は楽だと言えるものではない。だから、スザクのことばかり考えて気を落としていたらだめなのだ。辛いけれど、受け入れなければいけない。

(でも・・・)

好きという気持ちは厄介なもので、醒める時は急激に醒めるくせに忘れようとすると忘れられない。指輪と鞄へ戻そうとして、俺はそれを首にかけた。シャツの内側に入れて外側から見えないようにすると、指輪の部分を服の上から握る。確かにある固い感触に自嘲し俺は鞄を持った。今日は夜にバイトがあるから早く帰って家政婦の咲世子さんに今後の予定を話しておかなければ。そのまま教室を出ようとした俺だったが、教室の中央のほうにある机の上に不自然に置かれた携帯電話に気づいた。その席は確かスザクの席だったなと思い近づいてみると、携帯電話もスザクのものだった。チカチカとランプが点灯している携帯は机の上に置かれたまま寂しく光っている。スザクの机を見てみるが鞄はないしこの時間は部活中なはずだ。わざと置いていったというわけでもなさそうで、忘れていったのかとその携帯を持ち上げた。こんなところに置いておいて盗まれたりでもしていたらどうするんだ、そんなことを思いながらこれをどうしようか考えた。時計を確認する。スザクの所属する剣道部はそろそろ部活が終わる時間だろう。このままここに置いていくのもなんだし、帰り道に寄ればいいかとスザクの携帯電話をポケットに入れた。これは友達としての行動だから大丈夫だろう。そのまま教室の戸締りを確認すると、俺は下駄箱へと向かった。靴を履き変え外に出る。体育館の横の格技場で剣道部は部活動をしている。体育の藤堂先生が顧問を務める剣道部はとても厳しくて辛いことで有名だ。大体の生徒は入ってから一ヶ月もしないうちに退部してしまう。だからこそ今でもきちんと残っている生徒は"しん"のある生徒ばかりで、おかげで剣道部は大会でも優秀な成績を残している。格技場の近くまで行くと、竹刀の音が外まで聞こえてきていた。まだ練習をしているようで、開きっぱなしの扉から中の様子を窺うと練習最後恒例の切り返しをやっているところだった。面をつけているせいで誰が誰だかは分からなかったが、スザクがどれかだけはすぐに分かった。ピンと伸びた背筋と張りのある声。向かいあって竹刀を構えてくる相手に、綺麗に竹刀を打ちつけていく。摺り足で進行と後退を繰り返し、最後に相手が竹刀を高く横に掲げると、スザクの竹刀がそれを素早く打った。

「面ーッ!」

何人もの中でもよく通る声。スザクの声だけはハッキリと聞こえた。切り返しが終わり全員が整列する。藤堂先生が何かを話し、一同は神棚に向かって黙祷をすると礼をして練習は終わった。解散すると生徒たちはバラバラに歩き始め、部室に入る者もいれば水道に向かう者もいた。スザクが練習が終わったあとまず何をするか知っていたから水道に向かうために通る扉の所で待っていると、案の定スザクが出てきた。スザクは待っていた俺に驚いたようだったが、俺が携帯を見せると納得したように笑った。

「ごめん、わざわざ。待っててくれたの?」
「いや、丁度帰るところだったから。今度からは気をつけろよ」
「うん、ありがとう。教室に置きっぱなしだったのは練習中に思い出したんだけどさ、途中で抜け出せないから・・・」

額に浮かぶ汗を袴で拭うスザクは恥ずかしそうに笑った。それが前に見せてくれたような笑顔に似ていて、思わず顔が綻ぶと突然背後から大声が聞こえた。

「ッせんぱーい!」

この声は、と振り返る前に背中に強い衝撃を受けた。ドンッと体当たりされたような衝撃に身体が前のめりになり、倒れそうになるがなんとか足を踏ん張る。背後から両腕を首に回され強く抱きしめられる。紺色の袴に赤文字で刺しゅうされた名前に、またこいつかと呆れた。

「ジノッ!」
「先輩!来るだったら教えて下さいよー!そしたら俺、練習頑張ったのに!」
「俺が来ても来なくても練習は頑張るべきだと思うんだが?」
「そうじゃなくて、もっと頑張ったって意味ですよ!」

一つ後輩のこの男、ジノ・ヴァインベルグ。剣道部の期待の星とも呼ばれ、一年にして他の二年や三年を押えて中堅に選ばれた男だ。やけに絡んでくることが多いジノはスザクの後輩でありよきライバルでもある。ジノとはスザクを通じて知り合ったので、スザクが居なかったらジノのことを知ることはなかっただろう。よく前にスザクの帰りを待っているときにジノと話したことを思い出した。スザクのことがあってから剣道部に顔を出すことがなくなっていたのでジノとここで会うのは久し振りだ。学校内でたまにすれ違ったり話したりすることもあるが、学年が違うのでどうしても会う機会は少ない。背丈の大きいジノに抱きつぶされそうになり、なんとかその腕から抜け出そうとしてみるが逃げられない。それどころか脇に手を入れられ持ち上げられそうになり、足をばたつかせて抵抗した。

「こら、ひっつくな!汗臭い!」
「ひ、酷い先輩!部活の後なんだからしょうがないでしょう!?」
「くっつくなと言ってるだけだ馬鹿!」
「わー!馬鹿って言ったー!」

汗で濡れた金髪をぐりぐりと首筋に押し付けられる。人懐っこい性格なのは分かっていたつもりだが、暑苦しくてしょうがない。一向に放す気配のないジノに、スザクに助けを求めた。

「スザク、こいつを何とかしてくれ」

いつもならすぐにでもジノを引き剥がしてくれたスザクだったが、すっかり忘れていた、もう"いつも"のスザクではなかったことを。スザクは困ったように笑って頬を掻く。

「えー、どうしうかな?ジノ楽しそうだし・・・」

スザクの言葉に、スッと心臓が冷えるのが分かった。どうして、そう思ってしまい後悔する。

「そ、うか・・・そうだよな・・・」

静かにそう呟いて、俯いた。急に大人しくなった俺にジノがどうしたのかと耳元で聞いていたが、その声は遠くからの甲高い声で掻き消された。

「スザク君!」

声のする方へ向けば、あの少女が居た。両手で鞄を持ってこちらに駆け寄ってくる。何故あの少女がここに居るのだとスザクの顔を見れば、スザクは少女のほうだけを見て嬉しそうに笑っていた。少女がスザクの隣に来ると、俺とジノが居ることに気づいていないのかスザクだけを見ている。

「今練習終わったの?」
「あ、うん。そうだよ」
「よかったぁ、もう帰っちゃったのかと思った。メール見てくれた?」
「えっ、あ、ごめん携帯教室に忘れちゃってて・・・今ルルーシュが届けてくれたところなんだ」

そうだよねルルーシュと話を振られ、そうだと平常を装って返事をする。携帯を確認したスザクが確かにメールきてるねと申し訳なさそうに言った。

「もぉ、約束したのに!」
「ごめんね、今着替えてくるから」
「うん、待ってるね」

スザクはそう言うとそのまま部室の方へ行ってしまった。まるで恋人同士のような会話の内容に、胸が締め付けられる。スザクの後ろ姿を見送った少女はくるりとこちらを向いた。そしてジノと俺は驚いた、さっきまでの彼女はとろんとした可愛らしい雰囲気を纏っていたのにスザクが居なくなった途端彼女の態度が180度変わった。まるで俺たちのことを邪魔だというように見てきて、特に俺のほうを冷たく睨んできた。しかしジノの顔をじっと観察したあと、また先ほどの可愛らしい雰囲気の少女に戻る。

「あっ、君一年のジノ君だよね〜?はじめまして!」
「あ・・・どうも」
「スザク君の後輩なんでしょ?スザク君って剣道すっごく強いんでしょ?」
「強いですよ、俺の次くらいに」
「あはは、でもジノ君も強そうだもんね〜!」

女性らしく口元を押さえながら笑う彼女だったが、先ほど一瞬だけ垣間見た彼女の"本性"を考えるとこれは演技なのだろうか。ジノは言動は何も考えていないように見えて意外と人を理解する能力に長けている。ジノの口調がどことなく冷たいのは、彼女の本性を俺と同じように理解したからだろう。しばらくするとスザクが制服姿で戻ってきた。未だに袴姿のジノを見てまだ着替えてなかったの?と呆れていた。俺の頭の上に顎を乗せた状態でジノは、そんなの俺の勝手でしょうとわざと言った。でも、と言いかけたスザクの制服の裾を少女が引っ張る。

「ね、一緒に帰ってくれるんでしょ?もう日が暮れちゃうよ」
「あ、うんそうだね。それじゃジノ、鍵は今日は君が返しといてね」
「えぇ〜!なんでだよっ!」
「だってまだ着替えてないじゃないか」
「ちぇっー、分かりましたよ〜だ」

スザクから鍵を受け取り、ジノがそれを指先でくるくると回す。それじゃあと帰ろうとしたスザクが俺の方を向いた。急いで着替えてきたのだろう、胸元まで開けられたシャツ。そのシャツの奥に俺はチェーンのついた銀の指輪を見つけた。ハッとして胸を押さえる。あれは。

「ルルーシュ携帯ありがとうね、それじゃあまた明日」
「あ、ああ・・・また明日・・・」

手を振るスザクに軽く手を振り返すが、それよりさっき見えた指輪のことが気になって仕方がなかった。見間違える筈がないあれは。服の上からもう一度指輪の存在を確かめる。スザクがつけていたのは、俺があげたあの指輪だ。何故今のスザクがあれをつけているのだ?訳が分からず立ち尽くしていると、ポンと肩を叩かれた。ビクッと身体を震わせて振り返るとジノが神妙な面持ちで俺を見ていた。

「どうしたの先輩?なんかすごい顔してるけど」
「へ・・・あ、いや・・・。なぁジノ、スザク何かネックレスみたいなものしてなかったか?」
「ネックレス?ああ、あの、シルバーリングの?」
「そう、それだ。あれって・・・」
「ああ、あれですか。俺も気になって聞いたんですけど・・・」


『あっネックレス!かっこいいですね』
『そう?ありがとう』
『彼女からの贈り物かなんかですか?』
『いや、そうじゃないんだけど・・・うーん、というかよくわかんなくて』
『え?』
『自分で買った覚えはないんだけど、鞄の中に入ってて。僕のってのは確かなんだけど誰から貰ったのか分からなくてさ。』
『へぇ〜不思議ですね』
『うん、でもなんだかこれは大事なものって気がして・・・最近つけてるんだ。そうしたら何か思い出せそうな気がして』


「それで毎日付けてるって・・・・・・先輩?」

ジノの話を聞いて頭が真っ白になった。スザクは俺のことを忘れたはずなのに、指輪のことを覚えてくれていた。普通、知らない指輪を持っていたら気味が悪くてつけることなんてしないはずなのに、大事なものだからと言って持っていてくれた。ということは?

「っ・・・!」
「先輩っ!?どうしたんですか?どこか痛いんですか!?」

涙がぽろぽろと零れ落ちる。忘れていなかった、スザクは、指輪のことを忘れてはいなかった。俺のことを忘れてしまっていても、あの大切な時を全て忘れてしまっていたわけではなかったのだ。そう分かって俺は嬉しくて涙が止まらなかった。いきなり泣き始めた俺にジノが向かい合うようにして顔を覗き込んでくる。具合悪いんですかと聞かれ、首をふるふると横に振った。

「っは・・・はは・・・ふっ・・・うぅっ・・・!」
「先輩、泣かないでください・・・先輩が泣いちゃうと俺、どうしたらいいのか・・・」

ジノにそっと抱き寄せられる。悲しくて泣いているわけではないと言いたかったが、涙で喉が使えて言葉にできなかった。泣いている顔を見られたくなく、ジノの胸板に顔を押しつけた。俺の涙を吸い取ってジノの袴に濃いシミができる。頭を撫でてくれるジノの手のひらの大きさに安心しながら、今は何も聞かないでくれと呟いた。あの指輪をスザクが持っていてくれる限り、俺はスザクを好きでいていいのだろうか。もしかして、俺のことを思い出してくれると期待しても、いいのだろうか?

(スザク・・・スザク・・・)

好きだった気持ちを、無理に忘れようとしなくていいのなら、愛されたいと思ってもいいのだろうか。スザクが幸せであれば、そう願っていた自分を心の隅に置いて、今は僅かな可能性を願いながら涙を流した。




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片思い+スザクが記憶喪失(的な何か)+可哀想なルルーシュ=この結果
スザクに女の影をチラつかせるとルルーシュが切なくて片思いは心臓が痛い・・・。
このあと女の策略にはまったり、スザクに告白して「気持悪い」とか言われたり、真相を知ったジノがスザクに
「あの人になんてことを言ったんだお前は!!!あの人はお前のことを思って・・・クソッ!!!」
とか言っちゃうのを書きたかったのですが、前提の話が長くなりそうなのでやめました。妄想だけで満足。
こういう話でのジノ的ポジションの人は好き。